第113話 冷たい水を、少しだけ
第112話では、リリィたちが旧氷室道の奥にある季節水源へ到達しました。
そこで出会ったのは、雪室番の末裔である兄妹、ユオとネーヴェ。
彼らは水を奪おうとしていたのではなく、凍った季節水源を青火の力で起こそうとしていました。
しかし、記録が欠けたまま青火を使ったことで、分水室、貯水池、谷下、青火の水門に異変が広がります。
さらに、季節水源の主制御扉が青火の影響で融け始め、勝手に開いてしまう危険が迫っていました。
第113話では、リリィたちが冷却支流を使い、扉の自然開放を遅らせようとします。
ぱきん。
季節水源の氷が、また鳴った。
音は小さい。
けれど、氷室の中では刃物のように響く。
主制御扉の上を走る亀裂は、さっきより少し長くなっていた。
コピが淡々と告げる。
「自然開放予測、最短十八分」
オルガが顔をしかめる。
「短くなってる!」
「はい。青火反応が広がっています」
ユオは扉の前で拳を握りしめていた。
「俺が……余計なことをした」
シオンが睨む。
「今それ言っても、水は戻らない」
カナタが記録板を抱えたまま言う。
「責任の話は後。今は扉を止める」
その声は、思ったより強かった。
リリィは頷く。
「冷却支流はどこ?」
ユオが氷室の左奥を指した。
「昔の記録では、あそこだ。冬の間に凍った水を、源扉の前へ戻す細い支流がある」
「使ったことは?」
「ない。記録でしか知らない」
シオンが低く呟く。
「また欠けた記録かよ」
ネーヴェが弱々しく顔を上げた。
「でも……支流の印は、見たことがある」
カナタがすぐにしゃがむ。
「どんな印?」
ネーヴェは震える指で、床の氷をなぞった。
雪の結晶。
その下に、短い三本線。
「“冷たい水を、少しだけ”って、雪室番の古い言葉で習った」
コピが反応する。
「冷却支流の制御文と一致する可能性があります」
リリィは短く言った。
「探そう」
氷室の左奥へ向かうと、壁の一部に雪の結晶の印があった。
ほとんど氷に覆われている。
シオンが手を伸ばしかけ、オルガに止められる。
「触らない」
「見ようとしただけだ」
「その言い訳、もう聞いた」
カナタが印を照らす。
「下に文字がある」
コピが読み取る。
冷たき流れは、一度に呼ぶな。
薄く戻せ。
扉を冷やし、道を凍らせるな。
オルガが眉を上げる。
「つまり、冷やしすぎてもだめ?」
「はい。冷却水を流しすぎると、退路や分水路が凍結する危険があります」
シオンが舌打ちする。
「水って、本当に面倒だな」
カナタが即座に返す。
「今さら?」
シオンは言い返しかけ、やめた。
少し前なら、ここでまた喧嘩になっていた。
今は時間がない。
ユオが氷の下を見て言った。
「この奥に支流弁があるはずだ。だが凍っている」
リリィはコピを見る。
「青火は使わないよね」
「使用不可です。青火反応を増やします」
「じゃあ、どう開ける?」
ミラが通信で入った。
『氷を溶かすんじゃなくて、割れ目を広げて。支流全部じゃなくて、表面の細い流れだけ使う』
「細い流れ?」
『凍った支流の上に、薄い水膜が残ってるはず。それを掬って、仮の溝で扉の前に導く』
コピがすぐ計算する。
「有効です。流量は小さいですが、青火反応の拡大を遅らせるには十分な可能性があります」
リリィは頷いた。
「それでいこう。支流弁は動かさない」
ユオが驚いた顔をする。
「弁を開けないのか?」
「動かしたら、壊れるかもしれない」
カナタが続けた。
「今は、使える分だけ借りる」
その言葉に、ユオは少しだけ目を伏せた。
自分たちは、仕組みを起こそうとして扉に触った。
リリィたちは、触らずに使える水だけを探している。
その違いを、彼も感じたのかもしれない。
作業はすぐに始まった。
氷室の左奥から、源扉の前まで。
床の上に浅い溝を作る。
掘るのではない。
氷の表面に残ったくぼみをつなぎ、冷たい水が細く流れる道を作る。
オルガが安全を見て、シオンが小さな氷片をどける。
