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第百九話 ベッカーさん家の家庭の事情

来週、休日出勤っぽいですのでちょこっと更新難しいかもです……すみません。

 階下の台所から何とも甘い香りが漂ってくることに敏感に反応した鼻。その鼻の感覚を信じるようビアンカは自室の机の上、散らかりきった書類を纏めると、その書類をタンタンと二度机の上で揃える。

「――おかあさまー! クッキー、焼けましたよ~!」

 と、同時。まるで見ていたかの様なタイミングでかかる声に苦笑を浮かべ、ビアンカは階下に向けて声を放った。

「はいは~い。丁度終わったから行くよ~。分かってると思うけどエリザ、私の分まで食べたらマジで承知しないからね~?」

 そんな事しませんよ~というエリザの言葉に、浮かべていた苦笑を微笑に変える。声だけでどうだかな~なんて言いながら、ビアンカは自室のドアを開けた。

「……ん。イイカンジ」

 決して派手ではない、シンプルな内装。部屋数も決して多くはないし、豪華な調度品の類もない。『これがオルケナ大陸一の名門商会のセカンドハウスか』と驚かれる、およそ不釣合いな小さな家だが、ビアンカは数あるベッカー家の邸宅でもこの家が一番好きだった。

「うーん……二階はもう一部屋あっても良かったかな~? 増築……しても良いけど……でもな~。あんまり弄り過ぎるのもどうかと思うし……」

 ベッカー家の他の家は、ビアンカの生まれた時からあった家であるのに対し、この家だけはビアンカとアロイスの二人、此処はこうしたい、あそこはこうしようと話しあって設計した家だ。金持ちの道楽、と言えばそれまでだが、それでもこの家はビアンカにとって大事な大事な家なのである。

「――おかあさま~! まだですかぁ~」

 痺れを切らした様な階下からの声に、ビアンカは浮かべていた微笑を再び苦笑に変える。急かされるのはそんなに好きでは無い筈の自分が、愛娘が自分とクッキーを食べたいと思ってくれるという事がこんなに幸せかと思っている事に少しだけ驚き、そしてそんな『幸せ』を与えてくれたアロイスに心の中で感謝。待ちくたびれた姫の為、ようやく階段をトントンと降る。

「おっまたせ~。いや~、待ったかい、エリザ?」

「あ! もう、お母様! 遅いですわ! エリザ、待ちくたびれてしまいましたよ!」

「ごめんごめーん。ちょっち、幸せを噛み締めていたんだよん」

 疑問符を浮かべる愛娘の頭を軽く撫で、ビアンカはリビングの席につく。

「さあ! じゃんじゃん持ってきて! 難しい事考えたから、頭が糖分を欲しているんだよっ! 今日は一杯たべるぞ~!」

「……手伝おうという気はないのですか、お母様?」

「ばっかだな~、エリザ。こういうのはね? 配膳までして料理なの。私の為に作ってくれたんでしょ?」

「いえ、別にお母様の為だけでは御座いませんが」

「おうふ、厳しいお言葉。まあ、それでも私も御相伴に預かれるんなら、ここは最後までエリザがやっちゃってよ」

「……はあ。仕方ありませんね」

 溜息を吐きつつやれやれと頭を振った後、エリザはキッチンに引っ込む。待つことしばし、エリザの顔よりも大きなお皿に山盛りにクッキーを乗せたエリザがひょこひょことした足取りで姿を見せた。

「転んじゃだめだよ、エリザ?」

「だ……いじょうぶです。エリザももう九歳、子供じゃありま――きゃあ!」

 言わんことではない。プルプルと震えるエリザの体が大きくバランスを崩す。慌てた様に席を立とうとするも、彼我の距離は歴然。救おうとしたビアンカの手が虚しく空を切って。


「――ほら、エリザ? 気を付けて運ばないとダメですよ?」


 エリザの体を後ろから抱き留める様、右手が伸びる。宙を舞ったクッキー達を空いた左手の皿で器用に受け止めるとにっこりと微笑を一つ。

「あ……そ、その……申し訳ございません」

「謝る事はありません。嬉しいのは分かりますが……今後は気を付けるのですよ」

 折角頑張って作ったのですからね? と、微笑交じりの声に固くなっていたエリザの表情も徐々に緩くなっていき、『はい!』と元気の良い返事が飛び出した。その姿を見やり、浮かした腰をゆっくりと椅子に降ろしてビアンカはにっこりと微笑んで見せた。

