第百十二話 王族姉妹のみた宰相
今回、ちょっと長いです。
酒飲み、というのは実に逸話が多い。
ソビエト連邦末期、『エリツィン議員暗殺未遂事件』と呼ばれる事件があった。被害者はボリス・エリツィン、ロシア連邦初代大統領である。経済改革、民主化の旗振りなど何かと『敵』の多いエリツィンがKGBや反対するセクトに狙われた、とまことしやかに囁かれた事件であるが、酔っ払って橋の上から川に落ちたのが真相の様だ。
他にも『詩仙』と呼ばれた李白は船の上で泥酔し、水面に映る月を掴もうとして転落・溺死したというのが定説だし、ヴェルレーヌやロートレックはアブサンの魔力にやられて命を落としている。そんな『酒』に関する付き合い方の規定は紀元前から見られ、『目には目を、歯には歯を』で有名なハンムラビ法典には酒に関する条文が幾つかあるし、アメリカには禁酒法時代という歴史もあった。
日本でも酒飲みには多くの『渾名』がある。のんべえ、飲み助、ザル、上戸、虎、うわばみなどは有名な所であるが、例えば土佐藩最後の藩主容堂・山内豊信が自らを称した『鯨海酔侯』は鯨飲という酒飲みの別称から取られているし、『白洲三百人力』と呼ばれ、吉田茂の右腕と呼ばれた白洲次郎の最後の言葉は、病室で利き手を聞いた看護師に対して言った『右利きです。でも、夜は左』と言われている。ちなみに『左利き』とは酒飲みの別称であるが、語源は工具の『ノミ』で、金槌を右、ノミを左手で持つ事の『ノミ手』が転じて『飲み手』となったと言われている。武士説もあるが、詳細は省く。
どちらかと言えば批判的に捉えられがちな『酒飲み』であるが、酒自体を嗜む事は別段悪い事ではない。酒は百薬の長ではないが、お酒を飲むことによって明日の活力にもつながる事もあるし、否定されがちな飲みニケーションだって新卒採用がまだまだ根強く、新入社員のスキルに対して懐疑的な日本では円滑な人間関係の――ざっくばらんに言えば『まだ仕事なんて全然出来ないしどうせ失敗するんだから、飲み会の席に顔出して先輩と仲良くなって助けて貰いやすくしとけ』というやつである。
つらつらと書いてみたが、言いたい事は一つだ。結局、何が言いたいかと言うと。
「ひっく……ほら~、お姉さまぁ~。グラスが空いていますよ~。私が注いで差し上げますから、さあ、ぐいっと! ぐいっと飲んでください~」
「……ねえ、リズ? ちょっと飲み過ぎじゃない?」
「何言ってるんですかぁ~。まだです! まだまだイケますよ~。これからですから! この美少女国王リズちゃんの冒険は、これから始まるんですよ!」
「何言ってるんだか分かんないだけど? 酔ってるわね、貴方」
「酔ってませんよ~。このリズちゃんがこれぐらいの酒で酔う訳ありませんよ~」
「リズちゃんって。リズ、知ってる? 酔っ払いは大体そう言うのよ。『私は酔ってません!』って」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。大体ですね? 酔っているっていうのは、このテーブルの上にある三つのグラスが四つに見えだしてから、初めて『酔ってる』って言えるんですよぉ。だから、大丈夫! 私は酔ってませんってぇ~」
「……テーブルの上にはグラス、二つしかないんだけど」
「こまかいことはいいんですよー。だって、私は女王陛下ですもの! 女王陛下は酔わないってアレックス帝も言ってますから!」
「言ってないから、アレックス帝! 御先祖様を嘘つきにしないでよね」
「言ってますよ、多分。だってアレックス帝ですよ? なんでもござれの超人ですよ? こう、天から啓示を受けてピーンと来て言ってるんじゃないですかね~、多分」
「変人にもしないでよ、お願いだから」
「にゃは~……えへへ~」
「もう本当に意味が分かんないんだけど、その返答」
