#68 お題
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“盧植に化けた劉辯”と別れて足早に会場へ戻った私たち。
入り口を潜った途端、耳には笑い声が戻り、装飾に反射する油灯が目に眩しい。
ついさっきまで少し煩わしいとさえ思えていたそれらの空気が、いまはとても安心する。
「ここまで来れば大丈夫。もう“気配”はありません」
後ろについていた李儒がそう言うと、お母さまはふうと息を吐いて言った。
「李儒、さっきのは何? 理由はわからないけれど、一段体温が下がったような気がしたわ」
「さあ、私にも詳しくはわかりません。彼らは“正体”を見せませんから」
入って来た会場の外を見つめて呟く李儒。その表情は変わらないが、まだ警戒を緩めていないのがわかる。
「あの人……盧植さんは大丈夫なの?」
そんな背中にお母さまが問いかける。
「…………。ええ、主人には“姉”がついていますので」
一瞬の沈黙の後、李儒はそう答えてお母さまの方を振り返った。
「いまは、“私の任務”に集中するだけです」
その表情に少しだけ悲しそうな微笑みが見えた気がしたのは、気のせいだったろうか。
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壇上に再び司会が登る。銅鑼が打たれると、彼はアナウンスした。
「決勝戦の出場者はこちらへ! それぞれに霊帝さまの詠んだ詩を渡す」
それぞれの陣営で時間を待っていた曹操と孔融が、壇上に向けて歩いていく。
あの後私たちは董卓と韓遂の側で時間を過ごしていた。
李儒は確かに頼もしい護衛だったが、この大会に呼ばれているのは男どもばかりだ。
女だけで固まっていると要らぬ面倒を招きかねない。
その点、お爺ちゃんは強面の荒くれ者としてその名が通っている。最近中央ではその政治面の働きも評価されつつあるが、会場に集まっている辺境の武将たちからするとまだまだ武門一辺倒のイメージが強い。
お母さまの容姿を遠くから見ている者たちはいたけれど、声をかけてくる者は誰もいなかった。
「董璃……しっかりな。ただ、“凛”としておれ」
お爺ちゃんが、お母さまの肩に手を乗せて優しく言う。
「ええ、お父さま。どんなことになっても、武門の名に恥じない振る舞いをしてみせるわ」
お母さまが答えて、壇上に向かって歩いていく。
李儒と私たちもその後に続く。
(小紅さま。いよいよですね)
文姫が緊張したように一言。
(大丈夫よ文姫、私たちがついてる)
その手を握りしめて私は微笑む。
そう、“私たち”がいる。お母さまに、李儒……そして、劉辯も。
壇上に登ると、司会がそれぞれに書簡を手渡す。
「よいですな? 各々に渡したその文に、それぞれの返すべき詩が記してある。あの砂が再び落ち切ったときが合図。霊帝さまは、曹操殿、孔融殿、董璃殿の順で一人ずつ詩を詠まれる。自分の詩が詠まれたら中央に進み出て、詩を返されよ」
お母さまは、書簡を握り締めてこくりと頷く。
曹操と孔融からも質問はない。
「では解散。素晴らしい詩をお待ちしております」
司会の合図で、それぞれは壇上に用意された席に戻っていく。
お母さまはゆっくりと席に着くと、緊張したように書簡の封を解いていく……。
(霊帝さまはどんな詩を詠まれたのでしょうか?)
(さあね。でも、大方“予想はつく”けれど……)
文姫と二人、そんな会話をしながらお母さまの手元を見つめる。
やがて出て来たのは、一枚の詠札。
(ま……こ、これは)
文姫が顔を真っ赤にして目を白黒させる。
(“やっぱり”ね……)
私はため息をつきながら、その“詠札”──いや、これはそう。もっとわかりやすく言うならば……。
『ラブレター』──霊帝さまからお母さまへの、“後宮入り”の誘いだ。
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