#76 金糸梅(きんしばい)
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お母さまたちを見送った後、私と文姫は外出の準備をする。
すっかり勝手知ったる行政宮とはいえ、皇子に会いにいく(会えるかはわからないが)のだから身なりは大切だ。よく陽の当たる部屋で着物を広げながら、私たちは服を選んでいる。
「この着物は……?」
「そうですねぇ。今日は太陽が陰るとちょっと寒い気がします。こっちなんてどうですか?」
「もう丈が少し短いかも。脚が出ちゃうとほら……、寒いんじゃないかしら」
文姫が私の背丈より一回り小さなドレスを差し出してくる。
第一次成長期が終わっているとはいえ、私はまだまだ幼児。去年着ていた服なんてすぐに寸足らずになる。
「あれれ? 本当だ! じゃあもうこっちも仕立て直さなきゃ。えっと、生地はどこに置いてたかなあ……」
「使用人のと一緒に仕立て屋さんに持っていってよ。ほら、こないだいくつか着物を出していたじゃない」
「あれと一緒になんてとんでもない! 小紅さまの服は少し“特殊な”作りのものが多いので仕立てられる者が限られるのですよ! 今から予約して引越しまでに間に合うかなあ。あ、長安の冬は寒いからもう冬物も準備しないと……あわわ、詩ばっかり詠んでる場合じゃなかったですう!!」
ちょうど文姫とそんなやりとりをしていた時、董家の館を誰かが訪れる。
まさか──劉辯が、尋ねてきた?
入り口からひょっこり顔だけ出して確かめたけど、そうじゃなかった。
着ている服から察するに、どうやら宮廷の役人みたいだ。
名を“馬元義”というらしい。門の前で使用人にそう名乗っていた。
「あ……」
その顔を見て、思わず声が漏れてしまった。というのも、真面目そうなその横顔には見覚えがあった。
彼は、漢詩大会で“司会”を務めていた男だったからだ。
「こんにちわ。黒赤蝶殿はいらっしゃるでしょうか。是非ともご挨拶がしたく」
私たちに気づいて、微笑みながらそう伝えてくる馬元義。
私たちは一方的に知っているけれど、彼とは正式には初対面。
「お客様ですね! 申し訳ありません。あいにく今日は仲穎さまとお出かけになっていて、いまは留守にしております」
文姫が答えた。
「……そうですか。ちょうど近くまで寄ったもので伺ってみたのですが、やはりお忙しくされていますよね。漢詩大会ではあまりちゃんとお話できなかったので、残念です」
立ち去ろうとする馬元義。
「……あ」
だけど数歩だけ踏み出してから、何か思い出したような顔で彼は振り返る。
「そうだ。あの、よろしければどうぞ」
彼が差し出したのは、一輪の黄色い花──
「これは、金糸梅という花です。あなたの悲しみを、止めてくれます」
「え……」
「ほら。さっき私の顔を見た時、なんだか少し残念そうな顔をしていらっしゃったように見えたので」
そう言って彼はまた笑う。
まだ開き切っていないようにも見えるその花の向こうで、馬元義はこう続けた。
「世の不安や悲しみを“取り除く”──それが、私たち“太平道”の願いです。あなたのその憂いも、いつかきっと晴れるでしょう」
“太平道”……どこかで聞き覚えのある言葉だ。
その言葉を、私はまだ“思い出しきれていない”。
彼の言葉が耳に優しく響く。
でも、どうしてだろう。その微笑みには、どこかゾッとするような何かを感じる。
「ありがとう……ございます」
受け取った金糸梅をじっと見つめていれば、彼は「また来ます」と言って今度こそ立ち去った。
その背を見送った時、私の胸がきりりと締め付けられた。
「う……」
「しょ、小紅さま!?」
思わず蹲った私に、すぐ文姫が駆け寄る。
「まさか……毒ですか!?」
「ち、違うわ……」
文姫の心配に手で大丈夫と伝えながら、私は頭を押さえた。
脳の奥で勝手に映像が再生される。
寒く、生命の色が抜け落ちたような灰と白。これは冬だ。
小さな薪木の火を囲む大人たち。彼らは皆、頭に“布”を巻いている。
まるで馬元義に貰った花のような、“黄”で一色に染めた布を。
女の啜り泣き、誰かの名を呼ぶ叫び声。
そして──
『……殺してやる』
静かに、深く、肉を掻き分けて突き刺さるような痛みを抱いた声。
そこから、じくじくと滲み出してくるような、“憎悪”。
……“予言”だ。
私にはわかった。新しい予言が、いま記されたんだ。
その時、握り締めていた金糸梅の枝から、花弁だけがぽとりと落ちる。
五枚の黄色い花びらを抱いたまま。
だけどそれは土に触れた瞬間、ほどけるように崩れて散っていく。
風が、花びらを再び宙へ浮かせた。
その向かう先は、王宮。
「今度はいったい……なにが起こるの?」
私の小さな呟きも、一緒にその風に溶けていく。
悲しみを止めるための戦いが、また始まろうとしていた。
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