カナタは流れの幅を測り、ユオは古い印の位置を教える。
ネーヴェはリリィの外套にくるまれながら、震える声で言った。
「そこ……右に寄せると、扉の下へ行きすぎる」
ユオが顔を上げる。
「ネーヴェ、分かるのか」
「昔、母さんが歌ってた。冷たい水は扉の顔じゃなく、足元を撫でるって」
カナタが記録する。
「雪室番の歌。冷却支流は扉下部を冷やす」
コピが補足する。
「口伝情報、有用です」
ユオは妹を見た。
悔しそうで、少しだけ嬉しそうな顔だった。
「俺より覚えてたんだな」
ネーヴェは小さく笑った。
「兄さん、歌は下手だったから」
シオンが思わず吹き出しかけた。
オルガが小声で言う。
「こういう時に笑うと氷に響くよ」
シオンは慌てて口を押さえた。
浅い溝がつながる。
リリィは冷たい水に指先を近づけた。
触れない。
ただ、流れを見る。
「いける?」
コピが答える。
「流量、最小。開始可能です」
カナタが記録板を構える。
「冷却支流、仮導水開始」
シオンが氷片を一つ外す。
左奥のくぼみから、透明な水が流れ出した。
細い。
本当に糸のような流れ。
それでも水は、青火でぬるんだ床を伝い、主制御扉の下へ向かっていく。
扉の下に触れた瞬間、白い霧が上がった。
青白い光が、少しだけ弱まる。
コピが数値を読む。
「扉周辺温度、低下開始。青火反応、拡大速度低下」
オルガが息を吐く。
「効いてる?」
「はい。ただし、まだ危険域です」
シオンが小さく言った。
「でも、効いてる」
その声には、初めて少し希望があった。
十秒。
二十秒。
扉の亀裂は広がらない。
ぱきん、という音も止まっている。
カナタが小声で記録する。
「亀裂進行、一時停止」
ユオは扉を見つめた。
「こんな細い水で……」
リリィが答える。
「強い水じゃなくて、必要な場所に届く水だから」
ユオは何も言わなかった。
その時、コピが警告を出した。
「退路側の床温度、急低下」
オルガが振り返る。
「え?」
通ってきた旧氷室道の床に、薄い氷が張り始めていた。
冷却支流の一部が、溝からあふれ、入口側へ流れている。
このまま冷えれば、退路が滑り、最悪の場合は凍って閉じる。
ミラの通信が飛ぶ。
『流量を半分に! 溝の右側をふさいで!』
シオンがすぐ動く。
「これか!」
「そこじゃない、もう一つ手前!」
カナタが叫ぶ。
「シオン、印の下! 短い三本線のところ!」
シオンは指示どおり、氷片を戻す。
流れが細くなる。
しかし、扉側の温度低下も弱まった。
コピが表示する。
「冷却効果、低下。退路凍結リスクは軽減」
オルガが苦い顔をする。
「ちょうどいい量、難しすぎない?」
カナタは歯を食いしばる。
「だから、“少しだけ”なんだ」
ネーヴェが震えながら言った。
「歌の続き……」
全員が彼女を見る。
「冷たい水を、少しだけ。止めるな、流すな、息をさせろ……」
コピが反応する。
「止めるな、流すな。これは流量を断続的にする指示の可能性があります」
リリィがすぐ聞く。
「ずっと流すんじゃなくて?」
「はい。短く流し、止め、再び流す。扉を冷やしつつ、通路凍結を防ぐ方法です」
ユオが目を見開く。
「そんな記録、写しにはなかった」
ネーヴェが弱く笑う。
「母さん、歌はちゃんと覚えろって言ってた」
カナタが記録板を強く握った。
「歌も記録なんだ」
リリィは頷いた。
「やろう。十秒流して、二十秒止める」
コピが修正する。
「現状では、八秒流し、二十二秒停止を推奨します」
オルガが苦笑する。
「細かい」
「必要です」
作業は繰り返された。
八秒流す。
止める。
温度を見る。
また八秒流す。
止める。
扉の青白い光は、少しずつ落ち着いていく。
退路の氷も、それ以上広がらない。
カナタが声を出して記録する。
「一回目、温度低下。退路凍結なし」
「二回目、亀裂進行なし」
「三回目、青火反応低下」
シオンがタイミングを合わせて氷片を動かす。
ユオは扉の亀裂を見ている。