節度を持って飲もうと……まあ、そういう事である。
頬を薄ピンク色に染め、蕩けきった笑顔で『にへら』と笑うリズに頭を押さえてエリカは軽く二、三度振って見せ、その後大きく溜息を吐いた。こんな『ダラシナイ』姿を見せたら王城内にあるリズファンも嘆くと考え……むしろ、逆に狂喜乱舞するかも知れないな、なんてしょうもない事を考えた辺りでリズがガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、右手の人差し指をリズに向けた。
「あーー! お姉さま、今リズの事バカにしましたね~!」
「人に指を向けないの。アンジェリカ様だったら折ってたわよ、リズの指。バカになんてしてないから早く座りなさい」
「嘘です! だって今、『やれやれ』って顔してました! アレはロッテが私を見て『全く、リズ様は』って言うときと同じ顔でした!」
「……ロッテ」
「ロッテは本当に酷いんですよ! 『やれやれ、本当にリズ様は』とか『リズ様? 何を考えられているのですか?』とか『リズ様が可愛いなど……ちゃんちゃらおかしいですね』とか……とか! とにかく私の事を直ぐに馬鹿にするんですよ!」
「あーはいはい。分かった。分かったから座りなさい」
ほれほれと促し、エリカはリズを席に戻す。不満そうに頬を膨らませて手元のグラスを手に取ろうとしたリズを手で制し、エリカは水差しから水を注いだグラスをリズに手渡す。そのグラスとエリカの顔を交互に見ながらリズは不機嫌な声を出した。
「朝まで飲むって言いました!」
「言ったわよ。でも、朝まで飲み『続ける』必要も無いでしょ? 休憩よ、休憩。朝まで飲む為にね」
ね? とそう言ってエリカは自身のグラスにも水を注いで一息で呷ると、そのグラスを少しだけ顔の横で振って見せる。エリカのその態度に、不満そうな顔そのままでリズは一息でグラスの中の液体を飲み干した。キンキンに冷えたその水は、気持ちよく暖かったリズの脳内にまで響くようにクリアになる思考と視界を、リズはエリカに向ける。
「……ちょっとだけ、酔いがさめました」
さめる必要なかったのに! と言わんばかりにジト目で睨むリズに苦笑を見せ、エリカは口を開いた。
「気持ちよく酔っ払ってくれるのはイイんだけど、ちょっとは真面目な話もしましょうよ」
「……」
「なに?」
「折角、お姉様が来て下さったのに、仕事の話なんか、ヤです」
「ヤですって」
「……冗談です。イヤと言ってもどうしようも無いですし……お姉様が、ただ私とお酒を飲む為だけに、わざわざ部屋を訪ねて来て下さるとも思ってませんでしたし」
「……嫌な言い方するわね、貴方」
「あら? 事実でしょ?」
「そりゃ……まあ、私だってただ飲みに来た訳じゃ無いけど。そんな態度は無いでしょ、そんな態度は。『おねえたま!』とか言ってた可愛らしいリズは何処に行ったのかしら?」
「お互い立場もありますし。お姉様だって時間が有り余っている訳では無いでしょう?」
違いますか? と視線だけで問いかけるリズにエリカは肩を竦めて溜息。
「……お陰様で忙しいわよ。良いか悪いかは別にしてね」
「暇よりは宜しいのでは?」
「人によるでしょ、それは。私だって暇で暇で仕方ないわ、とか言ってみたいわよ」
「お姉様……というより、テラ、ですかね? テラは自分から忙しくしている様にも見えますけど?」
「貧乏暇なしってやつよ。少しでも良くする為に、私達は頑張って働いているのよこれでも」
そう言って、今度はゆっくり飲むようにもう一杯水差しから水を入れて一口。落としていた視線を上げてリズを見やる。
「――こないだの話の続きをしに来たわよ、リズ。今以上にテラを『忙しく』する為に、引いてはフレイム王国の財政を改善する為に」
『船』の話をね、と。
「……だと思いました」
