第百三十五話 上司:シオン・バウムガルデン
今年最後の投稿となります、どうも疎陀です。本年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします!
「それにしても……驚きましたね」
「驚いた?」
学術院から中庭を通り、王城へ抜ける小さなアーケードの付いた道を先導していたシオンが、何に? と言わんばかりに振り返って首を捻る。独り言のつもりの言葉に返答があった事に肩を竦めて、浩太は言葉を続けた。
「どう言いましょうか……シオンさんの人気、とでも言いましょうか……」
言いたい事が巧く言葉に出来ず、もどかしそうにする浩太。そんな姿を見て、シオンが苦笑をして見せた。
「ああ……まあ、アレは揶揄われているだけだがな」
「それでも、ですよ。学術院がエリートの集まりである以上、なんと言いましょうか……こう、もうちょっと色々とあるのかと思いましたが」
ギスギス、では言い過ぎでも、少なくとも『あんな風』に和気藹々とした物では無い筈。そんな浩太の問いに、シオンが苦笑の色を濃くした。
「否定はしない。学術院はエリートの集まりだし、皆、鼻っ柱の強い人間ばかりだ。加えて年下の上司は嫌われるモノだし……まあ、私の立場であれば『嫌われる』というのも給料の内だろうしな。事実、私の前任の主任研究員はそれこそゴキブリ並に嫌われていたさ」
所属するのが組織である以上、ある程度のケジメはどうしても必要になってくる。敢えて喧嘩腰で接する必要は毛程も無いが、それでも『なあなあ』では組織が組織として成立しないのもご理解頂けるかと思う。組織の発展には良きプレイヤーが必ず必要ではあるが、そのプレイヤーを巧く使うマネージャーの力も重要なのだ。それが時に耳に痛い、『嫌われる』事であったとしても言わなければならないのが上司の仕事でもある。
「反面教師にした、と? 例えば……そうですね、部下の意見を諾々と聞き入れた、とか?」
「まさか。先程も言ったが、私の仕事は嫌われるのも給料の内だ。必要とあればきつい事も言うし、間違いがあれば正す事もする。私の意見が正しいと思えば、私が自分の意見を曲げないのは……まあ、コータも知っての通りだ」
「そうですね。シオンさんですものね」
「……自分で言っておいてなんだが、そこは『そんな事はありませんよ』と否定してくれても罰は当たらないと思う。まあ……ともかく、そういう意味では前任者と私で大差はないさ」
そう言って、肩を竦めて――その後、照れ臭そうに頬を掻いて見せる。
「ただ……そうだな。自分の所属する組織を持ち上げるなんてヤラシイ事を百も承知で言えば、学術院はこのオルケナ大陸随一の『頭脳』だ。ただでさえ入学の難しいラルキア大学を優秀な成績で卒業し、ラルキア大学の入学試験よりも数段難しい試験を突破して初めてその門戸が開かれる場所ではある。並大抵の能力では、そもそも入り口に辿り着く事すら難しい、そんな場所だ。そして、そこまで辿り着いた人間は多かれ少なかれ皆、プライドが高い。それはそうだろう? 小さい頃から神童と称えられ、煽てられ、掌中の玉の如く大事に育てられて来た人間の集まりだ。自分の事を天才と思っている、そんな人間ばかりだ。学術院の研究員が総じて嫌う言葉があるが、知っているか?」
「……いえ、寡聞にして」
「『知らない』と『分からない』だ。この二つの言葉を蛇蝎の如く忌み嫌うんだ、学術院の研究員は。なまじ、自分を『天才』だと思っているからな」
「……」
「私の前任者もこのタイプだった。自身の間違いを決して認めようとせず、知らない事などない、分からない事なんてとんでもない、と虚勢を張るタイプだったからな。普通に考えても感じは良くないし……そりゃ、随分嫌われていたさ」
「……シオンさんは違うんですか?」
「私は秀才ではあるだろうが、天才ではない。身近にアリアが居たんだぞ? 自分を天才だと思える訳が無かろう?」
何の気負いもなくそういうシオンに、思わず浩太が言葉に詰まる。そんな浩太に苦笑をしてみせ、シオンは言葉を続けた。