ネーヴェは歌を思い出しながら、小さく口ずさむ。
冷たい水を、少しだけ。
止めるな、流すな、息をさせろ。
氷室の中に、かすかな歌と水音が重なる。
やがて、コピが告げた。
「主制御扉の自然開放予測、後退。直近の強制開放リスクは低下しました」
オルガがその場に座り込む。
「助かった……?」
「応急的には」
「それでも今は助かったって言わせて」
リリィも小さく息を吐いた。
扉は閉じたままだ。
亀裂も止まっている。
青火の光も弱まった。
開きかけていた季節水源は、ひとまず眠り直したように見える。
だが、コピの表情は変わらなかった。
「問題があります」
全員が一斉に見る。
「冷却によって扉の開放は遅れました。しかし、扉下部から流れ出る水量が増えています」
カナタが青ざめる。
「え?」
コピが床の流れを示す。
冷却支流の水ではない。
扉の下から、透明な水が染み出していた。
少しずつ。
だが、確実に増えている。
ユオが息をのむ。
「季節水源の本流……」
リリィは床を見た。
扉は開いていない。
でも、冷やしたことで扉の歪みが変わり、下から水が漏れ始めたのかもしれない。
コピが分析する。
「水温は低く、青火成分は低い。季節水としては比較的良好です」
シオンが顔を上げる。
「じゃあ、使える水か?」
「可能性はあります。ただし、流路が未整備です。このままでは旧氷室道を通り、どこへ向かうか不明です」
カナタが地図を見た。
「この水、どこへ行くの?」
コピは床の傾きを計算する。
「現在の流向は、旧氷室道の奥側。既存の分水室ではなく、さらに下の空洞へ向かっています」
ユオの顔色が変わった。
「さらに下……?」
ネーヴェが小さく震えた。
「そこ、母さんが言ってた」
リリィが尋ねる。
「何て?」
ネーヴェは、かすれた声で答えた。
「季節水の底には、眠っている湖があるって」
カナタが息をのむ。
「地下湖?」
コピが周辺の空洞反応を調べる。
数秒後、表示板に大きな暗い領域が浮かんだ。
氷室のさらに下。
旧氷室道の地下深く。
そこに、広い空洞がある。
しかも、空洞の下部には水面反応。
コピが告げる。
「大規模地下水域を確認。季節水源下層に、未記録の地下湖が存在する可能性があります」
オルガが呆然とした。
「また未記録……」
カナタは黙っていた。
悔しがるより先に、目の前の地図へ見入っている。
リリィは扉の下から流れ出す水を見た。
青火の暴走は止めた。
でも、その結果、季節水源の下に眠る湖が見え始めた。
もしそこが、水の本当の貯まり場なら。
季節の水が戻らない理由は、上の雪でも、分水室でも、貯水池でもなく。
もっと下にあるのかもしれない。
その時、地下深くから低い音が響いた。
ごおん。
分水鐘でも、青火の水門でもない。
もっと大きく、深い音。
まるで、地下湖そのものが目を覚ましたような音だった。
コピの端末に赤い警告が表示される。
「下層地下湖、水位変動を検知」
カナタが小さく言った。
「冷やしたせいで……下が動いた?」
リリィは答えられなかった。
季節水源の扉は止まった。
だが、今度はその下で、別の水が動き始めていた。
第113話では、季節水源の主制御扉が勝手に開くのを防ぐため、冷却支流を使いました。
ただし、強く流せば退路が凍り、流さなければ扉が融けて開いてしまいます。
そこで、ネーヴェが覚えていた雪室番の歌を手がかりに、
「冷たい水を、少しだけ」
という断続的な冷却方法を見つけました。
これにより、主制御扉の自然開放はひとまず遅らせることができました。
しかし、その結果、扉の下から比較的良好な季節水が漏れ出し、さらに下層に未記録の地下湖がある可能性が見えてきます。
終盤では、その地下湖に水位変動が発生しました。
次回は、季節水源のさらに下に眠る地下湖と、高原の水がなぜ地表へ戻らなくなったのかを追います。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




