第二十六話:流れを作る者
交易都市ガルガド、朝の冒険者ギルド。
そこは、この街で最も「荒い」空気が煮詰められた場所だ。安酒と汗の臭いが染み付いた石造りの床。夜明けと共に溢れ出す男たちの怒鳴り声。そして、剥がれかけの依頼書を奪い合う殺気。それがこの場所の日常だった。
だがその日、掲示板の中央に貼られた一枚の紙が、その喧騒を一瞬で静まり返らせた。
『テラダ屋での護衛、荷運び、買い出し同行、夜間巡回、酔客対応などを含む』
募集:三組限定(一組二~四名)
期間:一週間契約(更新無し)
報酬:一日あたり銀貨五枚(一人辺り)
待遇:テラダ屋での宿泊・食事(三食)付き
備考:採用はテラダ屋側による選考とする。
静寂は数秒。直後、爆発的なざわめきがギルドを揺らした。
「銀貨五枚!? 正気かよ!」
「しかもあの『テラダ屋』だろ? 上級貴族や大商人が泊まるあそこに、タダで泊まって飯が食えるってのか?」
「一日銀貨五枚がありゃ、一週間で三十五枚……。魔犬の討伐依頼三回分より実入りがいいじゃねぇか!」
荒くれ者たちが色めき立つ。しかし、最後に記された一文が、彼らの困惑を誘った。
「……採用は選考制? なんだそりゃ。腕っぷし順じゃねぇのかよ」
ギルドの受付奥にある応接室では、立ち込める煙管の煙の中、龍馬が不敵な笑みを浮かべていた。傍らには冷静な眼差しを崩さないカイルと、腕を組んで控えるイーサンがいる。
対面するギルド職員は、提出された依頼書を何度も見返しては首を傾げた。
「坂本様、これは流石に前例がありません。冒険者ギルドの依頼は通常、先着順か、あるいはランクによる実力順です。宿屋側が個別に選別するなど、そんな手間のかかる真似……」
「前例が無いなら、今ここで作ればええ。それだけのことぜよ」
龍馬は椅子に深く腰掛け、窓の外に広がるガルガドの街並みを見つめた。
「わしが欲しいんは、ただの『強い駒』じゃない。寺田屋の空気を守れる奴らじゃ」
「空気、ですか?」
職員の問いに、龍馬の瞳が鋭く光る。
「子供に怒鳴り散らす奴はいらん。給仕の女たちを舐め腐った目で見る奴も、客を脅すような真似をする奴もいらん。わしはな、あそこを『家族』が笑って過ごせる場所にしたいんじゃ」
カイルが静かに補足する。
「我々の雇用条件は、単純な戦闘力ではありません。日頃の素行、ギルドへの報告姿勢、そして……街の人々への接し方です」
「じゃがな」
龍馬が少し真面目な顔になり、声を落とした。
「人は変われるもんぜよ。一度や二度、酒に呑まれて間違いを犯したからといって、それで全部終わりにする気は無い。変わる気があるなら、何回でも来ればええ。わしはそういう奴等は好きじゃ」
応接室の外、立ち聞きをしていた冒険者たちの笑い声が、いつの間にか消えていた。
数日後、選考結果が貼り出された。それを見たギルド内には、驚きと困惑が入り混じった。
■ Case 1:不名誉からの再起
「……俺たち、本当に通ったのか?」
呆然と立ち尽くすのは、以前、寺田屋で酔って給仕の女性に絡み、グレイグに叩き出された二人組の冒険者だった。
本来ならブラックリスト入りしてもおかしくない彼らに対し、受付嬢は微笑んで一枚の伝言を渡した。
「テラダ屋から言伝を預かっています。『先日は、裏路地で子供たちの荷運びを助けてくれてありがとう』とのことです」
「あ……」
彼らは顔を見合わせた。数日前、市場の隅でカラスの残党に絡まれそうになっていた寺田屋の子供を、彼らは不器用に、だが確かに守ったのだ。誰も見ていないと思っていたその瞬間を、龍馬は見逃していなかった。
■ Case 2:無名の若き才能
「魔犬討伐なんて、死ぬほどきつかったのに銀貨二枚かよ……」
肩を落とす駆け出しの少年冒険者たち。彼らは実力こそ未熟だが、依頼を終えた後に依頼主である村人の畑仕事まで手伝うような、お人好しの集まりだった。
そんな彼らの前に、イーサンが一枚の依頼書を持って現れる。
「貴方達、明日からテラダ屋にいらっしゃいませんか?」
「えっ、僕たちが!? でも、もっと強い人たちがたくさん応募してましたよ!」
「経験不足は問題ではありません」
イーサンは無愛想に、だがどこか温かく告げた。「当館の主が言うには、貴方達が村で見せた誠実さは、『剣の腕よりも重い価値がある』との仰せですので」
――――――――
契約を勝ち取った冒険者たちが寺田屋の門をくぐった瞬間、彼らは絶句した。
用意されたのは、泥にまみれた宿代わりの馬小屋ではない。ふかふかのベッド、清潔なシーツ、そして湯気が立ち上る大きな風呂だ。