「気にする必要はない。純然たる事実だし、真実だからな。私は自分がそれ程優れているとは思っては居ないし、この世に私の知らない事なんてない、なんて事も思えやしない。だから、一人で何でも出来るなんて思ってないし、平気で人に助けを求めるし、必要なら頭だって下げる」
「それは……イイんですか? こう……上司がそんなに簡単に頭を下げるのって」
「無論、あまりいい顔をしない研究員も居るさ。古い組織だ、『体面』も重要になるからな。上の人間が軽々と頭を下げるのを良しとしない風潮もまだまだある。仮にも主任研究員が、とか、これだから若い者は、とか、所詮はロッテ閣下の七光り、なんて事も散々言われたさ。さっきも言ったが『分からない』と『知らない』を忌み嫌う学術院なんて組織では、頭を垂れて教えを乞うた人間の方が少ないから余計に目立ちもする。秀才は頭を下げるのが恥ずかしいし、天才は頭を下げるのが難しいからな。ケチなプライドを後生大事に抱えるんだよ」
何でも無いようにそう言って、シオンは煙草に火を付ける。
「――私は、この世界をもっと知りたい。ただ、知りたいそして、『学術院』という組織は私に、吸収できない程の知識を常に与え続けてくれる、そんな場所だ。そんな場所で働ける事は幸せであるし私の優秀なスタッフは、私の……そうだな、私のその『欲望』を常に満たし続けてくれている」
「……」
「スタッフが気持ちよく働けて、そうする事で組織としての学術院が巧く回り、それによって私の願いが、望みが叶うんだ。私が頭を下げれば八方丸く収まるのであれば、私の頭など幾らでも下げてやるさ。減るもんでも無いしな」
美味そうに紫煙を燻らせ、その後向けた視線の先に、ポカンと間抜け面をした浩太を見た。
「……なんだ?」
「いえ……なんでしょう? 説明が難しいのですが……凄いですね、シオンさん」
「……褒めてるのか?」
「微妙な所なんですが……それって結局、自分の目標の為には手段を選ばないって事ですよね?」
「一々言い方に棘がある気がするが……まあ、そうだな。あながちその認識も間違っちゃいないだろう。私は私の為に頭を下げているからな」
「っていう事は、シオンさんは好き勝手、我儘放題、自分のしたい事だけをやっているのに皆に慕われてるって事でしょ?」
「……待て。その言い方は確実に棘がある。絶対バカにしてるだろう、お前!」
「あ、済みません。バカにしている訳では無いんですが……こう、なんでしょう? 世界に愛されてるというか……」
例え同じ行動であっても、相手を怒らせる人と笑って許される人がいる。で、シオンは間違いなく後者だ。どんな無茶をしても、『仕方ないな~、シオンさんは』と、こうなるのだ。ホテル・ラルキアのクラウスしかり、マリアの兄のベロアしかり、ニーザしかり。
「それって学術院に入るより凄い能力だと思いますが。他の……そうだ! 営業とか向いてると思いますよ? どんだけ無茶しても『仕方ないな~』って笑って許して貰えるって、営業では殆ど無敵ですし!」
「別に営業を馬鹿にするつもりはないが、その言い方は悪意しかないだろう! 私だって努力してるんだぞ、こう見えても!」
シオン、少しだけ涙目。不満そうに頬を膨らませ、浩太を下から睨み上げる。そんなシオンの仕草に、浩太が顔を顰めた。
「……シオンさん、私と同い年ですよね? もう二十六歳ですよね? そういう態度って、私たちの年齢だと少しキツくありません? 許されるの、多分十代までですよ?」
物凄く、イヤそうに。
「悪かったな、ドチクショウめ! ああ、ああ! 私だって思ったさ! 流石にこの年齢でさっきの表情はだいぶキツイと思ったさ、コンチクショウ!」
そんな浩太の発言にシオンはひとしきり怒鳴った後、ジトッとした目を浩太に向けた。
「……というかだな? コータ、お前は私の扱いが少々『雑』じゃないか? お前もさっきの皆の態度を見たんだろう? こう……もうちょっとあるだろう? 別に敬えと言うつもりは無いがな? こう……ほんの少し、あと少し、小指の先ほどぐらいは優しくしてくれても罰は当たらんと思うぞ? 私、こう見えても頑張ってるんだぞ?」
