第四十一話:昼の熱狂
「まずは腹ごしらえだ。ついて来い、龍馬」
ベルノはそう言うと、咥えた煙管からひときわ大きな煙の輪を吐き出し、ひらりと身を翻して雑踏の中へと歩き出した。背後に控えていた黒服の男たちが、無言で周囲の人混みを割り、道を作る。
「ちょっと待ってくれ! ベルノさん!?」
後ろから荷馬車の手綱を握ったままのノイルが、慌てて声を張り上げた。
「宿はどうするんです!? この大量の荷物は!? ギルドへの挨拶だってまだ!」
だが、ベルノは振り返りもせず、片手をひらひらと振って不敵に笑う。
「そんなもんは後回しだ、若いの。いいか、このレクセリアじゃあな、荷物より先に飯屋の席の方が消えるんだよ。美味いもんにありつきたきゃ、迷わず足を動かしな」
「ははは!! まっこと面白い街じゃ! ノイル、荷馬車はランセルに任せて、わしらも行くぜよ!」
「ちょっと、龍馬さんまで!? ランセルさん、本当にいいの!?」
ノイルが助けを求めるように隣を見ると、ランセルは既に諦めたように苦笑を浮かべ、御者台から荷馬車を近くの信頼できる預かり所へと回す手配を始めていた。
「構いませんよ、ノイル。この街の案内人として、これ以上なく『濃い』男が捕まったのです。まずはその流儀に従いましょう」
龍馬は既にベルノの隣へ並び、極彩色の看板が躍る通りを、目を輝かせながら歩き始めていた。
ベルノが最初に連れてきたのは、街の中心部に位置する『レクセリア中央市場』だった。
そこは、天井の高い巨大な石造りのドーム構造になっており、一歩足を踏み入れた瞬間、世界中のあらゆる「匂い」が混ざり合った濃密な空気が、龍馬たちの鼻腔を強烈に突き刺した。
市場の右側では、海洋国家から魔法の氷詰めで運ばれてきたという、見たこともない巨大な魚介類が豪快に捌かれ、瑞々しい刺身や焼き魚となって湯気を立てている。
左側を見れば、灼熱の南方民の領地から伝わったとされる、真っ赤なスパイスをこれでもかと擦り込んだ激辛の肉料理がジージウと音を立てて焼かれていた。
さらに奥には、雪深い北方領土の保存食である芳醇な燻製料理の数々が並び、エルフの里から仕入れたという透き通った琥珀色の果実酒の樽がいくつも転がっている。
その隣では、小人族の職人たちが、香ばしいバターの匂いを漂わせながら、焼き立ての菓子をこれでもかと山積みにしていた。
「なんじゃこりゃあ! 天国かここは!」
龍馬は完全にテンションが上がり、ベルノが適当に買い漁って放り投げてくる料理を、次から次へと口に運んだ。
「――ぶはっ!! なんじゃこの辛さは! 舌が、舌が燃えるぜよ! じゃが……まっこと美味い! 酒が進むき!」
南方風の串焼き肉を齧り、顔を真っ赤にしながらエルフの果実酒を喉へ流し込む。
「おおっ!? ベルノ、この魚、潮の香りがそのままで、とろけるようじゃ……! この世界にも、魚を生で食う文化があったとはのう!」
「ハハ、相変わらず美味そうに食うな。おい、これも飲んでみろ。エルフの特製微発泡酒だ」
「どれどれ……――うおっ、ジュースのように甘いのに、胸の奥がカッと熱くなる! とんでもなく強いのう、これぁ!」
豪快に笑い、食い、飲む龍馬の姿に、ノイルも呆れ顔を通り越して一緒になって肉を頬張り始めていた。ベルノはそんな龍馬たちの様子を、煙管を軽く咥え直しながら、どこか満足げに、そして楽しそうに眺めていた。
市場でお腹を満たしたあと、ベルノの案内による本格的な街巡りが始まった。
市場の建物を抜けた先で龍馬たちが目にしたのは、まさに「街全体が祭り」という、常識外れの光景だった。
