第二十五話:門を守る者たち
交易都市ガルガドの朝。白亜の館『寺田屋』の一日は、子供たちの元気な足音と共に始まった。
「よし、今日はクインさんに頼まれた香草と、夜の分の根菜だ。忘れ物はないな?」
中心に立つジュンが、年下の子供たちを見回して確認する。かつてスラムで泥にまみれていた彼らだが、今では清潔な衣服に身を包み、その足取りには確かな自信が宿っていた。
子供たちに同行するのは、給仕役を務める元娼婦のミアだった。彼女達もまた、市場の商人たちと笑顔で軽口を叩き合えるほどに成長していた。
だが、その平穏を壊すのは、常に影から覗く悪意である。
買い出しを終え、一行が人通りの少ない裏路地へと差し掛かった瞬間だった。
「……随分と、綺麗な格好をさせてもらってるじゃねぇか」
路地の先から、不気味な笑みを浮かべた男たちが現れた。以前よりもその数は増え、その手には鈍く光る短剣や、重厚な棍棒が握られていた。
「またアンタ達か……!」
ミアが前へ出るが、男たちの目は以前のような「脅し」ではなく、寺田屋を根底から「潰す」という本気の殺気に満ちていた。子供たちを背に隠し、必死に周囲を警戒するが、退路はすでに塞がれていた。
「――そこまでだ」
路地に低く、だが鋼のように硬い声が響き渡った。
現れたのは、グレイグだった。右の袖を空にしたまま、彼はただそこに立つだけで周囲の空気を凍らせるような圧倒的な威圧感を放った。カラスの残党たちは一瞬怯んだものの、彼の片腕という姿を見ると、すぐに下卑た嘲笑を浮かべた。
「なんだその腕は。半端モンが粋がってんじゃねぇよ!」
「誰が半端モンじゃと?」
背後から聞き慣れた声が響き、龍馬とドイルが姿を現した。ドイルの手には、厳重に布で包まれた「何か」がある。
「ほれ、間に合ったぞ。グレイグ」
ドイルが鼻を鳴らし布を解いた。そこに現れたのは、白銀の金属と、何よりも異質な「素材」が組み合わさった異形の義手だった。
「……これは」
「竜の牙と錬成金属を練り上げた、わしの最高傑作じゃ」
その義手には、ドイルが緻密に彫り込んだ魔力回路が走り「竜の牙」が芯材として組み込まれていた。金属とも骨ともつかぬ不気味な光沢が、朝日に鈍く輝いている。
「門番がおらん門なんぞ、ただの鉄柵じゃ。おまんこそが、『寺田屋の門』じゃき」
龍馬の言葉と共に、ドイルが強引に義手をグレイグの肩へと接続した。
「ぐっ……!!」
神経が焼き切れるような激痛がグレイグを襲うが、彼は声を上げなかった。やがて、銀色の指がかすかに動き、拳が握られた。竜の牙を宿した義手は、まるで失われた肉体が戻ってきたかのように、驚くべき速さで彼の体に馴染んでいった。
カラスの残党の一人が、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「たかが娼婦崩れやスラムのガキを守って英雄気取りか? 反吐が出るぜ」
その言葉が発せられた瞬間、現場の空気が一変した。
龍馬の顔から、いつもの柔和な笑みが完全に消えた。
「……ちょぉ待てや、糞ガラス」
静かな、だが深淵のような怒気が龍馬から溢れ出す。「その言い様は、まっこと好かんぜよ」
「だったらどうする? 商売人が剣なんぞぶら下げやがって……!」
男が嘲笑と共に飛びかかった次の瞬間、誰も龍馬が動いたことすら認識できなかった。
一閃。抜刀の音すら置き去りにした剣閃が短刀を弾き飛ばした。
「じゃから間違うんじゃ。どいつもこいつも、おまんらぁもなぁ!」
恐怖に顔を歪めた残党の一人が、死に物狂いで龍馬に斬りかかる。迎え撃つ龍馬の刀が次の刃を弾く――前に――ギィン!! という硬質な金属音が響く。
グレイグの剣と義手が双方から伸びた剣と刀を受け止めていた。
「……この先は、旦那様の領分ではありません」
グレイグが低く告げると、龍馬は満足そうに口角を上げた。
「わしの刀を止めるたぁ、やるろう」
ここからは、もはや戦いではなく一方的な制圧だった。
刀を納刀した龍馬を背にグレイグが前に出る。
竜牙の義手が生み出す圧倒的な膂力は、男たちの棍棒を木っ端微塵に砕き、突き出された短剣を素手で握り潰した。大男とは思えない機敏な動きで次々と男たちを叩き伏せていくその姿に、カラス側は完全に恐慌状態に陥った。
「化け物か……!!」
グレイグは静かに義手を振りかぶる。
「……この人達はテラダ屋だ」
最後の一人を地に叩きつけ、グレイグは静かに言い放った。
「用があるなら“門”を通れ」
騒動の後、グレイグは正式に寺田屋の「門番」としての地位を確立した。
重い荷物の運搬、深夜の夜警、子供たちの護衛、そして時には強引な酔客をその体躯で威圧する。彼という「盾」があることで、館の安心感は飛躍的に高まった。
「グレイグーあっちいこ!」
「 高い高いして!」
子供たちも、次第に彼に懐くようになっていた。かつて死んだような目をしていた男の顔に、少しずつ、穏やかな笑みが戻っていく。
だが、寺田屋はあまりにも広く、龍馬たちの守るべき範囲は街のあちこちに広がっていた。
ある日、館内で客の騒ぎが起き、グレイグが対処に当たっている隙を突かれた。買い出し帰りの子供が人攫いに攫われそうになったのだ。
「いい値で売れそうだぞ、このガキ……」
恐怖に震える子供。だが、そこへ通りかかった見慣れぬ冒険者パーティーが介入した。
「おいおい、昼間っから人攫いかよ」
「悪趣味だな……?あれ?お前らあの宿屋の?」
彼らは軽口を叩きながらあっさりと暴漢を撃退し、駆けつけた龍馬たちに子供を引き渡した。
「手間ぁ掛けたのう。助かったき」
「気にすんな。旨い飯を食わせてもらった礼だ。それに」視線を仲間に向けた冒険者は「こっちにもスラム育ちの仲間が居るしな」
冒険者たちが去っていく背中を見ながら、龍馬は一つの真理に辿り着いた。
「守る手が足りん」
その夜、事務室で龍馬はカイルとリサに告げた。
グレイグ一人にすべてを任せるには限界がある。
「今日はたまたまさ。真面目に護衛をする冒険者なんて少ないよ。あいつらは気分屋だからね」とリサが釘を刺し、カイルも「常駐させるとなれば、莫大な費用がかかります」と懸念を述べる。
だが、龍馬は不敵に笑った。
「冒険者ぁ、『流れ』で生きちゅう。ほいたら、その流れをわしらが作ればええがぜよ」
あくる日の冒険者ギルド。
荒くれ者たちの笑い声と、安酒の匂い、そして壁に貼られた無数の依頼書が充満する空間。
その重厚な扉が、勢いよく押し開かれた。
現れたのは、一人の風変わりな「商売人」だった。
ギルド中の冒険者たちの視線が一斉に集まる中、寺田屋の主人が仕掛ける次の一手が、ガルガドの街にさらなる大きな波紋を呼ぼうとしていた。
「常設の依頼を出したいんじゃが――ちくと話をせんかのう?」




