#40 躓き
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劉辯の元で教えを受け始めて早くも一週間。
あれから、お母さまの元にも漢詩大会の正式な招待状が届いた。
いまは文姫と二人、毎日の様に詩の練習をしているが……驚くほどセンスがない。とてもじゃないが、三週間後の大会までにはものにできないだろう。
そう……センスがないと言えば、私もだ。
まだ『透過の術』は発動できない。
それどころか、あれっきり“朱雀”の羽も、“青龍”の鳴き声すら、私の呼びかけには一度も応えなかった。
「なんなの!? 何もかも完璧にやってるのに……なんで身体が透けないの??」
確かに、最初は印を間違っていたり、術言を読み違えたりしていた。だから、術が発動しなくても焦りは無かった。
むしろ、そうしたミスを一つ見つけるたび、成功に一歩ずつ近づいているとさえ思えていた。
でも、いまは違う。
もう3日ほど、私はひたすら同じ行程をただ繰り返しているだけだ。
印の組み方も、心の中で唱える術言にも間違いはない。それは劉辯からもお墨付きをもらえた。
じゃあ……なぜ?
「うん。何度見ても、印の組み方に間違いはない。それに、声に出して読んでもらった術言も同じだ。だとすれば……五行がまだ身体にちゃんと宿せていないということしか考えられない」
劉辯が言う『五行を身体に宿す』とは、仙術発動前に行うイメージのリンクのことだ。5本の指先にそれぞれ木・火・土・金・水を意識して紐付ける。
それだって、彼に教わったように親指から順番にちゃんとイメージしている。
ちょうど一週間前、人差し指の先に感じた熱さを私は忘れていない。
「親指は木、人差し指は火……その他もちゃんと意識してる。この毎日、ずっと繰り返してきたんだもん。間違えてなんかない……」
自分の両手に目を落とす。右手の人差し指はまた、少しだけ赤く腫れている。火の気配はすぐそこに感じる。でも、わかる……何かが違う。
水晶玉が割れたあの時──私は自分に才能があるって思ってた。
恵まれた容姿に、規格外の仙力、そして五神の声や気配まで感じる相性の良さ。
『予言』なんて怖くない。そんな自信すら芽生え始めていた。まだ、ただの一つの予言さえ乗り越えていないのに、だ。
ちょっぴり浮かれ過ぎていたのかもしれない。
自分の単純さに嫌気がさす。
たとえ姿形が変わっても、中身までそれについてくるわけじゃない。
私はまだ、命の危険も社会の辛さも知らない、ただの女子高生のままだった。私自身は、何も成長していない。
そんなことを考えていると、勝手に涙が溢れた。温かい雫が、悔しくて握りしめた拳をポタポタと濡らす。
「泣くな董白。仙術は皆がそう簡単に習得できるものではない。素質があることはわかってるんだ。だから少しずつ慣らしていけばいい。其方は悪くない。むしろ、優秀だ」
劉辯のフォローが耳に痛い。
その素質は私の努力じゃない。最初から与えられていたもの。だから、そんな言葉は慰めにならない。
自分を酷く惨めに感じる。
「すみません陛下……。こんなに時間を取っていただいてるのに」
自然と謝っていた。
劉辯は、ここ毎日私のためだけに時間を割いてくれている。本当なら、彼にもたくさんやりたいことはあるはずだ。
迷惑をかけている。
そのことも、私の心を強く締め付けた。
「気にするな。それに、余の教え方が悪いのかもしれん。そうだ。明日は気分転換に休んでみてはどうだ? こう毎日練習の日々だと、其方も嫌気がさそう?」
劉辯が口にする。
休む? いや、ダメだ。
まだ何も果たせていない。それどころか、董家滅亡の日はもうすぐそこまで迫っているのに……。
このままだと、全部ぜんぶ、終わってしまう。
そう思った瞬間──押し寄せる焦りが胸を押しつぶす。喉が勝手に震え、歯がカタカタ鳴る。
「……な、休もう。なんだったら余が……」
