第四十話:眠らない街
アーデルハイト公爵領を出発してから数日。
南へ向かう街道は、まるで全く別の世界へと繋がっているかのように、一歩進むごとにその空気を劇的に変え始めていた。
厳格で張り詰めた灰色の軍事都市周辺とは異なり、温暖な南部へと近付くにつれて、街道脇には目を楽しませる鮮やかな花々が咲き乱れ、青々と実をつけた果樹園や広大な葡萄畑が地平線まで広がっている。肌を撫でる風も、どこか甘く湿り気を帯びているようだった。
そして何より、街道を行き交う人々の顔ぶれが、これまでとは大きく様変わりしていた。
きらびやかな衣装に身を包んだ楽団。
異国風の薄絹を纏った踊り子。
器用に玉を操る大道芸人。
古の英雄譚を歌い上げる吟遊詩人。
さらには、濃厚な香油の匂いを漂わせる娼館の客引きから、巨大な衣装箱を背負った旅役者、そして明らかに堅気ではない、衣服の袖にサイコロを隠していそうな目付きの鋭い賭博師にいたるまで――。
その誰もが、一様に浮ついた、しかし強烈な熱気をその身に纏っていた。
「……なんじゃこりゃあ」
荷馬車の上で、龍馬はあちこちへ視線を走らせながら、呆れたように、しかし実に愉快そうに笑った。
「ついこの前まで、規律の塊みたいな街に居ったのが嘘のようじゃ。同じ国とは、まっこと思えんのう!」
「レクセリアへ近付いてますからね」
御者台でノイルの横に座るランセルが、肩を竦めて苦笑混じりに答える。
「あそこは王国の中でも、完全に独立した特殊な街なんですよ。この国で唯一、“人間を楽しませること”そのものが、巨大な産業として成立している都市ですから」
「楽しませることが、産業?」
「ええ。劇場、音楽、酒、料理、賭博、娼館、芸術、各種の公演に観光……。およそ、人が金を払ってでも味わいたいと思う『快楽』や『娯楽』のすべてが、人と金を呼び込む仕組みになっている」
「つまり、遊べば遊ぶほど街が潤うちゅうがか?」
「そういう都市という事です」
その言葉を聞いた瞬間、龍馬の目が、新しい玩具を見つけた子供のように爛々と輝き始めた。
そして昼過ぎ。商隊が緩やかな最後の丘を越えた、まさにその瞬間だった。
「……っ! 見てくださいよ!あれ!」
ノイルが、息を呑んで前方を指差した。
視界が開けた先、地平線いっぱいに、陽光を浴びてギラギラと輝く巨大な都市が広がっていた。
赤や青、金色の極彩色で彩られた色彩豊かな建築群。
雲を突くかのように高く聳え立つ、観光客のための巨大な宿泊塔。
何万人をも収容できそうな白亜の円形劇場に、緩やかに流れる運河を跨ぐ、これまた派手な装飾の施された極彩色の橋。
そして街の至る所を埋め尽くしているのは、遠目からでもそれと分かる無数の看板や、風にたなびく極彩色の旗だった。
「こいつは目ぇまわるのう!ははは!」
さらに一同を驚愕させたのは、その街から放たれる圧倒的な“音”だった。
まだ都市の城門からはかなり距離があるというのに、風に乗って、地鳴りのような音楽が地響きとなって聞こえてくるのだ。
鳴り響く太鼓の重低音、小気味よく跳ねる弦楽器の調べ、人々の割れんばかりの歓声、高らかな歌声、そして絶え間ない笑い声。都市そのものが、まるで巨大な一つの生き物のように、お祭りの熱狂をもって脈動していた。
「昼間から、えらい騒がしい街じゃ!」
龍馬は耳を傾けながら、思わず声を上げて笑った。
「レクセリアは、夜だけの街ではありませんからね」
ランセルが、誇らしげに胸を張って説明を続ける。
「むしろ昼の方が、健全な文化を楽しみに来る観光客で多いくらいですよ。昼は洗練された文化と芸術、夜は本能を剥き出しにした欲望と熱狂。そういう二つの顔を持つ街です」
「文化と芸術ぅ?」