「……なんだここ。天国か?」
一人の冒険者が呟く。さらに彼らを驚かせたのは、クインが作る「飯」だった。
「おい、この肉、口の中で溶けやがるぞ……! これを毎日三食!? しかも銀貨五枚もらえるんだろ?」
だが、彼らを最も変えたのは、物的な待遇以上に「人としての扱い」だった。
寺田屋の子供たちが「お兄ちゃん、かっこいい!」と目を輝かせて駆け寄り、元娼婦の給仕たちが「お疲れ様です」と、一人の客として、一人の人間として対等に接してくる。
グレイグは無言で館内を巡回し、その圧倒的な背中で「背後」を任せる安心感を教える。夜にはリサが笑いながら極上の酒を出し、「あんたたち、期待してるよ」と声をかける。
徐々に、冒険者たちの意識が変わっていった。
ある夜、食堂で事件が起きた。
流れてきた素行の悪い酔客が、忙しく立ち回る給仕の腕を強引に掴んだのだ。
「おい、美人の姉ちゃん。ちょっと付き合えよ。俺はこれでも――」
以前の寺田屋であれば、店側が対処するまで他の客は見て見ぬふりをするのが常だった。
だが今は違う。隣の席に座っていた一人の冒険者が、静かに立ち上がった。
「おい、その辺にしとけ。その子の手が止まると、俺たちの飯が遅くなる」
酔客が睨みつける。「なんだてめぇ、冒険者の分際で!」
すると、別のテーブルからも冒険者が笑いながら声を上げた。
「おっと、そいつを殴るなよ。テラダ屋で揉め事を起こすと、まず俺とコト構える事になるぜ?そろそろココのベッドで寝てぇし、クインの飯を食う邪魔をされんのが一番腹立つんだよ」
「おいおい。じゃあこの田舎モンは早い者勝ちかよ?」
周囲の冒険者たちがニヤニヤと包囲を狭める。そこには「仕事だから守る」という義務感以上の、何かがあった。
寺田屋を守ることが、自分たちの利益になる。それ以上に、この居心地の良い場所を壊されたくないという「当事者意識」が芽生えていた。
いつしか彼らは、頼まれてもいないのに子供の重い荷物を持ち、夜道で子供たちの姿を見れば自然と視線を配り、酔客を未然に制止するようになっていた。
寺田屋という一つの「点」が、冒険者たちの手によって、街の中に確かな「守りの網」を広げ始めていた。
一週間の契約が終了した冒険者たちが、ギルドに戻ってきた。
「……はぁ」
深く、重い溜息。
「どうした? 契約終了だろ。稼げたじゃないか」
同僚の問いに、冒険者は力なく首を振った。
「いや……あの一週間を経験した後だと、普通の安宿に帰りたくねぇんだよ。シーツがゴワゴワするし、飯も喉を通らねぇ……」
周囲が爆笑する。だが、その笑い声の中には隠しきれない羨望が混じっていた。
「お前、前に不採用になってたよな? なんで今回は通ったんだ?」
「……知らねぇよ。ただな――」
冒険者はギルドの窓から、遠くに見える寺田屋の白亜の壁を見つめた。
「あそこは、ちゃんと見てるんだよ。俺たちが、何をしようとしてるのかをな」
その言葉は、ギルドの空気を静かに変えていった。
ただ強ければいい、ただ金を稼げればいい。そんな荒んだ価値観の中に、「寺田屋に認められるような生き方」という新しい選択肢が生まれ始めていた。
夜。賑わう食堂の喧騒を離れて、龍馬は自室で帳簿を広げていた。
「龍さん」
カイルと共に収支を確認していると、リサがやってきた。その声はいつになく低く、鋭い。
「……ちょっと来な。珍客だよ」
龍馬が顔を上げ、食堂へと足を向ける。
食堂に入った瞬間、沸き立っていた喧騒が、まるで氷水を浴びせられたように静まり返っているのを知る。
食事をしていた冒険者たちが箸を止め、腰の剣に手をかけている。グレイグが音もなく龍馬の前に立ち、その巨大な体躯で壁を作った。
食堂の中央。そこには、一つの異質な「影」があった。
肩幅の広い長身を黒いスーツに包み、片手で酒杯を転がす男。その周囲には、鍛え抜かれた数人の部下たちが、周囲を威圧するように控えている。
男はゆっくりと視線を上げ、龍馬を見た。その瞳は冷酷な捕食者のそれでありながら、どこか龍馬を品定めするような、不気味な愉悦を孕んでいた。
「……ようやく会えたな。“テラダ屋”の主」
男がニヤリと唇を吊り上げる。その口角から覗く牙が、蝋燭の火に鈍く光った。
リサが煙管をきつく咥え直し、龍馬の耳元で囁いた。
「ガルガドを裏で操る三傑の一つ、ガーグファミリーの幹部――“黒牙”のベルノさ」
龍馬は、その威圧感を真っ向から受け止めながら、静かに笑みを返した。
寺田屋が作り始めた「流れ」が、ついに街の深淵へと接触した。
「女将、わしにも酒じゃ」