気づけば、爆ぜた感情は勝手に唇を動かしていた。
「そんな風に……簡単に言わないで!! 私は今すぐにだって、仙術を使えるようにならなきゃいけないの!!」
劉辯が息を呑むのがわかった。
でも、この怒りは彼のせいではない。むしろ、自分自身の不甲斐なさに対して生まれたもの。ただの八つ当たりだ。
目を閉じて、深く呼吸をする。呼吸が震える。息が上手く吸えない。落ち着け、落ち着け……。
じっと、静かに時が流れた。
やがてゆっくりと目を開ければ、劉辯は苦い顔で唇を噛み締めている。まるで、心臓を掴まれたように。
一瞬だけ目が合うと、こちらを見つめる銀の瞳が不安げに揺れた。
「あ……。ご、ごめ……」
彼を傷つけてしまったことに、私はすぐに気がついた。
「大丈夫だ。少し……無神経だったな」
数回の瞬きをしてから、劉辯はそう言った。ため息の中に疲れが見える。
違う。そうじゃない。私を慰めようと、彼が必死に言葉を探してくれたこともわかってる。
何をしているんだろう。私は。
勝手に思い上がって、たった数日で努力した気になって、少しの失敗で機嫌を損ねて。
いまでは、優しく声をかけてくれた劉辯にまで、酷い言葉を投げつける始末。
悔しい。不甲斐ない。
でも……どうすればいい?
頭の中が、言葉にできない言葉で溢れた。
自然と拳が固くなる。
「おい、やめろ! 何をしてるんだ!」
大声と共に劉辯が私の手を取りあげる。
引き絞られるようにして掴まれた左腕を、血の筋がすっと伝った。小指の爪先が赤い。
手を開けば、拳を握り過ぎて傷つけてしまったみたいだ。小さな爪痕が、ズキリと痛みを送ってくる。
「馬鹿、じっとしてろ!」
そう言って、劉辯は癒しの仙術を使った。
淡い光が左手を包むと、痛みがすっと和らいでいく。
「どうして……ここまで付き合ってくれるの?」
思わず尋ねていた。
これじゃただの面倒臭い女だ。劉辯には、何のメリットもない。
「そんなの知るか!」
でも返ってきた言葉は理由じゃなかった。
「其方の願いを叶えると、余にできることならばと、そう言ったろう!」
ただ、いまの私たちの関係を表した言葉。
これが友達というものなのか。
それとも、ただ王たらんとするものの矜持か。
そこにある彼の感情を、伺い知る余地はない。
だけど私はそれを、有難いと思った。
「ありがとう……」
簡単な言葉。でも、それしか知らない。
「……いい。念の為だ。もう片方も見せろ」
目線は手。だから彼の表情は見えない。
私は静かに指示に従うが、そこに傷はなかった。
「……」
黙り込む劉辯。
沈黙が、ただ満ちる。
開いた手にじんわりと汗。腕を取る劉辯の手も、心なしか震えている。
「まさか……」
次に聞こえたのは、小さな呟きだ。
「左手を……もう一度ここに」
劉辯の声が震えている。
なんだろう? わからないが、不思議に安心させるような響きを乗せた声。
私は言われるがまま、左手を差し出した。
「違う……。見たいのは“爪”だ。」
そう言って、くるりと手首を返される。
ここ数日、手入れもされず伸びた爪。
見れば、親指のそれだけが他より少しだけ長い。
なんだかちょっぴり恥ずかしい。
「なに……? 女の子らしくないって? やめてそんな……」
「違う……。わかったんだ。なぜ其方が仙術を発動できないのか。その理由が……」
驚きに満ちた声。でも、嬉しさが隠しきれていないみたいに語尾が跳ねた。
続けて彼は言う。
「爪の伸び方が左右で逆──これは、『反転の手相』だ」
反転……? 言葉の意味について行けない。
「いったい、それはどういう……」
私が言い終わる前に、劉辯は答えを教えてくれる。
「つまり、これまでの印の組み方は正しくなかった」
その顔は、確かな自信に満ちていた。
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