第103話 水は来た。けれど、飲めない
第102話では、北方高原の旧観測拠点リューネへ到着しました。
そこでは、本来戻ってくるはずの雪解け水が途切れ、貯水池の水も一晩で消えていました。
さらに終盤、乾いた川底へ突然、冷たい濁った水が流れ込んできます。
水が戻った。
そう思った直後、コピは告げます。
それは通常の雪解け水ではない、と。
第103話では、突然流れ込んだ濁水への対応と、その水がどこから来て、どこへ消えるのかを追います。
水が来た。
それだけなら、喜ぶ場面だった。
乾いた川底に、白く濁った水が走る。
ひび割れていた土が濡れ、貯水池へ向かって流れ込む。
高原ヤギたちは水音に反応し、鳴きながら近づこうとした。
「近づけるな!」
オルガが叫んだ。
牧草地の男たちが慌ててヤギを押し戻す。
子ヤギを泥から助けたばかりだ。
今度は濁った水に足を取られるかもしれない。
カナタは水位板へ走ろうとした。
「水位を見ないと!」
リリィが腕を掴む。
「今は近すぎる!」
「でも、記録が——」
「生きてないと記録できない!」
カナタは言葉に詰まった。
その間にも、水は貯水池へ入っていく。
最初は細い流れだった。
だが、後ろから押されるように量が増え、乾いた川底の土を削り始める。
コピが警告を出した。
「水温、低。濁度、高。細かな砂と氷片を含みます。飲用、家畜用ともに現時点では不適です」
牧草地の代表が目を見開く。
「水なのに、飲ませられないのか!」
「腹を壊す危険があります。泥と細菌、鉱物成分の確認が必要です」
オルガが小声で言った。
「水が来たのに飲めないって、きついね」
リリィは貯水池を見た。
水は入っている。
でも、安心にはつながっていない。
ミラが貯水池の縁へ目を向けた。
「このままだと、あの弱い場所が崩れる」
昨日、水が抜けて泥が乾き、縁はもろくなっている。
急に流れ込めば、貯水池の一部が割れて、別の場所へ水が逃げるかもしれない。
「流れを弱めよう」
リリィが言った。
「どうやって?」
カナタが聞く。
コピが周囲を確認する。
「石、古い柵板、麻袋があります。川底へ直接大きな堰を作るのではなく、流れの勢いを分ける小さな段を三つ作ります」
ミラが頷く。
「水を止めるんじゃなくて、転ばせる感じだね」
オルガが柵板を担ぐ。
「よし、力仕事なら任せて」
高原道の老人が、倉庫から古い麻袋を運んできた。
「砂利を詰めれば使える」
牧草地の人々も動き出す。
水が来たと喜ぶ前に、水を暴れさせない。
それが最初の仕事だった。
三つの小さな段は、貯水池の手前に作られた。
一つ目で流れを割る。
二つ目で泥を落とす。
三つ目で貯水池へ入る速度を弱める。
大きな設備ではない。
手で動かせる石と袋と板だけだ。
それでも、白い濁流の勢いは少し落ちた。
ファルコンが上空から報告する。
「貯水池への直撃は避けられた。縁の崩れも止まっている」
カナタはようやく水位板へ近づいた。
今度はロープ付きで、オルガが後ろから支えている。
「水位、上昇。けど、濁りがひどい」
「記録して」
リリィが言う。
カナタは頷き、震える手で記録板へ数字を書いた。
その横で、コピが水を採取する。
「通常の雪解け水より粒子が細かいです。氷下の堆積物を含んでいる可能性があります」
ソウマがいれば、きっと海の色で何か言っただろう。
ここでは、カナタが水の匂いを嗅いだ。
「鉄っぽい。あと、古い石室みたいな匂い」
「石室?」
リリィが聞く。
カナタは上流を指差した。
「昔の雪室跡がある。氷を保存してたって聞いた。今は立入禁止だけど」
コピが地図を更新する。
「上流に旧雪室群。記録に追加します」
リリィは胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
雪解け水が戻らない。
貯水池の水が一晩で消える。
突然、冷たい濁水が流れ込む。
上流には旧雪室群。
偶然にしては、線が多すぎる。
水量は一時間ほどで落ち着いた。
貯水池には水が戻った。
しかし、白く濁ったままだ。
家畜はまだ飲めない。
人も使えない。
牧草地の代表が肩を落とした。
「水があるのに、使えないのか……」
カナタが唇を噛む。
「でも、どこから来たか分かれば、次は備えられる」
言い方は強い。
けれど、その声は少し震えていた。
リリィは彼女を見た。
「上流を見に行こう」
カナタはすぐに頷いた。
「案内する」
「危険な場所は?」
「ある」
即答だった。
オルガが顔をしかめる。
「そこは少し迷ってほしかった」
「迷ってる暇ない」
「いや、ある。危ないなら準備する」
カナタは言い返そうとして、昨日子ヤギを助けた時の泥を見た。
そして、小さく息を吐いた。
「……分かった。準備してから行く」
少しだけ、学習していた。
