第104話 地下で鳴る分水鐘
第103話では、乾いた川底へ突然流れ込んだ濁水の原因を追い、上流で一時的な雪泥ダムが崩れた可能性が分かりました。
しかし、それだけでは貯水池の水が一晩で消えた理由までは説明できません。
さらに上流の旧雪室群で、地下へ水が流れ込む穴が見つかります。
その奥から聞こえたのは、失われたはずの「分水鐘」の音でした。
第104話では、旧雪室群の地下に残る分水の仕組みを調べます。
ちりん。
地下の奥で、また鐘が鳴った。
小さな音だった。
けれど、乾いた高原の上では妙にはっきり聞こえる。
カナタは穴の縁に膝をつき、目を見開いていた。
「本当に鳴ってる……」
高原道の老人は、顔をこわばらせたまま呟いた。
「分水鐘だ。昔、季節水を分ける時に鳴ったと聞いた」
オルガが老人を見る。
「聞いたって、見たことは?」
「ない。俺が子どもの頃には、もう雪室は閉じられていた」
「じゃあ、おとぎ話じゃない?」
「おとぎ話なら、今鳴らん」
それはそうだった。
リリィは穴の奥を覗き込む。
石床の崩れた下に、暗い水路がある。
水は細い。
だが、速い。
貯水池へ向かうはずの水ではなく、南西へ流れている。
コピが測定値を表示した。
「水温は低く、雪解け水由来の可能性が高いです。流量は小さいですが、継続しています」
カナタが立ち上がる。
「入る」
オルガが即答した。
「だめ」
「まだ何も言ってない!」
「言ったよ。入るって」
「見ないと分からないでしょ!」
「落ちたら分からないまま終わる」
カナタは悔しそうに口を閉じた。
リリィは二人の間に入る。
「まず、外から見よう。中へ入るのは安全が分かってから」
カナタは穴を睨みつけたまま、小さく頷いた。
ファルコンが小型観測機を出す。
指先ほどの大きさの球形機。
灯りと測定器を持ち、水面の少し上を飛べる。
「これなら奥へ行ける」
コピが接続する。
「内部映像を観測塔へ送ります」
観測機が穴の中へ入った。
暗闇に光が落ちる。
石積みの壁。
冷たい水。
古い木枠。
苔ではなく、白い鉱物の筋。
そして、少し先に青銅色の小さな鐘が吊るされていた。
水路の上に渡された梁から、細い金属棒が下がっている。
水が一定量流れるたび、棒が揺れ、鐘を叩く。
ちりん。
目の前で、鐘が鳴った。
カナタは息をのむ。
「機械仕掛け……?」
コピが答える。
「はい。水流で鳴る警告装置です。鐘の間隔から流量を推定できる構造と思われます」
老人が静かに言った。
「昔の人は、音で水を読んだのか」
アルセリウスが通信越しに頷く。
「記録板がなくても、耳で流れを共有できる仕組みね」
カナタは少しだけ悔しそうに呟いた。
「観測塔より古いのに、まだ動いてる」
リリィは苦笑する。
「古いからこそ、単純で残ったのかも」
観測機はさらに奥へ進む。
水路はすぐに広い石室へ出た。
そこには、三つの水門が並んでいた。
左の門には、草の印。
中央の門には、雫の印。
右の門には、葦の印。
コピが地図と照合する。
「左は牧草地方面。中央は貯水池方面。右は旧湿原方面と推定されます」
ミラがいれば喜びそうな構造だった。
雪室に溜めた水を、三方向へ分けるための石の分水室。
季節水は、ただ流れていたのではない。
草地、貯水池、湿原へ分けられていた。
カナタは食い入るように画面を見る。
「こんなの、観測塔の記録にない」
老人が首を振る。
「昔は、観測塔より雪室番の方が水を知っていたのかもしれん」
「じゃあ、どうして消えたの」
誰もすぐには答えなかった。
使う人がいなくなった。
記録が引き継がれなかった。
壊れて危険になった。
新しい水路に置き換えられた。
