第三十三話:白亜の王都と空に浮く島
荷馬車は、王都へと続く最後のなだらかな丘陵地帯を、車輪の音を軋ませながらゆっくりと登っていた。
朝靄の向こう、先頭を歩いていた護衛の冒険者がふと足を止め、手庇を作って前方を睨みつける。
「……見えてきたぞ」
その引き締まった声に、長旅に疲れていた商人たちが次々と顔を上げた。
龍馬もまた、ガタゴトと揺れる荷馬車の荷台から身を乗り出し、遮るもののなくなった丘の向こうへと視線を向ける。
「…………おお」
龍馬の口から思わず、魂を奪われたような感嘆の言葉が漏れた。
眼下に広がっていたのは、もはやこれまでの旅で見てきた“街”や“都市”という概念を遥かに超越した、未知の巨構造物だった。
幾重にも同心円状に広がる、目も眩むような白亜の巨大都市。
その遥か中心、天を突くように傲然とそびえ立つ巨大な王城が、朝の光を浴びて神々しい陰影を帯びている。さらに民政区と呼ばれる一角には、神へ祈りを捧げる壮麗な大聖堂の尖塔が、陽光を反射して眩く輝いていた。都市全体を強固に囲う白き城壁は、もはや人工物ではなく、一つの巨大な山脈が大地を区切っているかのようすらあった。
そして何より――龍馬の心を狂おしいほどに揺さぶったのは、その遥か上空だった。
「……空に、島が浮いちゅう」
龍馬の視線は、王都の上空に点在する浮遊島へと完全に釘付けになっていた。
大小様々な、剥き出しの岩塊が重力を無視して天空に静止し、その土台の上には、精緻な石造りの建築物や監視塔が築かれている。
その島の一つへ向かって、巨大な翼を広げた数騎の飛竜が、美しく旋回しながら吸い込まれるように飛び去っていくのが見えた。
「ほぉぉ……!!」
龍馬の目が、新種のおもちゃを見つけた子供のように爛々と輝きだす。
そのお上りさんらしい様子に、隣のランセルが苦笑しながら説明を加えた。
「あれは王国の誇る『竜騎士団』の駐屯地ですよ」
「駐屯地ぃ? あんな空の上の島に、兵隊がおるがか?」
「ええ。飛竜という生き物は高地を好みますからね。元々は、険しい山岳地帯やあの様な浮遊島にのみ生息する種なのです。平地ではどうにも落ち着かず、繁殖も極めて難しい。ですから、王国はあの浮遊島の環境を利用して、飛竜たちを組織的に管理・飼育しているのです」
「なるほどのう……」
龍馬は感心したように何度も唸ると、ふと、自分の肩の上で死んだように丸くなって寝そべっている小さな蛇のようなトカゲ――皇帝龍へと視線を向けた。
「のう、皇さん。おまん、あれを見て何とも思わんがかよ? 同じ『竜』の仲間が、人間に大人しく飼われちゅうんは、プライドが許さんとか」
龍馬の気安すぎる問いかけに、皇帝龍は片目を薄く開け、大きな欠伸混じりにフンと鼻を鳴らした。
『愚かな問いだ』
その低く響く念話が、龍馬の脳内に直接届く。
『あのような羽の生えたトカゲ風情、我が一族と並べること自体が片腹痛い』
「薄情なやっちゃのう」
龍馬がケラケラと笑うが、その不敬極まるやり取りを横で聞いていたランセルが、顔を真っ青にして慌てて割り込んできた。
「あ、いえ……! 皇帝龍様のお言葉は、決して冷酷というわけではなく、生物としての事実なのです、龍馬さん!」
「ん? どういうことじゃ、ランセル」
ランセルは王都上空を悠然と飛ぶ飛竜たちを畏怖の目で見上げながら、声を潜めて語りだした。
「一口に『竜種』と言っても、そこには天と地ほどの明確な格差が存在するのです。……あの竜騎士団の飛竜は、竜種の中でも最も下位に位置する弱い存在に過ぎません。知性も限定的で、獣に近い。ですが、数百年、数千年の時を生き抜いた極一部の個体は、やがて強大な力と知性を持つ“成竜”へと成長する」
「ほう……竜にも積み重ねがあるがか」
「そんな生易しいものではありません。さらに、その成竜たちの中でも、世界の理を覆すほどの圧倒的な力を持った極めて異質な個体だけが、神の領域――“古龍”へ至ると言われています」
そこでランセルは、唾を飲み込みながら、恐る恐る龍馬の肩の上の小さな影を盗み見た。
「そして、その古龍は……この世界に、わずか五頭しか存在しないとされているのです」
「五頭?」
「ええ。この世界には五つの広大な大陸があります。そして、『一つの大陸に一頭の古龍しか存在しない』。それが神話の時代から続く世界の理。ようするにそれぞれの大陸がそれぞれの古龍の『ナワバリ』なのです」
