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フレイム王国興亡記  作者: 疎陀 陽


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第百三十六話 回る歯車、狂う歯車

新年、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


今回は前半と後半で別個の話ですね。今回も、か。本当は二つに分けた方が良かったんでしょうが、先週投稿して居ないので一個に纏めました。楽しんで頂ければ!


「よく来てくださいましたね、コータさん、シオン。さあどうぞ、お掛け下さい」

 ホテル・ラルキアを訪ねた浩太とシオンは、入り口で待っていてくれたエルに伴われるままにホテル・ラルキアの本館総支配人室を訪れた。ホテル・ラルキアの提携話の際には何度なく訪ねた、言ってみれば勝手知ったる人の部屋だ。いつも通りにクラウスの部屋の扉を潜って。

「……」

そして、いつも通りでは無いその部屋に、少しだけ浩太が眼を丸くする。壁には所狭しと絵画が並び、応接セットのソファに腰掛けた浩太の視界の先に、『あ、私高いですから!』と見るからに主張する壺まで置いてある。そんな浩太の表情の変化に気付いたか、クラウスが少しだけ苦笑を浮かべて見せた。

「実は先日、昇進しまして」

「え? そうなんですか? それはおめでとうございます!」

「ありがとうございます。まあ、昇進と言いましてもホラ、コータさんやベロアに随分骨を折って頂いた、ユナホテルとの共同事業、アレが『戦略経営室』から『戦略経営部』に格上げになったので……やっている事は変わりは無いのですが、横滑りで位だけが上がった、と云うのが真相です。ただ……まあ、そうは言ってもホテル・ラルキアの部長職は経営会議への参加も可能な職ですので、今まで以上に外部の方とお逢いする機会が増えたんですよ。無論、この部屋を訪ねる方も、ね?」

「……なるほど。だから、先日までは無かった壺なり絵画なり、ですか?」

「部長室が余りに殺風景では格好も付きませんので。ただ……正直私自身、芸術にはとんと疎いですので、この絵画や壺に一体どれ程の価値があるのかは分からないのですが」

 そう言ってクラウスが肩を竦めるのと同時、エルが紅茶を四つ持ちその内三つをそれぞれの前に置くと、一つを手に持ったままクラウスの隣に腰を降ろすと口を開いた。

「そして、私がクラウス部長の秘書として命じられました。ホテル・ラルキアの部長職と言えば秘書の一人や二人、当然ですからね」

 心持、誇らしげに。そう言って見せるエルに、シオンの眉がピクリと上がった。

「エルが秘書、だと?」

「そうですが? 何か問題でもありますか?」

「あー……いや、エルなら無難にこなせると思うし、そういう意味では問題は無いが……エル、確かお前は本館副支配人だったのではないか? クラウスが持ち上がりで昇格したんだ。エル、お前も本館総支配人に昇格するのが筋だと思うが……」

「……ああ、なるほど。ですがご心配には及びません。本館総支配人は」

 そう言ってエルはチラリとクラウスを見やり。

「クラウスお兄様が続けておられますので。部長職と兼務、です」

「……そうなのか、クラウス?」

「えっと……まあ、うん。そうだよ」

「その……なんだ。本館総支配人は激務だと聞く。他所の分館の総支配人よりも仕事が多く、為に中々難しい仕事だと記憶していたが?」

 暗に兼務できるのか? と問うシオン。そんなシオンに、少しだけ疲れた様な笑みを浮かべて、クラウスが小さく肩を落とした。

「シオンの前だし、本音を言えば……ぶっちゃけ、結構しんどい」

「……お前が弱音を吐くなんて珍しいな」

「正直に言えば、完全に容量を上回る仕事量だと思ってる。エルが色々と手伝ってくれてるから、なんとか回っていると云うのが正解、かな?」

 ね、と視線だけで問いかけるクラウス。そんなクラウスの視線に、エルは黙って首を左右に振って見せた。

「私の助力など微々たるものです。全て、クラウスお兄様の力量ですから」

「あー……いや、そんな事は無いよ? エルのお陰だよ」

「いえ。確かに、お兄様の仕事量は尋常ではありません。ユナとの会議に、本館の管理、それに経営会議の参加と、資料作り。その全てをお一人でこなされているお兄様には……私、下げた頭があがりません」