上流調査に向かったのは、リリィ、コピ、オルガ、ファルコン、カナタ、そして高原道の老人だった。
川底沿いに歩く。
水はすでに細くなっていた。
ただし、通った跡ははっきり残っている。
乾いた土が削られ、白い砂が薄く積もっていた。
カナタがそれを見て呟く。
「普通の雪解けなら、こんな筋は残らない」
老人が杖で地面をつつく。
「これは、上で溜まったものが一気に来た跡だ」
オルガが周囲を見る。
「つまり、上流で水がせき止められてた?」
コピが答える。
「可能性は高いです」
しばらく進むと、川底の脇に倒木と氷の塊が散らばっていた。
氷は白く濁り、泥を含んでいる。
ファルコンが上空から言った。
「さらに上に崩れた雪の壁がある」
斜面の一部が崩れ、雪と土と枝が川を塞いでいた跡。
そこに水が溜まり、限界を超えて破れた。
だから、短時間だけ冷たい濁水が流れた。
コピが分析する。
「一時的な雪泥ダムの破断です。第102話終盤の濁流は、これが原因と見てよいでしょう」
カナタが息を吐く。
「じゃあ、季節の水が来ない理由もこれ?」
「一部はそうです」
「一部?」
「この規模では、貯水池の水が一晩で消えた理由までは説明できません」
空気が少し重くなった。
濁流の原因は見つかった。
だが、一番の謎は残っている。
貯水池の水は、なぜ消えたのか。
さらに上流へ進む。
旧雪室群は、山肌に掘られた低い石造りの小屋だった。
半分は崩れ、入口には立入禁止の古い札が倒れている。
冷たい風が、奥から吹いていた。
オルガが警戒する。
「中には入らないよ」
カナタが不満そうにする。
「見るだけなら——」
「入らない」
オルガの声が強い。
カナタは口を閉じた。
コピが入口の前で温度と湿度を測る。
「内部に氷が残っている可能性があります。さらに、水音があります」
リリィが耳を澄ませる。
確かに、奥から小さな音がする。
ぽた、ぽた。
それだけではない。
もっと低い場所で、細い流れが続いている。
「水が中を通ってる?」
カナタが目を見開く。
老人が顔色を変えた。
「ここは昔、雪を保存するだけの場所ではなかったのかもしれん」
コピが壁面を照らす。
石の隙間に、古い記号が刻まれていた。
雪の印。
水滴の印。
そして、下向きの矢印。
ミラはいない。
だが、リリィにも分かった。
これはただの倉庫ではない。
水をどこかへ送る構造だ。
コピが低く告げる。
「旧雪室群は、雪解け水の一時貯留と分配を兼ねていた可能性があります」
カナタが呟く。
「そんな記録、観測塔にはない」
「失われたのでしょう」
港の旧雨水樋門と同じ。
使われなくなり、記録から消え、現地だけに残った構造。
カナタは奥へ踏み出しかけた。
その瞬間、足元の石の下で音がした。
ごぼっ。
濡れた空気が吹き上がる。
オルガがカナタを引き戻した。
「下がって!」
石床の一部が崩れ、黒い穴が開いた。
穴の底には、水が流れていた。
細く、速く、暗い。
貯水池へ向かう川ではない。
別の方向へ流れている。
コピが即座に地図を出す。
「流向、南西。貯水池ではなく、地下水路へ向かっています」
リリィの背筋が冷えた。
季節の水は、戻ってこないのではない。
戻る前に、地下へ抜けている。
カナタは穴を見下ろした。
「これが……貯水池の水を吸った?」
「可能性があります」
コピが答える。
「ただし、この地下水路がどこへつながるかは不明です」
その時、穴の奥から風が吹いた。
冷たい風。
そして、かすかに金属が鳴る音。
ちりん。
ちりん。
カナタの首に下げた観測笛が揺れたのかと思った。
だが違う。
音は、穴の向こうから聞こえている。
老人が青ざめた。
「まさか……まだ動いているのか」
リリィが振り向く。
「何が?」
老人は震える声で答えた。
「昔の分水鐘だ。季節水を分ける時に鳴ったという、地下の鐘だ」
カナタが目を見開く。
「そんなの、おとぎ話でしょ」
穴の奥で、もう一度音が鳴った。
ちりん。
誰も触れていない地下で。
失われたはずの鐘が、確かに鳴っていた。
第103話では、突然流れ込んだ濁水への応急対応を行いました。
水は戻りましたが、冷たく濁っており、そのままでは人も家畜も使えません。
上流調査の結果、一時的な雪泥ダムが破れたことで、冷たい濁水が流れ込んだ可能性が高まりました。
しかし、それだけでは貯水池の水が一晩で消えた理由までは説明できません。
さらに上流の旧雪室群で、雪解け水を地下へ流す古い水路らしき穴が見つかります。
そして穴の奥から聞こえたのは、失われたはずの「分水鐘」の音でした。
次回は、旧雪室群と地下水路、そして季節水を分けていたという分水鐘の正体へ迫ります。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




