第百十三話 すきなひとが、できました
千年王城・ラルキア。
フレイム帝国時代を含めたおよそ千年。フレイム王国のみならず、オルケナ大陸全体で見ても中心都市として栄えた都市だ。ラルキアに何がある、という訳ではない。例えば商業都市としての側面はソルバニア王国の王都ソルバニアや、或いはマリアの出身地であるカトに比べれば幾分劣るし、観光客を多く集めるという観点から見ればパルセナの足元にも及ばない。千年という長い歴史を誇ってはいるが、それでも歴史的建造物の数では同じフレイム王国内にあり、フレイム帝国の前王朝である旧チタン帝国の帝都チタンに一歩譲る。言ってみればどれを取っても『中途半端』な街であるが、それでもやはりラルキアはラルキアなのだ。オルケナ史上に燦然と輝き、『ラルキアを制すモノがオルケナを制す』と言われる、精神的な王都ではあるのだ。
そんな王都ラルキアを上空から眺めると、歪な丸の中に『十』の文字を書いたように見える。縦横のクロスする所に位置するラルキア王城を中心に、北に延びる道をラルキア大通り、南に延びる道を聖王通り、西に延びる道をアレックス通り、東に延びる道はそのものずばり東通と呼ぶ。縦の動脈、つまりラルキア大通りと聖王通りの周辺を中心に商業や官公庁が立地しており、横の動脈、アレックス大通りと東通沿いは若干劣る。アレックス通り沿いは高級住宅街の印象が強いが、東通沿いに関してはウェストリア方面に向かう道でもあり軍用道路の側面もある事から地価も安く、下町風情の残る街並みを維持していた。全てが全てこの限りではないが、イメージとしてはこれが正しい。
「……それで?」
東通沿いに立ち並ぶ露店を眺めながら東通を歩く浩太。時刻は昼を少し過ぎたばかり、昼食を済まして膨れるお腹を押さえながら自身の隣、心持上機嫌な顔を見せて歩くエリカに声を掛けた。
「ん? それでって――と、コータ! アレ! アレ食べない?」
「アレ? アレとは……ああ、あの串焼きですか?」
「さっきお昼御飯を食べたばっかりじゃない。流石にあんながっつりしたものは食べられないわよ。そうじゃなくてその隣の屋台! 棒に刺さった飴があるでしょ? 中に小さなリンゴの入ったやつ!」
「リンゴ飴、ですか? いえ、エリカさん? それでもアレも結構ガッツリ来そうな量があるんですが」
「甘いものは別腹でしょ?」
「……こっちにもあるんですね、その言葉」
少しだけ呆れた様な浩太の言葉を聞き流し、エリカは浩太から離れて屋台に向かう。しばしのち、ニコニコした笑顔を浮かべてエリカが左右の手に一本ずつリンゴ飴を握りしめて帰って来た。
「はい、コータ! 私の奢りよ。食べましょう?」
左手のリンゴ飴を差し出すエリカに頭を下げ、浩太はリンゴ飴を受け取り一口。びっくりする程甘ったるいリンゴ飴を舐めながら、再び東を目指して歩みを進めるエリカに寄り添うよう、浩太もその斜め後ろに続いた。
「うーん! この甘さが堪らないわね! いつ食べても美味しいわ、コレ!」
「昔からあるのですか、コレ?」
「屋台自体は入れ替わりが激しいけど、売っているもののラインナップはそんなに変わる訳じゃ無いわ。アクセサリー、甘味、飲み物、食べ物くらいかしら? たまに雑貨の露店商なんかが来てたけど……まあ、概ねこんなものよ」
そう言ってエリカがぐるりと辺りを見回す。その視線を追うよう、浩太もどちらかと言えばごちゃごちゃした印象を受ける東通沿いの街並みを見渡した。
「……本当に、此処は昔と少しも変わってない」
「昔も良く来られていたので?」
「そうね……東通はちょくちょく来てたかな?」
「エリカさん、王族ですよね? そんなにちょくちょく来ることが出来るんです?」
側室の子と言えど、国王陛下の娘で第一王女だ。イメージ、王城内で英才教育を受ける姿を想像する浩太に、エリカはくすりと笑みを漏らしてみせた。
