第六十八話:路を買う者
笑い声が室内の空気を激しく揺らしていた。
ひと頻り大笑いしたノルディアの老商会長は、涙を指で拭いながら、ようやく呼吸を整えて龍馬を見た。
「ハハハ……いや、恐れ入ったよ、坂本。そこまで堂々と私の財布をあてにされるとはな。……分かった、お前のその途方もない大ホラ、買い取ってやろう。出資を約束する」
「おおっ、話が早いきに!」
龍馬が顔を輝かせたが、商会長は人差し指をピシッと立ててそれを制した。
「ただし、条件がある。この大提携への出資は、我がノルディア商会連合の単独であってはならない。南のウィストリア側――つまり、お前を送り出した商業ギルドも同額以上の出資を決めること。それが絶対の条件だ」
商会長は真面目な顔になり、広げられた海図を指で叩いた。
「海竜海域を公の航路とし、ドラン港に巨大な商館を建てる。……これを我々だけがリスクを背負うでは、他の者が納得せん」
「上等じゃ!」
龍馬は二つ返事で胸を張った。
「ウィストリアのギルド長も、話のわかる男じゃき。すぐにでも首を縦に振らせてみせるぜよ!」
「おい、簡単に言うな」
エリオットが呆れたように額を押さえる。
「むしろ、そこが一番難しいんですよ!」
ルークがすかさず、身を乗り出して叫んだ。
「あの強欲で慎重なギルド長が、こんな前代未聞の怪しい大金投資に、はいそうですかと乗るわけないでしょう!? 龍馬さん、また僕の胃に穴を開ける気ですか!」
ルークの悲痛な叫びを、龍馬と商会長の豪快な笑い声が再び揉み消していった。
数日後、ユニオン号は再びウィストリアへの帰路に就いていた。
今回は、ノルディアの誇る極上の鉄鉱石と、闇市場でしか出回らない高純度の魔石を船倉いっぱいに満載している。前回の航海をさらに上回る、莫大な利益が約束された復路だった。
波飛沫が上がる甲板の上で、龍馬は水平線を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……急がんといかんがよ」
その言葉に、舵を握るダリオが低い声で応じる。
「急ぐ、とは……やはり、帝国の動きか?」
「おう」
龍馬は苦り切った顔で頷いた。
「今はまだ、帝国が作った『価格の歪み』があるきに、わしたちが往復するだけでボロ儲けができる。けんど、こんな美味い話は長くは続かん。わしたちの二度目の成功を知って、次の手を打ち始めちゅうはずじゃ」
「同感だな」
エリオットが腕を組み、横から口を挟んだ。
「もし帝国がノルディアへの締め付けを緩め、物資の価格を元に戻せば、俺たちの独占的なボロ儲けの時期は終わる。敵が市場を正常化させる前に、俺たちはあの海を誰もが通れる『路』として完成させ、既成事実を作らなきゃならない」
波を切り裂いて進むユニオン号の速度は、そのまま時代の変わり目を急ぐ彼らの焦燥そのものだった。
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ウィストリアの港へ帰港したその足で、龍馬たちは商業ギルドの最上階へと向かった。
出迎えたギルド長は、戻ってきたばかりの龍馬が机の上にドンと置いた一巻の羊皮紙を、怪訝そうな目で見つめた。
「……なんだ、これは。報告書にしては仰々しいな」
彼の言葉に、一歩前に出たエリオットが、誇りを込めて告げた。
「我が十年の成果だ。――『海竜海域航路図』」
「……っ!?」
その手がピタリと止まり、その目が驚愕に大きく見開かれた。
彼は吸い寄せられるように海図を手に取り、机の上に広げた。細かく書き込まれた魔導レーダーの航跡、海流の周期、海竜の縄張り……。それらが完璧な整合性を持って描かれているのを、ギルド長は言葉を失って読み進めた。
部屋を支配する、あまりにも長い、凍りつくような沈黙。
やがて、ギルド長はゆっくりと顔を上げ、龍馬を凝視した。
「……お前は、正気か?」
「はは、どの辺がじゃ?」
龍馬が平然と笑う。
「全部だ」
ギルド長の声は、微かに震えていた。
「この海図が持つ価値が分かっているのか。これは世界を、ひっくり返す劇薬だぞ」
「だからこそ、面白うなるがじゃき」
龍馬は椅子に深く腰掛け、自身の壮大な構想を語り始めた。
「わしはこの海図を、信頼できる世界中の商人に広く『売る』。そして、ウィストリア、ノルディア、そして『ドラン港』を繋ぐ大提携を結び、ドラン港に特大の商館を作るがじゃ。そこを中継地にして、何十、何百という船をこの路に行き交わせる。そうなれば、帝国の海上封鎖なんてものは、完全に無意味な絵物語になるぜよ」
一気に語られたあまりにも破天荒な戦略に、ギルド長は絶句した。
「売るだと……? 独占しないのか? ギルドと、お前たちだけでこの航路を囲い込めば、文字通り世界の巨万の富が転がり込んでくるのだぞ」
「せんよ、そんなつまらんことは」
龍馬はカラリと笑い、しかし、その瞳に一国の運命を背負うかのような深い光を宿して言い放った。
「路っちゅうもんは、人が通って初めて路になるがよ。一人で歩く道は、ただの『獣道』じゃきに」
ギルド長は息を呑んだ。
一人で歩けば、それはただの密輸ルートであり、帝国に目を付けられて潰される。だが、何千もの人間が通る巨大な公路にしてしまえば、国家の力をもってしても、もうその流れを堰き止めることはできない。龍馬が見据えているのは、目先の金貨の山ではなく、世界の構造そのものの変革だった。
ギルド長は深く息を吐き出し、背もたれに体を預けた。
商人の損得勘定を遥かに超えた龍馬の思想を、彼のビジネス脳が完全に理解し、肯定し始めていた。
