#72 決勝──黒赤蝶
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「ほほ。いよいよか……」
霊帝さまの声。隣の何皇后も機嫌よく頷く。
「出てきたわ! 見て、あのお化粧! いったいどんな詩を詠むのか、今から楽しみよ!」
その声に招かれるように、静かに霊帝さまの前に進み出たお母さま。
そして他の出場者たちがやったように恭しく膝をつき、頭を下げる。
「涼州の将──董卓が娘、董璃。ご披露させて頂きます」
お母さまがそう言うと、霊帝さまは席を立った。
何皇后が不思議そうに霊帝さまの方を向く。王允と何進も揃って顔を見合わせる。
「宏ちゃん……どうしたの……?」
「ほほ。なんの、“特別な演出”を用意しておっての……」
何皇后の問いに、霊帝さまは笑ってそう答えた。
ゆっくりと階段を下り、霊帝さまはそのままお母さまの隣まで歩み寄ると、その肩に手を乗せた。
もう片方の手には、あの“詠み札”。
「その化粧……まるで“戦場”にでも向かう兵のようじゃ。つまり……もう其方は“覚悟を決めた”のじゃな」
静かに、しかし残念そうに霊帝さまは呟いた。
「……はい。私は後宮に入るつもりはありません」
お母さまも小さく答える。
もし──公衆の面前で霊帝さまの求婚を断ったらどうなるか、お母さまには“わかっている”。
もちろん、霊帝さまにも。
だから二人のこのやり取りは『確認』だ。
互いが互いに“刃を向ける”前の──
「ほほ。で、あれば……朕はもう一つ“手札”を切ろう」
そう言って、霊帝さまは懐からもう一枚、“別の詠み札”を出す。
「そ……それは?」
お母さまに動揺。だって、いま霊帝さまの手に握られている詠み札は“二枚”。
一枚にはまさかの──“知らない詩”。
「当然──朕が先ほど“其方に渡した”詩のはず……であるが? はて?」
霊帝さまがとぼけた顔でそう口にする。
それを見ていた隣の文姫が思わず叫ぶ。
(っ小紅さま!? なんですかあれ!?)
(ひどい! ……これは罠よ。霊帝さまは最初から、お母さま“だけ”に恥をかかせるつもりだったのよ!)
皇帝の求婚を断るなんて、“通常”では考えられないことだ。
でも、もしそれがこんな“中華全土の有力諸侯”が集まる場で起こればどうなるか──そんなことが、ただの不敬で終わるはずがない。
霊帝さまだって、大恥をかくのだ。権威の失墜は免れない。
だから──
「私を……いいえ。“董家を嵌めた”のね……」
「ほほ。皇帝である朕に向かって、ちと不敬な物言いじゃの。……違う。選択するのは“其方”じゃ。朕は“選択肢”を与えてやっておるに過ぎん。実に慈悲深い、誠の“王たる者”の“徳”である……とは思わんか?」
霊帝さまは笑みを浮かべたまま、二枚の詠み札をそっと振った。
(……最悪。あいつ、とても皇帝の器じゃない)
(ど、同感です! とっても卑怯! 卑怯者です!)
文姫は憤りで顔を真っ赤にしている。
私はその両肩にそっと手を置いて力を込めた。
それは怒りじゃない。覚悟だ。
(でも……関係ないわ)
(はい! これで思う存分やれます!)
文姫と私は走り出す──霊帝さまに向けて。
そして、その手元から霊帝さまの“詠み札”を二枚とも抜き取った。
「な、なんじゃ!?」
霊帝さまが驚きの声をあげた。
もちろん私たちの姿は“ 誰にも見えていない”。だから、詠み札が“勝手に舞い上がった”ように見えたろう。
私たちは構わずそれを近くにあった“油灯”に投げ込む。
“詠み札”は瞬く間に燃え上がり、黒い塵になって宙を舞う。
(やっぱり、油灯は“よく燃える”わね)
(はい!)
私たちは、微笑みあってからハイタッチ。
咄嗟に飛び出そうとした衛兵を、李儒が止める。
「下がれ。霊帝さまの“演出”だ」
唖然とした顔で塵を見つめる霊帝さま。
「詠み札が……」
そう。詠み札が失われた以上、霊帝さまは“出題”という形を取れない。
ならば、お母さまは詩を詠めない? 違う。詠み札は、“もう一枚”ある。
霊帝さまが“半刻前に渡したはず”の詠み札が──“お母さまの手元”に。
その瞬間──お母さまは銀の上着を一枚脱いだ。
下から現れたのは、漆黒の着物。
その背には、真っ赤な“朱雀”の刺繍──炎の翼を広げて舞い上がる、“必勝”の鳥。
「音楽!!」
李儒が叫ぶと同時、壇上の端で待機していた楽団が演奏を始めた。
何人もの女官たちが舞い出でて、お母さまをの周りをぐるぐると回りながら囲む。
数歩後退した霊帝さま。それを、駆け寄ってきた王允と何進が支えた。
「これはなんとも……」
「素晴らしい! 誠に“特別な演出”でございますな!」
二人は驚いているようだったが、その顔は興奮で昂っている。
「きゃああ〜〜!! すごいわすごいわ!! 何これ!! 宏ちゃんすごい!!」
何皇后も大喜びで“宏ちゃん”(霊帝の名)を呼ぶ。
狼狽した霊帝さまがようやく壇上の席に戻るころ。女官たちは踊りをやめ、ふわりと舞台袖に捌けていった。
一人残ったお母さまが、舞いを続けながら詩を読む。
黒い衣に赤い刺繍、艶やかな髪に輝く照明──夜灯に舞う黒赤蝶。
『私は“長安の黒赤蝶” 蝶に牙などございません
後宮の華たる皇后さま 蝶は会えて幸せでございました
皇帝の剣たる 何進大将軍 その身に宿る誠の勇 皇室の守護は お頼みします
王佐の才の 王允どの 国を憂いて忠を通す その誠実に 諸侯は学びます
そして慈悲深き “真実の天子” 白檀と銀が似合う君
長安に帰るその前に 貴方に会えて光栄でした
漢はいずれ 天子の下に また必ずや 輝くでしょう』
高らかに謳い、舞いを終えるお母さま。
静かにその場に跪いた瞬間──会場から怒涛の拍手。
どこからか湧き上がる、“黒赤蝶”コール。
「な、なんだよこれぇ!!」
「めちゃくちゃ痺れたぜ!!」
「董璃ちゃーーん!! 結婚してくれえ!!」
「知らないのか? 黒赤蝶は、もう既婚者だぞ」
「なんだよもぉぉぉお!! ちくしょうっ!! 誰だよあの人の思い人は!?」
「とんでもねぇ幸せ者には間違いないぜ」
口々に、お母さまを讃える声。
「宏ちゃん!! 私、会えて嬉しいなんて言われちゃったわ!! どうしましょう!!」
何皇后は喜色満面で霊帝さまに抱きついている。
王允と何進も、満更でもない表情で微笑んでいる。
引き攣った顔の霊帝さまに、王允が一言。
「本当に素晴らしかったですが……。して、霊帝さまはどのような詩を?」
しばらく考えていた霊帝さまだったが、ついに呆れたように笑って言った。
「さあ、なんだったかのう。もう忘れてしもうたわ」
その表情は、どこか憑き物でも落ちたような、気持ちのいい笑みだった。
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