「でも……それは、エルが資料の整理を手伝ってくれるからだし」

「あの程度の事、私でなくても出来ます。ですが、お兄様? お兄様に比肩する人材など、今のこのホテル・ラルキアにはおりません。ですから、お兄様」

 ――自信を、持って、と。

「……ありがとう、エル」

「……いえ。出過ぎた真似を」

「そんな事ないよ。エルのお陰だ」

「……お兄様」

「……エル」

 見つめ合う二人。潤んだ瞳のまま、エルは少しだけクラウスにその身を寄せる。やがてエルの瞼が徐々に下に下がり、そして彼我の距離がゼロに――


「……他所でやれ、お前ら」


 ――なる前、感情の籠らないシオンの声がエルとクラウスの耳朶を打つ。此処が何処か、今がどういう状況かを理解した二人は、慌てて視線をシオンとその隣の浩太に向けて。

「……バカじゃないか?」

「……あ、あはは」

 砂を噛んだ様な表情のシオンと、そっぽを向いて視線を逸らす浩太の姿が視界に入って来た。何とも言えない空気の中、照れ隠しに表情に笑みを浮かべて見せるクラウスをジト目で見やりながら、シオンが小さく溜息を吐きつつ口を開いた。

「まあ、私から話を振ったのは認めるが……もう一回言おう。バカじゃないか、お前ら? ココ、何処だと思ってるんだ? 『そういう』事は他所で、二人っきりの時にやれ。なあ、コータ? お前だってそう思うだろう?」

「わ、私に振ります!? え、えっと……あ、アレですね。仲が良いのは素晴らしい事かと」

 何時になく、浩太からフォローの言葉も出ない。それ即ち、浩太も思っているのだ。このバカップルが、と。お前が言うなという話ではあるが。

「……あ、あはは。失礼しました」

「……申し訳御座いませんでした。その……つい……」

 頭を掻きながら、その頭を下げるクラウスと頬を真っ赤に染めるエル。その姿に、もう一度シオンが大きな溜息を吐いた。

「……まあ、二人は婚約を済ませた身だし、余り五月蠅い事は言わん。言わんが、もう少し状況を考えていちゃつけ。特にエル、お前だ」

「……はい」

「普段は真面目なんだし、いつも通りを心がけろ」

「……はい」

「クラウス絡みで直ぐポンコツになる癖を直せ」

「……はい」

「お前は、もう少し『クラウス離れ』をしろ。ああ、別に嫌いになれと云う意味じゃないぞ? 結婚した後は職場でも家庭でもずっと一緒なんだろう? それはきっと、お前に取っていい結果にならんし……そうだ! クラウスも手一杯の様だしエル、お前は秘書業を止めて本館総支配人に――」



「…………………は?」



 エルの瞳のハイライトが消える。絶対零度のその視線に、思わずシオンが口の上下運動を止めた。

「……わ、私が、お兄様の秘書から外れる? そ、それは、なんですか? お兄様に別の、若くて可愛い、綺麗な秘書が付くという事ですか? え? なんです、それ? 有り得ないでしょう? 有り得ない、ありえない、アリエナイ、アリエナイ、アリエナ――!」

「お、落ち着いてエル! 大丈夫! そんな事ないから! エルにはずっと秘書をして貰うから!」

「アリエナイ、アリエナイ、アリエナイ……」

「だ、大丈夫! ほーら、エル? いいこ、いいこ~」

「アリエ……アリ……え……えへへへへへへへへ~」

 クラウス、必死。壊れたラジカセの様に『アリエナイ』を連呼するエルを優しく抱きしめると、頭を撫で続ける。やがて、ぽーっと上気した頬をエルが浮かべた辺りで落ち着いたと判断したのか、クラウスがようやくエルの『拘束』を解く。