運河の中央に設置された巨大な水上劇場では、豪華な衣装を纏った役者たちが悲恋の物語を熱演し、集まった観客たちが涙を流している。
運河を滑るように進むゴンドラの上からは、一糸乱れぬ弦楽器の三重奏が響き渡り、水の音と美しく調和していた。
路上では、小人族の芸人が信じられないほどの高さの皿回しを披露し、絵画の露店には高名な画家の描いた美しい風景画がずらりと並ぶ。
ふと横の路地を覗けば、世界中のあらゆる音階を網羅した楽器工房があり、向かいの香油店からは五感を狂わせるような甘い香りが漂ってくる。
さらに上を見上げれば、宿泊塔と宿泊塔の間に渡された細いロープの上で、美しい踊り子たちがまるで重力を忘れたかのように華麗に舞う「空中演舞」までが行われていた。
「すげぇ……。騒がしいだけじゃないんだな」
ノイルがぽつりと、感嘆の声を漏らす。
そう、この街の熱狂は、ただの無秩序な騒ぎではなかった。
演奏される音楽の技術、劇の完成度、職人たちが作る道具のクオリティ――そのすべてが、長年かけて磨き上げられた“成熟した文化”として、完全に街の経済と結びついているのだ。
通りを歩いていた時、それまで賑やかに周囲を観察していた龍馬が、ふと一軒の装飾品露店の前で足を止めた。
ガラスケースの中に並んでいるのは、美しい輝きを放つ、しかしどこか見覚えのある意匠のブレスレットや指輪だった。
「のうランセル。アーデルハイトで仕入れたモノ等は、アレで良いろうか」
ランセルに真剣な表情で尋ねる。
「ん? ああ、あれはアーデルハイトの細工物ですからね。この街は特に装飾品には値を付けますからね」
「アーデルハイトちゅうんはてっきり軍需産業かと思っちょったが、装飾品も良いちゅうがか?」
龍馬の疑問に、ベルノは鼻で笑って煙を吐き出した。
「当たり前だろ龍馬。あの軍事馬鹿どもの領地はな、物騒な武器だけを作ってるわけじゃねぇ。その武具を造る為に、一級品のドワーフ職人を山ほど抱え込んでる。連中の作る細工は、寸分の狂いもないほど精度がイカれてるんだよ」
ベルノはガラスケースの上の装飾品を一つ指先で弄びながら、ニヤリと口元を歪めた。
「それが、この街の女共に大人気なんだ。アーデルハイトは他国や外の商人に港を閉じてるだろ? だからこそ、『閉じた軍港の、決して外には出回らない珍品』って触れ込みだけで、価値が何倍にも跳ね上がって飛ぶように売れるのさ」
その言葉を聞いた瞬間、龍馬は動きを止め、その装飾品をじっと見つめながら低く呟いた。
「……なるほどのう」
龍馬の瞳の奥に、鋭い光が宿る。
「閉じちゅうからこそ……他者が容易に入れん場所だからこそ、外へ出た時に、それが途方もない『価値』に化けるがか」
「そういうことだ。レクセリアは何でも飲み込み、何でも消費する街だからな。他所の土地で『余り物』扱いされてる頑固な職人の一品も、ここへ持ってきて見せ方を変えりゃあ、一瞬で極上の『宝』になる」
龍馬は深く息を吐き出し、改めてレクセリアの街並みを見渡した。
この街の本質――それは単なる欲望のゴミ溜めではない。あらゆる場所から集まったヒト、モノ、カネの『価値』を、新たな『熱量』へと変換する「巨大な循環装置」なのだと、龍馬は確信し始めていた。
さらに歩みを進めると、大通りの広場で、ひときわ大きな人集りができていた。
そこでは、獣人の戦士たちが叩き出す猛烈なドラムのビートに合わせ、エルフの踊り子たちが神秘的なステップを踏み、人間の劇団員たちが即興の喜劇を演じ、その舞台装置を小人族の職人たちが目にも留まらぬ速さで調整していた。
