第102話 季節の水が戻らない
第三部では、旧沿岸都市群を舞台に、海、港、雨水、黒泥、山、湿地、水源をつなぎ直してきました。
第四部では、舞台を北方高原へ移します。
旧観測拠点から届いた短い通信。
「季節の水が、戻ってこない」
それは、雪解けの水が来ないという知らせでした。
水が来なければ、草原は乾き、家畜は移動できず、川は細り、下流の都市にも影響が出ます。
第102話から、リリィたちは北方高原の巡回へ向かいます。
北方高原からの通信は、短かった。
季節の水が、戻ってこない。
それだけだった。
差出人の名も、詳しい状況もない。
ただ、旧観測拠点の識別信号だけが添えられている。
リリィは端末を見つめた。
「季節の水って、雪解け水のこと?」
コピがすぐに地図を開く。
「可能性が高いです。北方高原では、冬に積もった雪が春から夏にかけて溶け、草地、湿原、支流へ水を供給します」
オルガが首を傾げる。
「それが戻ってこないって、雪がないの?」
「不明です。雪が少ない、溶ける時期がずれた、上流で止まっている、地下へ抜けている、いくつかの可能性があります」
ファルコンが翼を広げる。
「見に行くしかないな」
アルセリウスが静かに頷いた。
「海の次は、高原の水脈ね」
リリィは沿岸の港を振り返った。
ナギたちはもう動き始めている。
潮を見る人。
雨水を見る人。
黒泥を見る人。
生き物の道を見る人。
なら、ここにずっと残る必要はない。
「行こう」
リリィが言うと、コピはすぐに巡回経路を表示した。
目的地は北方高原、旧観測拠点リューネ。
かつて季節水を測っていた場所。
今では、半分忘れられた高原の端にある。
移動には一日かかった。
沿岸の湿った風は遠ざかり、空気は少しずつ乾いていく。
地面の色も変わった。
緑の濃い低地から、薄い草の広がる高原へ。
遠くには白い山脈が見える。
だが、リリィはその白さに違和感を覚えた。
「雪、少なくない?」
コピが山脈を拡大する。
「過去記録と比較すると、同時期の残雪面積は約六割です」
オルガが空を見上げる。
「やっぱり雪が少ないんだ」
「それだけでは説明しきれません」
「え?」
「残雪が六割なら、水量も減る可能性はあります。しかし、旧観測拠点からの信号は“少ない”ではなく“戻ってこない”です」
リリィはその言葉に眉を寄せた。
少ないのではない。
戻ってこない。
まるで、本来来るはずのものが、どこかで消えたような言い方だった。
旧観測拠点リューネは、草地の丘の上にあった。
石造りの低い塔。
風車の骨組み。
壊れかけた水位板。
その周囲には、乾いた草が広がっている。
本来なら、塔の下に細い流れがあるはずだった。
だが、そこには白くひび割れた川底だけが残っていた。
「川がない……」
オルガが呟く。
その時、塔の入口から一人の少女が飛び出してきた。
短い外套。
首に古い観測笛。
髪は風で乱れている。
「遅い!」
第一声がそれだった。
リリィは少し驚く。
「えっと、通信をくれたのはあなた?」
少女は頷いた。
「カナタ。旧観測拠点リューネの見習い記録係」
ナギとは違う。
もっと気が強く、言葉が速い。
カナタは乾いた川底を指差した。
「ここ、三日前まで水が少しだけあった。でも昨日の朝、完全に消えた」
コピが確認する。
「水位記録はありますか」
「ある。でも、半分手書き。自動計は壊れてる」
「見せてください」
「その前に来て」
カナタは説明を待たず、塔の裏手へ走った。
リリィたちも後を追う。
塔の裏には、小さな貯水池があった。
いや、貯水池だった場所と言うべきかもしれない。
底には泥が乾いて割れ、中央に水たまりが一つだけ残っている。
その周りで、数頭の高原ヤギが鳴いていた。
水を飲もうとしているが、泥が深く、近づけない。
一頭の子ヤギが足を取られ、動けなくなっていた。
「まずい!」
オルガがすぐに飛び出す。
リリィも追う。
泥は見た目より柔らかい。
オルガがロープを投げ、リリィが岸から支える。
ファルコンが上から位置を知らせた。
「左へ二歩! そこは沈む!」
子ヤギは弱々しく鳴いた。
オルガが泥へ片足を入れ、ロープを子ヤギの胴へ回す。
「引いて!」
リリィ、カナタ、ハルトたちが一斉に引く。
ずるり、と泥が音を立てた。
子ヤギが岸へ引き上げられる。
オルガも泥だらけになりながら戻ってきた。
「うわ、最悪……」
カナタは子ヤギの脚を確認する。
「折れてない。よかった」
リリィは貯水池を見た。
「これ、昨日急に減ったの?」
カナタは頷く。
「夜の間に。水位板を見たら、一晩で膝下から足首以下まで落ちてた」