「……お見苦しい所をお見せしました。その……色んな意味で」

「あー……いえ。胸中、お察しします」

「ありがとうございます、コータさん。取り敢えず、シオン。お口にチャックで」

 エルが壊れたラジカセなら、シオンは油の切れたロボット。先程の視線の後遺症からか、ぎこちない動作で首を縦に振るシオンに一つ頷くと、クラウスは言葉を続けた。

「……なんともシマラナイ形で恐縮ですが……シオンから『話がある』とお伺いしたのですが……なんでしょうか、コータさん? 私に出来る事であれば協力させて頂きますが?」

 クラウスの言葉に、浩太はゆっくりと手に持った紅茶のカップを置き、居住まいを正す。そんな浩太の変化にクラウスは柔和な笑みを浮かべて。

「……単刀直入に言います、クラウスさん。『紙幣』の導入にご協力頂けませんか?」

 その笑みを、引き攣らせた。

「……紙幣の導入、ですか? それは……えっと?」

「硬貨に、コインに代わる決済通貨の導入です。商売の利便性の向上を図る、その為に」

 浩太の視線を受けたまま、クラウスはゆっくりと紅茶のカップを手に取ると、それを静かに口に運ぶ。一瞬とも、永遠とも取れる時間の後、口を付けたカップをクラウスはゆっくりとテーブルの上に置いた。

「……私からご質問する事は一つだけです」

「伺います」

「その新たな通貨――『紙幣』の発行を、何処が行うのですか? 今まで通り、それは商業連盟に委託されるという認識で良いでしょうか?」

 浩太がわざわざ訪ねて来た意味ぐらい、クラウスにだって分かっている。これが――この紙幣の導入が、商業連盟に委託されるのであれば、浩太にわざわざ登壇願う必要などなく。

「……いいえ、王府です。ちなみに、既に九人委員会に参加する商会、その四つまでには『賛成』を頂いております」

 だから、コレは唯の確認。

「……なるほど。先日の、九人委員会の件はこういう事だったのですか。外堀を埋めてから来られた、と」

「……済みません。あの時は、情報開示が認められていませんでしたので」

「いえ、それは構いません。構いませんが」

 そう言って、クラウスは笑みを、いつもの柔和な笑みを浮かべて。


「――申し訳御座いません、コータさん。その話については賛同しかねます」


 言い切る。

「大まかに分けて三つ、理由があります。説明は?」

「ご教授願えれば幸いです」

 浩太の言葉に一つ頷き、クラウスは三本指を立てて見せた。

「まず一点目。コータさんは四つの商会が賛成されている、と仰いました。ですが、それは裏を返せば四つの商会は反対している……もしくは、反対に回る可能性が高いという事です。違いますか?」

「そうですね。他の商会にお話を持って行ってはいませんので正確には分かりかねますが」

「話を持って行っていないのであれば分かります。まず間違いなく反対しますよ、他の商会は」

「そうとも言い切れないと思いますが?」

「いいえ。間違いなく反対します」

「……利便性があっても?」

「ユナとの提携と同じですよ。メリットがある『だけ』では中々動けないのです、九人委員会とは」

「……」

「正直に言えば、私は四つの商会が賛成に回るという事に驚愕すら覚えます。山よりも高いプライド――失礼、まあ矜持を持つ他の商会の方々が良く賛成に回りましたね?」

 暗に興味があります、といって見せるクラウスに、浩太は肩を竦める事で返答とする。内容に色々とプライベートな部分が絡むだけに、軽々とは話せやしない。

「そうですか。お話しいただけないのであれば仕方ありませんね。ああ、どうぞお気に為さらず。興味本位ですので」

 浩太の態度に別段気を悪くした風もなく、クラウスは言葉を続けた。

「我がホテル・ラルキアは不特定多数のお客様を対象とするホテル業です。そして、ホテル業である以上、一部の『お客様』を贔屓するのは難しいです。簡単に言えば、コータさん……というより、コータさん達の案に賛同された皆様の肩を持つのは難しい、という事です」