「アンジェリカ様……リズのお母様は、昔から結構規格外の王妃様だったのよね。私が小さい時から『よし、エリカ! ラルキア探検よ!』ってよく市街に連れ出して下さってたのよ」
「……イイんですか、それ? 護衛とかの関係もあるかと思いますが」
「ラルキアは治安も良いし、そこまで心配する程でもないけど……でもまあ、決して諸手を挙げて歓迎して貰えるものではないわね。アンジェリカ様、いつも帰ったら怒られてたわ。特にロッテに」
そう言っておかしそうに笑う。
「『危険な事をするな!』って怒るロッテに、アンジェリカ様は『下々の暮らしを知ってこそ、本当に良い施政が出来るのよ!』って言ってたわ。王族として、第一王女として民と接するのではなく、『人』として接しろって。『こっちが王族ってわかると向こうも警戒するでしょ? そんなんじゃ、本音なんて聞ける訳ないじゃん!』って……だからまあ、何時だってお忍びよ。そうそう! 一度なんてアンジェリカ様、酔っ払いと喧嘩になったりしてね?」
「……暴れん坊な将軍様みたいですね」
もしくは水戸の御老公か。
「へ? 将軍?」
「なんでもありません。それでは勝手知ったる庭、みたいなモノですね」
「そうよ。少なくとも、コータを案内して回れるぐらいには」
そう言ってウインク一つ、エリカはもう一口リンゴ飴を齧る。甘酢っぱい味と香りが口腔内を満たす事に満足した様な吐息を漏らした後、浩太にもう一度視線を向けた。
「……付き合わせて悪いわね」
「いえ、それは構いませんが……」
『時間、ある?』とエリカが浩太の部屋を訪ねて来たのは昼食後直ぐの事。満腹なお腹をさすりさすり王城を出て、一路東通を歩くエリカの後をついて来た。
「……では本日の私の昼の予定はラルキア探索という事ですか?」
ラルキアに来てからこっち、バタバタ続きでゆっくり探索をした記憶は浩太にはない。急いでやる仕事がない、とは言わないが、午後の半日ぐらいを潰しても問題ないし……ロッテ、ファーバー、カール、それにベッカー家とロート家というラルキアでもビップクラスの人間と立て続けの面会アンド交渉である。中堅商社の父とスーパーのレジ打ちパートの母を持つ根っから庶民の浩太的には気を張る相手でもあり、そう言った意味でもこの一種下町情緒溢れる東通は、自身の身の丈にあった雰囲気で息抜きとしては丁度良い。
「……ううん」
そう思い訪ねる浩太に、エリカは首を左右に振る。訝しげな表情を浮かべる浩太に苦笑を返し、エリカはもう一度口を開いた。
「……付き合って欲しいって言ったでしょ? 私は貴方と一緒に行きたかったのよ」
「ラルキア散策ではなく?」
「ラルキア散策もだけど……」
一息。
「――お母様の、お墓参りにね?」
◆◇◆◇◆
「……私がお父様からロンド・デ・テラ公爵の爵位と領地を拝領したのは十歳の誕生日。勿論――まあ、今でもまだまだ大人では無いかも知れないけど、十歳なんてそれ以上に子供でしょ? 領地の治世なんか出来る訳もないし、最初は王府から官僚を派遣して貰って、私の名代として治めて貰ってたのよ」
東通を突き抜けた先にある少しだけ小高い丘。汗が滲む程度の丘陵を登った先に、開けた草原と――そして、その草原の真ん中に浩太の脛あたりまである小さな石があった。
「ロンド・デ・テラが田舎街だって言うのは聞いてたし、海沿いの街で決して財政が豊かじゃない事も聞いてたわ。受領したのがテラって聞いてエミリ、物凄く怒ったんだから。『ゲオルグ陛下の第一王女であらせられるエリカ様にテラなど相応しくありません!』って、そう言って怒ってたけど……私、実は結構嬉しかったのよね」
そう言っておかしそうにエリカは笑うと、リンゴ飴を買った露店の五軒隣の露店で買った花をそっと中央の石の前に置くと、浩太を振り返った。
「その……ね?」
