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フレイム王国興亡記  作者: 疎陀 陽


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第百八話 守るべきは、神話

煩悩の数!


 部屋の中を満たす静寂。そんな静寂を最初に破ったのはエンリケだった。

「あ、兄上! 何を言っているのですか! も、申し訳ございません、マツシロ様!」

「何慌ててんだよ、エンリケ。男ならどっしり構えとけよな」

「兄上!」

 慌てて訂正をしようと『あうあう』して見せるエンリケに、アントニオが呆れ半分に苦笑をして見せる。そんなアントニオに、浩太が言葉を発した。

「理由をお聞かせ願えますか?」

「あん? 理由?」

「断る理由です」

 浩太の言葉に困ったように、でもどこか面倒くさそうに頭をポリポリ掻いてそっぽを向くアントニオ。それでも浩太の視線が自身から離れない事に、諦めたように小さく溜息を吐いて見せた。

「あー……理由って言われても難しいんだけどよ……一個じゃねえし」

 言い淀むアントニオにエンリケの言葉が走る。

「兄上! 難しいとは何ですか! 折角のこんないい話、断るにはそれ相応の理由がある筈でしょう!」

「がなるなよ、エンリケ。いや、良い話だとは思うんだ。思うんだけど……それは、本当に『ロート商会』にとって良い話かなと思ってな?」

 そう言ってアントニオは視線を綾乃に向ける。向けられた綾乃はきょとんとしたまま首を捻って見せた。

「えっと……はい?」

「嬢ちゃんさ、例えばコータからアクセサリー貰うとするだろう?」

「……この朴念仁から、ですか?」

 ジロっとした綾乃の視線に、浩太が慌てて目を逸らす。そんな二人の仕草から関係性を悟ったか、アントニオが溜息を吐いて見せた。

「……分かった。じゃあ仮に、でいい。仮に想像してみな? びーどろ亭で甘い菓子と紅茶を楽しんで、日の光が燦々と輝く聖王通りを二人でショッピング。日が落ちて来たら王立劇場で観劇と洒落込んでよ? それがまたすげー『アタリ』の演劇だった日には嬢ちゃんもテンションあがるよな? 見たばっかで興奮しきりのお前に、コータが差し出すんだよ。『きっと、アヤノに似合うと思って』ってな?」

 どうだ? と問いかけるアントニオ。そのアントニオの言葉に、綾乃は眼を閉じてその想像の世界にダイブ。

「……」

「……」

「………………にへへへ」

「……嬢ちゃんスゲーな。妄想だけで涎が出るほど嬉しいのかよ」

 呆れた様なアントニオの言葉に『はっ!』と気が付いたかのよう、綾乃は閉じていた瞳をくわっと見開き、口元の涎を拭って見せた。

「んで? どうだよ?」

「…………大変、結構では無いかと思います」

 照れたように頬を赤く染めて下を向きながらの綾乃の言葉に満足そうに頷いた後、アントニオは視線を浩太に向け直して言葉を続けた。

「色々意見はあるんだろうが……まあよ? どう言い繕った所で結婚してねー若い男が、結婚してねー若い女にアクセサリーを贈るっつうのはよ? ある程度スケベ心があって贈るわけだろ? 言い方悪いけど『このオンナを落としたい』とかの、そんなスケベ心がよ?」

「それだけとは限りませんが……まあ、その気持ちが無いとは言わないです」

「それじゃそのオンナ達はアクセサリーを貰ってなんで嬉しいと思う? 綺麗な装飾だからか? 抜群のデザインだからか? 大きな宝石がくっついているからか?」 

「……違うのですか? 『4C』なんて言葉もありますし、宝石の大きさや、カットの美しさなどでご購入されるのかと思っていましたが?」

「ねーとは言わねえ。でもな? 石の大きさなんて別にウチだけが飛びぬけて大きい訳じゃねえし、デザインだって、なんだかんだで基本のカタチは似たり寄ったりなんだよ」

「独創性、などがあるのではないのですか?」

「独創的だったら何でも良い訳じゃねーしな。売れ筋ってモンもあるし」

 アントニオの言葉に、浩太が顎に手を置いてしばし考え込む。それも数瞬、諦めたように頭を左右に振って見せた。

「……正直、『技術者』として断っているのかと思いましたが……そうではない?」

「それもあるぜ? なんだかんだ言っても俺は『コレ』しかできねーしよ? それを今更、金で金を稼ぐような商いをして見せろって言われてもな。そんなの、趣味じゃねえしよ」