コピが泥の縁を測る。
「急激な水位低下痕があります。蒸発だけでは説明できません」
ミラがしゃがみ込む。
「どこかに抜けた?」
その言葉で、全員が水たまりの周囲を見た。
泥の一部に、小さな渦の跡があった。
水がただ減ったのではない。
どこかへ吸い込まれた痕。
コピが表示を変える。
「地下への漏水、または旧排水路の開口の可能性があります」
カナタが顔をしかめた。
「旧排水路?」
「過去に貯水池の水を湿原へ分けるための水路があった可能性があります」
カナタは首を振る。
「そんな記録、見たことない」
アルセリウスが静かに言った。
「記録がないものほど、現地には残っていることがあるわ」
第三部の港と同じだった。
忘れられた樋門。
沈んだ鎖。
図面にない道。
ここにも、忘れられた水の道があるのかもしれない。
その日の夕方、旧観測塔で確認会が開かれた。
参加者は少ない。
カナタ。
近くの牧草地の代表。
高原道を管理する老人。
そして、リリィたち。
沿岸のように大きな町ではない。
だが、水がなければ、この小さな拠点から先へ影響が広がる。
カナタは水位記録を広げた。
「雪解けの始まりは例年より早かった。でも、そのあと水が続かなかった」
コピが記録を読む。
「最初に短く増水。その後、急減。三日前に再び微量増加。昨日、一晩で消失」
牧草地の代表が苛立った声を上げる。
「水が来ないなら、家畜を南へ動かすしかない。でも道中の水場も怪しい」
高原道の老人が言った。
「南道は崩れている。西の湿原道は、今年はぬかるみがない。乾きすぎて草が割れている」
リリィは眉を寄せた。
水がないのに、湿原も乾いている。
貯水池から水が抜けたなら、湿原へ流れてもよさそうなのに。
「抜けた水は、どこへ行ったんだろう」
カナタは机を叩いた。
「それを知りたいから呼んだの!」
コピが冷静に答える。
「まず、三つ確認します。雪が少ないのか。水が早く流れたのか。途中で別の場所へ抜けたのか」
オルガが泥だらけの服を見ながら言った。
「あと、ヤギが沈まないようにすること」
「それも重要です」
カナタは少しだけ表情を緩めた。
だが、その時。
塔の外で観測笛が鳴った。
短く、鋭く、二回。
カナタの顔色が変わる。
「上流の見張り笛……!」
全員が外へ出た。
夕暮れの高原。
乾いた川底の向こう、上流側から白い筋が見えた。
水だ。
細いが、確かに水が流れてくる。
牧草地の代表が声を上げる。
「戻ったのか!」
カナタも一瞬、目を輝かせた。
だが、コピがすぐに警告を出す。
「水温が低すぎます。濁度も高い。通常の雪解け流ではありません」
リリィは川底を見た。
乾ききった水路へ、突然水が走ってくる。
しかも、その先にはさっきの貯水池がある。
泥で弱った縁に、急な流れが入れば崩れるかもしれない。
「みんな、川底から離れて!」
リリィが叫ぶ。
水の筋は、みるみる近づいてきた。
細い流れではない。
後ろから、濁った水が押してくる。
オルガがカナタの腕を掴む。
「観測塔へ!」
カナタは抵抗した。
「水位板を見ないと!」
「今は命が先!」
その瞬間、乾いた川底の一部が崩れた。
土煙と水しぶきが上がる。
濁流というほど大きくはない。
だが、乾いた地面には十分すぎる衝撃だった。
コピが解析する。
「一時的な氷雪ダムの決壊、または上流貯留水の破断流の可能性」
カナタが息をのむ。
「上流で、何かが止めてた……?」
リリィは上流の白い山脈を見た。
季節の水は、消えたのではない。
どこかで止められ、急に放されたのかもしれない。
水が来ない高原。
突然走る冷たい濁流。
そして、記録にない旧排水路。
第四部の最初の謎は、静かな水不足では終わらなかった。
夜の高原に、濁った水音が響いていた。
第102話から第四部が始まりました。
舞台は北方高原の旧観測拠点リューネです。
届いた通信は、
「季節の水が、戻ってこない」
という短いもの。
現地では、雪解け水が来ないだけでなく、貯水池の水が一晩で消え、湿原も乾き始めていました。
さらに終盤では、乾いた川底へ突然、冷たい濁った水が流れ込みます。
これは単純な水不足ではなく、上流で何かが水を止め、別のタイミングで放出している可能性を示しています。
第四部では、北方高原を舞台に、雪解け水、湿原、草地、家畜、旧排水路、そして季節の水の異常を追っていきます。
次回は、突然流れ込んできた濁水の正体と、上流で何が起きているのかを調べます。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