珍しく殊勝な、そんなシオンの台詞に、浩太はにっこりと微笑んで。
「全く、思いませんね!」
こちらも珍しく、イイ笑顔で言い切った。
「鬼か、お前は! なんだ? コータ、お前から優しさ取ったら何が残るって云うんだ! お前の全部は優しさで出来てるんだろうが!」
「失礼な、努力もありますよ。その言い方だったら、頭痛薬以上の優しさみたいじゃないですか、私」
半分は金返せどころの騒ぎではない。そんなシオンに、浩太は溜息を吐きつつ頬を掻いた。
「済みません、シオンさん。別にシオンさんに冷たく――――――冷たくしてるつもりは無いんですよ?」
「冷たく、の後に物凄く間があったが……まあ、いい。それで?」
「ただ、ホラ、なんて言うんでしょうね? シオンさんと一緒に居るとこう……素に近い感覚になると言いましょうか……綾乃に接するのと似た感じになるんですよ」
「……ほう。アヤノ嬢と一緒か。それは随分――」
「一緒じゃないです。近似です、近似。一緒にしたら失礼でしょう、綾乃に」
「――高評価……って、お、お前という奴は……まあ、いい。それで?」
「なので……これは別にシオンさんを粗略に扱っている訳ではなく……まあ、信頼の表れと思っていて貰えれば助かります」
「……その信頼はエリカ様かエミリ嬢にでも見せてやれ。きっと、泣いて喜ぶぞ? ちなみに私はエリカ様やエミリ嬢程度の扱いでも何の不満も無いんだが?」
「いやー……ホラ、隣の芝生は青いって言いますし」
「お前の気持ち次第だろうが、それは!」
「ははは。ままならないモノですね~」
「そんなコータは今まで初めて見たんだが! なんだよ、『ははは』って!」
「でも、シオンさんを信頼してるのは本当ですよ? ああ、別にエミリさんやエリカさんを信頼していない訳では無いのですが……」
そう言って、チラリとシオンを見やる。その視線に、怒りの矛を収めたシオンが続きを話せとばかりに顎で促して見せた。
「こう……なんでしょうね? 偉そうな事を言う様ですが……若干、『保護者』的な視線もあるんですよ、エリカさんとかエミリさんとか……ソニアさんとか」
「……別に偉そうだとは思わんさ。皆の『お兄ちゃん』だしな、コータは。なんだ? お兄ちゃん業は廃業したいのか?」
「頼って貰える、というのは有り難い事ですし、純粋に嬉しいですからそんな事は微塵も思っていませんよ。それに、エリカさんもエミリさんももう立派な大人ですし、自分で何でも出来るのも頭では理解しているんですが……でも、なんでしょうね? こう、やっぱり気になるんですよ。大丈夫かな、とか、ちゃんと出来るかな、とか」
「私やアヤノ嬢にはその心配がない、と?」
「綾乃もシオンさんも優秀ですからね。あ、これは――」
「分かっている。別にエリカ様やエミリ嬢を貶める発言ではない事ぐらいはな」
「ご理解頂ければ幸いです。まあ、放置しといてもどうとでもなると『信頼』していると取って頂ければ」
「放置って。言い方が悪いだろう、言い方が」
そう言って、溜息一つ。
「……まあ、年長者としてコータがそう思うのは仕方がない事ぐらいは分かる。個人的には一杯一杯になって破綻しそうだと思うがな、その生き方は」
「だから、シオンさんに『頼る』んですよ。頼って、甘えているんですよ。言ってくれたでしょ、シオンさん? テラの、公爵屋敷で」
――私を、頼れ。
「……言ったな、確かに」
「後悔してます? 言うんじゃ無かったって」
「そういう意味で言ったつもりは無かったが……いいや、別に後悔はしていないさ。私はお前を召喚した張本人だ。お前を幸せにする義務がある」
「イイですよ、それは別に、そんなに気を使って貰わなくても。私は勝手に幸せになりますから」
「言うな。コレは私の『我儘』だからな」
そう言って、少しだけシオンが柔らかく微笑んで見せる。その笑顔につられるよう、浩太も口角を少しだけ上げた。