そんなエリカの視線を受け、リズはもう一度グラスに口を付けて。
「――って、リズ! それ、お酒!」
「も、もう一杯! もう一杯だけ!」
エリカにグラスを取り上げられた。
◆◇◆◇◆
「海上保険、っていうのをしたいのよ」
「海上保険……ですか?」
取り上げられたグラスを恨めし気に見つめていた視線をエリカに移し、その聴きなれない単語にコクンと首を傾げて見せるリズ。その姿を、『愛らしい』と思いながら、エリカは言葉を続けた。
「こないだ貴方が言ってた、『リスクの分散』よ。テラは船を造って、その造った船に手数料を払って『保険』をかけるの。壊れたら、その船の修理費用を払って下さいってね」
「壊れなかったら?」
「手数料はパー。差し上げますって事」
「……その手数料の算出はどうされるのですか? 例えば……そうですわね、ピカピカの新品の船と、今にも壊れそうなボロボロの船では『リスク』が変わってくると思いますが?」
「どういう方法にするかは今ニーザが一生懸命頑張っている所よ。船自体に保険を掛けるのも良いし……そうね、一航海毎に保険をかけてもいいわね。遠く航海に出る船は高く、フレイム国内を回る船は安くする。近場の方がリスクは少ないでしょ?」
「ええ。ですが、その『保険』と言うのは……どういえば宜しいのでしょう? 手数料を貰う人、と言いましょうか……」
「壊れた時に実際に支払う人?」
「ええ、そうです」
「コータ曰く、『ネーム』って言うらしいわよ」
「その、『ネーム』の成り手はいるのでしょうか? 幾ら手数料を貰うと言っても、リスクが高すぎる気もしますが」
「いくつか候補があるわ」
「具体的に」
「ベッカー貿易商会は賛成。ロート商会は条件付き……というより、あそこの番頭さんがロート家の財産で引き受けてくれる可能性が高い」
「……なるほど」
エリカから一度視線を切り、リズは顎に手を当てて中空を睨む。先程まで残っていたお酒は完璧に抜けきり、聡明と称して良い頭脳がフル回転を始める。
「……ベッカーまでその『ネーム』になりますか」
やがて、思考を一時停止しエリカに視線を向ける。その視線を受け、エリカはにっこりと微笑んで見せた。
「信用度が高いでしょ? ビアンカが『是』としているのなら」
「ベッカーの『血』ですからね。彼女は勘の良い方ですし」
「言い方が良すぎるわよ。ビアンカのは勝ち馬にしか乗らないって言うの」
「……ビアンカの事、嫌いなのですか?」
「まさか。ベッカー家では一番好きよ? アロイスとかエリザに比べれば礼節も弁えているし……人の身体的特徴を馬鹿にしないしね」
「身体的特徴、ですか」
そう言いながら、ついついリズの視線が顔よりも下方向に注がれる。それに気付いたエリカの鬼の様な形相に、慌ててリズは眼を逸らしてソッポを向く。
「……どこを見たか問い質したい処だけど、話が進まないから勘弁してあげる」
「……ありがとうございます」
「話の続きよ。このネームの成り手をリズ、貴方にお願いしたいの」
「私に、ですか?」
「そうよ。ベッカー貿易商会、ロート商会……ロート商会は個人の資格だけど、この二つの九人委員会の商会に加えてリズ、ロッテ、可能ならカールにもネームになって欲しいわ」
「それ――」
喋りかけ、一息。納得したようにリズは小さく頷いて言葉を漏らした。
「――ああ、成程」
「理解が早くて助かるわ」
「私に『箔付け』を頼む、という事ですわね? 保険を引き受けるのは九人委員会に宰相に近衛騎士団長、そして女王陛下で」
「それを取り仕切るのはニーザ、と。必要ならば、私もネームを引き受けても良いわ」
「お姉様が?」
「私達の船に保険をかける。フレイム王国の船にも保険をかける。ベッカーや、ロート商会、可能であれば各国の船にも保険を掛けあって……言ってみれば、相互にネームを引き受け合うのよ」