 頭が痛くなるぜ、と笑って見せた後、アントニオは神妙な顔を浮かべて口を開く。

「ただ……まあ、それは理由の三分の一だ」

「三分の一?」

「同じ石で、同じ加工で、同じ値段であれば、俺らが造ったアクセサリーってのはまず間違いなく選んで貰えるんだ。ロート商会っつうのはそういう商会で……まあ、なんだ? 俺らの客ってのは、俺らの商品を買うんじゃねえ……いや、商品を買うんだけど……商品『だけ』を買うんじゃなくて……そうだな?」


 ロート商会の『神話』を買う、と。


「……『神話』、ですか」

「ちょっと大袈裟だけどな。まあでも……王侯貴族の婚儀や、プロポーズの時なんかにはよ? ロート商会のアクセサリーを相手に贈ってくれるんだよ。別に誰に強制された訳じゃないのに、通例つうか……まあ、伝統かな? 国家の、貴族の愛の囁きの影には常に俺らのアクセサリーがあった、つう訳だ。んで、客はその『神話』も込みで、俺らの商品を選ぶんだよ」

「……なるほど」

 ブランドイメージの話である。

「まあ、それだけの歴史があるし、憚りながら何処に持って行っても基本は喜ばれるんだよ、俺らの商品っつうのは。相手も貰えばわかるよな? ヤラシイ話『ロート商会のアクセサリー持って来たんだ。今日の夜、予定空けとけよ?』とも言えるんだよな、コレが」

「その例えはどうかと思いますが」

「綺麗事言うなよ、コータ。お前だってアクセサリーの一つや二つ、オンナに贈った事あんだろうよ? 全く下心が無かったとはいわせねーぞ?」

「……ノーコメントで」

 返答に困り、視線を逸らそうとして……失敗。隣で『ギンッ!』という音が付きそうな視線の厳しさでこちらを窺う綾乃の視線が視界に入ったからだ。諦めたように溜息を吐く浩太を面白そうに見やって、アントニオは言葉を続ける。

「まあ、正直コータの持ってきてくれたそのアイデアはすげーありがてーよ? 偉そうなこと言った所で火の車は火の車だしよ。お前のアイデアにのりゃー、そりゃ楽にはなるのかも知れねーよ」

 でもな、と。

「そうやって、その『海上保険』ってやつで稼いだとしてよ?」

 自動車会社を思い浮かべて欲しい。その自動車会社で製造された自動車に致命的な欠陥が見つかり、リコールにまで発展したとしよう。当然、その自動車会社が『自動車会社』として存続して行く為にはそのリコール問題を解決し、リコール以前よりも品質が良い自動車を提供し続けなければならない。もしかしたら、値段を下げてまで。『信用』とはある種そういうモノである。


「――それで、本当にロート商会の『神話』ってのは保てるのか?」


 浩太の持ってきたアイデアは、言ってみれば『自動車でリコールが出た? 分かりました。それじゃリコールは放っておいて白物家電のメーカーになります。国策で助けてくれるらしいので』と言っているのと本質的には一緒である。

「……難しいですね」

 そうやってリコールを放置した自動車会社が果たして自動車会社と言えるか。答えは恐らく否であろう。

「だろ? だったら、そんな神話を打ち壊す様な事はしたかねーんだよ、俺は。ロート商会の『技術者』としてな?」

 人柄か、或いは性分なのだろう。どちらかと言えば後ろ向きな話をしているにも関わらず、アントニオの顔に浮かぶのは豪快な笑みだ。入行当初、経営のトップにはある種の『鈍感力』が必要と習った事を思い出しながら、浩太は言葉を継ぐ。

「それで? もう三分の二はなんでしょうか?」

「俺、そんなに頭良くねーからよ? 正直浩太の言っている事が半分も理解できてねーんだよ」

「……それは」

「んで、理解できねーことに手を出すのは趣味じゃねーんだ。わりぃーな」

「……一個目の理由と比べて随分『おざなり』ではありませんか? 必要ならレクチャーも致しますが」

「遠慮しとく。眠くなるだけだからな」

 言葉も無い。困ったような、情けないような顔を見せる浩太に悪いことをしたかと思い、アントニオが頭を掻き、フォローの言葉を入れようとして。

「――何が、『眠くなるから』ですか」

「エンリケ?」

 その言葉を遮ったのは、エンリケ。

「何が、何が眠くなるだけ、なのですか! 兄上、貴方、一体何を仰っているのですか!」

「何をって……でもな、エンリケ? 俺が親父から習った経営のイロハっつうのはこんなもんだ。『本業をサボるな』『巧い話は疑え』『理解できない事に手を出すな』の三つぐらいだかんな。流石に女王陛下やロッテのおっさんまで出しての話だから嘘じゃねーんだろうけどよ? 理解できないし、努力をしたいとも思えない事に、手は――」