エリカの瞳が揺れる。言うべきか、言わざるべきか。迷うように揺れるその瞳をじっと見つめる事で返答とする浩太に意を決した様、エリカは口を開いた。
「……その……私、お母様の事が嫌いだった――ううん、『嫌い』、ではないか……そうね、『苦手』だったのよ」
「……苦手、ですか」
「私のフルネーム、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムの『ファン』はファンデルフェンド子爵の略称なの。貴族ではあっても、そこまで位の高い爵位ではない、お母様の実家のね?」
一息。
「……私、『側室』の子でしょ?」
「ええ」
「お父様は愛して下さった。リズも、私の事を姉として慕ってくれた。本来なら……『政敵』になってもおかしくない、『側室の娘』である私を、正室であるアンジェリカ様だって愛してくれた……と、思う」
「思う、ですか」
「人の気持ちまでは分からないからね。でも、少なくとも私はアンジェリカ様が大好きだったし、アンジェリカ様は私の事を『可愛いエリカ!』っていつも抱きしめて下さっていたわ。だから……自惚れかも知れないけど、私はきっとアンジェリカ様に愛されていたと思う」
アンジェリカ様にそんな『腹芸』が出来るとも思わないしね、と苦笑を一つ。
「……きっと、私は王城内では幸せだったのよ。大好きなお父様が居て、大好きなアンジェリカ様がいて、大好きな妹がいて……きっと、私はとっても幸せな子だったのよ」
「……」
「……でも……私は何処かで『線』を引いていたの。お父様に愛される事も、アンジェリカ様に愛される事も、大好きな妹に愛されている事も嬉しくて嬉しくて仕方が無い筈なのに……それでも、私は『線』を引いていたの」
――私は愛され『過ぎて』はいけない、と。
「私を愛し『過ぎる』あまり、フレイム王国を二分する様な事態になってはいけないって、お母様は言っていたのよ。『決して甘え過ぎるな』って。『可愛い子であれば良い。でも、可愛すぎる子であるな。陛下が、間違っても『エリカを跡継ぎにしたい』と思われる様な子にはなるな』って……『身分を弁えろ』ってね? 正直……そうね、私はお母様に『疎まれている』と、そう思っていたわ」
少しだけ寂しそうにそう語るエリカ。そんなエリカの言葉に、浩太の腹の底から沸々とした感情が湧きあがった。
「……エリカさんのお母様にこういう言い方は失礼でしょうが……幼い子にいう言葉ではありませんね」
『怒り』の感情が。そんな、小さなエリカが肩肘を張って生きて行かなければいけない環境にも、それを強制したエリカの母にも釈然としない物を抱えながら、そう言って見せる浩太。幼い頃のエリカの、その『大人の顔色を窺って生きる』という姿勢を強制した母親に怒ってくれる姿に感動に似た感情を覚え、嬉しそうにエリカは小さく微笑んで見せた。
「……ありがとう」
「いえ……別段、お礼を言われる事ではありませんが」
「自分の代わりに怒ってくれる人が居るっていうのは有り難い事なの。まあ、別に悲劇のヒロインを気取るつもりは無いのよ? 悲劇のヒロインを気取るのには私は幸せ過ぎたから。ただ」
そう言って少しだけ言い淀むエリカ。目線だけでチラリと窺う様な視線を見せるエリカに、こちらも目線だけで続きを促す浩太。その視線に勢いをつけたか、エリカがゆっくりと言葉を続けた。
「……その……小さな頃は、正直お母様を恨んだ事もあったわ。お母様はいつも私よりリズを優先して、可愛がっていたし……自分でも嫌な子だな~とは思うのよ? 思うんだけど……『私のお母様なのに!』とか『お母様は私よりリズの方が好きなんだ!』って思ったこともあったの。だから……ちょっとだけ、お母様が苦手だったんだ」
そこまで喋り、まるで自信の無いテストを受けた時の様にもう一度先程の『チラ』をして見せるエリカ。
「……コータも思う? 『嫌な子だな』って……そう思う?」
「思いませんよ。むしろ、当たり前だと思います」
