第二十七話:世界を語る男
交易都市ガルガドの夜。白亜の館『テラダ屋』の食堂は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
いつもなら、一日の仕事を終えた冒険者たちの怒鳴り声や、クインの料理を絶賛する酔客の笑い声が天井を震わせているはずの場所だ。だが今は、誰もが呼吸の音さえ殺し、中央の円卓を凝視している。
そこには、二人の男が座っていた。
一人は、着流しを崩して座る寺田屋の主、坂本龍馬。
もう一人は、黒いスーツに身を包み、全身から獣のような殺気を放つガーグファミリーの幹部、ベルノ。
一触即発。誰もがそう確信し――た筈の視線の先で。
「はっはっは!! そいつぁ面白ぇ!! お前、本気で言ってるのか!?」
ベルノが、豪快な笑い声を上げ、卓を叩いた。
「おまんの話の方が余程おもろいぜよ! ベルノ、おまん中々話がわかるのう!」
龍馬もまた、満面の笑みで応じ、並々と注がれた酒杯をベルノのそれへ叩きつけた。
「……なんで、ああなってるんだい」
カウンターの奥で煙管をきつく咥えたリサが、こめかみを押さえながら溜息をついた。周囲の冒険者たちも、完全に毒気を抜かれたように脱力している。
ただ一人、グレイグだけは壁際に立ち、鋼のような眼差しをベルノの一挙手一投足に向けていたが、それでも抜剣の気配は消えていた。
「で? 結局なんの用ながよ、ベルノ」
龍馬が皿に盛られた山盛りの肉を頬張りながら、事も無げに聞いた。
ベルノは呆れたように鼻を鳴らし、一気に酒を煽る。
「確認だよ、確認。……てっきり、またどこかの馬鹿が新しい娼館でも始めるんだと思って見に来てみれば。カラスの残党と派手に揉めてるわ、得体の知れない宿みてぇなモンを始めてるわで、訳が分からなくなってな」
「疑り深いやっちゃのう。わしはただ、皆が笑って過ごせる場所を作りたいだけぜよ」
「おいおい、綺麗事を……だいたい、お前が最初に騒ぎを起こしたのは、俺んとこの庭だったんだろうが」
「あん? おまんの庭? なんぞやそれは」
龍馬が首を傾げると、ベルノは一瞬ぽかんとした顔をした後、腹を抱えて吹き出した。
「……お前、本当に何も知らねぇのか? 最初に女急かして乗り込んだあの娼館。ありゃ、俺たちガーグファミリーの縄張りだ」
「あ!! あの娼館か!!」
龍馬がポンと手を打つ。
「今更かい……」
リサが頭を抱え、周囲の冒険者たちからどっと笑いが漏れた。
「そもそもカラスとの抗争も、元はと言えばあの娼館一帯の縄張り争いだ。あいつら、昔っから頭が悪くて力押ししか知らねぇからな」
「ほうほう。世の中、どこでどう繋がっちゅうか分からんもんじゃのう」
「お前が言うな」
酒が進むにつれ、ベルノの口からは龍馬が未だ知らぬ「世界」の断片が語られ始めた。それは、ガルガドという交易拠点に流れ着く情報の残滓であり、裏社会の物流を握る男だけが知る真実だった。
「いいか、龍馬。このガルガドは『交差点』に過ぎねぇ。ガラン伯爵領の港で水揚げされる巨大海獣の肉や油がどこへ行くか知ってるか?」
ベルノは指を折りながら語る。
北方の国家ノルディア連邦の、凍てつく大地で醸される幻の雪酒。
南の砂漠国家サルハザードから、灼熱の風に乗って運ばれてくる黄金よりも高い香辛料。
海の向こう、ヴァルディス諸島で織られる、光の加減で色を変える極彩色の織物。
「特にガラン領の海産物は王都じゃ最高級品だ。中でも“青銀貝”は、たった一個で金貨が飛ぶような馬鹿げた値で取引される」
「そんなに旨いがか!?」
「味もそうだが、希少性が尊ばれるのさ。王都の有名レストランじゃ、その貝一皿を目当てに貴族が行列を作るって話だ」
「ほぉぉぉぉ……!!」
龍馬の目が、まるで宝箱を見つけた子供のように輝き出す。
ベルノはその瞳を見ながら、ニヤリと口角を上げた。
「あと、王都の先にある森!この森を抜けた先にはエルフ共の里もある。あいつら、めったに姿を見せねぇが、持ち込む薬草や魔法具は一級品だ」
「エルフ!!うちの子らが言いよったぞ!耳が長うて、魔法を使うっちゅうあのエルフか!?」
「食いつく所そこかよ」
「当たり前じゃろ!! 会いたい!! まっこと会ってみたいぜよ!!」
「ガキか、お前は」
ベルノは毒づきながらも、龍馬という男の本質に気づき始めていた。
龍馬が金や物品の話を聞く時、その瞳の奥にあるのは、蓄財への「欲」ではない。まだ見ぬもの、まだ見ぬ人々、そしてこの世界そのものへの圧倒的な「好奇心」だ。
裏社会の泥の中で、互いの腹を探り合いながら生きてきたベルノにとって、それはあまりにも異質で、眩しすぎる光だった。
食堂の火が落とされ、客たちがそれぞれの部屋へ引き上げた後も、二人の酒宴は終わらなかった。場所を龍馬の部屋へと移し、卓の上には空になった酒瓶が転がっている。
開け放たれた窓からは、ガルガドの夜景と、夜空に浮かぶ二つの月が見えた。