「――何の為に私が居るんですか!」


「――……エンリケ?」

「貴方が『数字』が苦手な事は良く分かっています! 貴方が『デザイン』に注力しているのも良く分かっています! ですが、兄上? 私は貴方の知らない事を補佐し、貴方が技術に特化できる環境を作り上げ、築き上げて来た自負があります!」

「……そりゃ……うん、まあ、そうだな。その点は感謝している。身内の贔屓目もあるだろうけど、お前なら俺がパッパラパーでも巧くこなすとも思うぜ?」

「だったら、兄上! この話は受けるべきでしょう! 貴方が『出来ない』と言うのであれば、僭越ながら私がフォロー致します! 万難を排し、この話を必ずや成功に導いて見せます! ですから兄上! どうか考えなおして下さい!」

「さっきも言っただろう? それは理由の三分の一なんだよ。ロート商会の神話は、伝統はどうなるんだよ。忘れたのかよ?」

「伝統が何ですか! 神話が何ですか! そんなモノ、一銭の価値もありませんよ!」

 まるで諭す様に話しかけるアントニオの言葉を遮る様、エンリケが叫ぶ。交差する視線と言葉の熱さとコントラストを描くよう、室内の温度が下がった。

「本気で言っているのか、エンリケ?」

「本気で言っていますよ!」

「……話になんねえよ、お前。金勘定のし過ぎで頭がおかしくなったのか?」

「頭がおかしいのは兄上の方です! 何が伝統ですか! 何が神話ですか! 今、現実問題としてロート商会のアクセサリーは売れていないんですよ? その事実を前に、何時までそんな幻想に縋るんですか!」

「げ、幻想? 幻想だと!? おお、おお! よく言ったな、エンリケ! 俺を前にして見上げた根性だ。ああ、それは褒めてやるよ」

 一息。

「――お前、親父やじーさんの墓の前でそれが言えんのかよ! ロート商会はアクセサリーの神話を捨てて、訳のわかんねー金儲けに走りますって言えんのかよ!」

 人を射殺せそうな鋭い目つきのアントニオ。が、エンリケも怯まない。

「ええ、ええ、言って見せましょう! 父上やお祖父様だけではありません! 御先祖様全員を前にして言ってご覧に見せましょう!」

「て……んめーは! エンリケ! お前、それでもロート家の人間か! 取り消せ! 今なら聞かなかった事にしてやる!」

「取り消しません!」

「なんだ――」


「――従業員だっているんですよ、兄上! 彼らにだって生活があるんです!」


「――……」

「……私だって、ロート家の男です。幼き頃よりロート商会のアクセサリーを見て育った人間です。兄上の仰る、神話も分かります」 

私達だけの話であるのであれば、と。

「……エンリケ」

「生活があるのですよ、兄上。我々は『ロート家』ではないのです。『ロート商会』なのですよ? 従業員だって、従業員の妻だって、子供だっているんです。兄上は彼らに飢えろと仰るのですか? 私はそうは思いません。私は、彼らの生活を守る義務があります。数字の面で、営業の面で、彼らの生活を守らなければならないのです。そして、マツシロ様がお持ち下さったこのアイデアは彼らの生活を守るものです。違いますか?」

「……ちがわねーよ」

「ならば、このアイデアをお受けする以外の良策は有り得ません。兄上、何度でも言って差し上げます。私は従業員とその家族を守る為であれば、神話なんか糞喰らえだと思っております。父上にもお祖父様にもそう言って見せましょう。『エンリケは従業員の生活の為に神話を捨てました』と。例え兄上、貴方に守銭奴と呼ばれたとしても、私は私の信じる道を行きます」

 そこまで喋り、意思の籠った瞳を向けるエンリケ。その視線をじっと受け止めた後、疲れた様にアントニオは溜息を吐いて見せた。

「……なんだかんだ言って、お前はロート家の人間だな」

「そうでしょうか?」

「頑固なところがそっくりだ」

 そう言ってもう一度溜息を吐き、ジロリとした目をエンリケに向けた。

「ただ、俺は聞いてねーぞ?」

「何をでしょうか?」

「そこまでヤバいっつうのは」

「兄上に言っても何も変わりませんから。無駄な心労をかけてもいい仕事が出来る訳ではありませんし……それに、私も父上に言われました。『アントニオには細かい数字の話はするな。アイツはバカだから、嘘でも『大丈夫です』って言っとけ』と」