「……なるほど。互助組織みたいなモノでしょうか?」
「相互扶助の精神らしいから。凄いわよ? コータのアイデアにしては珍しく、誰も不幸にならないらしいわ」
「……なんだと思っているんですか、松代様の事を」
「飛びっきり優秀な魔王様、かな。今は」
「今、と来ましたか。将来は?」
「そうね……リズの義理のお兄さんになってくれたらいいかな、とは思ってるわよ」
「……お姉様?」
「予定は未定よ?」
そう言って、茶目っ気たっぷりに笑んで見せるエリカ。少しばかりの酔い、身内の気安さもあってのセリフである。浩太を目の前にこのセリフが言えたならばエリカも他のライバルに一馬身くらいは差が付けられるトコロであるが、残念ながら現状ではソルバニアと異世界からの舶来馬に良い様にやられっぱなしである。現実は厳しい。
「……とりあえず、ベタ惚れだと認識しておきましょう」
「そうしておいて頂戴。まあその話は置いておいて、どう? ニーザの名誉回復にもなるし、フレイム王国として収益源にもなるわ。加えて、貴方が心配していたリスクの分散にもなる。確かに、船舶の建造と運用はリスクが高い。でも、今持ってきたアイデアはそれらを補える案だと自負しているわ。そしてこのアイデアがテラと、引いてはフレイムの今後千年の繁栄の礎になると、そう思っているわ」
そこまで言って、エリカは姿勢を正して頭を垂れる。
「――どうかご裁可を、陛下」
「……やめて下さい、改まって」
そんなエリカの体勢に、リズが二、三度手を左右に振って見せた後苦笑交じりに溜息を吐いた。
「……分かりました。地方債の引受を裁可致します」
「……ありが――」
「『ございます』はなしですよ?」
「――ありがとう、リズ」
「はいっ!」
リズの言葉にエリカの顔も綻ぶ。そんなエリカの表情の変化にリズも微笑みながらグラスを手に取った。
「……お姉様の言う通り、海上保険というのは収益の柱になるかも知れません」
「貴方もそう思う?」
「船は高価なモノですし、リスクが分散出来るのであれば飛びつくモノも多いでしょう。それを国家の事業として……『ニーザ』にやらせるというのも、アイデアとして非常に面白いと思います」
そう言って、リズは顎に手をやってもう一度考え込む。その姿を見やりながら、エリカはもう一口グラスに口を付けて言葉を発した。
「……悩み事?」
「……そうですわね。お姉様にも聞いて頂きたいです。国家の大事ですので」
「『国家の大事』と畏まられると、ちょっと力になれないかも知れないけど、私で良ければ相談くらいは乗るわよ」
「……いえ。むしろ、お姉様が一番適任かも知れません」
「私が?」
「ええ」
リズの言葉に訝しげな表情を浮かべて見せるエリカ。国家の大事と言われて、自身が適任。そんな事案は思い浮かばず、だからこそ口を開きかけて。
「フレイム王国女王として新設の爵位を検討しております」
リズの言葉がエリカの言を遮る。少しばかり驚いた表情を浮かべた後、エリカは少しばかり納得したようにゆるゆると息を吐いた。
「……なるほど。お父様――前フレイム王国ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイム陛下の治世時代に爵位を頂戴したのは私ただ一人だから? そういう意味では確かに私には適任かも知れないけど……私も爵位を頂戴したのは結構前の話よ? しかも、誰に爵位を出すのか分からないけど……」
「爵位を与えるのはベッカー家、ロート家、それにバウムガルデン家の三家です。ああ、バウムガルデン家はロッテに、です」
「……それじゃ、尚の事参考にならないんじゃないかしら? 私の爵位はお父様の娘って事で頂戴した爵位よ?」
エリカの公爵授爵は純粋に血の論理によって齎されたモノである。対してリズが行おうとしているのは功績による爵位の授与だ。前提条件が違い過ぎると指摘するエリカに、リズは小さく首を左右に振った。
