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坂本龍馬、異世界商会記~宿屋から始めて交易で戦争を止めるまで~  作者: ダイちゃん
第四章『海』

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第四十六話:海の男

足元で砕ける重厚な波音が、鼓膜を一定の周期で揺らし続けている。


ガラン港のドックに横付けされた巨大商船。その高い甲板の上から、潮風に顔を黒く焼いた船長が、腕を組んだまま眼下の波止場を見下ろしていた。

彼らの周囲では、夕闇が迫るのも忘れたかのように、狂気じみた活気が渦巻いている。

大きな木箱を背負って声を掛け合う荷運び人夫たち、積荷の数を巡って激しく言い争う海商、見たこともない異国の衣服を纏った商人、そして腰に大振りのナイフを差した荒くれ船乗りたち――。


そこは、龍馬たちがこれまで旅してきた王都やガルガドといった、どれほど栄えた街とも根本的に異なる、完全に“おかとは違う世界”の空気が支配する場所だった。



船長は、甲板の手すりに足をかけ、ニィと不敵に口元を吊り上げて龍馬を睨みつけた。


「……で? 以前、うちの売れ残りのボロ布を綺麗に捌いてみせた陸の小賢しい商人が、今度は何を企んでやがる」


その挑発的な視線を真っ向から受け止めながら、龍馬は羽織の懐に手を差し入れたまま、一歩も引かずに真っ直ぐ答えた。

「企むも何も、おまんに頼みがあってここまで来たがじゃ。――わしに、海を知らせてくれんかのう」


龍馬の言葉を聞いた瞬間、船長は一瞬だけ目を丸くしたあと、ふはっと鼻で笑い飛ばした。

「ハッ、海を知りたいだ? 観光なら他所でやりな、お大層な商人先生。ここは命の安い奴らが泥水をすする場所だ。お前みたいな温室育ちの陸者が、物珍しさで首を突っ込んでいい世界じゃねぇよ」


冷たく突き放すような言葉。しかし、龍馬の顔から笑みが消えた。

一切の揺らぎのない、深い深海のような真顔で、龍馬は静かに、だが重みのある声で返す。


「観光のつもりなど、ハナから一寸もないぜよ。わしゃあな、船長。この世界の‘流れ’が知りたいがじゃ」


その言葉が波音に混ざった瞬間、船長の目がわずかに細まり、値踏みするような鋭い光が宿った。


「……ふん。口だけは一人前か」

船長は吐き捨てるように言うと、タラップをドカドカと降りて、半分面白がるような足取りで「ついてきな」と顎を振った。


案内されたのは、一般の人間は立ち入ることすら許されない、ガラン港の真の内部――海運の心臓部だった。

巨大な石造りの倉庫群へ入ると、そこには目も眩むような光景が広がっていた。徹底的に管理された積荷の検品所。飛び交う見たこともない異国の貨幣。独特の強い香りを放つ大量の海外製香辛料の袋。

それらが、熟練の書記官たちの手によって恐ろしい速度で帳簿へと記録され、積荷管理が行われていく。


魚市場の熱気、他国から運び込まれたばかりの鉱石の輝き。

龍馬はそのすべてを、瞬きを忘れたかのように食い入るような目で見つめていた。

そこにあるのは、単なる街の市場ではない。“海運によって世界が文字通り繋がっている”という、圧倒的なダイナミズムそのものだった。


倉庫の奥、積荷の山に背を預けながら、船長が大きな手のひらで自身の無骨な顎をこすった。


「いいか、陸の商人。お前らのやってる商売はな、せいぜい『街と街』を繋ぐ地道な作業だ。だが、俺たち海商の仕事は違う。海ってのはな、『国と国』を直接繋ぐ場所なんだよ」


船長は龍馬の胸元を太い指先で小突く。

「陸の商人は目の前にある『品』の良し悪しを見る。だが、俺たち海商はそこじゃねぇ。世界全体のカネと需要の‘流れ’を見るんだ。どこの国で何が余り、どこの国で何が枯渇しているか。それを誰よりも早く嗅ぎつけた奴だけが、海の覇者になれる」


(――情報が世界を制する)


その瞬間、龍馬の脳裏に、アーデルハイトで相見えた男・レンジの言葉が鮮烈に蘇った。

海という巨大な舞台。そこには、単なるモノ(商品)だけが流れているのではない。人、金、モノ、そして膨大な情報や文化のすべてが、大きな波となって世界中を循環している。

龍馬の胸の中で、これまで漠然としていた世界の形が、確信へと変わりつつあった。


一方で、龍馬の後ろについてきていたノイルとルークの二人は、完全にその圧倒的な空気に呑まれていた。


「……信じられない。これだけの量の物資と、動いている金額の桁が違いすぎる……しかもすべて行き先が決まってるって……」

ノイルは、手元のメモ帳を握りしめたまま、そのあまりにも巨大な物流のシステムに驚愕し、絶望に近い声を漏らしていた。


しかし、それ以上に悲惨だったのは、今回初めて旅に同行した下男のルークだった。

「ひっ、ひぃぃ……。ノイルさん、あの人たち、指が半分なかったり、顔中にもの凄い傷があったり、目が完全に据わってますよぉ……!」


ルークがガタガタと震えながら指差す先には、潮焼けして岩のように強張った皮膚を持つ、年老いた船乗りたちがいた。死線を何度も潜り抜けてきた者にしか纏えない、特有の禍々しい殺気と威圧感。