「……初耳なんだけどよ?」

「初めて言いましたから」

 なんでもない様にさらりとそう言って見せるエンリケに、アントニオが少しだけ身震いをして見せる。

「……俺やっぱり、数字は苦手だ。今までお前が見せてくれてた資料、あれは全部嘘の数字か?」

「そうでもありませんよ。最近は少し……まあ、アレですが」

「数字こえーな、おい」

「数字は怖くありませんよ。怖いのは人間です」

 数字は嘘を吐きませんから、と笑うエンリケに苦笑を浮かべるアントニオ。

「嘘を吐くのは何時だって人間です、って喧しいわ。覚えてろよ、エンリケ」

「まあ、その話はおいおい……それで、兄上?」

 どうでしょうか、と。

 縋る様な視線を向けるエンリケに深く、深くアントニオは息をはき、苦笑とも微笑とも取れない曖昧な笑みを浮かべて見せる。

「……今の話を聞いたら余計に賛成できねーな」

「……なぜ?」

「ロート商会には数字が得意な奴ばっかりじゃねーからよ。俺のアイデアを元に、背中丸めてチマチマチマチマ作ってる人間も居るんだよ。多分、そいつらは俺より数字が苦手だろうしよ? そいつらはどうするよ?」

「……それは……」

「と、言ってもエンリケの話も一理あるしな」

 そう言ってアントニオは悩むように腕を組む。一瞬とも、永遠とも取れる黙考の後、視線を浩太に向けた。

「おい、コータ」

「なんでしょう?」

「さっきの話を俺なりに纏めてみた」

「拝聴します」

「お前の話を聞いた感じじゃ、俺らに求めてんのはその海上保険ってやつの引受と、九人委員会の賛成の二つだろ?」

「そうですね」

「じゃあ、一個だけでも全然良い訳だよな?」

「全然、とは申しませんよ? 両方を受けて頂くのが一番です」

「んじゃ、聞き方を変える。一個だけでも受けて貰った方がありがてーんだろ?」

「……どういう意味でしょうか?」

「両方呑まなきゃこの話はナシ、とはならねーだろって事だよ?」

「……」

 アントニオの言葉に、今度は浩太が肩を落として見せる。

「……そうですね。一つだけでも受けて頂ければ御の字ではあります」

「加えて、海上保険の方は究極、金だしゃイイんだろ? 別に『ロート商会』である必要はねーよな?」

「……そうですね。そうですが……アントニオさん、本当に数字、苦手なんですか? 随分算盤が早いようですが」

「幾ら陛下やあの狸ジジイが絡むって言っても、海のモノとも山のモノともつかねーからな。それに、船なんぞ腐る程あるし、一個一個が決して安いモノじゃねえ。ある程度『金持ち』がノッてこなくちゃ話はすすまねーんだろうし。手放しで金出してくれるところは喉から手が出るほど欲しいだろうが」

「その通りです」

「あんまり舐めんな。これぐらいは分かるぜ?」

 今度こそ、降参。白旗の代わりに両手を挙げて見せる浩太に満足そうに頷き、アントニオは口を開いて。



「つう訳で……エンリケ。お前、独立しろ」



「「「……は?」」」

 爆弾を落とす。期せずして、エンリケ、浩太、綾乃の声がハモった。

「……あ、兄上? な、なにを……ど、独立? わ、私が?」

「そうだ」

「な、なぜ! なぜその様な結論に至るのですか!」

 心底意味が分からない。そう言わんばかりに詰め寄るエンリケに対し、アントニオはポリポリと頭を掻いた。

「お前の言っている事も分かる。ウチで働いてる人間の食い扶持も守らなきゃいけねーのは全くその通りだ。だからエンリケ、お前はそれを……コータの言う、保険っつう分野で商売しろ。エンリケ商会とかいんじゃね?」

「いえ、いんじゃね、ではなく! ならばロート商会のままで行えばいいでしょう!」

「お前がロート商会を守るって言ったように、俺には俺でロート商会の伝統を……神話を守りたいって気持ちもあんだよ。保険屋に鞍替えなんぞ軽々と出来るか。あの世で親父にブッ飛ばされるぞ」