叱られる事を恐れていた子供は、優しい掌が頭の上に乗ったことで安堵の笑みを浮かべてみせる。浩太のその言葉と仕草によって齎された笑みそのまま、エリカは再び口を開いた。
「……ありがとう。それこそ生まれた時からそう言って育てられて来たから、皆の好意を受ける度に私は戸惑ったわ。嬉しいのに、愛されて嬉しい筈なのに、それでも喜び過ぎてはいけないって。いっそ嫌われる様に振る舞えば良かったんでしょうけど……でも、やっぱり嬉しいのよ、『愛される』って。だから、私はその境遇に甘えたの。本当はちゃんと線を引かなくちゃいけないのに、それでも愛されたくて……そして、私が九歳の誕生日を迎える頃に、恐れていた事が起きたのよ」
「……恐れていた事?」
「アンジェリカ様が私の立太子をお父様に迫ったの。『第一王女であるエリカを是非、次期国王に!』って」
「……」
「アンジェリカ様はラルキア王国現国王の王妹に当たる高貴な身分。対して私の母親であるリーゼロッテは所詮、フレイム王国の小さな小さな領地の、それも高々子爵の娘でしかない。それじゃなくても、正室であるアンジェリカ様の子供であるリズを差し置いて、幾ら年齢が上だからと言って私がフレイム国王を継ぐ訳には行かないわ。アンジェリカ様だって、その辺りの機微が分からない方では無いんだけどね?」
そう言って、溜息。
「……多分、私が人の『顔色』を窺って生きていたのがばれてたんでしょうね。国王の長子として生まれ、輝く栄冠をその頭上に戴く権利を有しながら、自身の娘の……そうね、自身の娘の『せい』でその権利を永久に失った哀れな少女。甘えながら、甘えた『フリ』をしながら、心の何処かで一定以上の距離を詰める事をしない、可哀想な少女。実の母親の愛情を求め、それを一身に浴びているとは言い難い、不憫な少女。なのに、それでも、皆の『愛』を欲しがる、そんな……悲しい少女。アンジェリカ様の眼には私はきっとそう映ったんでしょう」
「……それは」
「破天荒な人だったけど、同時に聡明な人だったから。私の事を不憫に思い、私の為にして下さった事だと思う。そのお気持ちはとっても嬉しかったし、有り難かったけど……」
――それでも私は困惑した、と。
「お母様の言い付けを破ってしまったって。目立つなと、愛され過ぎるなと言われていたのに、こんな事になってしまった、って。だから……領地と爵位を拝領した時は嬉しかったの」
これで、私は解き放たれる、と。
これで、私は愛され『過ぎる』ことはない、と。
「――これで……私はお母様に『疎まれる』事はない」
「……エリカさん」
「十二歳の時にラルキアを出てエミリと二人、ロンド・デ・テラに向かったわ。知ってのとおり、生活は決して楽ではなく、領地の財政は火の車だったけど……でも、私は楽しかったの。誰の眼も憚らず、誰に遠慮をすることもなく、ただ自身の思うままに振る舞う事が出来るという事が……なんて贅沢なんだろうと自分でも思うけど、それでも幸せだったのよ」
「……」
「私なりに一生懸命、領地を良くしようと取り組んだ。リズには『たまには帰ってきて下さい』と言われたけど、色々理由を付けてラルキアに帰らずテラで政務に励んだ。良い事ばかりじゃなかったし、むしろ悪い事の方が多かったけど……それでも、精力的に取り組んだつもりよ」
失敗もいっぱいしたけど、と舌を出して見せるエリカ。その姿に苦笑を浮かべる浩太を見やり、何の気負いもなく言葉を紡ぐ。
「……一度だけ、お母様がテラを見に来て下さった事があったの。リズを伴う事をせず、たった一人で。ああ、勿論護衛は居たけど……『家族』は二人きりの、そんな時間があったの」
少しだけ、目を伏せて。
「でも……私は、素直じゃなかったから。お母様に『何しに来られたのですか?』って、そう言っちゃったのよ。『もう、私は一人で大丈夫です。どうぞお母様、私の事などお気になさる必要はありません』って……そう、言っちゃったのよね」