「……これは贔屓では無いのでは? 純粋な経営判断でしょう?」

「そこで二点目、ですね。コータさん、次の九人委員会の会合がいつかご存じですか?」

「九人委員会は……確か十日後、でしょうか?」

 浩太の言葉に小さく首肯し。

「そして、ホテル・ラルキアの経営会議は今から二十日後です。『経営判断』を下すとしても、今回の九人委員会には間に合いません」

「……それは……」

「無論、緊急の会議――例えば先日のライムとラルキアの戦争の時の様な場合であれば、緊急で会議を招集する事も可能でしょうが……失礼ながら、今、コータさんから頂いたお話が重要とは思えません。これは会長の確認を取るまでもありません。変革を嫌いますしね、我がホテル・ラルキアの経営会議の面々は」

「……そうですか」

「で、あるのであれば当ホテル・ラルキアとしては多数派に付く事を選択します」

「同数なら?」

「『伝統』を選びますかね? 日和見、と言われるでしょうが」

 それが、ホテル・ラルキアですので、と微笑を浮かべるクラウス。

「……メリットがあるとしても、ですか? クラウスさん、貴方は……失礼ながら、『伝統』よりも『メリット』を選ぶ、その重要性をご理解頂いていると思っていたのですが?」

 ユナとラルキアの共同事業。それを選んだクラウスなら分かるだろうと言わんばかりの、その浩太の言葉にクラウスが微笑を苦笑に変えて、三本目の指を折った。

「それが三点目です、コータさん。なるほど、現在の硬貨――コインの商売から紙幣に切り替える商売というのは確かに利便性が高いのでしょう。信用などの面で幾分か硬貨よりも劣るとは思いますが……きっと貴方の事です。巧くやるのでしょう。で、あるのならば持ち運びが容易な紙幣への変換は強ち悪いアイデアとは思えません」

「でしたら――」

「ホテル・ラルキアがホテル業で無ければ、ですが」

「――……え?」

 クラウスの言葉に、喋りかけた浩太の口が止まる。その行動を確認して、クラウスがゆっくりと口を開いた。

「憚りながら、ホテル・ラルキアはオルケナでも随一の名門ホテルを自負しております。料理だって、接客だって、部屋だって一流です。そして、非常に上から目線である事は百も承知で敢えて言えば……この街に限らず、何処でも『ホテル・ラルキアに品物を卸している』というのは一種のステータスですらあります」

『王室御用達』のホテル・ラルキアに、肉なり魚なり野菜なりを卸す。言ってみれば、それは『ホテル・ラルキアに認められた』という金看板になり、個々の商会を潤す事になる。

「分かりますか?」

「……ええ」

 クラウスの言葉に、浩太は小さく唇を噛む。例えばベッカー貿易商会。彼らは、商品の買い付けの為に貿易に出る。海も、山も、川も越え、各地の商会や街に出て買い付けを行うのだ。少ない量ではない。ベッカー貿易商会程の規模になれば、小麦一つにしたって取扱いの量はロンド・デ・テラで消費される小麦の一年分を優に超える商量になるのだ。当然、扱うべき硬貨の量も膨大になるし、甚だ本末転倒な話ではあるが硬貨を運ぶための馬車なり船なりも仕立て無ければならない。つまり、紙幣化によって余分の経費が削減出来るのである。

「――私共は、『買い付けに赴く』必要が無いのです。向こうから商品を持ってきてくれますし、ホテル・ラルキアの金庫から必要な量をお支払いすればそれで事足りるのですから」

 対して、ホテル・ラルキアは違う。何かを仕入れて何かを売る、という商いでない以上、硬貨をじゃらじゃら言わせながら街々をめぐる必要など彼らには無い。足りないモノがあれば、他の『商社』が持って来たのを買えばいいだけの話なのだ。施設そのものがお金を産む事業を総称して『装置産業』と呼ぶが、装置産業は商社などの流通産業とは考え方が根本的に違い、それはつまり。

「……確かに、紙幣を導入すれば保管の面では硬貨よりも幾分メリットは出るでしょう。硬貨は場所も取りますからね。ですが、それだけです。まだまだホテル・ラルキアの金庫には余裕もありますし、別段硬貨での商売に不便を感じていません」