理由はいくつも考えられる。
でも今、問題なのは過去ではない。
現在、水がどこへ流れているかだった。
観測機の映像に、三つの門の状態が映る。
左、草の門。
半分閉じている。
中央、雫の門。
ほぼ閉じている。
右、葦の門。
大きく開いている。
コピが表示した。
「現在の主流は、旧湿原方面へ流れています」
カナタが目を見開く。
「でも、湿原は乾いてる!」
「はい。つまり、旧湿原方面へ流れているにもかかわらず、湿原へ届いていない可能性があります」
リリィは画面を見つめた。
水は旧湿原方面へ流れている。
でも湿原は乾いている。
なら、その途中でまた消えている。
オルガがため息をついた。
「水、迷子になりすぎじゃない?」
カナタが拳を握る。
「迷子じゃない。どこかに盗られてる」
その言葉に、空気が変わった。
盗られている。
自然の崩れや故障ではなく、誰かが水を奪っている。
カナタの声には怒りが混じっていた。
コピは慎重に言う。
「人為的操作の可能性はあります。ただし、現時点では断定できません」
「だって中央の門が閉じてる! 貯水池に来ないのは、そのせいでしょ!」
「可能性はあります」
「じゃあ、開ければ——」
「開けてはいけません」
コピの声は静かだった。
だが、はっきりしていた。
カナタが振り返る。
「なんで!」
コピは三つの門の先を表示する。
「現在、葦の門の先へ水が流れています。その先が詰まっている場合、中央の門を急に開けると、水位差が変わり、分水室内の圧力が乱れます。石室の崩落、濁水の再流出、貯水池縁の破壊が起きる可能性があります」
カナタは歯を食いしばった。
「じゃあ、見てるだけ?」
リリィが言った。
「違う。まず、どこへ消えてるか探す」
老人が右の門の印を見つめる。
「旧湿原道か……」
「知っているんですか?」
「湿原へ行く道は二つあった。地上の湿原道と、地下の水道。地下の方は、昔の地滑りで閉じたはずだ」
コピが反応する。
「地滑りの位置は分かりますか」
老人は地図の南西を指した。
「この辺りだ。葦鳴き谷」
カナタが眉を寄せる。
「葦鳴き谷って、立入禁止区域じゃない。地面が薄くて危ないって」
オルガがリリィを見る。
「行き先、決まったね」
リリィは頷く。
「でも、今日は入らない。まず外から見る」
カナタが何か言おうとしたが、今回は飲み込んだ。
少しずつだが、危険な場所で走り出すのを我慢し始めている。
観測機は分水室をさらに調べた。
すると、中央の雫の門の横に新しい傷が見つかった。
古い石や錆びた金具とは違う。
比較的新しい擦り跡。
誰かが棒か工具を差し込んだような跡だった。
コピが拡大する。
「中央門の操作部に新しい接触痕。発生時期は不明ですが、周囲の風化状態より新しいと見られます」
カナタの顔が強張る。
「やっぱり誰かが閉じたんだ」
「断定はできません」
「でも!」
リリィはカナタの肩へ手を置いた。
「怒るのは後。今は証拠を集めよう」
カナタは悔しそうに黙った。
だが、その目は分水室の映像から離れない。
コピが続ける。
「葦の門にも、操作痕があります。こちらも比較的新しい」
老人が驚く。
「旧雪室に入れる者など、今はいないはずだ」
オルガが穴を見た。
「この入口からは無理そうだけど、別の入口があるかもね」
ファルコンが旧雪室の上空地形を表示する。
雪室群の裏側。
崩れた斜面。
古い作業道。
そして、地図にない小さな窪み。
「北側に、別の空洞反応がある」
カナタがすぐに言った。
「行く」
オルガもすぐに言う。
「今は行かない」
「なんで!」
「日が落ちるから」
実際、外はもう夕方だった。
高原の夕暮れは早い。
