第十一話:商売の壁
朝の侯爵領ガルガドは喧騒に包まれていた。
石畳を叩く重厚な荷馬車の音、市場に並ぶ色鮮やかな食材と、それを奪い合うような商談の熱。すべてが、龍馬が知るどの街よりも高速で回転している。
「ええ街じゃのう……。ここなら絶対に、新しい流れが作れるぜよ」
龍馬は、人混みに肩をぶつけられながらも、満足げに目を細めた。だが、肩の上で欠伸をしていた小竜が、冷や水を浴びせるように念じる。
『……まだ宿一つ持っておらぬ身であろうが』
「今からその土台を作りに行くんじゃ!」
龍馬が向かったのは、街の中心部に鎮座する巨大な石造りの建築物。この街の経済の心臓部、商業ギルドである。
建物内は、掲示板に群がる冒険者や、契約書の不備を巡って怒鳴り合う商人たちで溢れかえっていた。龍馬はその熱気に気圧されるどころか、かえってワクワクとした表情で受付へと進み出た。
「宿屋をやりたいんじゃが! どうすればええかのぅ!」
受付嬢は、龍馬の身なりを一瞥し、慣れきった手つきで数枚の分厚い書類を机に並べた。そして、事務的な口調で説明を始めた。
「まず、宿営業権の確認です。この街では宿泊、酒場、倉庫業は地区ごとの認可制となっており、認可区内の場合には既存の宿屋組合との連動が必須です。組合の承認がない新参者に、営業権は降りません」
「なんじゃそりゃ。商売は自由なもんじゃろうが」
「規則ですので。次、物件なのですが――宿屋営業が可能な区画は、現在すべて埋まってますね」」
受付嬢の説明が進むにつれ、龍馬の顔がだんだんと固まっていく。
人が多く、利益率も高いガルガドの宿屋は、まさに立地戦争の最前線。新参者が入り込む余地など、針の穴ほども残されていなかった。
「なら、別の場所に新しく建てればええ! 土地を探して、わしが図面を引く!」
「当商業ギルドでは不動産の売買は致しますが建築は取り扱っていません。そこは『鍛冶ギルド』の管轄ですので、鍛冶ギルドにご相談ください。ギルドを出て左に進んでいけばレンガ造りの建物があります。まぁ年中煙突から煙が出てるので分かり易いでしょう」
龍馬はそのまま、建築を司る鍛冶ギルドへと足を運んだ。しかし、そこで待っていたのは、さらに厚い壁だった。
「新築? 兄ちゃん、大層な自信だがよ」
鼻を鳴らしたのは、煤けた顔のドワーフの職人だった。
「水路の引き込み、消防管理、区画整理……全部クリアして設計図はあるのか?」
「わしの頭の中にはあるがよ」
「人足は?」
「これから募集するがよ」
「建材は?」
「おまんところに無いがか?」
「あのなぁ旦那。ここは鍛冶屋だぞ。鍛冶の素材はあっても、建築材なんて置く場所はねぇよ。大工仕事のたびに材料は仕事の度に調達するんだ。大体、今から取り掛かっても完成するのは一年後だな」
「……一年って、おまん。夜が明けてしまうぜよ」
それでも龍馬は諦めない。「人なら集めればええ!」と再び商業ギルドへ戻ったが、ギルド員は無言で壁の一角を指差した。
そこには、隙間なく貼り付けられた求人票の山があった。
『料理人募集』『給仕募集』『荷運び急募』。
どれも破格の給金が提示されているが、応募者の気配はない。
「……たまらんぜよ」
土地なし、許可なし、人なし。おまけに強固な組合の鉄鎖。
現代的な市場経済の完成形とも言えるシステムが、余所者である龍馬を完璧に拒絶していた。龍馬は初めて、ギルドのカウンターに突っ伏した。
「終わっちゅう……。流れが速すぎて、足場を置く隙間もありゃせんぜよ」
『ねぐら一つ作るのに大袈裟な事よ。人とは難儀よのう』
「……黙っちくれ……」
肩の小竜に愚痴る龍馬を、周囲の商人が「また一人、夢破れた余所者がいる」と冷ややかな目で見送る。ここは成功者と同じ数だけ、失敗者が消えていく一攫千金の都市なのだ。
夕暮れ。龍馬は人気のない路地裏に座り込んでいた。
「流れはある……じゃが、入り込む隙間がない。ここは完成されすぎちゅうがじゃ……」
敵は魔王でも悪徳領主でもない。堅牢に組み上げられた「社会構造」そのもの。
考え込みながら夜の街を彷徨ううちに、龍馬は歓楽街——昼とは別の金が流れる酔街へと迷い込んだ。
きらびやかな灯り、酒と音楽。行き交う人々。
「お兄さん、一晩どう?」
艶やかな香りに顔を上げると、長い金髪の娼婦が龍馬の腕に絡みついていた。
「いかんいかん! わしゃ今、商いでそれどころじゃないがじゃ! 今おまんみとぉな別嬪さんに酔っちまったら、わしやただのド助兵衛になっちまうがよ」
「嬉しい事言ってくれちゃって。別にいいじゃない。ド助兵衛で。私はドスケベも大好きよ」
「勘弁しとくれや。だいたいわしゃ今夜の宿も決まってないち。これから探さにゃならんけの」
「あら?」と彼女はさらに身を寄せ、耳元で囁く。
「じゃあ丁度いいじゃない。風呂付き、ベッド付き、眺めも良いし、用足しだって部屋にあるし、激しくしたって誰にも聞こえやしないんだからさぁ。あたしと一晩、熱い夜を……」
「いや、だからわしゃそれどころじゃ…………っ! おまんっ!」
龍馬の目が見開かれた。
世界が止まったかのような衝撃。
宿の営業許可、建築制限、建材不足。それらすべての「壁」を、彼女の誘い文句が木っ端微塵に砕いた。
「……ちょ。ちょちょちょちょっと待ておまん!!」
「え? 急にどうしたの?」
「い、行こう! 今すぐわしを連れてってくれ!」
龍馬の形相に、娼婦はきょとんとして、だが嬉しそうに笑顔を綻ばせる。
「あら?その気になってくれた?いいわよ。今夜は熱い夜に」
「おまんの部屋!! その部屋をわしに見せてくれ!!」
「なりそ――部屋?」
「ほれ! 早く行こうぜよ! そこに、わしの求めていた答えがあるきに!!」
龍馬は彼女の手を引き、夜の街を走り出した。
完成された構造の「死角」。
誰もが「宿」だと思わなかった場所に、龍馬は新たな灯火を見つけたのだ。