「仮に――仮に、お姉様が女王陛下であったら、どうされますか? そちらの方は、聞きようによります」
「……ああ、なるほど。『王家』の人間の意見って事ね」
「ええ。少しばかり、行き詰まっておりますので」
見つめる瞳に思考の渦に巻き込まれてアップアップしているだろう事を読み取り、エリカは顎に指をおいてしばし黙考。
「……個人的には賛成は出来ないかな」
「理由は?」
「ベッカー家に関してはまあ、良いわ。国家への貢献度も、伝える歴史もフレイム王国どころかオルケナでも随一の名門商会ですもの。加えてエリザにはノーツフィルトの血も入ってるでしょ? 十分貴族でもおかしくないわよ。むしろ、遅いくらいじゃない?」
「ロッテも同じことを言っていました。ロート家に関してはどうでしょうか?」
「ロート家に関しては疑問。というより、明らかに他の二家に比べて『格』が低すぎるわよ。無駄な火種になるんじゃない?」
「……やはり、そう思いますか? ですが」
「分かってる。ファーバー対策でしょ?」
「……そうです」
「それは私も悩んでいる所なのよ。しかも今、ニーザとアイ――」
言い掛けて、慌ててエリカが口に手を当てる。その仕草に、リズは眉をピクッと跳ね上げた。
「……ロッテもその様な事を言っていましたが……ニーザとアイリス、なにかあるのですか?」
「い、いや、別に? 何にもないんじゃない?」
「……お姉様? 隠し事は嫌ですよ?」
ジトーっとした目を向けるリズに慌てて目を逸らし、それでも見つめ続ける視線に負けてかエリカははーっと溜息を吐いた。
「……まあ、隠してもバレる事だしね。ニーザとアイリス、ちょっと……こう、なんていうか……べ、別居? 別居中で」
「……別居、ですか」
「……怖い顔しないでよ、気持ちは分かるから。『駆け落ち騒動で散々迷惑掛けといて、別居ってどういう事よ!』って私も思ったんだけど……まあ、これにもちょっと色々とあってね? 詳しく説明すると」
「良いです。詳細な説明を聞いたら多分、『怒り』の感情しか浮かばないでしょうから」
「賢明な判断ね。まあ、別居云々はともかく、ロート家に爵位はちょっと難しいかなとは思うわよ」
「そうですか……では、ロッテにはどうでしょうか?」
ベッカー家が歴史と伝統があるのであれば、ロッテだって三代の国王に仕えた忠臣だ。家格をどう捉えるかにもよるが、国家への貢献度であれば三家で最も高い。当然、エリカも賛成だと思い。
「ロッテにって……ロッテこそ論外よ。その中で一番、上げちゃいけない人でしょ?」
だから、飛び込んで来た言葉に思考が追い付かない。
「……え? で、ですがお姉様! ロッテですよ? 国家の忠臣にして、このフレイム王国の宰相を務めるロッテですよ! 十分爵位に値するじゃないですか!」
詰め寄るリズに、エリカは小さく首肯。
「リズの言う通りよ。ロッテは確かに爵位に値する働きをしているわ。でもね? 逆にロッテは働き『過ぎてる』のよ」
「……どういう意味でしょうか?」
「どの爵位を与えるつもりか知らないけど、爵位を与える以上、当然領地も与えるのよね?」
「……ええ。そのつもりです」
「ウチも人の事は言えないけど、フレイム王国の各諸侯は独立独歩の気風が強いわ。権限自体は殆ど『国』と言っても良い。ロッテが爵位と領地をもつって事は、それは結局ロッテが自分の『国』を持つのと一緒って事よ?」
「……それが」
それが、どうした。そう言いかけ、エリカの視線に思わず口籠る。
「――ロッテが『謀反』を起こしたらどうするの?」
「――っ!」
