第十七話:泥中の真珠
朝日が白亜の館に差し込み、埃の舞うロビーを白く照らしていた。龍馬は一人、逃げた三人が磨き残した床を黙々と磨いている。昨日の失敗には不思議と怒りは湧いてこなかった。
「……人を見るっちゅうのは、本当に難しいのう」
ポツリと漏らした言葉に、肩の上で欠伸をしていた皇帝龍が応じる。
『随分と静かだな』
「失敗したきのう……」
そこへ、外出用に身なりを整えたリサが現れた。
「行くよ、龍さん」
「……おまん」
「あんた一人じゃ、また同じ失敗をするからね」
リサの言葉には、世の中の清濁を併せ呑んできた者特有の重みがあった。今回は“現実を知る者”として、彼女が龍馬の隣を歩くことになった。
再び訪れた奴隷市場は、昨日よりも一層重苦しい空気を纏っていた。
「今回はどのような人材をお探しで?」
歩み寄る奴隷商に、龍馬が口を開きかける。「借金奴隷を――」
「犯罪奴隷の名簿も見せとくれ」
リサがそれを遮るように言い放った。奴隷商の目が、龍馬から“夜の街の女”としてのリサへと移る。
「……心得ております」
差し出された名簿を、リサの鋭い眼差しが追っていく。
「おまん、犯罪奴隷を買うがか!? あれほど恐ろしいと言っておったのに!」
龍馬が慌てて詰め寄るが、リサは動じない。奴隷商が横から口を挟む。
「借金奴隷より安価ですが、扱いは難しいですよ。使い捨てならば良いでしょうが長くお使いになるには不向きかと」
「待ちや店主、使い捨てじゃと?その言い草は好かんぜよ」
差別を何より嫌う龍馬には、このやり取り自体が耐え難かった。だがリサは、冷静に一つの名前を指差した。
「……この人でいいわ」
選ばれたのは、三十代半ばの男だった。無精髭を蓄え、生気のない姿をしていたが、その瞳の奥にある一点の光だけは、まだ死んでいなかった。罪状は『横領』。
「いやいやいや! 横領犯は流石に怖いがぜよ! 勘定を預けるわけにはいかん!」
龍馬はリサを物陰に引っ張り込むが、彼女は静かに語り始めた。
「元は大商会の番頭補佐だった男さ。妻が病気になり、その看病で仕事に穴を空けた。そこを上役に突かれたのさ。自分の損失をこいつに着せて、横領犯に仕立て上げて奴隷に落としたんだよ。夜の街じゃ、よく聞く理不尽な話さ」
「……冤罪じゃないか! そんなことが許されるがか!」
「大商会って言ったろ?デカい話なら別だろうけどね。人一人の奴隷落ち程度の話、看板とちょっとした小遣いでどうとでもなっちまうもんさ」
龍馬は言葉を失った。異世界の“制度の理不尽”が、鋭い棘のように心に突き刺さる。
男は、俯いたまま掠れた声を出した。
「……ご命令を」
「金貨五枚です」
奴隷商が提示した金額を聞き、龍馬は胸を締め付けられるような感覚に陥った。一人の人間の人生が、金貨五枚。
「今度こそ隷属契約を。これがなければ、いつ背中を刺されるか分かりませんぞ」
奴隷商の提案に、龍馬は迷わず首を振った。「断る」
呆れる奴隷商を余所に、リサが男の前に歩み出る。彼女は煙管をくゆらせたまま、男を射貫くような目で見つめた。
「魔法はかけな。ただし、この人が主。あたしが監督だ。逃げたら地獄まで追いかけるよ」
男は初めて、その顔をわずかに上げた。
その時、龍馬の頭の中に一つの閃きが走った。
「…………ぅきん……っ!そうじゃ!給金じゃっ!」
「は?」
その場の全員が耳を疑った。
「わしはおまんを買うっ!わしの宿の従業員として働いて貰う為じゃ」
龍馬は困惑する男に畳みかけるように言った。
「衣食住は保証する。しっかり働いてもらう。その代わり、わしはおまんに給金を払う!」
奴隷商は腹を抱えて笑い出した。「奴隷に給金? 冗談はやめてください。そんな話、聞いたこともありませんよ!」
だが、龍馬はどこまでも真剣だった。
「リサ、店主、すまん。やっぱりわしは奴隷ゆうんがしっくりこんがぜよ。じゃがそれはわしの小っさい器の限界じゃちゆうんも分かった。じゃからわしは給金を払うっ。これがわしなりの折り合いなんじゃ」
リサは呆れを含んだ笑みを浮かべる。
「……ほんと、変わった人だねぇ」
龍馬は奴隷と向き合う
「月に銀貨五十枚払う」
「奴隷の私に……銀貨を?」
男の唇が戦慄いた。
「それはおまんの金じゃ。どう使うたってええがよ。貯めたってええ」
「それは」
「ほうじゃ!おまんを買うた金貨5枚、おまんが貯めて、おまんがおまんを買い戻せばええんじゃ!」
「私を……解放すると……」
「違う!わしが解放するんやないき。」
龍馬は男の肩を力強く叩いた。
「おまんが!おまん自身の力で、自由を勝ち取るがぜよ!!」
その言葉が届いた瞬間、男の瞳に宿っていた微かな光が、鮮烈な輝きへと変わった。
「その代わり、仕事は厳しいぜよ! なんせわしらは、この世界で一番の商いをするがじゃきな!」
龍馬は不敵に笑い、男を指差した。
「おまんは、わしの最初の投資じゃ!!」
奴隷商は口をあんぐりと開け、リサは「全く、これだから……」と呆れながらも笑っていた。
男は震える声で、初めて自らの意志で名乗った。
「……カイル、と申します。精一杯、働かせていただきます」
「よぉし!カイル!こっから忙しゅうなるがぜよ!!」
龍馬の明るい声が市場の重苦しさを吹き飛ばしていく。
『……騒がしい連中だ』
肩の上の皇帝龍が黄金の瞳を細めた。そこには、未来への期待が微かに映っていた。