風も冷え始めている。
ここから地図にない空洞へ向かうのは危険だった。
リリィが決める。
「今日は入口を封鎖しない。けど、見張りを置く。観測機は分水室手前で待機。明日の朝、北側の空洞を調べよう」
コピが頷く。
「推奨します」
カナタは納得していない顔だった。
それでも、今回は走らなかった。
「……分かった。でも明日、絶対行くから」
「うん。準備して行こう」
夜、旧観測拠点リューネに戻ると、小さな確認会が開かれた。
カナタは分水室の図を広げる。
三つの門。
草。
雫。
葦。
そして、現在開いているのは葦の門。
貯水池へ向かう雫の門は、ほぼ閉じている。
牧草地方面の草の門も半分だけ。
牧草地の代表が声を荒げた。
「つまり、貯水池にも牧草地にも、水が来ないようになっていたのか!」
老人が静かに言う。
「落ち着け。昔の仕組みが壊れて、そうなっただけかもしれん」
「新しい傷があると言っただろう!」
カナタも顔を伏せる。
彼女も同じことを思っていた。
誰かが触った。
誰かが水を変えた。
コピが表示を出す。
「現時点で確認できた事実は三つです」
一、旧雪室群の地下に分水室がある。
二、現在の水は主に旧湿原方面へ流れている。
三、門の操作部に比較的新しい接触痕がある。
「人為的操作の可能性はあります。ただし、目的は不明です。水を奪ったのか、湿原へ戻そうとしたのか、崩壊を避けるために閉じたのか、判断できません」
リリィはその言葉に頷いた。
悪意と決めつけるには早い。
第三部でもそうだった。
閉じた水門には恐れがあり、流した泥には事情があった。
ここでも同じかもしれない。
でも、放っておけないのも事実だった。
その夜。
観測塔の簡易寝台で、リリィはなかなか眠れなかった。
外では高原の風が鳴っている。
旧雪室群の地下では、分水鐘が今も時々鳴っている。
ちりん。
水が流れている音。
本来なら、人々へ季節水の動きを知らせる音。
けれど今は、不安を知らせる音に聞こえる。
カナタは机に突っ伏して眠っていた。
手元には、分水室の写しがある。
雫の門の上に、彼女の文字でこう書かれていた。
なぜ閉じた?
リリィはその文字を見た。
誰が。
ではなく。
なぜ。
それを聞けるかどうかで、この高原の未来は変わる。
夜明け前。
コピの端末が静かに光った。
「リリィ。起きてください」
「どうしたの?」
「旧雪室群の観測機から信号です」
眠っていたカナタも、跳ね起きた。
「分水室?」
コピが映像を出す。
暗い石室。
三つの門。
そのうち、中央の雫の門の前で、水面が揺れていた。
そして、画面の端に何かが映る。
細い金属棒。
誰かが差し込んでいる。
カナタが叫んだ。
「誰かいる!」
映像の向こうで、分水鐘が鳴った。
ちりん。
その直後、中央の雫の門が、ほんの少しだけ動いた。
貯水池へ向かうはずの門が。
誰もいないはずの地下で。
第104話では、旧雪室群の地下に残る分水室を調べました。
分水鐘は魔法的なものではなく、水流で鳴る機械式の警告装置でした。
地下には三つの門があり、草地、貯水池、旧湿原へ水を分けていた可能性があります。
しかし現在、貯水池へ向かう雫の門はほぼ閉じており、水は主に旧湿原方面へ流れていました。
しかも、門の操作部には比較的新しい傷が残っていました。
誰かが意図的に水を変えたのか。
それとも、壊れかけた仕組みを何とかしようとしたのか。
まだ分かりません。
次回は、夜明け前の分水室に現れた謎の人物、そして少しだけ動いた雫の門を追います。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