「……分かった。これはもう、商業ギルド一組織の判断でどうこうできる規模の案件ではないな。国家の、いや、この海域全体の運命に関わる」
ギルド長は重々しく立ち上がった。
「この件、私の一存では決めん。ウィストリアの『群島評議会』へ上程する」
「評議会!?」
ルークが素っ頓狂な声を上げる。
「なんじゃそれ。美味いもんでも食う会かえ?」
首を傾げる龍馬に、ギルド長は冷徹に言い放った。
「お前は知らなくていい」
「そうか」
「よくない。当事者だろうが」
ダリオの容赦ないツッコミに、ルークやエリオットから小さく、緊張をほぐすような笑いが漏れた。しかし、ギルド長の目は、これから始まる壮絶な政治闘争を見据えて、鋭く据わっていた。
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ウィストリアの中枢、大理石で造られた厳かな円卓の間。
そこには、国家を動かす各界の最高権力者たちが集まっていた。レヴァインが商業ギルドから提出された『海竜海域航路図』と『ドラン港商館構想』を前に、評議会は未曾有の大激論に揺れていた。
「この航路が開通すれば、我が国の造船業、および物流がもたらす利益は計り知れん! 乗るべきだ!」
造船ギルドの代表が、興奮で机を叩く。
「馬鹿を言うな! 帝国の海上封鎖を正面から無力化するなど、帝国への明白な宣戦布告と捉えられかねん! 刺激しすぎる!」
軍の司令官が、苦渋に満ちた表情で猛反発する。
「そもそも、この海図は本当に本物なのか!? あの死の海を自由に渡るなど、到底信じがたい!」
各島を代表する重鎮が疑念の目を向ければ、
「いや、あの坂本龍馬という男は、現に二度もノルディア往復を成功させている! 偽物であるはずがない、買うべきだ!」
実利を重んじる商業ギルドのギルド長がそれを遮る。
怒号と議論が交錯し、紛糾する円卓。その中心で、レヴァインは静かに立ち上がった。彼の放つ圧倒的な威圧感に、室内が静まり返る。
「諸公。議論をしている間にも、帝国は動き、世界は変わり続けている」
レヴァインは一同を冷徹に見渡した。
「坂本龍馬は、既に二度の成功という動かぬ証拠を叩きつけている。今さら、可能か不可能かという不毛な議論をする必要はない。問題は――我がウィストリアが、この新時代の大潮流に『乗るか、乗らぬか』。ただそれだけだ」
レヴァインの放った決定的な一言が、臆病な者たちの背中を、そして国家の舵を大きく押し動かした。
立ち上がったのは一際豪奢な椅子に座っていた女性。
シルクのドレスを纏うその姿、気品溢れる佇まい――この評議会の代表であり、ここ海洋群島国家ウィストリアを統べるニルヴァーナ女王陛下は、「採決を」と促した。
「では賛成の方は挙手を」と議長が声を上げ、自らも手を掲げた。
各島を代表する評議員が次々と手を上げて行く。
その中にはレヴァインの手も含まれていた。
そして各組織の代表者もそれぞれの意を示す。
「造船ギルド、賛成」
「商業ギルド、賛成」
「群島海軍、反対」
「農業代表として、保留」…………
やがて議長は静かに立ち上がり一同を見渡し、隣に座る女王陛下に頷きを見せる。
「賛成多数により、本案を可決します」
厳かな採決の鐘が鳴り響く。――ウィストリア群島評議会、本案を可決。
評議会が終わったその夜。
海の都の最も高い場所にそびえ立つ、静寂に包まれた王宮の一室。
豪奢なカーテンの隙間から差し込む月光を浴びながら、ニルヴァーナは届けられたばかりの評議会の議事録に目を落としていた。
シルクのドレスを纏うその姿、気品溢れる佇まい――ウィストリアを統べる女王であったが、その美しい顔立ちは、影によって未だ定かには見えない。
書類には、『坂本龍馬』『海竜海域航路図の作成』『ノルディア交易成功』、そして『ドラン港における商館構想』の文字が並んでいる。
ニルヴァーナはしばらくの沈黙の後、小さく吐息を漏らした。
「いかがしました?陛下」
背後に控える側近の老臣が、静かに尋ねる。
「……面白い男ですね」
女王の、鈴を転がすような澄んだ声が室内に響いた。
「坂本、龍馬のことですか?」
「いいえ」
女王は少しだけ、楽しげに口元を綻ばせた。
「その龍馬もですが……、彼のような異端児の言葉を信じ、恐れず、ここまで――この国の最高評議会にまで引き上げてきた、我が国の商人たちのことです」
女王は議事録をそっと机に置くと、窓の外に広がる、どこまでも青く深い夜の海を見つめた。
「世界が大きく動き始めようとしています。……フフ、彼とはいずれ、直接会う機会があるかもしれませんね」
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その頃。活気溢れるウィストリアの港。
松明の光の下で、次なる航海の準備のために荷役の指揮を執っていた龍馬が、突如、
「ハーーックシ、がぜよ!」
と、盛大なくしゃみを炸裂させた。
「ちょっと、龍馬さん。風邪ですか? 夜の海風は冷えますから、無理しないでくださいよ」
隣で帳簿をつけていたルークが、心配そうに顔を上げる。
「どうやら……どっかお偉いさんが、わしの噂をしちゅうみたいじゃ」
「だと良いですね…………ん?良いんですか?それ」
「風邪よりええろう」
「そですね」
「「ははははは」」
呑気に笑う二人を他所に、新しい路は、ついに国家をも動かし始めた。
動き出した運命の歯車を止められる者は、もう誰もいない。