「……いや~、どうなる事かと思ったよ~。流石だね! まさか後ろに控えているなんて!」

「別に控えて居た訳ではありませんが……まあ、エリザの腕の力であの量のクッキーを運ぶのは難しいかと思っておりましたので。注意はしていましたね」

「それと、さっきのあの曲芸みたいなのも凄いね! 宙に浮いたクッキーを落とす事無くこう、ササーって! 何なのアレ? お金取れるレベルだよっ!」

「それほど人に誇れるモノではありません。私も昔は同じミスを良くしておりましたので」

「本当? 今のエリザみたいに?」

「どちらかと言えば私は器用な方では御座いませんので。むしろ、エリザの方が何でも卒なくこなしていますよ?」

 そう言ってエリザの頭を一撫で。『もう! エリザはそんなに子供ではありません!』なんて反論しながら、それでも嬉しそうな顔を見せる愛娘に微笑ましさと、実の親である自分には見せてくれないその表情に若干の悔しさを覚えながら。

「まあ、それはともかく」

 いやいや、今はそれじゃないと思い返したビアンカは口を開く。


「……エミリさ? 何時までいるの、ウチ?」

 その言葉に、エミリの笑顔が『ピシッ』と音を立てて固まる。油の切れたブリキのおもちゃの様にギギギと横を向くと、舌をペロリと出し、頬の方へ向かわせて。



「…………てへぺろ」



「いや、可愛いけどさ! 誤魔化し方が雑じゃない!?」

 エミリ・ノーツフィルト。

エリザを家まで送っていったあの日からこっち、彼女はベッカー家の別宅に住んでいた。


◆◇◆◇◆


「……まあね? そうは言っても私は別にイイんだよ? エミリが居てくれたらお料理の幅も広が――ああ、そうだ! 今日の晩御飯、どうする?」

「ご迷惑だとは思っておりますし、私も心苦しい面もあるのですが……昨日はお肉でしたし、魚料理などはどうですかね?」

「いいねっ! ちょっと商会に顔出す用事があるから王城付近の魚屋に寄ってくる――って、そうじゃなくて! 別に全然、迷惑じゃないよ? こういう風にエミリが居てくれたらお料理一緒に出来て楽しいし、エリザも嬉しそうだし、アロイスなんて狂喜乱舞してるし、全然迷惑じゃないんだけど……いいの? こう……なんかあるんじゃないの、もうちょっと、その、『仕事』的な事が」

「その……非常に申し上げ難いのですが……こう、私の役目はお義姉様の説得ですので……こちらに寄らせて頂くのが『仕事』と言えば『仕事』でして……あ! も、勿論、仕事でイヤイヤ来ている訳では――」

「分かってる。その辺は良く分かってるんだけど……」

 身を小さくしながら、それでも皿の上のクッキーをはむっと口に入れ、小リスの様に口の中でモゴモゴと咀嚼するエミリにビアンカは小さく頭を振って見せる。いつもの『淑女』たるエミリらしからぬ仕草であるが、まあこれも『身内の家』という心安さから来るものである事は容易に理解でき、だからこそそんなエミリの姿はビアンカ的には嬉しくこそありこそすれ、そこを責めるつもりは毛頭ないし、問題は何もない。そこには。

「……でもさ? そうは言っても私もベッカー家の人間だし。『利益』を提供してくれなければ是とは出来ないよ? 責めるつもりは無いんだけど……って、エミリ! 今、ちょっと真面目な話している最中だよっ! なんでクッキーを袋に詰めようとしてるのさっ!」

「も、申し訳ございません! で、ですが、お義姉様! このクッキーはエリザが初めて自分で作ったクッキーですよ? 勿論、危ない事は私が手伝いましたが……それでも、エリザが一人で丹精込めて作ったクッキーですよ?」

「それが?」

「こう、後で部屋で噛み締めながら頂こうかと……エリザ、大きくなったな~、って」

「……エミリってそんなにポンコツだったかな?」

 問題は此処だ。家族愛と云うモノを知らずに育ったからか、エミリは身内に対する愛情が人一倍強い。そんな訳でここ数日、エミリはキャラが変わったかの様にエリザを溺愛し……まあ、ずっとこんな感じである。そんなエミリの姿に、ビアンカは深々と溜息を吐いた。

