#63 交錯
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霊帝さまに深く頭を下げる曹操。
観衆からは、次第に大きくなる拍手と歓声。
「いいぞ曹操! このまま決勝でも魅せてくれ!」
「いや、決勝では孔融殿が勝つだろう。やられっぱなしで終わる男ではない」
「しかしあと一枠残ってるぞ? 三人目は誰だ?」
「知るもんか。もう袁紹でいいんじゃないか? あと一人って言ったって、この雰囲気で今から詠める者がいるか? 決まったようなもんだろ」
観衆の大方は次の決勝で曹操と孔融のどちらが勝つか。その話題で持ちきりだ。
曹操は満足気に鼻を鳴らしながら頭を上げ、マントを翻して元の席へと帰って行く。
「さて、なかなか甲乙つけ難い詩が並んでおる。さあ、場は十分に温まっておるぞ? 次は誰が朕に詩を献上してくれるのじゃ?」
霊帝さまからそう声がかかるが、参加者たちは一様に顔を見合わせて小さく首を振る。お母さまも俯き、顔を固くして拳を握っていた。
肝心の文姫も、まだ地べたに伏して一心不乱に筆を走らせている。
いま彼女の邪魔はできない。
「なんじゃ? 誰もおらぬのか? まだ時間は十分残っているが……」
霊帝さまが砂時計を見る。砂はまだ半分を少し切ったかどうかというところ。あと数人は詩を詠める時間がある。でも誰も進み出る者がいないなら、予選はここで打ち切りに成るのかもしれない。
もしそうなったとして、それが恥を晒すことにはなるのだろうか? そんなことを考えていた。
「……ふむ。では仕方ない。“朕が指名する”としよう。まだ“何も書けていない者”などは……流石におるまい?」
小さな笑みに乗せて放たれた言葉。口元は笑っているが、その目の奥は笑っていない。
その言葉に、参加者たちの肩がびくりと震える。
一瞬何を言われたのかわからなかった。
でもその意味がわかった瞬間──私の中で恐ろしい想像が一気に形を成す。
だめ、待って……待って待って待って────!
そして霊帝さまの視線が会場を彷徨い……“その一点”で止まる。
──お母さまに。
そうさせたのは、視線か。それとも皇帝だけが持つ何か不思議な力のせいだろうか。
俯いて小さく震えていた肩から、すっと“力が抜けた”。
(お母さま、いけない! まだだめ!)
私は思わずお母さまにしがみついてそれを引き止めようとする。けれど、わかってる。いま私の“声”は届かない。
「小紅……そこにいるのね。怖かったでしょう? 間に合わなかったのは仕方がないわ……でも、“ありがとう”。もう十分、“勇気”をもらった」
小さく、しかし覚悟が込もった声。
お母さまの顔がゆっくりと上を向き、今まさに霊帝さまの視線と交わろうとした。その時だった──。
後ろからお母さまの肩に、ぬっと大きな手が伸びる。
「……李儒?」
ハッとしたお母さまが隣を見た。私も。
でも違う。李儒は変わらぬ無表情で“そこ”に立っている。
ゆっくり後ろを向けば、そこにいたのは“天を突く”ほど大きな背丈の男。
「ご婦人、大変申し訳ないが……次の番は私に譲ってもらえないだろうか?」
白髪混じりの柔和な笑顔。落ち着いた若草の衣に、浅葱の布で髪を巻いている、歳は四十代半ばほどだろうか。声色は落ち着いているけれど、その声量は鐘を打つように大きい。
こんなに“目立つ”大男──さっきまでこの会場にいたか?
「あ……え、あの……」
後ろから急に声をかけられて、少し混乱した様子のお母さま。男はそっとその耳に口を寄せ、今度は静かに囁く。
「貴女たち……お急ぎなさい。この大会、最初から皇帝の“狙い”は── “貴女ひとり”のようだ」
小さな声はお母さまを除き他の誰にも聞こえていなかったろうが、私には聞こえた。最初からお母さまが狙い? どういう意味なの? この人は、いったい……。
「おお、”盧植”ではないか! なんだ、急な病で今夜は来られないと聞いていたが?」
霊帝さまから嬉しそうな声が上がる。……盧植?
「遅れて申し訳ございません。最近、少々体力が落ちていましてな。お恥ずかしい限りでございます。ところで……間に合いましたかな?」
「もちろん。朕も其方の詩を聞けぬのが寂しいと思っておったところじゃ。是非ともひとつ、聞かせてくれんか?」
「勿論でございます。……して、どのような詩を?」
盧植と呼ばれた男は遅れて会場に着いたようで、どうやら“対詠”の要領もよく把握していない様子。でもさっきの言葉を聞く限り、それは“嘘”なのかもしれない。
そうだとすれば……この演技は“時間稼ぎ”? いったい何のために?