「貴方、ロッテが治める『国』と勝負して勝てると思ってるの? ああ、別に貴方を馬鹿にしている訳じゃないのよ? でも……貴方が信頼し、信用し、師事しているロッテよ? 外交も、内政も、財務も、その手腕はきっと、貴方よりずっと上でしょう。正直、私と貴方と……そうね、コータやシオンやアヤノの力を借りても分が悪いと思うわよ。良くて五分ぐらいの所でしょうね」
「で、ですが! ロッテは……ロッテはそんな事をする筈がありません!」
キッと音が付きそうな視線と声音でエリカを睨みつけるリズ。その視線を受け、エリカは肩を竦めて見せた。
「その辺りは私もそう思うわ。ロッテはバカみたいに貴方に甘いし。でも、それでも万が一が無いとは言い切れないし、ロッテ自身がそうしなくても、周りが騒ぎ立てるかも知れない。『ロッテに謀反の意思あり』って讒言だってあるかも知れないわよ? そんな時、貴方はその讒言を退けられる程の説得力のある論陣を張れるの? 言っておくけど、『ロッテはそんな事をしません!』じゃ納得しないと思うわよ、皆」
「……で、でも」
「貴方はそうやってロッテを庇い続けるでしょうね。でも、諸侯はそんなの絶対面白くない。そうなると、ロッテを庇い続ける貴方を今度は攻撃してくるかも知れない。それこそ『今の陛下はロッテに騙されている』ってフレイム各地で戦乱が……って事もあるかもね」
「で、ですが、そんな……」
「まあ、最低を考えればこれぐらいあるって事。ロッテ、爵位が欲しいって言ったの?」
「……言っておりません。むしろ、固辞されました」
「だったら無理にあげる必要はないんじゃない、って思うわ。ロッテが要求しているのならともかくね」
そう言ってグラスに注がれた酒を一口、視線をリズに向ける。その視線を受け、少しだけリズの瞳が揺れた。
「……ロッテ、そんな事を考えていたのでしょうか? だから、爵位を固辞し続けていたのでしょうか?」
「私はロッテじゃないから分からないわ。でも……言いたかないけど、私でも思い付くんだもん。ロッテが思い付かない訳がないとすら思うわよ」
「……一言も」
「ん?」
「そんな事、一言も言ってくれませんでした」
「普通は言わないんじゃない? 『陛下、私に爵位を上げたら謀反の恐れがあります』って」
「でもロッテなら……ロッテなら、それぐらい言うと思っていました。いつもの様に、冗談めかして……『陛下、私に爵位などあげてみなさい。謀反を起こし、そして勝ちますぞ? よく考えてからお話し下され』って……」
リズの頭の中にあるロッテ・バウムガルデンとは、そういう人だ。リズをからかい、リズを小馬鹿にし、リズを叱る、女王陛下を女王陛下と思わない、傲岸不遜な、そんな人で。
「……じゃあ、よっぽどリズに嫌われたく無かったんでしょ」
「……」
「例え嘘でも、例え冗談でも……自分に謀反の恐れがあるとはリズ、貴方に思われたくなかったんじゃないの?」
――リズを愛し、リズを慈しみ、何よりもリズを大事にする、女王陛下を女王陛下と思わない、そんな人だ。
「……私、ロッテに悪い事をしていたのでしょうか?」
ポツリ、と。
「……私を支え、私を導き、私を愛してくれたロッテに、ただ報いたかっただけなんです。フレイム王国宰相として、いつも私を叱咤し、激励してくれたロッテに……そんなロッテに、報いたくて……それで……私が初めて上げる爵位は、絶対ロッテにしようって、そう、そう決めて……」
泣き出しそうな、声音。
「……迷惑、だったのでしょうか?」
そんなリズに、エリカはゆっくりと右手を差し出す。
「想像にしか過ぎないんだけど……ロッテは嬉しかったと思うわよ? だってそんなに大事にしているリズが『ロッテに初めての爵位を!』って、名誉を与えるって言ってるんだもん。忠臣冥利に尽きるんじゃないかしら?」
「……そう、だといいのですが……」
良かれと思ってしていたことが、裏目。いつになく落ち込んで見せるリズに、エリカは差し出した右手で優しく頭を撫でた。
「大丈夫だって。だって、ロッテよ?」