「……まあ、好きなだけ居てくれたらいいよ? ただ、現状では九人委員会での賛成の件、おっけーとは言ってあげられないからね? その辺り、よく理解していてね?」

 聞きようによってはこれ以上ない程に冷たい言葉に、エミリが小さく肩を落とす姿が見て取れる。そんな仕草に胸の奥がチクリと痛み、まるでそれを誤魔化すようにビアンカが殊更に顔に笑みを浮かべて。

「なによ、エリザ? アレでしょ? 『エミリお姉様が可哀そうです!』でしょ? 言わんとしてる事は分かるけど――エリザ?」

 その袖を、隣からくい、くいっと引かれる。ああ、きっとエリザから『お叱り』を受けるんだろうな、と想像しそちらに顔を向けて。

「……なんでアンタはそんなキラキラした眼を向けて来るのさ?」

「だ、だって! 今のお話であればお母様? お母様が『ダメ』と言い続ければ、エミリお姉様はずっとこの家に居てくれるって事ですよね? あの平面世界の絶壁領主からエミリお姉様を奪い返せるって事ですよね? ね? ね!」

「え、エリザ! 貴方、私達の味方をしてくれるって言っていたじゃありませんか!」

「い、いえ! 分かっております! エミリお姉様の味方をするべきなのは重々承知しております! おりますが……そ、その……エミリお姉様がずっと家に居て下さるのであれば、そ、その……も、申し訳ないのですが……や、やっぱり嬉しいですし……出来ましたら、ずっと一緒に居たいな、なんて……」

「え、エリザ……」

「エミリお姉様……」

「……ねえ? 何時まで続くのさ、この茶番。ポンコツ二人の相手はしんどいんですけど。家族大事は良いけど、ちょっとは時と場合を――なにさ?」

「「貴方が言いますか、それを。旦那大事の癖に」」

「ふ、二人してハモる事は無いんじゃないかな! いや、そりゃ私はアロイスが大好きだけど……って、この話はイイの! それよりエリザ! エリカ様に平面世界の絶壁領主なんて失礼な事を言ってはダメでしょ?」

「ですが、お母様! ベッカー家は創業以来、陛下を相手にしても一歩も引かなかった事が誇りではないですか! お母様に教えて頂いたのですよ!」

「無駄にあっちこっちに敵を作れって教えたつもりは無いよ? 必要なら陛下でも敵に回せば良いけど、別に今は必要じゃないでしょ? はい、論破」

「う、うぐぅ」

 言葉に詰まるエリザにふんっと一つ鼻を鳴らし、ビアンカが視線をエミリに向ける。

「それで? さっきも言ったけど、私はこれから商会の方に顔を出すんだよね~。夕食時は楽しい話にしたいしさ? そろそろ話、しなくていいの?」

「……話、とは?」

「昨日の昼過ぎくらいかな? エミリ、王城に帰ってたでしょ? コータ君と聖女様がロート商会に顔出したって話もあるしね? 引受人になって欲しいんでしょ? その……『海上保険』ってやつのさ」

 瞬きは、二度。平静さを隠すことを忘れたか、ガタッと音を立てて椅子を蹴り、上擦った声をエミリは上げた。

「その……お義姉様? 何処で……それを?」

「およ? まさか秘密の話だったの?」

「い、いえ! 秘密ではありませんが!」

 秘密ではない。どころか、エミリの方からその話をしようと思っていたのだ。思っていたのに、である。

「あー……まあ、これぐらいの情報はちょっと興味を持てば調べる事は簡単だよ? 私たちはベッカー家だからね」

 簡単に、なんでもない様に。

 そう言って見せるビアンカに、エミリも言葉に詰まりながら、それでも何とか言葉を継ぐ。

「……お義姉様には、ラルキアで分からない事は無いのですか?」

 そんなエミリの言葉に、ビアンカは頭を小さく左右に振った後、指を二本立てて見せた。

「二個、訂正。『ラルキア』じゃなくて『オルケナ大陸』ね。頑張れば世界もイケるよ?」

「もう一つは?」

「知らないことだってそりゃあるよ? まあでも、それは私が『知る必要がない』って判断した情報だから。『知りたい』と思った事は何でも手に入るんだよ、私には。だから、隠しても無駄だって! ホレ! さっさと吐いてしまうのだ~」