「ですが……」

「だから、俺とお前で別れて商売すりゃいいんだよ。お前は従業員の幸せを守れる、俺は矜持が満たされる。ついでに言えばコータ? お前らもハッピーだろ?」

「……まあ、否定はしません」

「数字の事に関しちゃエンリケの方が俺より数段上だ。エンリケがやるんだったら巧く回すだろうよ」

「あ、兄上!」

「んだよ。良いアイデアだろうが」

「いえ……で、ですが……しょ、職人!」

「あん?」

「職人はどうするんですか! いみじくも兄上、貴方が仰ったことですよ!」

「職人には辞めて貰うかな?」

「や、辞めてって……」

「『ロート商会で腕を磨いた』って看板がありゃ、何処でだってやって行ける……つうか、引く手数多だろうさ。何なら俺が口を利いてもイイしな。独立して自分でアクセサリーを作るってんならエンリケ、金も出してやれ。ウチで随分頑張ってくれたんだし、それぐらいの恩返しはしてやれるだろう? 何ならロート家の財産から出しても良いし」

「で、ですが……そ、そうなったらロート商会! ロート商会はどうするんですか!」

「たたむ」

「た、たたむ……た、たたむ? あ、あにう……たたむ!?」

 言語が言語の意味を為さない、ただただ驚くだけのエンリケの言葉。そんなエンリケにさっぱりした表情を浮かべてアントニオは言葉を継ぐ。

「職人が居なくなりゃ、天下のロート商会でもなんも出来やしねーしな。いっそ潰しちまった方が良いだろ?」

「良い訳ないでしょう! なぜ!? 兄上、ヤケになるのもいい加減にして下さい!」

「別にヤケになってる訳じゃねえよ。実際、『ロート商会』に拘らなきゃこれほどいい案はないだろうが。このままアクセサリー作り続けても、赤字の垂れ流しなんだろう?」

「そ、それは……」

「だったらこの辺りでスパッとたたむのも一興だろう。下手に拗れきっちまう前に、綺麗に終わらせるのも『経営者』の仕事だろうよ」

「そんな……そんな、簡単に……」

「簡単、でもねーけど……まあ、『神話』汚して意地汚く生き残るよりは、そっちのが俺の好みだからな。別に、誰が不幸になる訳でもねーだろ?」

 そう言って視線を再度浩太に向ける。

「どうだ、コータ? このアイデアで保険の引受はさせて貰えるか?」

「……そうですね。そちらについては別段、異論はありません。ですが、アントニオさん? もう一つの……九人委員会の方は?」

「たたんじまったら九人委員会のメンバーから抜ける事になるから、正確には協力できないって方が正しいけどな。まあ、通貨の管理やなんかは俺らが抜けると難しいだろうし、そこの所は俺が個人として引き継いでやらなきゃ不味いだろうから、その分は引き受けようかとは思ってるけど。ただそうなったらきっとコータ、お前の望む展開にはなんねーぜ?」

「反対、と?」

「俺と数人を養うぐらいだったら、通貨発行権は十分『美味しい』からな。俺に霞でも喰って生きろってか?」

「……」

「……」

「……ふう……困りましたね」

 心底困り果てた表情を浮かべる浩太。そんな浩太を少しだけ申し訳なさそうにアントニオは見やった。

「まあ、そういう訳で……もう一回言うわ、コータ。お前が持ってきたアイデア、『ロート商会』として受けるのは反対だ」

「……」

「……」

「……三分の一」

「あん?」

「最後の三分の一、お聞きしていませんでしたね。お聞きしても宜しいでしょうか?」

 そんな浩太の言葉に。


「んなもん、決まってんだろう?」


 アントニオは胸を張って応える。


「大の男の、それもオンナ絡みの不始末の尻拭いに親父が出張るだぁ? こちとら生まれも育ちもラルキアっ子だぞ! んなみっともないマネ出来るか!」


◆◇◆◇◆


「……予想以上に難物だったわね、アレ」

「ああ。色んな意味で斜め上だったな」

『大変申し訳ございませんが……その、もう少しお時間を頂ければ』とエンリケに頭を下げられながら後にした、ロート商会の作業場からの帰り道。心持疲れた様に溜息を吐きながらそう言う綾乃に浩太も溜息で返す。