「……まあ、お前の周りの女性陣は総じて子供っぽい所があるからな。お前がしっかりしていないといけない分、お前に掛かる負荷が多いのは理解できる。私がそのはけ口になるのであれば……まあ、それぐらいは許容範囲だ」
まるで慈しむ様にそう言うシオンに、浩太の上げた口角が固まった。
「…………は?」
浩太、絶句。
「…………ええっと…………貴方がソレを言いますか? 私の中ではぶっちぎりで貴方が一番子供っぽいんですが?」
それでもなんとか言葉を継いだ浩太に、今度はシオンが嫌そうに顔を顰めて見せる。
「バカな事を言うな、コータ。私が一番子供っぽいだと?」
「いや、シオンさんこそバカな事を言わないで下さいよ? だって、シオンさんですよ? 天上天下唯我独尊、部屋が壊滅的に汚くて、なんだか色々残念な、むしろ残念が服を着て歩いている様なシオンさんですよ? 神様に全力で頭を下げた方が良いんじゃないかってぐらい、才能を無駄遣いしているシオンさんですよ? あれ? シオン・バウムガルデンさんの話をしていますよね?」
「シオン・バウムガルデンさんの話をしているんだ! なんだ? 誰がどう考えても私が一番大人っぽいだろ!」
「…………え、ええ~?」
言葉も無い。
「えっと……具体的にはどの辺りがですか?」
「まず年齢! アヤノ嬢は……まあ同年齢だが、それでも私がテラの女性陣より年上である事に代わりは無かろう!」
「精神年齢って知ってます、シオンさん? 貴方の場合、単に年喰ってるだけじゃないですか」
「と、年喰ってるとか言うな! そ、それじゃ……す、スタイル! エミリ嬢はまあ……いい勝負だろうが、それでも! エリカ様を見て見ろ! あれはもう壁だぞ、壁! 暗闇で触れて見ろ! 前か後ろか判断付かないから!」
「本人の前で間違っても口にしないで下さいよ、それ! っていうか、『大人』のポイントがスタイルって、要は見た目だけって事ですよ? イイんですか、それで?」
「私は働いている! 自分で自分の食い扶持を稼いでいるぞ! ソニア様なんかホラ! 無駄飯ぐらいじゃないか!」
「ソニアさんの場合は結構な生活費をソルバニア王国から頂戴しています。というかですね? 普通は十歳の子供は良く寝て、良く学び、良く遊ぶのが仕事じゃないですか。何言ってるんですか、貴方?」
「が、学力! 私はこう見えても才女だぞ!」
「否定はしませんが……でも、テラの女性陣だって別に才女じゃない訳じゃないですよ? 綾乃だって、私の居た国では本当に一握りの超エリートですし。エミリさんだってなんでも出来ますし……それに、エミリさんは勿論、エリカさんもソニアさんも自分の部屋の掃除ぐらいはできますし」
「ぐ、ぐぅ!」
「そう言えば綾乃も家事全般、結構得意なんですよね。前に食べさせて貰った手料理も美味かったし。シオンさんは――ああ、聞くだけ無駄でしたね。掃除は言うに及ばずですし……っていうか、白衣の場所すら把握してないってアリアさんに聞きましたけど、それってどうなんですか? 人として」
「う、うぐぅ!」
がっくりと膝を突くシオン。『私、落ち込んでいます!』をあからさまに態度で示すそんなシオンの肩を、『やりすぎた!』と言わんばかり、少しだけ慌てた様にトントンと浩太が叩いた。
「ああ、す、済みません! その……まあ……ほ、ホラ! シオンさんは天真爛漫なんですよ! 年齢を感じさせず若々しいってのは素晴らしいです! ね! ね!」
浩太にしては珍しく――もないが、シオンに対しては珍しく気を使って見せる。が、白々しい事この上ない台詞に、俯いていた顔を上げてジトッとした目でシオンが睨んだ。
「……なんです?」
「天真爛漫というのはそこはかとなくバカにされてる気がするし、それじゃなくても女としてのプライドとかなんかそんなモノを粉々に打ち砕かれた様でなんだか不満だ」
そう言って立ち上がると、ポニーテールに結わえていた髪を解く。白衣に映える深紅の豊かな髪がバサッと舞った。