「……お姉様」
「あの『リズバカ』が、リズのくれた好意を迷惑がる訳ないでしょ?」
心の芯から温まる様なその仕草と、少しだけおどけた様なその声音に、固かったリズの表情から徐々に険が取れる。気持ちよさそうに目を細めた後、少しだけ照れ臭そうに笑んで見せた。
「……やはり、お姉様に相談して良かったです」
「そう? そう言って貰えると嬉しいわね」
「はいっ! やっぱりお姉様は凄いです! 大好きです、お姉様!」
「ありがと。私も大好きよ、リズ」
そう言ってもう一撫で、リズの頭を撫でると手を離しグラスを手に取ると言葉を続けた。
「それにしてもまあ、ロッテは本当にリズ第一よね」
「そうでしょうか?」
「そうでしょうかって……ロッテは本当に『リズ様命』って感じじゃん。愛されてる人間は気付かないもんなのよね、やっぱり。まあ色々あるけど……純粋に、ちょっとだけ羨ましいとも思うわよ。あれだけ無条件に愛してくれる人がいるのは」
まあロッテの『愛情』なんて私は御免だけどね、と苦笑いを浮かべるエリカ。その姿をきょとんとした眼で見つめた後、リズはおかしそうにコロコロと笑って見せた。
「……なに?」
「いえ……お姉様の言った通りだな~って」
「どういう意味よ?」
「ロッテはああ見えて……というより、どう考えても忙しいでしょうが……まあ、どれほど忙しくても必ず欠かさずにしている事があります」
「……なによ?」
「ロンド・デ・テラの収支報告書を見る事です」
「……」
「私は確かに、ロッテに可愛がって貰っているかも知れません。お姉様より、ずっとロッテと近しいかも知れません。でも、お姉様? 多分、ロッテがフレイム王国の各諸侯で尤も信頼しているのはきっと、お姉様ですよ?」
「……そうかしら? むしろ私なんて一番信頼されてないんじゃないの?」
「それこそまさか、です」
そう言って、一息。
「――『あの』ロッテですよ? あのロッテが、信頼していない人に『異世界から召喚された勇者』なんて人、預けると思いますか?」
「……思わないわね、確かに」
「でしょ? ちなみにロッテには『内緒』と言われていましたが……」
少しだけ考える様に口を閉じて中空を見つめた後、悪戯っ子の様な笑みを浮かべて見せた。
「……酔っていますし、今ならもう言っても良いでしょう。実は地方債の引受に関する予算、ロッテの献策でテラに対してだけは別枠で組んでありました」
「……え?」
「ロンド・デ・テラは有史以来作物の不出来な土地だから、という理由ですわ。まあ、どう考えても建前です。お姉様が困った時に、直ぐに支援が出来る様にって。お姉様、地方債を引き受けて貰えなくて困った事がありました?」
「……ない、けど。それはリズがロッテを説得してくれたからで――」
「お姉様」
「――だから……なに?」
「私が、ロッテに勝てると思います?」
「……思わない」
清々しい表情で情けない事をのたまうリズ。呆気に取られた表情のエリカに気分を良くし、そのまま口を開いた。
「お姉様の性格上、別枠の予算が組んであると分かっても軽々と引受の依頼をされるとは思っていませんでしたが……ロッテ曰く、『水は低い方に流れるモノですから。若いうちから『楽』を覚えさせてはいけません』って。でも、あれもきっと建前です。照れ臭かったんでしょう、ロッテ」
あまり似ていないロッテの物真似に、エリカも苦笑。その後、その笑みを解いてゆるゆると息を吐いた。
「……参ったわね」
「今のテラの財政であれば、少なくとも『赤字』の地方債の引受はなされないでしょう?」
「そうね。今回の様に、設備の地方債の引受依頼をする事はあっても、流石に赤字の地方債は……無いといいな、とは思っている。現状ではその予定もないし」
そう言って、もう一度大きく溜息。その後、やれやれと首を左右に振って見せた。
