#64 黒赤蝶(くろあげは)
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「ほほ。其方もなかなか言うではないか。面白い、ではそのお手前拝見といこう」
霊帝さまはお母さまにだけ聞こえる声でそう言ってから、観衆に向けて声を張る。
「聞け。次の演者は名だたる出場者にあって紅一点──“長安の黒赤蝶”、董璃が詠む。この者は、春の茶会を辞するため、朕に宛てた“たった一枚の文”で我が心を震わせた。その才を見込み、今夜は特別にこの場に招待した次第である。“美貌”は見てのとおり本物じゃ。さて、では“詩”の方はどうか。皆期待して臨むが良い」
これまでと違い、霊帝さま“自ら”お母さまの紹介をするという“特別扱い”に、会場の注目は一気にお母さまへ。
「おお、先ほどから気にはなっておったが……」
「やはり、あの者が黒赤蝶か」
観衆から声が上がる。
「……ふ〜ん。あれが長安の……。何よ、よく見ればなかなか悪くない“見た目”じゃない」
後ろから、何皇后の呟き。
口ぶりからすると、今になってやっと女中とお母さまの区別がついたみたいだ。
その視線が頭からつま先まで、じっくり舐め回すようにお母さまに注がれる。
すでに何皇后の“嫉妬”がお母さまに向いているのか、その表情からは読み取れない。
でも爛々と輝くその“瞳”は、まるで何か宝物でも見つけた子供のそれのようにも見える。
今回の予言には、何皇后が直接お母さまを害するような描写はない。……そのはずだ。
でもどうしてだろう。それなのに私は、胸の奥で鳴る鼓動の音を無視できなかった。
「先の茶会でのご無礼に対してこのようなご高配を賜り、誠に感謝申し上げます。董家を代表してこの 董璃、霊帝さまに一句ご献上させていただきます」
お母さまは改めて霊帝さまに頭を下げる。長い髪が銀の衣を滑り落ちる度、 夜灯を反射してキラキラ輝く。その美しさは、まるで昔話の絵本に出てきたかぐや姫みたい。
「ほう、礼儀作法まで完璧だな」
「涼州の田舎でもあのような者が育つとは」
出場者たちからも称賛の声が上がる。
「ふんっ。“見目”を競いに来たのではないのだろう。さあ、早くその“才”を見せろ……黒赤蝶」
“透過の術”が、会場の反対側にいた曹操の小さな呟きを拾う。厳しいようだが、そのとおりだ。
まだ詩を披露する前だというのに、会場全体がお母さまのことを“過剰に評価”している。
ここでもし無様を晒せば、その後どうなるか。それは恐ろしいほど明確に、予言の内容を暗示していた──。
お母さまが、少しだけ緊張したような顔つきで霊帝さまの足元へと進み出る。
「董璃!」
その時、会場から大きな声。
見れば、お爺ちゃんと韓遂が笑顔を送っていた。
その目に浮かぶのは、信頼と許し。お母さまに対する“期待”じゃない。
小さく振り返ったお母さまは、嬉しそうな顔で頷いた。
「では、ご披露させていただきます」
そう言って、ふわりと袖を広げたあと祈るような姿勢をとったお母さま。
銀の両袖と一緒に、そこに流れていた黒髪が、ふわりと舞い上がって照明を反射する。
その様は──まるで 夜灯に舞う黒赤蝶
『高祖の御霊が守護りたもうは 天に愛さる我が君や
凱歌は久しくなりせども 威光は未だ遠からず
忠臣剣に誠を誓い いまも昔も龍(劉)と共に
その剣に 錆も血も未だなかるるは 其れ只君の徳心故なり』
前句は霊帝さまの名を高祖と重ねた。
それと同時に、剣を構えて国の四方に睨みを利かせている武官の働きをも讃えた。
そして皇帝の血脈に誓いを立てた剣に錆も血もないままなのは、ただ霊帝さまの徳の賜物であると締める。
これを聞いた武官たちはほほうと唸る。
霊帝さまも、少し目を見開いて顎で続きを促した。
お母さまは袖の端をパンと張り、今度は銀の衣を大きく広げてくるりと回る。
黒髪がまた宙に舞い、照明を受けたそれは蝶の鱗粉のようにお母さまの周囲で煌めく。
ふわりとまた膝をつくと、霊帝さまの方をまっすぐに見つめて言った。
『世は天の織 民は糸
季節の移ろに 衣錦を変えんは 五行に曰く 自ずから然り
文が紡いだ 錦の織の 色が変わるは然もありなん
さりとて御身に流れし血脈 漢の正統絶えるべくなし
我が君の徳 市井に至りて 自ずと織も輝きを増す
漢の世を継ぐは ただ栄華のみを羽織るにあらず
文徳で編みし 織を継ぐなり』
「これはっ……!」
「何とも美しい詩じゃ」
審査員席に並んだ文官たちも唸る。
その意味はこうだ。
世を織に例えると、それを形作っている糸は民。
世がいくら姿形を変えようとも、それは季節に応じて衣を脱ぎ変えるようなものであり、自然なことだ。
でもそれを纏う霊帝さま自身の徳が市井にまで満ち届けば、自ずと世は栄える
それは文と徳で編んだ衣を引き継いでいくようなものであり、ただ上辺の栄華だけを羽織るものではない。
つまり、文姫はここで孔融の掲げた“五行”の教理を取り入れつつも、曹操の語った新しいものを取り入れることも否定しなかった。
世──即ち“天下という織”を、文と徳で編み続けていこう。そう言ったのだ。
「なんて美しい舞いに詩なの!」
詩の余韻を裂くかのように、何皇后が拍手して立ち上がる。
その態度にありありと浮かぶのは、手放しの“賞賛”。
「……」
霊帝さまは目を丸くしつつも、やがて柔和な顔に落ち着いた。
しかし興奮で熱った顔は、まだ頬が少し赤い。
「ほほ。見事じゃ。これはなんとも……」
その瞳に、先ほどの言葉に乗っていた“悪意”は微塵もない。ただ澄んだ“好意”だけがそこにあった。
静かに立ち上がり、何皇后に続いてお母さまへと拍手を送る。
遅れて、会場全部から拍手と歓声の大洪水。
私は思わず抱きつきたくなる気持ちを抑えてお母さまの顔を見る。
「ほらね。任せてって言ったでしょう」
片目を閉じ、小さく微笑んでそう言ったお母さまは、とても綺麗だった。
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