 こういう事だ。

「で、あるのであれば、です。敢えて恨みを買ってまで『伝統』を捨てる必要は無いでしょう。私共は不特定多数のお客様を相手にするホテル業ですので。九人委員会だけが『商売相手』では無いのです、ホテル・ラルキアは」

 九人委員会は力を持つ商会の集まりではあるが、別にオルケナ商業連盟が九人委員会『だけ』な訳ではない。それ以外の有力な商会だってあるし、そしてその有力な商会はホテル・ラルキアの顧客でもあるのだ。メリットが少ないシステムの導入で、他所に波及する恨みを買う必要も無いだろう、という判断。

「……仰る通りですね」

 そして、浩太にとってはそれが正しい選択だという事が良く分かる。別に浩太が銀行員だから、ではなく、常識的に考えても買わなくても良い恨みなど買う必要は無いのはお分かりいただけると思う。だからこそ浩太はがっくりと頭を垂れ。



「――と、まあコレが建前です」



 垂れた頭の上に掛かる声に、慌てて顔を上げる。見上げた視線の先、少しだけ含んだ笑みを見せたクラウスに、浩太の頭に疑問符が浮かんだ。

「……え……っと?」

「私はコータさんの『友人』を自負しております。そして、叶うのであれば私は貴方の力になりたいと、そうも思っています。微々たる力ではありますが……最大限、助力はさせて頂きます。エル? 今日はアドルフ会長と食事の予定があったよね?」

「ええ。本日はブルクハルトの本宅でアドルフ会長と会食の予定となっております」

「会食って……親子で晩御飯食べるだけじゃないか。エルも参加するし」

「先程までは唯のお食事会でしたが、こうなって来れば事情が違います。これは立派な会食でしょう?」

 そう言って、エルは視線を浩太に向ける。

「先日はお手伝い出来ませんでしたが……今回は、是非コータ様のお力になりたいと思っております」

「で、ですが! そ、その……いえ、本当に有り難いんです! 有り難いんですが……その、宜しいので?」

 先程のクラウスの言葉であれば、メリットは何一つない。ありがたさと罪悪感の板挟みにあった浩太のその視線にクラウスとエルは眼を見合わせ、その後、どちらからともなく少しだけ笑んで見せた。

「まあ……ねえ、エル? 此処は絶対、コータさんの助けになりたい所だよね?」

「当然です、クラウスお兄様」

「え、えっと……その、メリットは……?」

「メリット、ですか? そうですね……強いて言えば」


『友人』の為になる、ですかね? と。


「……え?」

「先日も申しましたが、私とエルが誰に憚ることなく婚約できたのはコータさんのお陰だと思っております。ねえ、エル?」

「ええ。コータ様の助けが無ければ、私はこの様な幸せな生活を送れていたと胸を張って答える事が出来なかったでしょう」

「『友人』同士で借りっぱなし、というのも始末の悪い話ですし……出来れば、この辺で恩返ししておきたい処なんですよ」

 そう言って笑みを一層強くするクラウスに、知らず知らずの内に浩太は上げた頭を下げていた。

「……ありがとう……ございます!」

「頭を上げてください、コータさん。それに……すみません、コータさん。これだけ偉そうな事を言っておいてなんですが、私に決定権がある訳ではありません。あくまで経営会議と……それに、それに伴うアドルフ会長の判断になってきます。ですので、私が出来るのはあくまでアドルフ会長に話をする、という事だけになります。最終的にはコータさんにご出馬願う事になる可能性も承知しておいてください」

「も、勿論です! それに、それだけでも随分違います。助かります!」

「わ、わ! だから、コータさん、頭を下げるの止めて下さいって!」

 そう言って慌てた様に手を振るクラウスに構わず、浩太は頭を下げ続けた。


◆◇◆◇


「なにしとんじゃ、こんな所で?」

 夜の帳がすっかり落ち、家々に明かりが灯った街を、宿泊している宿屋の屋根の上から見るとは無しに見つめていたエリックだが、後ろから掛かった聞き慣れたローナの声に振り向く事をせず、手だけを振って口を開いた。