「……なんだかんだで助けて貰ってるのね、ロッテには」
「ですから優しくしてあげて下さいね? 老い先短いって言ってましたし」
「自分でそう言う人ほど長生きするけど……まあ、善処するわ」
そう言って苦笑し、エリカはグラスに注がれたお酒をじっと見つめた。
「……そうね。皆に助けて貰っているのよね」
「……お姉様?」
「ん……なんとなく、私は何もしていないな~って思ってさ」
「何も、ですか? その様な事は……お姉様?」
曖昧にリズの言葉に頷きを返し、エリカはじっと一点を見つめる。
「……リズの言った爵位って考え自体は悪くないと思うの」
「……」
「ニーザとアイリスの個人の関係はともかく、ファーバーは今のままじゃきっと納得しないわ。平民でも国家に貢献をしていれば認める可能性も無くは無いけど……なんだかんだで『貴族』に誇りも持ってるしね、ファーバー」
「……ですわね」
「ただ……そうね、爵位を新設すればそれだけフレイム王国の領地の割譲になる。それはそのもの、フレイム王国の国力を落とす事になるわ。爵位だけ上げて領地を上げないって訳にも行かないだろうし、それこそテラみたいな、あんまり変な所でもダメでしょうしね」
「……選定は悩ましい所ではあります。言い方は悪いですが……テラはお姉様だから頂戴できたというのもあります」
有史以来、作物の不出来な領地だ。別段優れた観光資源がある訳でも無いし、論功行賞で貰ったとすれば遠回しの嫌がらせと疑うレベルの、言ってみれば罰ゲームみたいなモノである。国王の娘だから領地の下賜が出来たのだ。
「良すぎる所はあげれない、悪すぎる所もあげれない、か」
「……ええ。正直、ある程度の面積も必要となってきます。下手な所を下賜する訳にも行きませんし、悩ましい所ではあります。だから、良い方法が――」
「あるわよ?」
「――ないか……え?」
「だから、あるわよ?」
何でもない様にそう言って、エリカは酒をもう一口。
「――新たに領地を割譲して与えなくても済み、ファーバーも納得し、ロッテに不穏な噂を流さないで、リズの『初めての爵位はロッテに』という願いも叶う、そんな方法が」
あるわよ、と。
「……教えて下さい、お姉様」
頭を垂れるリズに笑みを浮かべ、エリカは口を開く。詠うように紡がれるエリカの言葉に、初めは眼を見開き、驚愕に顔の色を染めていたリズは。
「――お姉様っ! 貴方、本気でそんな事を言っているのですか!」
エリカの口が閉じられると同時、思わずリズが椅子を蹴って立ち上がる。そんなリズを横目で見ながら、エリカはグラスにお酒を満たした。
「座りなさい、リズ」
「私は、反対です! 何を考えているんですか!」
「そう? 前例がない訳じゃないでしょ?」
「何を……何を考えているのですか、お姉様! そんな……そんなもの、認められる訳ないじゃないですか! そんなの……あの方だってきっと、悲しみます!」
「そうかな? きっと笑って許して下さるわよ。そういう人よ、あの人は」
エリカとリズの視線が交差。睨みつける様な視線を見せた後、リズがすとんと腰を降ろす。
「……そう、かも知れませんね。でも……それでも、私は反対です」
「じゃあ、対案があるかしら?」
「それは……」
「無いでしょ? だから……イイのよ、これで。実際……そうね、私の気持ち一つで片が付く問題でもあるのよ」
「……」
「他の貴族はロッテと貴方で纏める事が出来るでしょ?」
「……」
「リズ」
「……はい。出来ます。出来ますが!」
「いいのよ」
言い募るリズを抑え。
「――いいのよ。この方法がきっと、ベストだから」
そう言ってエリカはにこりと微笑み。
「だから……ちょっと明日、許可と……そうね、報告に行ってくるわ」
コータと二人でね、と。
そう言ってエリカは満たされたグラスを一息に呷って見せた。




