#77 第三巻・聖者
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急いで部屋に戻った私たち。
戸棚を開けると、まだ新しい墨の匂いがした。
積まれた竹簡のうちの一本が、まだぼんやりと赤く輝いている。
その外側の表題にはこう書かれていた。
「第三巻……“聖者”?」
文姫が目を細める。一見、これまでの不穏な表題とは違う。
「聖者……」
私には、ただ一人だけこの言葉に思い当たる男がいる。
でも、彼は……
恐る恐る、竹簡の紐を解く。
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『光和四年──
冷夏は稲穗を細らせ、山果の実りを阻んだ。
食べるものを求めて山を降った獣が、村々に聞いた事もない病を流行らせる。
続いて訪れた厳冬は、飢えと病に苦しむ多くの無辜の民の命を奪った。
そんな時、どこからか中原に現れた“聖者”──張角が、奇跡の術で民を救う。
彼の祈りは不治の病をたちまち癒やし、凍った川に魚を浮かばせすらした。
もう何年も前から、彼は道教の新しい宗派を唱えていた。
それを──“太平道”という。
彼の教えである“太平道”は、彼の起こした奇跡の逸話と共に瞬く間に世に広まっていく』
やっぱり──“張角”、三国志の超・有名人物だ。それに……。
「“太平道”……? 小紅さま、これってもしかして、さっきの……」
文姫が何かに気がついたようにこちらを見る。私はそれにゆっくりと頷いた。
なぜこのタイミングで竹簡が更新されたのか、わかった気がする。それはたぶん、歴史が動き始めたからだ。
“太平道”──馬元義は、張角の“信者”だった。
彼は皇室主催の行事で司会まで任されていた。宮廷に仕える役人の中でも中堅以上の地位にいるのは間違いない。
もうそんな者にまで……張角の教えは広まりつつある。
私たちは予言の続きに目を戻す。
『光和五年──
再びの冷夏。
不作と重税に苦しめられた民が土地を捨て、各地で流民となる。
奇跡を求めた流民たちは、中華全土で“張角”の名を呼ぶ。
その声に応えるように、彼はどこにでも現れた。ついに“太平道”の信徒は、中華全土で数十万人にも至る。
光和六年──
三度目の冷夏。
逃げた住民の土地まで耕すことを求められた農民たちの疲弊は、完全に限界を迎える。
中央政府はこれをわかっていながらも、何も有効な処置を取れないまま徴税を敢行する。
多くの者が病や飢えに倒れた。その多くは老人、そして、生命力の弱い子供たち。
春を待つことすらできず、小さな骸は土の下に埋められていった。
子供の数は、この10年で最も少なくなる。
そして、光和七年──
「蒼天既に死す。黄天まさに立つべし。年は甲子にあり。天下は大いに吉なり」
義憤が、張角を突き動かす。
中華を蝕む毒を祓うべく、ついに信者たちに号令を掛けたのだ。
彼らの目標は、首都“洛陽”──腐敗した政治の中枢、漢王朝の打倒。
時代に搾取され、明日を生きることすら諦めざるを得なかった民衆。彼らの思いは一つ。
“悲しみを終わらせる──明日を生きる我が子たちの平和のために”。
その怒りと決意を体現するかの様に──彼らは皆一様に頭に“黄”の布を巻いた。
“金糸梅の黄”で染め上げた布を。
“黄巾の乱”──後に、この大反乱はそう呼ばれることになる。
乱は中華全体に波及し、霊帝さまは諸侯に号令した。
「武器を掲げ、叛逆者“張角”と、彼の信者“黄巾賊”を討て」
でも、“張角を死なせてはだめ”。
彼は心から、この中華の未来を案じて立ち上がった人。
本当の“敵”を探して。でないと、歴史は“また”繰り返す』
***
「しょ、小紅さま。今回の予言……とても私たちの力だけじゃどうやったって……」
文姫が顔を真っ青にして狼狽えている。
その反応も当然だと思う。国家規模の大反乱なんて、これまでの予言とは全然スケールが違いすぎる。
「……ええ。これはちょっと、厳しいわね」
私の額を嫌な汗が伝う。
文姫もその答えに肩を落とした。
私は歴史を知っている。
張角も、黄巾の乱も。そしてそれがどういう“結末”を迎えたのかも。
“黄巾の乱”は、三国志の始まりとなった民衆の大反乱。
張角は、その首謀者。
その張角を救う? 国家の大叛逆者を?
たとえ時間が三年あったって無茶だ。
「でも……“策”なら一つだけあるわ」
「……え?」
独り言のように呟いた私の声に、文姫が目を見開いてこちらを振り向く。
私たちは、まだただの子供だ。
いくら鍛えたって、本気の大人の戦いになんて参加する資格さえない。
だからもし一度反乱が起きてしまえば、彼を救うことは実質不可能になる。
そうならないためには、なんとかして“黄巾の乱そのもの”を回避する必要がある。
「つまり……“冷夏を、終わらせればいい”のよ」
そんなこと、普通に考えたらとてもできることじゃない。
でも、私が“その答え”に辿り着くのは、必然だった。
いつか劉辯は言った。
私の仙力は──“世界の理すら曲げる”ほどの力になり得ると。
そして実際、私は見てしまった。
あの日、梅雨の分厚い雲を割いて覗き込むように現れた“太陽”を── “朱雀”の目を。
朱雀は炎と太陽の化身。
私なら、歴史の悲劇を──冷夏を止めることができるかもしれない。
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