第十八話:掃除屋と眠り竜
朝日が差し込む最上階の特別室。
龍馬は天蓋付きの巨大なベッドに這い上がり、羽毛布団の端を掴んで全力で引っ張っていた。
「やから! この部屋は一等客室にするっちゅうがよ! 」
『ここは我が神域ぞ』
「勝手に神域にせんがよ」
布団の山に深く沈み込んだまま、子竜の姿をした皇帝龍が地響きのような低音で唸る。
『ここは始祖たる皇帝龍の眠る地として、永久に語り継がれよう』
「いいから出てこんかーい!」
『断ーる!』
布団を巡る一人と一匹の攻防は、もはや館の最上階における恒例行事となっていた。
階下では、朝から多くの人間が慌ただしく立ち働いていた。
龍馬がカイルの提案とリサの眼利きを経て雇い入れた面々である。
カイルの選定による人材――元執事、元メイド長、元庭師、元鍛冶師、数人の元メイドといった、確かな技能を持つ元奴隷たち。
リサが呼び集めた人材――かつての縁を辿って集まった元娼婦六人、下男二人、施設管理担当の二人。
沈黙していた廃娼館は、ようやく「動いている建物」としての呼吸を始めていた。
「ほらそこ。 柱の装飾の隙間に埃が残っているわよ。隙間にまで気を配れてこそお客さまを御もてなしする事が出来るのですよ?」
「「「「「はい!」」」」」
元メイド達に声を飛ばしているのは、元メイド長のリンダだ。彼女の指揮のもと、規律正しく布を動かしている。
「……庭の方はどうですかな、クレイル殿」
元執事のイーサンが、窓の外で格闘している元庭師に声をかける。
「ああ、水路の方は生きてる。あとはこのこびりついた苔と汚れを落とせば、昼過ぎには水が流せるはずだ」
元執事は静かに頷き、手元の銀のトレイを磨きながら答える。
「それは重畳。旦那様も、水流の音があれば喜ばれるでしょう」
リサが呼び集めた元娼婦たちも、掃除の合間に館の備品をチェックしていた。
「ねぇ、このシーツ、まだ使えるわよね?」
「洗って乾かせば大丈夫よ。でも、一等室に使うなら新調したほうがいいかも」
かつてこの場所で「売られる側」だった彼女たちは、今、自分たちの手でこの場所を「働く場所」へと変えようとしている。その表情には、どこか誇らしげな色が混じっていた。
「この屋敷でそんな事が出来るんですか?カイルさん」
「既に帝国の帝都やこの国の王城などでは既存の技術です。ただ誰にでも作れる構造では無いというだけです」
「それを、あの人が?」
「えぇ」
娼館設備を管理していた二人にとっては胡散臭い話ではあったが、館全体の図面を真剣に見詰めている元鍛冶師のドイルは
「……うむ。まぁ問題無いじゃろ。ちっとばかし経路が複雑な箇所もあるが、なんとでも出来るわい」
「「できるのかっ」」
「?当り前じゃ!出来るのは決まっとる!儂は予算内で出来るかどうかを悩んどったんじゃ!」
まさか可能・不可能を聞かれているとは思いもせず、馬鹿にするな!と声を張り上げるドワーフを「まぁそれはともかく」とあっさり切り捨てるカイル。
「これで各部屋の浴室の湯水と飲料に足る浄化水。そしてトイレや水回りの排水問題は解決の目処が立ちましたね」
「儂が手を掛ける屋敷で排泄物の処理を人力でなどさせるものかよ」
「いや、結構革新的なんですけどね」
近年では衛生関係や上下水技術が飛躍の時期を迎えており、水の魔石を利用した排水道を城や大きな屋敷に通流させ汚水を即時処分が可能となっていた。
もっとも、かなり精緻な魔道具調整の為、およそドワーフくらいしか設置する事は出来ず、また武具にしか情熱を見出せないドワーフ種が制作に乗り出すのも稀となっており、一般にはまだまだ既知の技術とは至っていないのだ。
現場の指揮はリサが執り、物資調達や予算管理はカイルが緻密に行う。元執事と元メイド長が飛ぶ鳥を落とす勢いで使用人たちに指示を出し、館は見違えるように磨かれていく。
龍馬自身もモップを片手に汗を流す。
「いやぁ、しっかしこの『モップ』ちゅうは便利がよ。腰が痛とぉにならんでええがじゃ」
「いきなり雑巾を手で押さえて床を走り出した時は何事かと思いました」
「ははは!いやぁ、こがな便利なもんがあるちはな」
しに笑われながらも、龍馬は今日も汗だくになっていた。
「しっかし、こればっかりは一向に進まんのう!」
「止まっているわけではございませんよ。着実に進んでおります」
イーサンが涼しい顔で嗜めるが、龍馬は首を振る。
「しっかし、まだ人手が足りんぜよ!」
「人手と言えば、そろそろお時間です」
「時間?」
きょとん?とする竜馬に
「リサ様が呼び寄せた料理人が到着しているはずです」
「おっ!そうじゃった!」
ロビーに現れたのは、三十代後半の無骨な男だった。
日に焼けた逞しい腕といかつい体格は、いかにも戦場のような厨房で生きてきた風格を漂わせている。
「龍さん、こいつが前の娼館で包丁を握ってたクインさ。腕はあたしが保証するよ」
リサの紹介を受け、料理人は値踏みするように龍馬を見た。
「あんたが、この場所を買い取った物好きか。後ろ盾もなしに、ここで娼館をやるのは無理だぜ」
「がはは! まぁ物好きには違いないのう。じゃがわしゃ娼館はやらん」
「……は?」
「宿じゃ。ここは最高の宿屋にするがじゃ」
「いやあんた。ここは元々娼館だぞ」
「ん?でもこれからは宿じゃ」
「…………は?」
クインは呆然と立ち尽くし、横でリサが堪えきれずに吹き出した。
「あはは! この人はね、よりによって“元娼館”で“宿屋”を始めようとしてんのさ!」
龍馬は驚きに固まる料理人へ、迷いのない笑顔で手を差し出した。
「おまんには、そこで最高の料理を振る舞って欲しい。わしと一緒に、新しい流れを作らんかえ!」
彼はしばらくその手を見つめ――やがて、呆れたように息を吐いた。
「……とんだ大馬鹿だな、あんた」
龍馬はにやりと笑う。
「夢っちゅうのはの、馬鹿にされる位が丁度ええがよ」
夜、龍馬、リサ、カイルの三人は卓を囲んでいた。
「根本的に人手が足りません。奴隷を追加購入すべきです」
カイルの帳簿に基づいた進言に、龍馬は腕を組んで唸る。
「そうそう都合よう、ええ人材がおるもんかのう……」
沈黙が流れる中
「……一つ、案が無いでもないよ」
二人の視線がリサに集中する。
「龍さん。あんた……スラムの人間を雇ってみる気はないかい?」
「スラム?……ぉお、貧民街かよ」




