#60 袁術
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袁紹の一句から会場の熱気は急上昇。観衆も参加者たちも堰を切ったように議論を始める。
彼らの視線の先には、もちろん袁紹。若き英雄は、高めていた緊張をほぐすように息を吐いてから席に戻る。
そんな彼と入れ替わるように、霊帝さまの前に進み出たものが一人。
その顔は鼠のように細く尖り、目にはいやらしい笑みを浮かべている。
「霊帝さま、先ほどは従兄の袁紹が大変失礼を。あやつは歴代“三公”を輩出した我が袁一族でも、特に卑しい身分の出。剣でしか物を語れぬゆえ、あのような詩を詠んだのでございます」
「なんじゃ“袁術”。詩ができたのか?」
進み出た鼠男の名は袁術。名門──袁家の現当主にして、袁紹の従弟。
後年では常に強者に媚び、弱者に偉ぶる卑怯者という評価を受けているが……こいつの雰囲気はまさしくそんな感じだ。
「はい。できるも何も、“最初から”我が心は我が君に同じでございます」
「ほほ。よい。では早速詠め」
「はは」
袁術はごほんと一つ咳払い。仰々しく袖口から腕を抜き取ると、その手には金色の読み札が握られている。
彼はそのまま、声高らかに詩を詠み上げた。
『天下の泰平 これ即ち天子の差配の賜物なり
中華の盤石 これ即ち漢朝の繁栄の帰着なり
家臣一同皆 粉骨砕身して国家案ずるべし
これ即ち我が臣民の栄誉にして 至上の務めなり
いま国家の臣 一同に会して天上を仰ぎ見ることを許されむ
嗚呼 これ即ち 至上の喜びなり』
「おお!」
「これは美しい……」
思わず採点官たちの唸り声が漏れた。
袁紹の作った不穏な空気を一気に掻っ攫う様な皇室への“美辞麗句”。
袁術は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、席についた袁紹を見遣る。
「ほほ。良いのう袁術。実に良い」
「ありがとうございます」
霊帝さまも上機嫌で袁術の詩を讃える。
「して、その美しい金の詠み札は、いったいどこから持ち込んだものじゃ?」
「はは。これは我が詩を霊帝さまに献上差し上げるため、職人たちに命じて、“事前”に用意していたものにございます」
「ふむ。其方の“意”は最初から朕と“同じ”。そう申したな」
「はい。その通りでございます」
そこでふと、霊帝さまは顎に手をやる。
「……詠み札は良い。しかしまさか……“詩”まで“誰か”に作らせたもの……というわけではあるまいな?」
「め、滅相もございませぬ! これは我が本心。先ほどの霊帝さまの一句に感激し、いま急いで書き上げたものにございます」
「ほう……では、見せてみよ。墨が乾いておらんか、朕が見てやろう」
「……ぐっ」
霊帝さまの命令に、袁術は一瞬喉を詰まらせた。
「わ、我が君……。墨で御身のお手を汚すのは、臣として避けるべきかと。そのご命令、謹んで辞退させていただきます」
「はて? 止めるのか? 其方は朕と同じ気持ち……と、つい先ほど申したではないか」
止まらぬ追及に、袁術の顔はみるみるうちに青く染まる。
会場の観衆からも、口々に戸惑いの声が上がった。
「おい……どういうことだ?」
「さあ? いま袁術殿が詠んだ詩は素晴らしかったぞ?」
「でも、よく考えると霊帝さまの詩には応えてないような気もする」
「じゃあここに来る前に作って来たのを詠んだってことかな?」
「まさか、それじゃあ競技にならないじゃないか」
「そんな訳があるか。三公を輩出した名家だぞ」
ざわめきが大きくなると、やがて霊帝さまはその右腕をそっと前に伸ばした。
その所作に、あらゆる者が息を呑んで袁術を見つめ、霊帝さまの言葉を待った。
「袁術、改めて訊こう。其方、いま詠んだ詩は──本当にいま“この場”で作ったものか? もし誰かの知恵を借り、それを己の手柄と偽って献じたのであれば……それは少々不敬であるぞ」
霊帝さまの言葉で袁術の膝は笑い。額からは大粒の汗が滝のように流れている。
それを見た何皇后がきゃっきゃとはしゃぐ。
「見て見て、お兄様。あの男、とっても焦っているわ。ほんと無様ね……。うふふ、最高よ!」
「こら、“何蓮”! 少しは口を慎め。そのような言動、皇后としてふさわしくないぞ」
「だって〜。面白いじゃないの」
何皇后と何進の話し声が聞こえてくる。
何進はやれやれとため息を吐くと、立ち上がって霊帝さまに相対した。
「霊帝さま。ご無礼を存じて申し上げる。ご覧の通り、袁術は少々この場の雰囲気に当てられて参ってしまった様子。彼の詩は大変素晴らしいものでしたが、この様子だと決勝に進むのは難しいでしょう。ここは一つ、彼の詩の評価は一旦“保留”にする。ということで如何かと」
「ほほ。何進……それは名案じゃ。朕も熱くなりすぎた。そもそもこれは、宴の席の“余興”であったのう」
袁術は、まるで彼の“英雄”でも見つけたような顔で何進を見ている。その目には涙がたまり、口元はふるふると震えていた。
その様子を見た霊帝さまは、満足そうに頷いてそれを許した。
「よかろう。袁術、では退がれ。大義であった。誠に美しいその詩は、詠み札ごと宮廷に飾っておこうぞ」
「……はは。ありがたき幸せ」
なんとかそう答えてその場に膝をつく袁術。
そばに駆け寄った侍従たちに、両脇を抱えられて退がって行く。
会場からは、拍手と歓声。もちろんその賞賛の先にいるのは霊帝さまと何進将軍だ。袁術ではない。
「袁術……」
一部始終を見ていた袁紹が、少し悲しそうな顔で小さく呟いた。
「さて、いずれも良い詩であった。次に朕に詩を披露するのは誰じゃ?」
霊帝さまがそう口を開く。そうだ、圧倒されている場合ではない。
(文姫! どう、何かいい句は浮かんだ?)
(ダメです全然思いつきません! こんな雰囲気じゃ、とてもじゃないですけどいつもの調子が……)
文姫のいう通り、これは単純な“詩”の大会じゃない。ほとんど言葉の“斬り合い”だ。
(落ち着いて、深呼吸よ。政治や権謀がわからないなら、敢えてあの中に飛び込む必要はないわ。風流で攻めればいい。いつも通りでいいの。お母さまは女性なんだから)
(は、はい。頑張ってみます)
なんとか作戦を口にしてみたが、こんな状況で文姫が落ち着いて詩を考えられるかは別問題だ。
どうする……こんな時、いったいどうすればいい?
私が頭を悩ませていると、会場の中央にまた一人──若い男が歩み出る。
「それでは、次は私が」
「ほほ。お主か、確か──」
「“孔融”にございます」
ついに来た。
孔融──予言の書にあった今大会の“優勝者”。
その物腰は柔らかく、出場者の中でも特に落ち着いた雰囲気を纏っている。
「一句、よろしいでしょうか」
彼の詩にヒントがあるかもしれない。この大会を切り抜ける重要なヒントが。
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