「なぁ龍馬。お前、さっきから海だ港だ言ってたろう」
「ほうじゃ。海はええぞ。ロマンがあるきのう」
ベルノは酒を煽り、窓の外の夜景を見た。
「……ガラン伯爵領の港はな。昔っから“妙”なんだよ」
「妙?」
「あぁ。王都の連中は“田舎港”扱いしてやがるが、俺にはどうにもそう見えねぇ」
ベルノは指先で机を軽く叩く。
「北の船も来る。南の船も来る。西の海の珍品も、東の工芸品も、一回あそこに集まる」
「ほう」
「なのに、誰も“そこで商売しよう”としねぇ」
「……なんでじゃ?」
「さあな。みんな、“荷を降ろしたら終わり”だと思ってやがる」
ベルノは鼻で笑った。
「商人どもは王都まで持ってって売る。貴族は“王都に集まるのが当然”だと思ってる。港町の連中は“積荷を降ろす作業場”だと思ってる」
そして、少しだけ真顔になる。
「だがな……俺にゃ、どうにもあそこが“金を吐き出す場所”に見えるんだよ」
龍馬の目が細くなる。
「吐き出す……?」
「あぁ。ありゃ、何かが足りねぇだけだ。一本『線』が通れば、化ける気がする」
「線、かよ……」
「ま、俺達ゃヤクザだ。人を脅して取り立てる事は出来ても、商人みてぇに“売り買い”はしねぇ」
ベルノは笑う。
「戯言だ。忘れろ」
だが、その瞬間。
龍馬の中で、何かが繋がる。
宿泊、食事、護衛、冒険者、情報、そして世界の特産品。それら全てを繋ぐ一本の「線」が見えた。
「……長居しすぎたな。今日は帰るぜ」
ベルノは龍馬の沈黙を酔いのせいだと思ったのか、よろりと立ち上がった。
「おう。また飲もうや、ベルノ」
「気が向いたらな」
ベルノは軽く手を振ると、待たせていた部下たちと共に、夜の闇へと消えていった。
帰り道、静まり返ったガルガドの路地で、部下の一人が不安そうにベルノに問いかけた。
「……良かったんですか? ベルノさん。あのテラダ屋、放っておいて。ボスからもやるなら早めに潰した方がって……」
ベルノは立ち止まり、懐から取り出した煙草に火をつけた。紫煙を夜空へ吐き出し、その瞳を鋭く細める。
「馬鹿野郎。あれを『ただの宿屋の主人』だと思ってるなら、お前は一生下っ端だ」
「えっ……?」
「ありゃ、化け物の類だぞ」
手下の目を真っ直ぐ見返す。
「龍馬本人の腕も相当だが、もっとヤバいのはその『周り』だ。さっき見てなかったのか?」
ベルノの脳裏には、食堂にいた面々の姿が焼き付いていた。
「あの場にいた冒険者共……本来なら自分の食い扶持にしか興味がねぇはずの連中が、いつでも俺たちと一戦やる気でいやがった。それも、金のためじゃねぇ。あの場所を、あの男を守るためにだ」
「……」
「特にあの大男……グレイグだったか。ありゃ、本気で命を捨てる眼だ。あんな曲者共を、たった数週間で自分のために命を張る仲間に変えちまう。どうやったらそんな芸当ができるんだかな」
ベルノは苦笑し、頭を振った。
「オヤジには俺から話を付ける。ま、流石に冒険者ギルドを丸ごと敵に回すような真似は、俺も御免だ。笑えねぇ話だからな。だが――」
彼は夜空に浮かぶ寺田屋の最上階を見上げ、口元を歪めた。
「嫌いじゃねぇんだよな。ああいう、デカい夢を語る馬鹿は」
「……兄貴」
「坂本龍馬、か。面白い時代になりそうだぜ」
同じ頃。寺田屋の最上階。
龍馬は窓の縁に腰掛け、夜風を浴びながら二つの月を見上げていた。背後では、リサが呆れたように煙管をくゆらせている。
「……あんたねぇ。裏社会の幹部と意気投合して一晩中飲み明かすなんて普通じゃないよ。命がいくつあっても足りやしない」
「おもろい男じゃった。ベルノの話は、まっことわしの目を覚まさせてくれたぜよ」
「それだけかい? 命を狙われてたかもしれないんだよ」
だが、龍馬は聞いていなかった。
彼の脳裏には、ベルノが語った「世界」が、地図となって鮮やかに広がっていた。
青銀貝の輝く海。雪酒が眠る北の大地。香辛料の香る砂漠。そして、魔法を操るエルフの里。
それら全てが、このガルガドという交差点を通じて繋がっている。
龍馬は、膝の上で拳を強く握り締めた。
「やる……わしはやるぜよ、リサ!!」
「……今度は何を始める気だい?」
龍馬は勢いよく振り返った。その瞳には、かつて宿屋を始めた時よりも、さらに巨大で、熱い「夢」が宿っていた。
「交易じゃ!!」
夜空に向かって、龍馬の声が吼える。
「このガルガドを起点にして、王国中……いや、この大陸中を相手に交易をするがじゃ!!」
「はぁ!? あんた、そんな簡単に……足はどうするんだい、資金は、人手は!」
「簡単も難しいもあるか! 流れを作ればええがぜよ! 人も、物も、金も、情報も!! 全部を集めて、また世界へと放り出す!!」
リサは呆れて頭を抱えた。だが、その口元には、抗いようのない期待を含んだ笑みが浮かんでいた。
龍馬は両腕を大きく広げ、眠りについたガルガドの街へと叫んだ。
「交易じゃああああっ!! 」