「あー……いや、別に何をしているって訳じゃ無いけどな。こう……みんな楽しそうに生活してるな~ってちょっと思ってさ。二階の窓からじゃ町全体が良く見えないし」

「まあ確かに、此処からじゃったら良く見えるわの~。ほんで屋根の上にあがった、いうこか?」

「……そんなカンジ、かな?」

「……目立つ事しちゃおえんって言わんかったかいな?」

「一応、誰にも見つからない様に上がって来たつもりだけど?」

「私に見つかっとるがん」

 口ではそういうモノの、さして責める気も無いのか服のポケットからリンゴを一つ取り出すと『はい』とエリックに渡すローナ。そのリンゴを礼を言って受け取り、エリックは一口齧る。しばし、リンゴをシャリ、シャリ、と齧る音だけが響き、それが途切れると同時にローナが口を開いた。

「……怖気づいたんか?」

「なにが?」

「これから『する』事に、じゃ」

「あー……なんだろう? それは別にそうでもないかな?」

「ほうか? これからエリック、お前がする事によってこの街はきっと、大混乱になるんで? 今は付いている明かりたちも、お前の行動の『せい』で火が消えた様になるかも知れんのじゃで? 或いは、この街が、伝統と、栄光と、名誉あるこの王都ラルキアが、無くなってしまうかもしれんのじゃで? それが――お前は、怖くないんかいの?」

 まるで、試すように。

 そういうローナに苦笑を浮かべ、エリックはもう一口リンゴを齧った。

「その辺りの所はもう、乗り越えたかな。あんまり良い言い方……っていうか、思いっきり最低な事言ってるけど、あんまり気にならないっていうか……」

「人を『殺す』事については?」

「一応俺、戦場帰りだし」

「……ほうか」

「そう」

「……」

「……逆に、さ?」

「うん?」

「ローナはどうなんだよ?」

「……ウチ?」

「そう」

「……えっと……え? なんで?」

「なんでって……」

 そう言って、食べ終わったリンゴの芯をどうしようか迷い、心の中で頭を下げつつ屋根の上にポイ捨て。そのまま、視線をローナに向ける。

「……そう言えば聞いて無かったな、ってな。俺には『復讐』って目的があるけど、ローナには何があるんだろうって。ローナは俺を鍛えてくれたけど、ローナには何も返せれてないなって思ってさ。そう考えたら、ローナの目的……っていうか、目標? 何の為にするかって聞いてないな~って思って」

 リンゴの汁を服の裾の部分で拭きながら、視線をローナに向ける。呆気に取られた顔は一瞬、ローナはゆるゆるとその表情を苦笑に変えた。

「あー……そうじゃな。そう言えばウチの事はエリックに何にも喋って無かったの。なんじゃ? エリックは『背中を預ける仲間』の目的を聞いて置かないと不安かいの?」

「そういう訳じゃないけどな。ローナが何を考えてるか、何を思っているかは俺の目標とは……まあ、言い方は悪いが関係ないし」

「ただ、やるべき事はやる、って事かいの?」

「そういう事。だからこれは唯の興味本位だけど……でもまあ、一応同じ目標に向かう仲間な訳じゃんか。聞いて置こうかなって」

「……そうじゃの」

 そう言って、手の中のリンゴを一口齧る。

「……ウチな? 孤児だったんじゃ」

「……ふーん。俺と一緒だな」

「そうじゃな。ただ……まあ、別に不幸自慢をするつもりは無いんじゃが……エリック程『恵まれた』環境じゃ無かったんじゃ、ウチ」

「……」

「ウェストリアは男尊女卑の国じゃし、多かれ少なかれ『女』は差別を受けるんじゃがの。その中でもウチの育った孤児院は一層酷い方じゃったんよ。ホレ、自分で言うのはなんじゃけど、ウチはそこそこ見栄えもエエじゃろ? 十歳ぐらいから、かの? 孤児院で『客』を取らされる様になったんじゃ」