「……」
「……十四歳の時、お父様が崩御された。それから直ぐ、アンジェリカ様も。葬儀の為にラルキアに戻った私は、泣きはらした目でそれでも気丈に振る舞うリズと……その隣で、リズの肩に手を置いて寄り添う様にするお母様の姿を見た。まるで実の親子の様なその姿に、あれだけ偉そうな口を叩いた癖に軽い失望を感じたのを今でも覚えてるわ」
まるで、贖罪の様。
「それから私は一層、ラルキアに行こうとは思わなくなった。純粋に忙しかったのもあるけど……きっと、心の何処かで、リズと共に歩むお母様を見たくなかったのよ。私のお母様が、何だか私のお母様じゃなくなった気が……そんな気がして」
喋り続けるエリカの話を遮るように風が一陣、吹き抜ける。
「……お父様とアンジェリカ様の後を追うように、お母様が亡くなったのは私が十五の時だったわ」
その風に靡く髪を手で押さえて風が止むのを待つと、エリカは中断された話を続けた。
「お母様が亡くなるまで、私はお母様の容態を知らなかった。変な咳をしていた事も、伏せりがちになっていた事も、熱が随分長い間下がっていない事も、何も。リズが何度もお母様に進言したらしいのよ。『リーゼロッテ様、お姉様に来て貰いましょう!』って。後から聞いた医師の話ではもう手が付けられない状態だったらしいわ」
「……」
「でも、お母様は絶対私を呼ぼうとしなかった。『テラは今、大事な時です。私などに関わっている暇があるのであれば、あの子はテラを今よりももっと良くするべきです。あの子には、その義務があります』って。リズに泣いて謝られたわ。申し訳ございません、って。無理にでも、お姉様をお呼びするべきでした、って……泣いて、泣いて。アンジェリカ様が亡くなられた時よりも泣いていたんじゃないかしら?」
そう言って、苦笑。
「……その時、頬に平手を貰ったのよ」
「……平手、ですか?」
「『いいわ、リズ。お母様も言ったのでしょ? テラが大事な時だって。葬儀が終わったら直ぐに帰るから』って……そう言ったのよね。そしたら、リズに泣きながら平手を打たれて……そして、怒られたわ。『お姉様は、リーゼロッテ様の何を知っているのですか!』って。『どれだけ、リーゼロッテ様が……『お母様』が、『お姉様』を愛していたか、本当に知っているのですか!』ってね」
苦笑を自嘲気味の笑みに変えて、溜息を一つ。
「……皮肉な話なんだけど、お母様が亡くなってから私は初めて『本当のお母様』を知ったわ。私がテラに旅立つ日、私に見えない様に城門で涙を堪えてた事とか、私の為に手紙を書いて、それでもその手紙を出せずに悩んでいた事とか、私の領地を訪ねる前日、リズの部屋で私の為に揃えてくれた服を広げて見せた事とか……テラから帰って来て、物凄く落ち込んでいた事とか」
「……」
「リズがテラの収支報告書を読んでいると必ずお母様が来てた事とか、興味の無いフリをしながら、それでも収支報告書に目を通し、数字が悪ければ目を細め、少しでも良ければちょっとだけ口の端をニヤケさせていた事とか……リズ、そんなお母様を見るのが大好きだった事とか……そんな事を、リズに教えて貰ったのよ」
エリカの眼尻に一筋、涙が浮かぶ。
「……お母様は、私の為を思って私を遠ざけていたのよ。私達は仲が良かったけど……でも、私は『騒乱のタネ』になるから。フレイム王家を二分するような、そんな争いにならない様に……そうなった時に、愛され過ぎた私が辛い思いをするだろうと思って、そうならない為に、わざとそんな態度を取って」
涙を拭うと、エリカはしゃがみ込んで中央の石に手を置いた。
「……私もそうだけど……お母様も素直じゃなかったから。聞いた話だけど、お祖父様もお父様がお母様にプロポーズしてた時に随分お父様とお母様に噛みついたらしいわ。最後は『勝手に嫁に行け!』って怒鳴った癖に、最後までお母様の心配をしてたらしいし……そうね、きっと素直じゃないのはファンデルフェンド家の血筋なのよ」