種族の壁も、過去の因縁も、そこには存在しない。あるのはただ、「今、この瞬間を最高に楽しませる」という一点のみ。
それを見た龍馬は、胸の奥から湧き上がるような喜びを抑えきれず、嬉しそうに破顔した。
「――ここぁ皆、生きちゅう」
王都のように過去の栄光にしがみつくわけでもなく、アーデルハイトのように未来の脅威に怯えて縮こまるわけでもない。
誰もが他人の耳や尻尾など気にせず、己の命のすべてを燃やして、今を全力で生きている。
その歪みのない活気が、龍馬の心を完全に掴んでいた。
しかし、そんな風に街を歩いている間にも、龍馬はもう一つの「異常」に気付いていた。
通りを歩くたびに、驚くほど多くの人間が、ベルノへ向けて次々と声をかけてくるのだ。
「おや、ベルノ様。本日の夜の仕込みは、既に上々でございますよ」
豪華な衣装を着た大賭博場の支配人が、深く頭を下げる。
「ベルノ、後でウチの店に寄りなさいよ。極上の酒が入ったから」
妖艶な香水を纏った、高級娼館の女主人がウィンクを投げる。
その他にも、物陰から鋭い視線を送る裏商人、大剣を背負った傭兵団長、劇場の総支配人にいたるまで、誰もがベルノに対して、深い「敬意」と、それ以上の痛烈な「警戒」の目を向けていた。
「……おまん、この街じゃあ随分と顔が広すぎじゃろ」
龍馬が呆れたように横目を向けると、ベルノは煙管をトントンと指先で叩きながら、そっけなく答えた。
「飯を食うために、裏で色々やってるだけだ。この街の楽しさってやつはな。誰かが裏で血を流して維持してんだよ」
「なるほどのう。裏の飯は、随分と味が濃そうじゃ」
「表の綺麗事ばかりの飯よりは、よっぽど美味いぞ、龍馬」
「ははは!この街は満漢全席かや!」
二人は、かつて娼館で飲み明かした時と変わらない、悪友らしい不敵な軽口を叩き合った。
やがて、太陽が西の山並みへと傾き、レクセリアの街は劇的な夕暮れを迎えていた。
ベルノに連れられてやってきたのは、街並みを一望できる見晴らしの良い高台のテラスだった。
空が鮮やかな茜色から、深い群青色へとグラデーションを描いていく。
それに呼応するように、昼の爽やかな熱狂は、ゆっくりと、しかし確実に、夜の妖艶な灯りへと姿を変え始めていた。
街中の劇場や宿泊塔に、ポツポツと淡い光を放つ魔導灯が灯っていく。
その極彩色の光が、緩やかに流れる運河の水面へと反射し、まるで街全体が光の海に浮いているかのような錯覚を覚えさせる。
どこからか、昼間よりも少し低く、妖しく跳ねるような夜の音楽が聞こえ始めていた。
龍馬は手すりに身を乗り出し、美しく、そして底知れない街の夜景を見下ろしながら、しみじみと呟いた。
「この街ぁ……ただ遊んどるんじゃない。“人が集まる”ということ、そのものをお祭りにして、全員で楽しんじゅうがやな」
ベルノは煙管から最後の煙をふぅと吐き出し、夜の闇に溶けていく街を見つめながら答えた。
「だから、一度来ちまった人間は、またココに足を運ぶのさ」
ベルノは煙管を仕舞うと、その鋭い目をギラリと光らせ、龍馬へ向けてニヤリと笑った。
「……昼の観光はここまでだ。夜はもっと面白ぇぞ、龍馬。本物のレクセリアを見せてやる」
龍馬もまた、その挑発に応じるように、どこまでも不敵な笑みを返し、刀の柄にそっと手を添えた。
「ほう。そりゃあ、まっこと楽しみじゃ」
――光と影、欲望と熱狂が交錯する、夜のレクセリア編が、今幕を開けようとしていた。
「……案内せぇ、ベルノ!」