 扱っている情報の密度と質量におよそ不釣合いなビアンカの態度。その態度に、肩の力が抜けた様にエミリは浮かした腰を椅子に降ろす。

「……吐く、程の事では御座いません。我々テラ――正確には、我々が信用を置く別のモノにですが、新たに『海上保険』という分野で商売を始めようと思っております。海上保険の内容について、ですが……ご存じで?」

「仕組み自体は、ね。細かい説明を聞いている時間は無いからそっちは良いかな? 要はその海上保険の引受人に成れって事でしょ?」

「有体に言えば」

「いいよ」

「そうですか。ですが、お義姉様? このアイデアは必ずベッカー貿易商会にも――」


 一息。


「……良い、ですか? それは……」

「海上保険の引受人、なってあげるって事。ベッカー貿易商会として、正式に」

「……えっと……え? え、ええ?」

「あれ? なって欲しいんだよね?」

「え、ええ! それは勿論!」

「じゃあ『やったー!』って喜んでおけばイイんだよ。こういう時は笑うのが一番!」

 にこやかにそう言って見せるビアンカに、理解が追い付かない。そんなエミリの姿を面白そうに見やり、ビアンカは口を開いた。

「……実はその『保険』って考え方さ。私も昔、考えた事があったんだよね」

「お義姉様が、ですか?」

「航海ってのはリスクが付き物だからね。それを分散出来る方法があったらいいな~って常々思ってるよ、そりゃ。だってベッカー『貿易』商会だもん。思ってなかったら嘘でしょ?」

「それは……そう、ですね」

「だから、そんな方法があるんだったら是非一口乗りたい。安心をお金で買えるんだったら、幾ら積んでも惜しくないよっ!」

 ぐっと親指を立てて見せるビアンカ。任せておけと言わんばかりのその姿に、思わず相好を崩しかけ。

「……お聞きしても宜しいですか?」

「ん? いいよ?」

「その……その様に思われていたのであれば、何故……お義姉様は『保険』を始められなかったのですか?」

「んー……何故、と来ましたか」

「ベッカー貿易商会は間違いなくフレイム王国でも最大の商会です。海上保険に割く人手も、豊富な情報だってあったはず。失礼を承知で敢えて言えば、それでも二の足を踏んだのは……何故、でしょうか?」

 豊富な資金量と、千年に渡る情報の蓄積がある。言ってみれば、海運のスペシャリストであるベッカー貿易商会が他ならぬ海運で二の足を踏んだのだ。エミリや、ひょっとしたら浩太ですら気づかない重大な瑕疵があるのではないか。そう思い、探る様な視線を向けるエミリにビアンカは笑って左右に手を振って見せた。

「勿論、走り出してみなけりゃ分かんない所もあるよ? でも……そうだな~。一気に何十隻も沈みました~、みたいな事が無ければ保険って商売自体は巧く行くと思うんだよね」

「では」

「でもね? それをベッカー貿易商会が主導でやっちゃうとちょっち不味い」

「……?」

「さっきエミリも言ったけど、ベッカー貿易商会はフレイム王国随一の商会だから。そんなウチが『やります!』って手を挙げたら、皆の視線が痛いんだよね~。『おい、ベッカー! まだ儲けるつもりかっ!』ってね?」

 出る杭は打たれる、というやつである。

「そう考えたら、無理に恨みを買ってまでやる必要もないかな、って判断でその時はボツにしたんだよ。ヤラシイ話、船が難破しても誰かに助けて貰う必要なんて無いんだよ。ベッカーはベッカーだけで再建出来るから。でも……まあ、他所がやるんだったら願ったり叶ったりではあるんだよね。システムとして必要なモノだし、誰かが手を挙げたら乗っかろうとは思っていたんだ。だから、引受に関しては賛成だし、精度の為に必要だったらベッカー貿易商会の情報を公開してもいい。出し惜しんで巧く保険って仕組みが機能しないのもヤだしね。航海だけに、後悔の無い様にしたいし」

「……お義姉様」

「にゃははは。まあ、しょうもないダジャレはともかく、そういう訳で受ける事は吝かじゃない。吝かじゃないけど……まあ、それだけで九人委員会の方まで引き受けて貰えるって思ってないよね?」