「……シオンさん?」
「なんだかんだ言っても、私だってイイ年だしな。子供扱いは若干癪に障るから――」
そう言って、一歩間合いを詰める。ふんわりと、シオンの髪から漂う柑橘系の香りが浩太の鼻腔を擽る。
「シオ――」
ネクタイをグイッと引っ張り、浩太を手元へ引き寄せる。顔と顔、彼我の距離が零になる瞬間、シオンが自身の体を横にずらして、浩太の耳元へその唇を寄せて。
「私が本当に『子供』かどうか――この体で確かめさせてやろうか、こーたぁ?」
何時ものシオンにない、何処か少しだけ甘えた様な、それでいて残る凛とした響き。背筋がゾクゾクとする様な感覚に、思わず浩太はシオンの肩を掴んで強引に引き離す。引き離されたシオン、少しだけ不満そうな、それでいて楽しそうに口角を上げている。浩太を流し目で見やるその瞳の色は妖艶で、いつもと違うロングヘアーの髪型も相俟って、まるで『お姉さん』の様な印象を――
「……シオンさん?」
「ん? どうした?」
「……照れるんだったら最初からやらないで貰えませんかね!」
――与え、ない。シオンの顔は羞恥からか耳まで真っ赤に染まっており、事実浩太の指摘を受けてシオンは両手を左右に『あわあわ』と一頻り振った後、そっぽを向いた。
「や、やかましい! 私だって『あ、これはちょっと……』とか思ったさ! ふんだ! もういい! とにかく、クラウスの所に行くぞ!」
そう言って浩太を無視してずんずんと歩いて行くシオンに苦笑を浮かべながら。
「……まあ、うん。仕方ないでしょう、コレは? あんなの、反則ですって」
誰に言い訳するでもなくそう言って、浩太は自身の頬の火照りを取るように、軽く両手で風を送った。
◆◇◆◇
「うーん……っ! やーっと着いた~。いや~、地図で見たらそんなに遠くないと思うとったけど……やっぱり結構あるんじゃな~」
「……」
「街道も整備されてなかったけん、馬車は揺れるしの~。もうちょっと改良してくれんとおえんじゃろうな~」
「……」
「おりょ? どうしたん、エリック? そんな顔してからに」
体を伸ばしながら――うら若い乙女があんまり出しちゃいけない『ボキ』とか『バキ』なんて音がしてたが――捲し立てていたローナだが、馬車を降りてから一言も喋らないエリックに不思議そうな顔を浮かべて見せる。その視線を受けて、エリックは自身が今まで乗って来た馬車をゆっくりと指差した。
「……前々から、思っていた事がある」
「うん? なんじゃろ?」
可愛らしく首を傾げて見せるローナに、たっぷり二秒。
「お前は、絶対に、頭がおかしい!」
後、エリックがラルキア中に響くんじゃないかと言わんばかりの大音声を上げた。
「――っー!! え、エリック! 街の真ん中で騒いじゃおえん! っていうか、耳がブチ痛いんじゃけど!」
「騒ぐわ! あんな? ラルキア王国からフレイム王国は高速馬車で三日は掛かるんだぞ? それを、普通馬車で来たらそらもっと時間が掛かるに決まってるだろうが! 何が『大丈夫、大丈夫。そんなに変わらんじゃろ』だ! 七日だ! 七日掛かったんだぞ!」
「いやー……でも、流石に高速馬車はお金が掛かるがん? ちょっと二人分は出せんで?」
「まあ、それはイイよ。俺だってローナにタダ乗りさせて貰ってるんだからな? でもな? 流石に『荷台』は無いだろうが、荷台は! 貨物扱いかよ、俺ら!」
「一番やっすい切符取ったらソレになったんじゃ。『やすっ!』とか思ったけど、荷台じゃったらまあ、あんなモンじゃろうかの? まあ、ええがん? 他の乗客に気を使わんでえかったし」
「乗客には気を使わなかったけど、荷物には気を使ったわ! 一昨日から乗ってるあの魚、すげー生臭いし! 服にめっちゃ匂いが付いてるわ!」
「あー……じゃけんか。なんかさっきから猫に狙われとる気がしとったんじゃ」
「まあ、それも良い! 別に快適な馬車の旅を期待してた訳じゃ無いしな! だがな!」
そう言って、ビシッとエリックはローナを指差し。
「――異常過ぎるだろ、お前!」
