#32 スカウト
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「そ、それなら……良い」
劉辯は顔を背けたが、もう怒っている感じはしなかった。
でも、あれ? ……耳が赤い?
「陛下……その、もしかして……照れてらっしゃいます?」
「照れてなどおらぬ! ちょっと疲れただけじゃ!」
劉辯はそう言うと、両手で印を結んで姿を変えた。
色白の華奢な少年は、浅黒の元気そうな男の子に変わる。うん、何度見ても同じ人物とは思えない。
「これで良いだろ? 其方にあまり仰々しく接されると調子が狂う……」
ごほんと一つ咳払い。そのまま口もとを手で隠しながら、劉辯は尋ねる。
「ええ、バッチリです。その姿なら、もう普通に話せますね」
私はそう答えた。
「じゃあ、少し話したい。其方が無事だったとわかったいま、余は色々と気になっていることがある。其方が誘拐された日、あれは確か……あの茶会の日だったな……」
そこまで言って、小さく目配せする。
「また何か、困っているんじゃないか?」
「う……」
銀の瞳が私を射抜く。その目はこちらの思惑を見通しているようで、底が知れない。
「実は……今日はお願いがあって来たの……」
私は白状するようにそう言った。
「ふむ。では立ち話も難だな。ついてこい」
劉辯は私を手招きし、行政宮の奥へと入っていった。
***
「お、お邪魔します」
通されたのは、劉辯の私室だった。
皇子の部屋だというのに、まさに質実剛健な行政宮に相応しく、整然としていて無駄なものが置いてない。
これじゃ、私の部屋の方がよっぽど派手派手しい。薄く焚かれた白檀の香りのせいか、少し気分が落ち着く。
部屋の中央に置かれた大きな机には、中華一円が描かれた地図が敷いてある。蛇行するように伸びるのは黄河、そして長江──そこにはいくつかの×印が描かれている。中には丸で囲われたものも。
「この印は何?」
「ああ、これはな。この十年で氾濫した地域を記している。丸で囲った場所は、すでに治水が終わったところだ。六月になると、年によっては大河が荒れる。今のうちに備えておかないといけないからな」
劉辯が優しく教えてくれた。
「え!? 治水……まさか、その歳でもう行政を仕切ってるわけ?」
「まさか。仕切ってなどいない。だが、余はいずれこの国を治めることになるのだ。民の安寧を守るのは王家の責務。だから、少々口出しはさせて貰っている」
その答えに、私は驚いたのと同時に胸が痛くなった。
彼はこの歳にして、いずれ自分が王になることを既に分かっている。そして、その責任を負う覚悟もある。
だからか──後宮でぬくぬくと囲われることを嫌い、行政宮に身を置いているのは。
聡明で偉大な王になろうと、彼なりに必死なのかもしれない。
ただ……このままだと彼の在位はそう長くない。
──その未来を止められるのは、私だけ。
「……どうした?」
「あ、いえ。ただ……すごいなって。私、陛下みたいな王様になら、喜んでお仕えするわ」
本心が口をついて出た。でも、彼の未来について語ることは流石にできなかった。
「はは。そう褒めるな。まだまだ未熟で、知らぬことも多い。文官たちに教えてもらいながら、この目で色々と確かめておるところだ」
「じゃあ、ここ数日会えなかったのも……?」
「ああ、この近くを回ってきた。近場だからすぐに帰れると思っていたんだが、この雨で少し足場が緩んでいてな。馬が足を取られて何日かかかってしまったよ。近くの村に泊めてもらったから何とかなったが……」
洛陽の側を流れる渭水の流域を指して彼は言った。
「なるほど。じゃあその土地は水捌けが悪いのね。周りより、少し土地が低いのかもしれないわ。馬の足が遅くなった場所には、この時期あまり近づかない方がいいかも。川が氾濫したら、すぐ水に浸かっちゃうから」
何気なく私はそう返す。ハザードマップとかあったらなあ。地盤の緩さや土地の低さなんかもすぐにわかるのに……
「……董白」
「どうしたの?」
「其方、賢いな」
気がつけば、劉辯は目を丸くして私を見ていた。え、何? 私、そんなにすごいこと言った?
「其方の言ったとおり、水捌けの悪い土地は今後浸水の恐れがある。つまり、村や街を作るならそういった場所ではダメだということだな?」
「え、ええ。逆に、川の氾濫は土地を肥えさせてくれるわ。だから、そういう土地は田畑にした方がいいのよ。でも水で根を腐らせる植物もあるから、品種は選ばないといけないけれど……」
このくらいのこと、現代知識と言えばいいのか、私にとっては常識の範囲内だ。
「そんなことまで……!!」
劉辯は衝撃を受けたように仰け反る。
いやいやいや! 小学校で教えてもらったまんま言ってるだけだからね!!
でもその後、彼の口から出たのはびっくりするような一言だった。
「董白……其方、余に仕えてみないか?」
「──え?」
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