第十四話:閉ざされた流れ
「決めたぜよ! わしゃここを買う!」
廃娼館の最上階、夜風が吹き抜けるテラスで龍馬は力強く拳を叩いた。その頭には、すでに完成図が鮮明に浮かんでいる。
「一階は広い食堂にして、ロビーには誰でも酒が飲める場所を作る。上階は旅人が足を伸ばせる宿泊部屋じゃ。情報のやり取り、商談、風呂と飯で活力を養う……。ここは、新しい流れが集まる場所になるがよ!」
元娼婦の女性は、持っていた煙管をあやうく落としそうになった。
「はぁ!? アンタ、本気で言ってんのかい!? 」
背後の豪華な天蓋付きベッドでは、子竜姿の皇帝龍がクッションの海に丸まりながら、薄く黄金の目を開けた。
『……また阿保が、夢を語っておる』
鼻を鳴らす守護龍を余所に、龍馬の心はすでに翌朝のギルドへと飛んでいた。
翌朝、商業ギルド。
龍馬の宣言を聞いた受付嬢は、手にしたペンを止めて本気で驚愕した。
「……あの、元『黒鳥の館』を、個人で購入すると?」
理由なら山ほどあった。あそこは維持費が膨大で、先の抗争の舞台となった曰く付きの物件だ。まともな商人は誰も手を出さない。だが、龍馬は懐から竜素材の換金で得た金貨の袋をどさりと置いた。
「最高の物件じゃ! あんなええ物件、なんで誰も買わんがぜよ?」
提示された建物価格は、龍馬が持つ軍資金で十分に足りた。受付嬢は困惑しながらも書類をめくり、そして大きな溜息をついた。
「商いは勢い、とおっしゃるなら止めませんが……あそこを宿として使うなら『営業許可』が必要になります」
「ほいだら営業許可!くれち」
「それが、現在あの建物は『娼館』としての営業登録されていますので『宿営業種に変更』していただかないとなりません」
「ほしたら『変更』してくれ」
「変更するためにはまず『用途変更の申請』をお願いします」
「ほんじゃ用途変更するきに」
「宿に用途を変更する場合には『宿泊業組合の審査』を通る必要があります」
「……ほいだらその組合ちゅうのに入ればええがか」
「ですが現在、宿泊業組合は新規参入を停止しています。既存宿との競合を避けるための、組合長の判断で事実上の独占保護ですね」
龍馬は、がっくりと机に突っ伏した。
土地があっても、金があっても、目に見えない「規則」という鎖が龍馬を縛り上げる。
ならば直接話をつけるまで。龍馬は宿泊業組合の拠点へと乗り込んだ。
現れたのは、熊のように厳つい体格の中年男だった。職人気質で知られる組合長は、龍馬の熱弁を腕組みして聞き流した。
「風呂に、個室、極上の夜景……。そんな宿ができれば、人は集まるだろうな。だが、だからこそ駄目だ」
「何故じゃ!」
「宿屋は信用商売だ。元娼館なんて曰く付きの場所を宿にしてみろ。治安が悪化し、近隣の反発を招く。なにより、これまで泥にまみれて宿を守ってきた既存の組合員が納得しねぇよ。悪いが、あんたの出る幕はない」
一蹴だった。
街でもすでに噂が広がっていた。
「娼館を宿に? バカじゃねぇか」
「まともな客が来るわけないだろう」
「歓楽街上がりだぞ」
蔑むような視線。龍馬は初めて、この世界における“娼館”の社会的立場の重さを理解した。
「だから言ったでしょ。この街の『普通』は、アンタが思うよりずっと硬いんだよ」
元娼婦の苦笑いに、龍馬は初めて静かに口を閉ざした。
それでも龍馬は諦めず、今度は「人集め」に奔走した。
だが、ここでも現実が立ちはだかる。
ギルドの掲示板は求人票で埋め尽くされているのに、応募者はゼロ。料理人も、掃除人も、給仕も、圧倒的に不足しているのだ。
「店以前の問題じゃのう……」
「奴隷でも買えばいいじゃないさ。手っ取り早いよ」
「…………奴隷を買うちゅうは好かんき」
龍馬のこだわりを見かねて、元娼婦が煙管をくゆらせながら提案した。
「まぁ、あたしも昔の仲間に声を掛けてはあげるよ。暇してる連中もいるだろうしね。……それでも、全然足りないだろうけどさ」
その夜。龍馬は独り、廃娼館のロビーに立っていた。
月光に照らされる巨大なシャンデリア。広く、立派で、理想そのものの空間。なのに、何一つ始められない。
許可、世論、組合、人手。四方を壁に囲まれた感覚。
「流れはある……じゃが、流れる道が無い」
ふと、龍馬は隣で様子を伺っていた元娼婦に尋ねた。
「おまんの所はどがいしてたがよ? やっぱ違法でやっちょったんか?」
「あぁ? 私たちは部屋付きだからね。娼館の部屋は、全部それぞれの娼婦の『部屋』っていう建て前なの。男はそこに『遊び』に来ただけ。だから宿屋じゃないのよ」
「でも、泊まっていくんじゃろ?」
「終わったら帰る客も多いけど。朝まで居るのもそりゃ居るわよ」
龍馬の瞳に、再び稲妻のような光が走った。
「――それじゃっ!!」
「どれだい?」
「わしゃこの建物を買う! それは全部、わしの家じゃ」
「まぁ、買えばね」
「ほんで訪ねて来た人間に、一晩部屋を貸す」
「だから宿だろ?」
「違うぜ!わしは『貸す』言うちょるだけじゃ。寝るも寝ないも、そいつらの自由。ほうじゃからこれは宿泊じゃない! 賃貸じゃ!!」
「一晩だけの……賃貸? いや、そんな乱暴な……」
彼女は呆気にとられたが、龍馬の言葉を反芻するうちに、妙な説得力を感じ始めた。この世界の法律の「穴」を、龍馬は直感的に抉り出したのだ。
「自分の家の部屋を間借りさせるんに、どこに許可をとりゃええんかのう?」
「普通は大家と借り手で決めるけど……この規模だと、ちょっとわかんないね」
威勢よく立ち上がった龍馬の目は、すでに未来を見据えていた。
「とにかく商業ギルドじゃ! 今ある道が通れんなら、新しい道を通しちゃるぜよ!」