 探る様な、試す様なビアンカの瞳。その瞳を受け、エミリはしっかりと頷いて見せた。

「……勿論です」

「……うし。それじゃそれでいいよ~。じゃ、私はちょっと行ってくるね~。夕方には帰るから!」

「お買い物、私が行きましょうか?」

「いいよっ!」

 じゃあね! とビシッと手を挙げてそう言うとビアンカは席を立つと、その手を頭にやって敬礼の姿勢を取った


「今日はアロイスも商会に居るから! 帰りはお買い物デートなのだっ!」


◆◇◆◇◆


「……おまた――なんだよ、ビアンカ。ふくれっ面して」

 王城から王都ラルキアの入り口まで続くメインストリート、聖王通り。始点である王城前の小さな休憩スペースに座ったままのビアンカに声を掛けたアロイスは、不満そうなビアンカの仕草に眉を顰めた。

「ぶーぶー。もうちょっと早く来てくれるかと思ったのに!」

「ああ、あはは。そういう事かい? ごめん、ごめん。ちょっと野暮用があってね」

「野暮用? こーんな可愛い奥さんとの久々のデートを放り出してまでしなくちゃいけない様な野暮用なの?」

「こーんな可愛い奥さんにもっと可愛くなって貰うための野暮用さ」

 そう言って、アロイスは手に持った鞄の中から小さな箱を取り出す。最初こそ訝しんだ表情で見つめていたビアンカだが、アロイスの手に持っているものに気付くと一転、瞳をキラキラと輝かせた。

「う、うわー! そ、それってもしかして!」

「ロート商会の新作アクセサリー」

 派手ではないも手の込んだ意匠の施されたシルバーのネックレス。胸元で揺れる様に配置された海の様に青い宝石は決して大振りではないも、品の良い光を放っていた。

「プレゼントだよ、ビアンカ」

「うわ、うわ、うわ! か、可愛い! 綺麗! すごーい!」

「お気に召したかい、姫君?」

「召す召す! すっごいお気に召す!」

 両手を上にあげ、全身で『わーい!』を表現するビアンカに苦笑と愛しさを思い、アロイスはビアンカの後ろに回るとその髪をそっと上げる。前から通したネックレスを首の後ろで止め、ビアンカの正面に回るとうん、と一つ頷いて見せた。

「……うん。ビアンカは小柄だから、あんまり大きな石だと品が無く見えるんだよね。良く似合ってる」

「それ、チビだって言ってる?」

「小さくて可愛いって言ってる。後、石が小さくて済むから経済的でもあるね?」

 冗談めかしてそういうアロイスにもう! と笑顔を浮かべたまま怒ってみせ、そのままアロイスの左手に自身の腕を絡めた。

「そんな酷い事を言うアロイスには、引っ付き虫の刑に処す! 罰としてこのまま私を連れまわすのだぁ!」

「おや? それは十分ご褒美だけど?」

「いいのっ! 罰!」

 公衆の面前で何をしているのかと問い質したい所ではあるが、幸か不幸かこの辺りの人は慣れたモノ、『またやってる』ぐらいにしか思っちゃいない。ちなみに、あからさまに眉を顰めたり驚いたりする人間は、概ね『おのぼりさん』だったりする。

「それで? 今日は何処に行く?」

「今日の晩御飯はお魚にしようかと思うからお魚屋さんかな~? 後は……ロート商会、行ってみる? 時間もあるし」

「ロート商会? さっき行ったばかりだよ?」

「私ばっかり貰っちゃズルいじゃん。エミリとエリザにも買って上げないと! ほら、私は『経済的』だし? 財布に余裕はあるでしょ、アロイス!」

「……」

 そんなビアンカの言葉に何とも微妙な表情を浮かべるアロイス。

「ん? なに?」

「いや……男の私が言うのも何だけどさ? 普通はこう言うんじゃないの? 『私といる時に他のオンナの話はしないで!』って」

「妹と娘に嫉妬なんて……まあ、しないとは言わないけど、別だよ別! エリザもそろそろアクセサリーの一つや二つはあっても良いし、エミリに至ってはもっと必要っしょ? 折角あんなに綺麗なのに化粧っ気が無いのはおねーさん、許しません!」

