#26 帰還
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「報告します! 東門にも、小紅さまと思しき方を連れた者は通っていないとのこと」
屋敷へと角を曲がれば、兵士の声が聞こえてくる。
周囲には篝火が轟々と灯され、屋敷は昼間のように明るい。完全武装した兵が彷徨く様は、まるで戦争でもしているみたいだ。
「っち、東西南北の門全部ダメか。積荷までちゃんと検めたんだろうな!? 最近の都は賄賂が蔓延ってるって言うぞ。これで街の外に一歩でも出ていたら、門の責任者全員、俺様が叩き切ってやる!!」
門前で兵を問い詰めてる大男は華雄だ。どんと叩いた槍の石突が地面を揺らす。
その表情は、この前見たようなどこか頼りない武将ではない。人を睨んでも殺せるほどの、圧倒的な気迫。
報告に来た兵士は細い声を出して怯えている。
私がいなくなったらどうなるか、予想はしていた。でも、実際こうして目の前に広がっている光景は、想像していたものなんかよりずっとすごかった。
私の胸に、罪悪感という痛みが刺さる。私の……せいだ。
その痛みは自然と私の足取りを重くさせた。ふらふらとした足取りで数歩前に踏み出せば、こっちを見た華雄と目が合った。
「お……お嬢?」
その声は、驚きと不安の入り混じったものだ。
私を見つけた瞬間──さっきまでの気迫が嘘のように霧散した。
「お、お嬢! お嬢さま……よく、ご無事で」
駆け寄って、私の肩を抱く華雄。その顔は煤と汗に塗れていたが、それでも彼の安堵した表情が分かった。力なく笑う彼は、どこか泣いているようにも見えた。
「ごめん……華雄。心配、かけたね」
私はただ、そう声を掛けることしかできなかった。
「お嬢さまのお帰りだ! 小紅さまが戻られたぞーー!!」
副官が小さく合図すれば、兵士達が私の帰りを大声で叫ぶ。
「な! 戻ったかーー!!」
すぐに、お爺ちゃんの大声が聞こえた。そして大勢の足音──
董卓と董璃が急いで駆けつけた。そして後ろからは、父・阿樂の姿も。その左頬は赤く腫れている。
「無事だったか小紅!? 何か酷いことをされたのか!? 怪我はないか!?」
「だ、大丈夫……」
お爺ちゃんから矢継ぎ早に聞かれるが、もちろん怪我なんてしていない。力なく笑った私を奪い取るように、母・董璃が抱きつく。
「大丈夫なもんですか! 本当に……心配したんだから!」
大声で縋りつき、わんわんと泣き喚くお母さま。
近づけられた顔は、いつも見ている強気な美人のものじゃない。
涙を袖で拭えば、目の下にもうクマができている。ただの疲れた若い女性がそこにいた。
あまりの変わり様が見ていられなくて、思わず私は視線を落とす。
その先では、落ちた化粧が衣装をめちゃめちゃに汚していた。
あんなに楽しみにしていた茶会の、美しい着物だったのに……。嬉しそうに笑う母の顔が脳裏にチラつく。
「もっとよく、顔を見せて……」
私は両頬を手で挟まれ、無理やり顔を見つめられる。
自然と眉根がより、瞳が潤んだ。唇は震え、声にならない声が喉の奥から漏れ出た。
「お……お母さま……ごめ……お、お茶会……」
小さく、でも何とか精一杯で絞り出した声は、それ以上を紡がない。なんて言えばいいのかわからない。
「お茶会に行けなかったことなんて、もうどうでもいいわ! それよりも、あなたが戻ったの! 謝ることなんてない!!」
母の口から、一番聞きたかった答えが出る。作戦は、成功したのだ。
「う……う゛ん……」
私はこんなにも……愛されていた。
不安が愛情で上書きされていく。どうしようもない喜びと安堵が、胸を満たしていく。
「すまなかった小紅!! 怖かったろう? お父さんを……許してくれ」
母の後ろで、お父さまが膝をついた。
腫れた頬は、お爺ちゃんにでも殴られたんだろう。しかしそれを抜きにしても、その姿は酷いものだった。髪は乱れ、鎧は煤で真っ黒に汚れている。たぶん、今日一日私を探し回ったんだ。
ごめんなさい、お父さま。あなたは何も悪くないのに。
「……いいえ。お父さまは悪くないの……私が……悪いの」
また一段、胸の奥の痛みが増した。
「いいや! 阿樂が悪い! 我が可愛い小紅の側に居りながら、みすみす攫われるのを許すとは!」
後ろから、お爺ちゃんが大声で怒鳴る。ビリリと空気が震えた。
「待って! お爺ちゃん──!!」
ダメ。その先を止めようと、私は思わず叫ぶ。
けれど耳に届いた言葉は、想像していたものと違った。
「……だが安心せい小紅。わかっておる。其奴のことは、これからわしが直々に、みっちり鍛え上げるからのう」
お爺ちゃんが私の頭に手を乗せて、優しくそう言った。
それを見ていた周囲の兵士たちも、ほっとしたように笑う。
その隅で、蔡邕が小さく頷いていた。きっとお爺ちゃんとお父さまの間を、うまく取り持ってくれたのだろう。
ふっと軽くなった空気が、お父さまの処分が極めて軽くすんだ事を暗に教えてくれた。
「小紅さま!!」
最後に文姫が飛び出してきて、母の上から私に抱きついた。
「う、うえ〜〜ん! よかった、よかったよ〜〜!!」
大きな声で泣く文姫の目からも、ぽろぽろ涙が溢れだす。
でもたぶん、その涙は私が無事に戻ったことだけが理由じゃない。
この作戦の成功を一番願ったのは、私と文姫だ。
わんわんと泣きやまない文姫の頭を撫でながら言った。
「ありがとう文姫、もう、心配ないわ」
私たちは勝ったんだ。最初の予言に──
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ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
ひとまず、春の茶会阻止編はここまでです。
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これからも、『董卓の孫娘』をよろしくお願いします。
2026.1.25