ランセルの必死な説明を聞き、龍馬は動きを止め、ぽかんとした顔で肩の皇帝龍をじっと見つめた。
「……皇さん。おまん、実はそんなに凄かったがか」
『今更か、無知なる人間め』
皇帝龍は心底呆れたように、ふいっと顔を背けて鼻を鳴らす。
龍馬は腕を組み、うーむ、と真剣な顔でしばらく考え込み始めた。その様子を見て、皇帝龍がわずかに不審そうな気配を放つ。
『……なんだ。その妙にねちっこい視線は』
「いやなぁ、皇爺さん、と呼ぶべきかのう、思うて」
『……なに?』
「いやいや、古龍っちゅうくらいじゃき、何千年も生きちゅうがろう? それなら『皇爺さん』の方が、がっしりとして貫禄があるろう?」
『貴様という奴は本当に……我を何だと思っている……』
脳内に響く皇帝龍の深々とした、頭痛を堪えるような溜息。
だが龍馬は全く気に留める風もなく、ケラケラと豪快に笑いながら、懐から握り飯を取り出した。
「ま、ええか! どんなに凄かろうが、皇さんは皇さんじゃきな。ほれ、飯にするぞ」
『……ふん。ならば、もう一つ寄越せ』
「ははは! 偉そうなこと言うわりに、まっこと食い意地だけは張っちゅうのう!」
そんな他愛のない馬鹿話をしているうちに、ついに王都の外縁部へと辿り着いていた。
王都の巨大な城壁の周囲には、見渡す限りの広大な農地と、それを耕す人々の無数の集落が網の目のように広がっている。
「戦時には、周囲の開拓村や農村の民達も全員、あの頑強な城壁の内側へ一斉に避難するのです」
馬車の進路を調整しながら、ランセルが淡々と説明する。
「だからこそ、王都の城壁は、内側にそれだけの人口を一時的に収容できるよう、あれほど狂気じみた巨大さで作られているのですよ」
龍馬は、改めて目前に迫る巨大都市を見上げた。
圧倒的な数の、人。
世界中から集まる、物流。
国家を動かす、権力。
空を支配する、軍。
神の威光を背負う、宗教。
そして、それら全てを循環させる膨大な、富。
人間の欲望と営みのすべてが、この一つの場所にこれでもかと濃縮され、集まっている。
「ほぉぉ……」
龍馬の口元が、ゾクゾクとするような興奮を抑えきれずに、ゆっくりと三日月のように吊り上がった。
「まっこと……化け物みたいな都じゃのう」
やがて商団は、一般の旅人や領民が長蛇の列を作っている入都門とは別に設けられた、重厚な装飾の施された“商業ギルド専用門”へと進んでいった。
「我々のように商業ギルドへ登録済みの商人は、ギルド証を提示すれば簡易審査だけで優先的に入都できます」
「ほう、それはまっこと便利なもんじゃ」
「その代わり、入都後は何があろうと必ず、最初に王都の商業ギルド本部へ向かわなければなりません。荷の厳密な登録と、それに応じた税の確認義務がありますので。もし破れば、二度とこの門を潜れなくなります」
ゴゴゴ、と地響きのような重々しい音を立てて、巨大な鉄製の鉄格子と木製の門扉が開いていく。
その瞬間――遮るもののなくなった王都の凄まじい喧騒が、津波のようになって龍馬たちを容赦なく呑み込んだ。
視界を埋め尽くす、見たこともないほど無数の、多種多様な人々。
石畳を激しく叩く、行き交う馬車の車輪の音。
品物を売りさばこうと四方から飛び交う、商人たちの野太い怒鳴り声。
整備された美しい水路を、器用にすり抜けて進む小舟。
軒を連ね、見たこともない異国の至宝を並べる華やかな商店。
時を告げる壮厳な鐘の音と、人々の絶えない笑い声。
大陸最大級の都市が持つ、文字通り大地を揺るがすような圧倒的な熱量。
龍馬は、その光の渦と喧騒に眩しそうに目を細めながら、しかし、これ以上ないほど愉快に笑った。
「ええのう、ええのう……!」
その瞳には、恐怖など微塵もなく、ただただ底知れない興奮と、未知への期待が満ち満ちていた。
「これだけの人間とモノが蠢いちゅうがじゃ。こりゃあ、面白うてたまらん事になりそうじゃ」
熱気の中を突き進み、商団はついに、街の中心部にそびえ立つ、大理石で築かれた巨大な宮殿のような建築物――王都商業ギルド本部の前へと辿り着いた。
龍馬はその圧倒的な威容を見上げながら、不敵に、ニヤリと笑う。
「さて――次は何が飛び出すかのう」