「何より厄介なのが……言ってる事自体はあながち間違っちゃいないんだよな、アントニオさんって」

「……そうなのよね。雇用の維持も、赤字部門の閉鎖も、経営者としては慧眼だと思うのよ、間違いなく」

「ニーザさんだってイイ大人だしな。そら、アントニオさんが面倒見るのも筋が違うって言えば筋が違うし……」

「にしても、いきなり『んじゃ会社潰すわ』って普通は言わないわよね?」

「オーナー経営者は特にな。そういう意味では……こう、やっぱりちょっと特殊なのか、九人委員会のメンツって」

「他もそうなの?」

「ホテル・ラルキアにしてもベッカー貿易商会にしても、やっぱりトップはトップの威厳があったよ。あの人達と互角に渡り合うんだから、逆に言えばあれ『ぐらい』出来て当然と言えば当然なんだろうけど……」

「ホテル・ラルキアもだけど、ベッカー貿易商会も凄かったの? エミリのお兄ちゃんトコでしょ?」

「エリザさん見りゃ分かるだろうが。あんな九歳児育てた親だぞ?」

「そりゃそうか。確かに普通じゃないわよね」

「……まあ、あそこはまた別の意味で凄いけど」

「そうなの?」

「一言では中々言い表せない様な感じで……まあ、凄い」

「そこを敢えて一言で言うと?」

「…………ファミコン?」

「カルタ屋さん?」

「ファミリー・コンプレックスの略。多分、あの家は家族が好きすぎると思う」

 浩太の言葉に微妙な表情を見せる綾乃。ベッカー家の『アレ』は経験者で無いと分からない所もある。

「良く分かんないけど……ま、いいわ。そんで? 取り敢えずあの『規格外』をどうすんのよ? なんか腹案、あんの?」

「あると言えばあるし、無いと言えば無い……かな?」

「おっと。珍しく弱気な発言じゃん」

「いつだって基本、弱気だぞ俺? 知ってるだろう?」

「そっか」

 一息。

「…………そうか?」

「おい」

「日本ではともかく、こっちのアンタってどっか自信満々で渡ってきてるイメージがあるんだけどね? エリカにしてもエミリにしても、ソニアちゃんにしたってベタ褒めだし。個人的にはアレだけど、今回だってポンポン作戦出てたじゃん」

「あー……まあ、ある程度はそういう風に振る舞ってた節もあるけどな。ちなみに、個人的にはダメ出ししたい感じ?」

「投資スピードの速さは気になる感じ。矢継ぎ早がダメとは言わないけど、次の手打つなら足元落ち着かせてから取り組みたいのが本音の所。でも、時間が無いから仕方ないかな、ってラインで揺れる乙女心、みたいな?」

「乙女関係ないな、それ。銀行員心じゃね?」

「そうとも言う。結論から言えば、基本路線では賛成かな? そんで? 皆を騙して――」

「騙したって言うな! 演じてたんだよ、人聞きの悪い! 『大きく見せる』ってのも必要だから! まあ……それで大失敗してるから、もうコリゴリだけど」

「あー、それはちょっと残念。もうちょっと早くテラに行っとくべきだったか」

「どういう意味だよ?」

「だってあの浩太が『ふ……俺様の策に酔いな』とか言ってんでしょ?」

「言ってねーよ! キャラ変わってんじゃんか、俺!」

「いいのよ、そこは。ともかく、そんな『格好イイ』浩太をちょっと見てみたかっただけ。くそー。もうちょっと早くテラに行っていれば……悔やまれる……」

「そんな本気で悔しそうにすんな。つうかお前が居たら絶対やんねーから」

 苦虫を噛み潰した様な表情を見せる浩太に、綾乃の口角がニヤニヤとイヤらしい感じに上がり、もう一匹、浩太が苦虫を噛み潰す。

「そんなツレナイ事言わないでさ~。見せてよ、『イケメン浩太』」

「みせねーって」

「ん? んん? あ、まさか馬鹿にするって思った? 大丈夫、大丈夫。私も空気は読むから。浩太が頑張ってエエ恰好しぃしてる時は茶化さずに神妙な顔をしといてあげる」

 ニシシと笑う綾乃に、もう一度浩太は溜息。

「その辺りは信用してる。お前はシリアスも出来る子だ」

「でしょ?」

「だけどな? なんでお前の前でいい恰好しなくちゃいけないんだよ」

 何の気なしに漏れた浩太の言葉。普通なら流せるはずのその言葉を敏感に拾い上げ、綾乃が噛みついて見せた。

「……あれ? あれあれ? 何だろう、ちょっとカチンと来たよ? なーに? 私の前ではいい恰好したくないって事? どういう意味かな? 返答次第じゃタダじゃおかないわよ?」

