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坂本龍馬、異世界商会記~宿屋から始めて交易で戦争を止めるまで~  作者: ダイちゃん
第二章『宿』

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第十九話:諦めていない目

巨大都市ガルガドの喧騒は、石造りの街路を一つ折れるごとに遠ざかり、代わりに湿ったカビの匂いと、何かが腐敗したような不快な臭気が鼻を突くようになった。


龍馬は、自らの足元に広がる割れた石畳と、泥水が溜まった水路を見つめ、静かに呟いた。

「……ここが、貧民街か」

隣を歩くリサが、煙管をくわえ直して短く返す。

「スラムさ。この街の、終着点だよ」

龍馬の肩の上で、小型犬サイズになった皇帝龍が不快そうに黄金の瞳を細め、鼻を鳴らした。



『死臭がするな』



龍馬は、崩れかけた壁にもたれかかる大人たちを観察し始めた。

荷運びができそうな逞しい体格の男、かつては兵士だったのか腕に傷跡を持つ者……。しかし、誰一人として龍馬と目を合わせようとはしない。

それは「休憩」ではなく、生きることそのものを途中で放り出した「放棄」の姿だった。


「……こりゃあ」

龍馬の落胆に、リサが冷徹な現実を突きつけた。

「男は駄目さ。このスラムにまで落ちて、なお動かない男は、もう『終わってる』んだよ」

リサは紫煙を吐き出し、路地裏の人間相関図を説く。

「働く気力を失い、酒に逃げ、何でもかんでも他人のせいにする。そんな連中に金だけ渡してみな。明日には酒に変わって、また同じ場所で転がってるだけさ」


龍馬は次に、うずくまっている女たちを見た。だが、リサは再び首を振った。

「女も基本は無し。……いいかい、龍さん。この世界じゃ、生きる気力のある女なら、とっくに娼婦になるか奴隷になってるんだよ」

その言葉に、龍馬の表情が痛ましげに曇った。

「女には『使い道』があるからね。だから、まだここに残っている女は、そのどちらの道も『選ばなかった』か、あるいは心を完全に折って『諦めた』かのどっちかさ」

龍馬とリサの視線が交わる。

「いいかい龍さん。あたし等が見るのは、子供等さ」

「おまん……」

「子供達は『まだ諦めていない』のさ。家族や友達、そして自分自身の為に……龍さん。ココはあんたが嫌う『女子供を使う』場所だよ」


龍馬は、固く拳を握りしめた。幕末の世でも貧困は人を壊すものだったが、この異世界の断絶はより一層深く、救いがないように感じられた。



その時だった。積み上げられたゴミの陰から、一対の鋭い眼光が龍馬を射抜いた。

汚れにまみれた服を着た少年が、自分よりさらに小さな妹の手をぎゅっと握り、龍馬を警戒するように見つめていた。


「……ぼん」

龍馬は、その瞳の奥に、スラムの大人たちには欠片も残っていなかった「火」を見た。

「……俺?」

少年は妹を背後に隠し、一歩前へ出た。その足は震えていたが、視線だけは逸らさない。

「わしは、働き手を探しゆうがよ」


その瞬間、少年の目に宿ったのは、希望というよりも「生存への執着」に近い激しさだった。

「お、俺! なんでも出来るぞっ!」

少年は必死に捲し立てた。

「荷物も持つ! 掃除だって誰よりもやる! 走れるし……それに、殴られたって平気だっ!」

妹の手を握る少年の拳が、あまりの力に白くなっている。

「……働くいうんは大変じゃぞ。生半可な気持ちじゃ務まらん」

「分かってる!!」

少年は叫んだ。

「お、俺っ……ぼく、ちゃんと働けますっ!!」


龍馬は沈黙した。少年の叫びに呼応するように、周囲の物陰から次々と子供たちが這い出してきたからだ。

痩せた頬、擦り切れた布切れを纏った姿。だがその目だけは、周囲の澱んだ空気を拒絶するように、ギラギラとした輝きを放っていた。

リサが言った通りだ。この絶望の底で、まだ世界を『諦めていない』のは、この子供たちだけだった。



龍馬の胸の内に、言葉にできない怒りが沸き上がった。それは、子供たちに対してではなく、彼らをそこに追いやった世界と、守ることを止めた大人たちへの憤りだった。

龍馬は突如として天を仰ぎ、腹の底から咆哮した。


「どいつもこいつも!! この糞大人共がぁぁぁぁぁっ!!」


その大声に、酒を煽っていた男たちが、死人のような顔をした女たちが、驚いたように一斉に龍馬を見た。

「こりゃあなんじゃ!なんなんじゃこりゃあ!」

初めて見せる、怒り。

「おまんらぁのツケ!この坂本龍馬が一切合切、払っちゃるっ!!」


リサが驚きに目を見開き、カイルは絶句したまま龍馬の背中を見つめた。

龍馬は腰の刀の鞘をカチリと鳴らし、子供たちに群がろうとしているスラムの「影」を威圧するように周囲を睨みつけた。

「こっから先!! わしの唾ぁついた奴に指一本でも手ぇ出してみいや!!」

その声は、かつて数多の修羅場を潜り抜けた男の、真実の殺気を孕んでいた。

「そっ首叩っ斬るき、覚悟しちょけぇぇぇっ!!」


スラムの喧騒は完全に沈黙し、子供たちの目に、恐怖ではない「畏怖」と、そこから派生した「小さな信頼」が芽生え始めていた。



スラムを離れ、子供達を引き連れ帰る道中、カイルが耐えかねたように口を開いた。

「……旦那様。本気ですか。この子供たちを、全員雇うなど……よろしいのですか?商売としては」

「よろしゅうはない!」

龍馬は即答し、カイルの言葉を遮った。

「ないが!! こうなった以上、やるしか無いろうが!!」

「確かに憐れみは感じます。しかし、教育コストもかかれば、周囲の反発も」


龍馬は足を止め、射抜くような強い視線をカイルにぶつけた。

「カイル、こいつ等ぁ憐れなんじゃない。まだ諦めちょらん!自分の足で立ちゆうがじゃ」

「……このやり方は、確実に潰れます」

龍馬はカイルの肩を掴み、力強く揺さぶった。

「潰れん。潰させん!!」

「どのようにして!」

「考えるんじゃっ!!」


カイルは息を呑んだ。

「人間、どうにもならん事なんぞ一つもない! 考えろっ!」

龍馬の声がカイルの胸の深くに響く。

「考えるんを止めた時が潰れる時じゃ。知恵を絞れ!カイル!考えるんじゃっ!!」

カイルは、かつて自分の人生を諦め、奴隷市場で俯いていた自分を思い出した。龍馬に言われているのは、今目の前の問題だけでなく、自分自身の生き方そのもののように感じられた。



夕暮れの白亜の館の前に、龍馬と、その後ろに不安げな顔をした十数人の子供たちが到着した。

巨大な建物を前に子供たちは息を呑み、足がすくんでいる。彼らにとって、これほど美しい場所は空の上の物語にしか存在しないものだった。


龍馬は、館の巨大な扉を勢いよく両手で押し開けた。

中からは、昨日までの暗闇を払い除けたような、磨き上げられた床が反射する眩い光が溢れ出した。


「おまんらぁのこれからは、ココからはじまるがぜ!」


龍馬の豪快な声に背中を押されるようにして、子供たちは恐る恐る、しかし力強く、新しい「城」へと足を踏み入れていった。


「よぉし!! 忙しゅうなるぜよ!!」

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