司会が改めて大会のルールを説明し、盧植はふむふむと頷きながらも幾つか確認を重ねる。
その最中にも、彼の足元は何度も小さく揺れている。額にも汗が……もしかして、あまり体調が良くないのか?
「黒赤蝶さま。……何か“策”がおありならお急ぎください。我が“主人”も……あの様子では、もうそう長くは持ちません」
李儒がそっとお母さまに囁いた。
主人──?
じっと盧植の背を見る。
その大きな身体に当たる灯火。その足元から伸びる影に、私は“違和感”を感じた。どこか──“小さい”気がする。
角度のせいか? 盧植の背丈は2メートル近い。しかしそこから伸びる彼の影は、まるで“少年”のそれだ。
何故だろうか。思わず私は台上にいたはずの“彼”を探していた────
居ない……“あの人”が居ない。
まさか────!!
(で、でっきました〜〜!!)
私が助っ人の“正体”に至りかけたのと同時、ついに待ち望んでいた“相棒”の声が聞こえる。
彼女が──文姫が、詩を書き終えたのだ。
(……っ!! 見せて!)
私は一緒になって読み札を横から覗き込む。
(ど、どうでしょうか? 無我夢中で一気に書き上げました。自分じゃなかなか悪くないと思うんですけれど……)
文姫が横から、私の顔を不安そうに伺う。
私は差し出された札にゆっくり目を通してから、彼女を見つめ返して言った。
(文姫……いける。これ……私、かなり好きかもしれない)
いける。この詩なら──間違いなく。
私は別に、詩に対して何か特別な知識があるわけじゃない。でも、先に読んだ二人の詩にはない“良さ”が、確かにこの詩にはある。
これを詠んで“お母さまが恥をかく”っていうのなら、きっとそもそも正解なんて、最初から“ない”。
(あ、あはは。えっと、“かなり好き”? ちょっと、困りますよ)
そう言って、えへへと笑う文姫。調子がいいんだから。
貴女に言ったんじゃない。私が褒めたのは詩。でも、間違ってはいない。
(もう、文姫ったら。詩のことよ? でも、すっごく“最高”。ありがとう。……ほんと頼りにしてる)
そう言って、私は小さく文姫を抱きしめる。
それから二人でお母さまに近づいて、袖の内側に静かに札を落とした。
文姫が袖を“二回”引っぱる。するとお母さまは一瞬だけ目を大きく開いてから、こくんと一つ喉を鳴らした。
袖から読み札をそっと抜き取り、静かに見つめるお母さま。
「これ……まさか、本当に……。“貴女たち”はすごい。私の誇りよ」
やがてそう口にすると、お母さまの手がそっと私たち二人の頭を撫でる。
“見えていない”はずなのに、お母さまは確かに私たちの存在を感じている。
「あとは……私に任せておきなさい」
静かに、でも力強くお母さまはそう言った。
その瞳に“赤”が灯る。董一族に流れる──“朱雀の赤”が。
「待って。そこの大きな……盧植さん? やっぱり、私に先を譲ってくれないかしら」
不意に掛けられた声に、盧植が振り返る。
「いやいやご婦人……引っ掻き回してしまってすまない。どうやら少し……疲れが残っているようだ。それとも、歳をとったのかもしれないね。“勝手”がうまく飲み込めないみたいだ。大変申し訳ないが……先にお願いしても?」
盧植は額に手を当ててそう言った。
しかし言葉とは反対に、どこかその顔は嬉しそうにも見える。
「もちろん。御気分が優れないようでしたら、あちらで少しお休みになっていて」
「ああ。そうさせてもらうよ」
そう言って、盧植は舞台袖に消えていった。
その背を眉を顰めて伺ったあと、口を開いたのは霊帝さまだ。
「ほほ。何じゃ、“黒赤蝶”。ここに及んで、まさか“自分から籠に入りに来る”とはの」
観衆には聞こえぬほどの小さな声で、柔和な顔をしたままそう言った。
言葉に込められたゾッとするような“悪意”が、一瞬で私の背を凍らせる。
でも次の瞬間、視界を遮るように舞ったのはお母さまの“黒髪”。
「何をおっしゃいますか陛下。私は“董璃”──“蝶に牙はございません”ことよ」
掻き上げた黒髪が、艶を増して光る。
その向こう。口元から一瞬だけ、“涼州の牙”が覗いたような気がした。
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