「客?」

 エリックの言葉に、なんでも無いように。


「ウェストリアにも結構おるんよ、幼女愛好家」


「……? ……! そ、それって……」

「女子の、しかも孤児じゃ。ウチの事なんて守ってくれる人はおらんかったけんの。温かい……事は無かったけど、まあウチも御飯食べんと生きていけんから、言う事は聞かにゃおえんかったんじゃ」

 リンゴを、もう一口。

「辛かったし、何より自分が段々『汚れて』行く気がしての。逃げ出した所で、ウェストリアで身元のしっかりしていない『女』なんて……まあ、やる事は一緒じゃからの。そこから逃げ出して、それをやるんじゃったら何をしてるんか分からんし、そうなったら後はもう、この環境から逃げ出そう思ったら死んでしまうぐらいしかないんじゃけど、そんな度胸も無くて……ただ、言われるがままに客を取っとたんじゃ」

「……その……」

「まあ、そんな絶望的な日々を送っとたんじゃが、その孤児院が摘発を受けての? 孤児院は取り潰され、そこで生活をしとった孤児は皆、王家直轄の孤児院に拾って貰ったんじゃ。そこは、今まで居た孤児院と違って『女』を売る商売なんぞせんでもええ。三食、温かいご飯が出て、綺麗な寝床があっての? 院長は厳しかったけど、それでも厳しい中にもやさしさがあって……なんじゃろうな? とにかく、全てが違ったんじゃ」

 そう言って、なにかを懐かしむ様に視線を中空に飛ばす。

「――だから、嬉しかった」

「……

「……ようやく、人間として生きてエエと言うてもらった気がして……無理に『客』を取らんでも、生きて行けるのがこんなに幸せな事かと思うたんじゃ。その環境を与えてくれたのが姫サマじゃから……まあ、これは『恩返し』じゃな。姫サマが望むんじゃったら、ウチが悩んだり、迷ったりする必要はない」

「……」

「……」

「……その……」

「ん?」

「……その、姫様の『目標』って?」

 掠れた声のエリックの言葉に、ポケットから出したハンカチで口元を拭い。



「『破壊と創造』」



「……破壊と、創造?」

「姫サマも『女』じゃけん、随分ウェストリアで苦労しとったみたいじゃ。じゃから……今の体制をぶっ壊し、新たな体制を作るって……まあ、そういう事じゃな」

 何でも無いようにそう言うローナ。立ち上がり、お尻についた埃をパンパンと二度払う。

「……すげーな、その姫様。いや、すげーって言うか……なんだろう? 狂ってる?」

「そうかいの?」

「破壊と創造なんて格好良く言ってるけど、言ってみればその姫サマ、自分の『我儘』な訳だろ? その我儘で」

 そう言って、眼下に見える街を見渡す。

「……この街の人が幾ら死んでもイイって、そう思ってるんだろう?」

「為政者は何時だって、我儘なモンじゃからな」

「ローナだって、その人の為に、その人の為『だけ』にするんだろ?」

「助けてくれなかった人々よりも、助けてくれた人を優先するだけの話じゃ。それに……」

 そう言って、視線をエリックに固定する。

「――それを言うならエリックだってそうじゃ。たった一人の女の為に、この街が火の海になっても構わないと……そう、思っとるんじゃろ?」

 まるで試す様なローナの眼に、エリックは薄く笑って答える。

「……そうだな。俺だって十分、狂ってる。良い死に方しないだろうな、俺も……ローナも」

 そう言って、ローナに倣うようにエリックも腰を上げる。

「……さて。それじゃ今日もやっておくか?」

「お? 感心じゃな。それじゃエリック、十数える間に逃げるんじゃで? はい、十、九、六、三、一、ゼロ!」

「短縮の仕方! ああ、もう!」

 不満を一息で口にした後、まるで軽業師の様な仕草でひらりと屋根の上から飛び降りるエリック。

「良い死に方をしない、か」

 その姿を見つめて。


「――そんなモノ、当たり前じゃ。ウチらが行くのは、地獄に決まっとる」


 冷たい微笑みを一つ、その後、いつもの明るい笑顔を浮かべてローナはエリックの後を追う様に屋根から飛び降りると、夜の闇にその身を溶かした。


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