「……何と戦ってるんだ、お前は」

「主に尊厳とか、その辺りと」

 綾乃的には面白くないのも、まあ当然であろう。エリカやエミリ、或いはソニアの前で――まあ、浩太の意見は置いておくとして――格好つける、という事は、裏を返せば格好良く見られたいという解釈が成り立つのである。にも拘わらず、綾乃の前で格好をつけないという事は即ち、別に綾乃にはどう見られても良いという解釈も成り立つ訳で。

「面白くないじゃん、そんなの」

 揺れるのである、乙女心は。

「……面倒くさい奴だな、お前は」

 そんな綾乃の心情を知ってか知らずか、浩太が言葉通りに面倒くさそうに頭を掻く。

「面倒くさいって……アンタね!」

「いや、面倒くさいだろう。今のお前の相手もだけど……なんでお前の前でまで一々虚勢張らなきゃいけねーんだよ」

「張りなさいよ! たまにはこの私に惚れ直させるぐらいのイケメンっぷりを見せなさいよね! アクセサリーも買って貰ってないし!」

「アクセサリーから離れろ! つうかな!」

「何よ!」

「お前の前でまで虚勢張ってたら、俺は何処で息抜きすりゃいいんだよ!」


「……は?」


 ――不意打ちはズルい、と綾乃は思う。

「……綾乃? どうした? 顔、真っ赤だけど。大丈夫か?」

「ななななななんでもないでおじゃる!」

「……うん、大丈夫じゃないな? どっかで休むか?」

「本当になんでもない! 大丈夫だから!」

 両手をワタワタと振りながら、綾乃は早鐘の様になる心臓を抑える事に全神経を注ぐ。こんのヤロウ、いきなりなんて事言いやがんだ、嬉しくなるだろうが、このバカ! と心の内で思いなが――


「……息抜き……えへへ……浩太の安らぎの場所……えへへへ……」


 ――訂正、駄々漏れだった。

「……あー……綾乃?」

 ちなみに、浩太的には『お前にだけは本当の自分を見せたいんだ』みたいな、そんな甘ったるい事を言ったつもりは毛頭ない。言うなれば、高校デビューでイキがっている男子が、家族ぐるみの付き合いをする幼馴染の前では昔の姿に戻る感覚が近しいと言えば近しい。主に、『今更』感が半端ないという意味だ。

「分かってる、分かってる。皆まで言うな、浩太さんや」

 勿論、綾乃だってそんな事は百も承知である。此処で単純に『えへへ』と笑って勘違い出来れば可愛げもあるが、残念ながら綾乃はヒロイン力の低い女性だ。散々上司に怒られ、怒鳴られ、小突き回されている浩太を見ているのだ。こっちだって今更感は半端ない。半端ないが。

「それでもまあ、そう言って貰えるのは嬉しいモンだったりするんだよね~」

『自分にだけは本当の自分を見せてくれている』という、ある種の優越感的なモノだって、あるっちゃあるのだ。なまじ、拠り所の多くがそこにあるだけに。

「うん、今日は良い日だ! 二個も良い事あったし!」

「二個?」

「さっきのと……さっきの」

「日本語が不自由です、綾乃さん」

「さっき、ロート商会でエンリケさんが暴走したじゃん」

「あの人ずっと暴走してた気がするけど……最初か?」

「そ。あんときさ、アンタ、エンリケさんと私の間に体入れて庇ってくれようとしたでしょ?」

「……そうだっけ? 無意識だったけど……」

「そこ」

「どこ?」

「それがちょっと『きゅん』ってきた。多分、無意識だろうなって思ったから余計に」

「……安い奴」

「燃費良いから、私。あと浩太? そんなつっけんどんな態度取ってても、体は正直ね? 顔、真っ赤だよ?」

「言い方! ったく……うるせーよ、バーカ。話、戻すぞ? ともかく、アントニオさんを説得しなきゃ話が前に進まない。他の九人委員会を当たるのも手ではあるけど……それじゃあんまりにも時間がかかり過ぎる」