「ええ。この大陸中のあらゆる芸人や一流の職人が、一攫千金を夢見てここに集まります。この街で『公演を成功させた』『店を持てた』というだけで、大陸全土で一流の烙印を押される、そんな世界です」
「まっこと、大したもんじゃ」
龍馬は完全に食い入るように、その巨大な街の姿を見つめていた。彼の目には、単なる物珍しさ以上の、何か巨大な可能性の塊が映り込んでいるようだった。
やがて商隊は、極彩色の彫刻が施された巨大な南門へと到着した。
だが、門をくぐろうとした龍馬たちは、そこで王都や公爵領では決して見られなかった光景を目にし、さらに驚くことになる。
「おい、見ろ!エルフじゃ!エルフが普通に歩いちゅうぞ!」
「獣人も人間と肩を並べて笑いよる!」
通りを行き交う人々の「種族」が、あまりにも多彩で、そして混沌としていた。
犬や猫の耳を持つ獣人はもちろん、美しい金髪をなびかせるエルフ、小柄な身体で器用に荷物を運ぶ小人族、褐色肌の逞しい南方民、白い肌に毛皮を纏った北方民、さらには独特の意匠の衣装を纏った海洋国家風の旅人にいたるまで――。
それら全ての人種が、何一つ境界線を作ることなく、当たり前のように同じ通りを歩き、笑い合い、商売を営んでいた。
「……変な街じゃ」
周囲の誰もそれを奇異の目で見ていない。
王都にあったような鼻持ちならない選民意識も、アーデルハイトの軍人たちが持っていたような獣人への差別感情や歪みも、この街の空気からは綺麗に消え失せていた。
「ここじゃあ誰も、他人の耳が尖っちゅうだの、尻尾が生えちゅうだの、そんな細かいことを気にしちょらん」
「気にしてたら商売になりませんからね」
ランセルが当然のように肩を竦めた。
「この街にとって本当に重要なのは、その者が『何者であるか』ではなく、その者がここに『何を持ってくるか』、それだけですから。金か、才能か、極上の品物か」
「なるほどのう……」
龍馬は、じっと通りを眺め続けた。
獣人の楽団に惜しみない歓声を送る人間の観客。エルフの踊り子の美技に見惚れ、小銀貨を投げ込む人々。見たこともない風変わりな異国料理の屋台へ、人種を問わず行列を作る旅人たち。
そこには、ただ退廃的なだけでなく、“異なる人間が混ざり合うこと”からしか生まれない、爆発的な活気とエネルギーが満ち溢れていた。
龍馬は、どこか嬉しそうに細い目をさらに細めた。
「ええのう……まっこと、ええ街じゃ」
そして門を完全に抜けた瞬間、街の熱気が一気に爆発した。
所狭しと並ぶ極彩色の露店、道の真ん中で火を吹く大道芸、鼓動を早める楽団の演奏、ビラを配る劇団員。運河の上に組まれた水上舞台からは役者たちの朗々たる声が響き、あちこちから娼婦や客引きの声が飛んでくる。
そこにジューシーに焼ける肉の匂い、刺激的な香辛料の薫り、そして芳醇な酒の匂いが混ざり合い、五感のすべてへ一斉に押し寄せてくる。
「龍馬さん! 前! 前見てください、ぶつかります!」
「おおっと!」
千鳥足の酔っ払いとすんでのところでぶつかりそうになりながら、龍馬は荷台の上で腹を抱えて笑った。
「ははは!! なんじゃここは! まっこと面白いのう!!」
通りの真ん中では、先ほどランセルが言った通り、獣人の楽団が激しいドラムのビートを刻んでいる。そのすぐ横では小人族の大道芸人が豪快に火を吹き、さらにその隣の特設ステージでは、異国の踊り子たちが鈴の音を鳴らして舞い踊っていた。
「龍馬さん、あっちを見てください、あれが有名な大劇場ですよ!」
「ほう!」
「こっちは水上歴史劇だそうです!」
「何ぃ!? 水の上で芝居しゆうがか!? 舞台が浮いちょるんか!」
「なんでそんなにテンション上がるんですか!」