面倒くさい血筋だけど、と笑って。
「……お母様は側室と言えど王族の一員。ちゃんと王家の陵にその遺体はあるわ」
「……では、ここは?」
「リズがお母様の髪を一房、切ってくれていたのよ。それを貰って、私が此処に埋めたのよ。辺鄙な場所だけど……誰も来ない場所だから」
「……」
「ラルキアに来た時は必ず、此処に寄るようにしてるの。リズにもエミリにも内緒の……私とお母様だけの、特別な『場所』なのよ、此処」
そう言って、両手を広げてくるりとその場で一周回って見せる。
「……そんな特別な場所にお招き頂き、光栄ですね」
「そうね。光栄に思いなさい、コータ。オルケナ大陸広しと言えども、この場所を知っているのは私達だけなんだから。誰にも喋っちゃダメよ?」
そう言って茶目っ気たっぷりに笑い、エリカは丘の上から見える景色に目をやると、遠く東方、目を凝らしてようやく見える海の方を指差した。
「東に見えるのがファンデルフェンド子爵領。お母様が生まれた場所」
今度は視線を西方へ。
「西に見えるのがロンド・デ・テラ。私が……お母様の『最愛の娘』が居る場所。王家の陵でお父様とアンジェリカ様、仲良く三人で居るのもイイけど、お母様もたまには生まれ故郷と……それに、娘の顔がみたいかな、って思ってね。王家の陵じゃ、きっと私の顔を見るのには『邪魔なモノ』が多すぎるから」
そこまで喋り、エリカは自身の母、リーゼロッテの墓前に手を添える。それに倣う様、黙って隣にしゃがんだ浩太が手を合わせて目を閉じたのを嬉しく思いながら、心の中だけで問いかける。
――ねえ、お母様。
――ロンド・デ・テラ、今凄く発展してるのよ?
――今、この隣にいる眠たそうな顔の男のお陰なの!
――え? この男の事をどう思っているかって?
――そうね。優秀で、頼りがいがあって、たまにちょっとだけ意地悪な。
――私の……愛しい、人。
――……ねえ、お母様。私、好きな人が出来たのよ!
――アンジェリカ様は、私は自分の好きな人と結婚していいって言ったけど……
――お母様から見てこの男、『コータ』の事はどう思う?
――賛成してくれる? 反対する? それとも、保留? あ! ちなみに、あげないわよ?
――……聞いておいてなんだけど、なんとなく、お母様は賛成してくれる気がするのよね。
――え? 勝手な事言うなって? でも……お母様はきっと、私の選んだことに反対しない気がするんだ。
「……ねえ、お母様?」
――だから……イイかな?
――これから、私はとんでもない事を言うけど……許してくれるかな?
――テラの発展の……引いては、フレイム王国の為に必要な事だから。
「……ごめんね、お母様。勝手だけど許してね?」
そう言って、エリカは眼を開ける。勝手な事ばかり、申し訳ないと思いながらエリカは浩太を見やって。
――相変わらずバカね、エリカは。
何故だろう。
――貴方の好きになさい、エリカ。私は、何時だって貴方の味方に決まっているでしょう?
母の、笑みを含んだ声が聞こえた気がした。
「――っ!」
空耳、だろう。
或いは、エリカの希望に沿った幻聴なのかも知れない。
「……ありがとう、お母様」
でも、確かにエリカの耳に響いた声は母の声で、だからこそエリカはその声に力を貰う。
「ねえ、コータ?」
「はい?」
「その、ね?」
迷いは一瞬。
「私が――エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムが、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムじゃなくなっても」
貴方は、私の傍に居てくれる? と。
エリカの声が、開けた草原に響いて消えた。