「ベッカー貿易商会とかホテル・ラルキアぐらいのレベル相手じゃ厳しいか」

「正直な。時間とカードがあればまた別の話になるんだろうけど……無いモノねだりをしても仕方ないし」

「んじゃ、あるカードで回すって事?」

「そういう事」

「どうやって?」

「アントニオさんは別に、通貨の発行権に対して反対とは言ってないだろ?」

「……言ってたじゃん。『俺に霞を食えっていうのか』って」

「それはロート商会を潰したら、の話だろ? 名誉回復だってしないよりはした方が良い、でも、『海上保険』じゃ嫌だって話だし」

「……ああ、何か分かって来た」

「そうか? んじゃ、解答をどうぞ」

「結局、アントニオさんの言ってた『神話』っていう方の名誉を回復させるって事でしょ? あの駆け落ちを『無かった事』にして……そうね、『駆け落ちの呪い』じゃなく『困難を乗り越えて結ばれた二人』っていう新しい神話で上書きしてあげればいいって事でしょ?」

「ご名答。要は『アクセサリー』で名誉回復出来ればアントニオさんは乗ってくる……可能性は高いと思う。違うかな?」

「ん……うん、それは私も思う。そうなればきっとエンリケさんのフォローも入るだろうし、何より反対する理由が無いよね、アントニオさん」

「だろう? だから、俺らがやるのはソコだ。ニーザさんとアイリスさんの仲を取り持ち、ファーバー伯爵に認めさせ、その上で保険の引受の提案をすれば……ロート商会はきっと俺たちの味方をしてくれる」

 どうだ? と問いかける視線を向ける浩太。そんな視線を受けて、綾乃は視線を返す。

「……ねえ」

「なんだ?」

「結局……当初案と何にも変わんない、って事?」

 ジトッとした視線を。

「だから言ったろ? あるっちゃあるし、無いちゃ無いって」

 そんな綾乃の言葉に肩を竦めて見せる浩太。そんなに簡単にポンポン策が湧いて来るのであれば、浩太もこんなに苦労はしないのである。

「……無駄な時間、過ごした?」

「無駄な時間じゃないさ。少なくとも、俺はやる気出たぞ? 具体的には、人の色恋に真面目に首を突っ込む気になった。今まで『胸焼けするんですけど!』とか思ってたけど」

「褒めればイイの? 貶せばイイの?」

「スルーが有り難いかな。あんまり、人に胸張って自慢できる事じゃないしな、コレ。どうだ? なんか穴があるかな、この作戦」

「……そうね」

 顎に手を当てて、綾乃は黙考。

「……作戦って呼べるほどのモノじゃないこと以外は、まあいい案なんじゃない? 目標が明確になったし」

「そっか」

 そう言って肩を竦めて。

「……まあ、お前がそう言うんなら大丈夫なんだろうな」

浩太はもう一度ふんわりと笑んで見せた。

「さて、それじゃそろそろ帰ろうぜ? もう日も暮れる――って、おい! バカ、何やってんだよ!」

 その笑顔を、驚愕に変える。そんな浩太の表情の変化を面白そうに眺め、右腕に抱き付いたまま綾乃は笑みを浮かべた。

「腕に抱き付いてみた」

「見りゃ分かるよ! んじゃなくて! なんで腕に抱き付く必要があんだよ!」

「いや~、ちょっと嬉しくなっちゃったんで、つい。ソニアちゃんに勝ったと思いまして」

「お前までエリカさんみたいな事言うなよな! 十歳児とガチ喧嘩とかマジで勘弁してくれ! あと嬉しかったら抱き付くお前の貞操観念を小一時間問い詰めたいぞ、おい! 恥ずかしいから早く離れろ!」

「あによ~。良いでしょ、別に! ホラ、行くわよ!」

 浩太の怒りもどこ吹く風、相変わらずにこにこ顔を浮かべる綾乃。こうなったら梃子でも動かない事を経験上良く知っている浩太は諦めたように嘆息し、帰路につく。不機嫌そうな顔を浮かべる浩太の顔を眩しそうに眺め、綾乃がポツリと。


「……良い事、三つになっちゃった」


 聞こえるか聞こえないか程度の小さな声。その声に反応した浩太が訝しげな顔を見せる。

「あ? なんか言ったか?」

「この姿をエリカに見られたらどうなるかな~って言ったの」

「……? ……――っ! お、お前、やっぱり離れろ! 洒落になんねーだろ、それ!」

「やですよーだ! さ、キリキリ歩け!」

「それ、罪人引っ立てる時だろうが! やめろ! マジでやめろーー!」

 自身の隣から聞こえる絶叫を軽く受け流しながら、綾乃は楽しそうに、そして嬉しそうにゆっくりと歩みを進めた。


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