言い切る。いまいちピンと来ていないのか、首を傾げて見せるローナに、エリックは言葉を続けた。
「なんで? なあ、なんで? なんであんな劣悪な環境でいびきまで掻いて寝れるんだよ! お前昨日、荷物と荷物の間で立って寝てたんだぞ! 物凄く幸せそうにな!」
「い、いびきなんか掻いてないじゃろうが! 嘘はおえんぞ、エリック!」
「嘘じゃねーよ! つうか、寝言もうるせーんだよ! 十日の内、八日だ! 何の数字か分かるか? お前の寝言で叩きおこされた数字だよ!」
「ね、寝言なんか言ってない!」
「言ってるわ! 『もう喰えそうにないの~……あ! 誰が皿を引いてええ言うたんじゃ!』とか『何がええかの~……まあ、取り敢えずメニューのこっからここまで、全部持ってきて、二人前ずつ!』とか、食べ物関係のモノばっかりな! どんだけ食い意地張ってるんだよ、お前!」
「お、乙女に向かってなんて言い草なんじゃ! エリック、そんなんじゃモテんで!」
「別にモテてーとか思ってねーよ! つうかいびき掻いて食い意地張ってる奴の方がぜってーモテねーよ!」
エリックの言葉に、たまらずローナがひゅるりーと口笛を吹いて見せる。どうでもイイが、結構巧い。
「……まあ、いい。とにかく、さっさと宿を探そうぜ? 何時になるか分かんねーだろ? 英気を養っておこうぜ。久しぶりに柔らかいベッドで寝たいしよ」
諦めた様にそう言うエリック。その言葉に、ローナは吹いていた口笛を止めて不思議そうな顔をエリックに向けた。
「……宿? え? 今から宿を探すん?」
「……待て。お前、まさか野宿しようとか言いだすつもりじゃねーだろうな?」
「……ほえ? ああ、そうじゃない。流石にウチも何時になるか分からんのに野宿をしようとは言わんよ。そうじゃ無いけど……エリック、ラルキア詳しいん?」
「ラルキア? 詳しい訳ねーだろうが。初めて来たよ」
「ウチもじゃ。ウチもラルキアは初めてで、何処に何があるか全然分からん」
「? だろ? じゃあ、先に宿を探して――」
そんなエリックの言葉を、遮る様に。
「――さっき自分で言うとったがん? 何時になるか分からないって。それって、何時『チャンスが来る』か分からんって事じゃで?」
「――……」
「いきなり明日になったらどうするんじゃ? 何処に何があるか、どの道を通ればいいのか、そもそも、相手が何処に居るのか分からんかったら、何にも出来んで?」
「……まあな」
「なら、宿を探すより先にする事があるじゃろ? 君の、お前の、エリックの――」
――『復讐』の為に、と。
「……だな。お前の言う通りだ、ローナ。先にこの街に何があるか、それを把握しなくちゃな」
「そういう事じゃ。宿なんて後でエエし……まあ、さっきはああ言ったけど、一晩ぐらいは野宿をしても構わんじゃろ?」
「最近、結構寒くなって来たから野宿は辛いぞ?」
そんなエリックに、おかしそうにローナは笑って。
「なーに言っとるんじゃ。随分、『鍛えた』じゃろ? 一日や二日の野宿、全然耐えれるじゃろうが?」
「……まあな」
「さっきもぶーぶー言うとったけど、『しんどかった』とは言わんかったしな。今からこの街を散策するぐらいは楽勝じゃろ?」
「……まあ、それぐらい――」
「全力疾走で!」
「――はって、出来るか!」
「出来る出来る! ははは! ほしたらエリック! 行くで~」
「ちょ、バカ! 急に走りだ――ああ、済みません! 連れが本当に済みません!」
不意のダッシュの為か、周りの人が驚きながらローナに視線を向ける。人込みを縫うように走るローナの後を、謝りながら、それでもエリックはローナを追って走る。ローナ同様、その人混みの中を縫うように。
「だから――ああ、済みません! 済みませ――ローナ! ちょっととまれ!」
喋りながら、謝りながら、それでも人にぶつかる事をせずに器用に走り抜けるエリックの姿には。
「この――バカローナ!」
――ジェシカ姫の、『ジェシー姉ちゃん』の前で見せた様な幼さはもう、何処にも無かった。