完全に怯えきり、「俺、やっぱり海なんて絶対に嫌です……!」と涙目になるルークの姿は、彼らがこれから挑もうとする世界のハードルの高さを物語っていた。



港の見学が終盤に差し掛かり、再び波止場の先端へと戻ってきた頃。

龍馬は、夕日を浴びて黒い影となった船長の前に立ち、一切の冗談を排した真顔で告げた。


「船長。――おまんの船に、わしを乗せてくれんか」


ピキリ、と周囲の空気が一瞬で張り詰めた。ノイルもルークも、息を呑んで二人のやり取りを見つめる。

だが、船長は考える素振りすら見せず、即座に、冷徹な声で言い放った。


「断る」


「なんでじゃ」


「理由は簡単だ。海って場所はな、お前のようなお遊びの陸者が生き残れるほど、甘い場所じゃねぇからだ」


船長は龍馬の眼前に一歩踏み出し、その巨大な体躯で龍馬を威圧するように見下ろした。その声には、幾千の死線を超えてきた海の男の、本物の重みがあった。


「いいか、よく聞け。一度港を出れば、そこから数ヶ月は陸の影すら拝めねぇ。大嵐が来れば、昨日まで一緒に笑って酒を飲んでた仲間が、一瞬で波の彼方へ消えて二度と戻らない。海賊との殺し合い、突然の座礁、船内で流行る原因不明の疫病、喉が干からびる水不足……。一歩判断をミスれば、その瞬間に全員が魚の餌だ」


船長は水平線の闇を指差す。


「海ってのはな、人間が‘世界に挑む場所’じゃねぇんだよ。……人間が、ただただ‘世界に呑まれる場所’だ。自然の気まぐれ一つで、どんな大英雄だって等しく海の底へ沈む。そこにあるのは、絶対的な絶望だけだ」


その凄まじい言葉の嵐を、龍馬は視線を逸らすことなく、ただ静かに、一言も挟まずに聞き届けていた。


静寂が、波止場を包み込む。普通の人間であれば、そのあまりの恐怖と圧倒的な現実を前に、顔を青ざめさせて引き下がるはずだった。


しかし――。

沈黙のあと、龍馬の口元がゆっくりと、不敵な弧を描いて歪んでいく。


「――ははっ、最高じゃのう」


「……あ?」

船長は、本気で耳を疑ったように眉をひそめた。


「呑まれる場所、か。まっこと、”どこの世界”も海っちゅうのは思い通りにならん場所じゃき!」

龍馬は自身の胸に手を当て、破顔して笑った。

「じゃが船長。だからこそ、その荒波を乗り越えた先の水平線には、陸の温室に籠もっとるだけじゃあ、一生拝めんような‘最高の景色’があるがじゃろう?」


その底抜けた器の大きさと、恐怖を興奮へと変えてみせる狂気的なまでの瞳。

船長はしばらくの間、龍馬の顔を凝視していたが、やがて、フッと観念したように、少しだけ口元を緩めて笑った。


「……ハハ。お前、本当に頭がおかしいな、龍馬」


「褒め言葉として受け取っておくぜよ」


「だが、乗船は絶対に断る」

船長は再び、頑なな態度に戻って首を振った。

「お前がどれだけ肝の据わった男だろうが、関係ねぇ。俺は、お前みたいな見どころのある陸の馬鹿を船に乗せて、無駄に死なせたくねぇんだよ。それが、海の男なりの情ってやつだ。諦めな」


そう言い残すと、船長は今度こそ振り返ることなく、巨大な商船のタラップへと戻っていった。



その夜。ガランの寂れた宿の一室。

部屋の中では、一日中海の空気に当てられ、精神的にすっかり疲弊しきったノイルとルークが、ベッドの上で完全に力尽きていた。


「諦めましょうよ、龍馬さん……。あの船長さんの言う通りですよ、海なんて、僕たちみたいな商人が行く場所じゃないんです……」

ノイルが枕に顔を埋めたまま、消え入るような声で溢す。


「絶対死にますってぇ……。俺、まだテラダ屋の屋根掃除も残ってるし、あんな傷だらけの人たちと一緒に船に乗るなんて、考えただけで寿命が縮まりますよぉ……」

ルークもまた、布団を頭から被っていた。


二人のそんな泣き言を背中で聞きながら、龍馬だけは、部屋の窓枠に肘を突き、静かに夜の港を見つめていた。


漆黒に染まった夜の海。

そこに浮かぶ、巨大な商船の白い帆。

波に揺れる灯火の群れ。

そして、遠くの水平線の彼方へと、ゆっくりと消えていく一隻の船影。


龍馬はその圧倒的な海の広さと、底知れぬ闇を見つめながら、静かに、しかし最高に楽しそうに笑った。


「……なるほどのう。海の男の情け、かよ」


龍馬の手が、窓枠を強く握りしめる。



「――じゃが、やっぱり、あの波に乗らにゃあ、世界の本当の形は分からんきに」

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