 うがーっと言い募るビアンカに肩を竦めて見せるアロイス。

「……ビアンカが黙っているって選択肢もあるけど?」

「バカだな~、アロイス。私だよ? 自慢するに決まってるじゃん!」

 もう一度、大きく肩を竦める。これ以上の反論は無理と悟り、アロイスは黙って足をロート商会の方へ向けた。

「生臭い魚を持ってロート商会に行くわけにはいかないしね。先に行こうか、ロート商会」

「うん! それで言ってやるんだ! 『他のオンナのアクセサリーを選びに来ましたっ!』って!」

「うん、それは止めよう。きっとカウンターの向こう側が大騒ぎになるから」

「なるかな? きっと『ああ、そういう遊びか』って思われると思うよ?」

「……」

「あれ? 違う?」

「いや……うん、多分ビアンカの言う通りだね。きっと微笑ましい感じで見られる気がしてきたよ、私も」

 ベッカー夫妻のバカップルっぷりは有名な話だ。良いか悪いかは別にして。

「でしょ? んじゃいざ行かん! 他のオンナのアクセサリーを買い求めに!」

「言い方が悪いな~」

 ぐいぐい引っ張るビアンカに苦笑を浮かべながら、アロイスも同様に足を進めかけて。

「……悪いね、いつも」

 ポツリと。

「ん? なにが?」

「……エミリの事。いつもいつも、君には気を掛けて貰って」

「アクセサリーの話? 違うよ? 私はエミリと一緒に喜びたいだけだし! アロイスのお金ってのがポイントかなっ!」

「そうじゃ……まあ、それもあるけど……もっと、総合的に」

「……アロイス?」

「感謝しているんだ、ビアンカ。本当に君には――」

「えーい!」

「――って、痛い! 何するんだよ、ビアンカ!」

 腕にくっついたままという器用な体勢でアロイスのオデコにデコピンを放つビアンカ。その後、少しだけ怒ったように小さくアロイスを睨んで見せた。

「バカだな~、アロイスは。私がイヤイヤやってると思ってるの?」

「……そうは思っていない、けど」

「アロイスがエミリの事を可愛い様に……ううん、もしかしたらそれ以上かな? 私だってエミリの事が大好きなんだよ?」

 口に出しかけた言葉は『ごめん』

「……ありがとう」

「ん! 許してあげよう」

 口をついて出た言葉は感謝。チョイスは間違っていなかったのだろう、笑顔になるビアンカにアロイスも頬を緩ます。

「まあ、エミリが可愛すぎるからちょっと意地悪みたいになってるんだけどね。実はその辺はちょっと辛かったりするんだ、私」

「九人委員会の事?」

「本当は二つ返事で『いいよっ!』って言ってあげたいんだけど。でもなあ~。こればっかりは流石に簡単に良いと言えないんだよね」

「コータ君達も色々画策してるみたいだよ?」

「そうだね。まあ、恐らく造船発注って流れなんだろうけど……」

「メリットが薄い? 個人的には結構良い収入になると思うよ?」

「そういう刹那的なメリットが欲しい訳じゃないんだよね、私」

「……どういう意味?」

「さっきも言ったでしょ? 私はエミリが大好きなの。だから、エミリに『幸せ』になって欲しいんだよん」

「……」

「コータ君は悪い子じゃないんだろうけど……なんだろうね? こう、エミリを守ってくれるかって言ったら、そうでも無い気がするんだよね~」

「私の頭から酒をぶっかけた子だよ?」

「それもどうかと思うんだけど……ううーん……こう、何だろうね? メリットって言って直ぐにお金に直結する発想はどうかな~と思うんだよ」

「ノーヒントだったら仕方ないんじゃない?」

「私は言ったつもりなんだよ?」

「なんて?」

「『身内の縁で頼るな』って」

「……だから、メリットとして――」

 言い掛けるアロイスを手で制す。

「さあ、アロイス? 考えて? 私はエミリが大好き。ひょっとしたら、実の兄であるアロイスよりも大好きかも知れない。分からない?」

 ビアンカの言葉に、少しだけ黙考。やがて、答えに辿り着いたのかアロイスの顔が徐々に笑み崩れていく。

「分かった?」

「ああ。全く……どうしよう、ビアンカ。私の妻は最高の妻かも知れない」

「そりゃそうでしょ。だって、最高の夫の妻なんだもん!」

「本当に、ありがとう、ビアンカ」

「お礼なんて良いよ~。だって、エミリは良い子なんだもん。可愛くて、大好きで、大事な大事な妹なんだもん。勿論、エミリがコータ君が好きすぎて、コータ君の為になんでもしたい! って思ってるのも分かるよ? 分かるけどさ?」


 だからって、と。


「――身内の縁でエミリを『利用』するのは……ちょっと頂けないかな、コータ君?」



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