「上がるじゃろうが! こんな面白いもん見せられて!」
ノイルとの掛け合いは、端から見れば完全に上京してきたばかりの田舎者の観光客そのものだった。
しかし、龍馬の目は、ただ騒いで楽しんでいるだけではなかった。
それぞれの店の客の回転率。
集まっている客層の身なり。
飛び交っている金の正確な流れ。
通りごとの特色と、そこに並ぶ商品の需要。
そのすべてを、彼は商人の本能、そして直感で、無意識のうちに克明に観察し、脳内に叩き込んでいた。
(……人が、モノが、もの凄い速さで流れよる)
王都とは根本的に違う。
ここには、人も金も、一箇所に“留まって”いなかった。
常に激しく流れ、激しく混ざり合い、その摩擦で新たな富と、途方もない熱を生み出し続けているのだ。
「なるほどのう……」
龍馬の口元が、ゾクゾクするような興奮とともに楽しげに吊り上がる。
「こりゃあ、確かに誰も止められん街じゃ。レンジが路を繋ぎたがるわけぜよ」
その時だった。
「……相変わらず騒がしい男だな、龍馬」
背後から響いた、低く、どこか聞き覚えのある声。
龍馬がハッとして振り返る。
極彩色の人混みの向こう。きらびやかな劇場の街灯の下に、一人の男が壁に背を預けて立っていた。
上質な黒いシャツの胸元を大胆に着崩した、隙のない長身。前髪の隙間から覗く、獲物を値踏みするような鋭い目付き。その指先には、細く繊細な細工の施された煙管が握られており、紫煙がゆったりと空に溶けていく。
男の背後には、いかにも裏社会の荒事を専門にしていそうな、目の死んだ屈強な男たちが数人、影のように控えていた。
だが奇妙なことに、あれほど強引だった客引きも、血気盛んな荒くれ者も、目の色を変えた賭博師たちでさえ、その男の姿を認めた瞬間に、自然と道を空けていくのだ。
龍馬の目が、驚きに大きく見開かれる。
「……おまん、ベルノじゃないか!」
ベルノは、煙管からふぅと白い煙を吐き出し、その不敵な口元をニヤリと歪めて笑った。
「久しぶりだな、龍馬」
王国の裏社会の巨大組織『ガーグファミリー』。
その若き幹部であり、寺田屋で龍馬と奇妙な縁を結んだ男、ベルノがそこにいた。
龍馬は次の瞬間、驚きを通り越して、街の喧騒に負けないほどの豪快な笑い声を響かせた。
「ははは!! おまん、こんな面白そうな街に潜り込んどったがか!! まっこと、どこにでも現れる男じゃのう!」
「そりゃあこっちの台詞だ。行商に行ったと聞いてたんだが、こんなところで遊んでるたぁな。リサが聞いたらぶん殴られるぞ」
「人聞きの悪いことを言うなや! わしゃあ遊んじょらん、真っ当な商売をして回っとるき!」
「大森林の奴隷狩りどもを、たった一人で半壊させておいてか?」
「そりゃあ、あいつらが先に仕掛けてきたき、ちょっとした成り行きながじゃ!」
ベルノは完全に呆れ果てたように、やれやれと首を振って煙を吐き出した。
だが、その鋭い瞳の奥は、退屈な日常に突如として現れた面白い玩具を歓迎するかのように、どこか楽しそうに揺れていた。
「……まぁいい。どんな理由であれ、ここへ辿り着いたんだ。歓迎してやるよ、龍馬」
龍馬はニヤリと不敵に笑い返す。
「頼むぜよ! 早速案内せぇ、ベルノ! この街、まっこと底が知れんほど面白そうじゃきな!」
ベルノもまた、煙管を懐へ収めながら、裏社会の住人らしい妖しい笑みを浮かべた。
「フン、後悔するなよ。このレクセリアの“遊び”ってやつは、一度嵌まったら抜け出せない、文字通りの底なし沼だからな」
歓楽都市レクセリア。
人間のあらゆる欲望と、極上の文化が激しく渦巻く坩堝の中で、龍馬は再び“悪友”と邂逅を果たしたのだった。
「望むところじゃ!」




