神々
黄金の空は、ただ明るいだけではなかった。
そこには、時間が凍りついたような静謐と、古代の神殿がそのまま天へ持ち上がったかのような威圧があった。
円形に広がる巨大な会議場。
階層は幾重にも積み重なり、上へ行くほど神気は濃く、下へ行くほど薄かった。
椅子はそれぞれの神性を映すように、炎で編まれ、氷で削られ、風で揺れ、星屑で縁取られ、あるものは樹木の根のようにうねり、あるものは無数の刃のように尖っていた。
だが、そのすべての中心、最下層の円の真ん中にあるのは、ひどく素朴な石の椅子だった。
そしてそこに、ひとりの女神が座っていた。
いや、正確には座ったまま眠っていた。
白銀にも見える淡い髪が肩に落ち、青白い頬は静かで、まるで今この場にいること自体が面倒だとでも言いたげだった。
彼女こそ、ヤマ。
神々の視線が一斉に、彼女へ突き刺さる。
やがて、最上階の一つ下に座る巨躯の神が、槌を打ち鳴らすような声で告げた。
「それでは、混沌の神カオス・レギオンの名において、審議を始める」
声が広間の端から端まで反響し、重々しく沈んだ。
「議題は一つ。ヤマによる、他神の加護干渉、および聖域侵入の件だ」
ざわり、と空気が揺れる。
「まず最初に。」
高い階層に座る女神が勢いよく手を挙げた。
光をまとった黄金の髪。
凛とした声。
神々の中でもひときわ整った美貌を持つ。
「希望の神エスペリアです。今回の件、明らかにルール違反です。」
彼女はまっすぐに下を指さした。
指の先には、相変わらず眠ったままのヤマ。
「神によるスキル加護の授与は、対象の魂に対して正式な承認を伴います。にもかかわらず、彼女はその流れを妨害した。さらに、他神の聖域へ攻撃的な形で侵入し、結界に損傷まで与えています」
「攻撃的な侵入、か。」
別の神が鼻を鳴らす。
獣の角を持つ神で、声には苛立ちが混じっていた。
「それだけで十分に神罰ものだ。神聖な手続きを妨げるとは、秩序への挑戦だろう。」
「同感だ。」
「許されることではない。」
「結界にひびを入れたなら、完全に敵対行為だ。」
神々の声が次々と重なり、広間の空気は一気に熱を帯びた。
カオス・レギオンは手を上げて静けさを命じた。
それだけで、騒ぎはぴたりと止む。
「では、弁明を求める。ヤマ」
彼女は答えない。
答えるどころか、浅い呼吸を規則的に繰り返したまま、眠っていた。
「……寝ているのか?」
「本当に?」
「神としての自覚がないにも程がある。」
ざわめきが再燃しかけた、その時だった。
「少々、よろしいでしょうか。」
澄んだ声が、空気を切った。
神々の視線が、一斉にそちらへ向く。
そこにいたのは、闇の神エレシア・ノクス。
光の神ルミナリアと瓜二つの顔立ちを持ちながら、その髪は夜そのもののように黒く、瞳には月のような静かな艶があった。
彼女は、微笑んでいた。
妖艶で、人間なら容易に魅了することができるだろうその笑みは、場の空気を和らげるためのものではない。
神々にとってはむしろ、嫌な予感が動く。
「エレシア・ノクス。何かあるか?」
カオス・レギオンが問う。
「ええ。希望の神の主張には、少しだけ誤りがあります」
「誤り、だと?」
正義の神アストラルが即座に噛みついた。
その声は剣のように鋭い。
「言葉遊びで罪を軽くする気か?どう聞いても妨害だ。邪魔をしたならば妨害だろう!」
エレシアは困ったように肩をすくめた。
「あら。正義の神ともあろう方が、言葉の定義を雑に扱うのですね。少し意外です。」
「黙れ、闇の神。」
「では、質問を返しましょう。あなたは、加護を『与えようとした』側ですか? それとも『与えた』側ですか?」
「……何が言いたい?」
「この2つは大いに違います。」
彼女の声は穏やかだったが、会場の隅々まで届いた。
「拒否と妨害は同じではありません。拒否とは、権利を持つ者が、自分の意思で受け入れないこと。妨害とは、第三者が、外から壊すことです。」
エスペリアが眉をひそめる。
「詭弁です。神の加護は、対象への恩恵。与えようとする側に、十分な正当性があります」
「でしたら、その正当性は誰が保証するのです?」
「制度です。」
「制度は万能ではありませんよ、希望の神」
エレシアは微笑を深めた。
「たとえば、対象が一つの加護を拒んだ場合、それを妨害と呼べますか?」
「……呼ばない。」
「では、加護の対象が拒否権を持つなら、別の神の加護を止めることは『妨害』ではなく『拒否の行使』です。少なくとも、そう解釈できる余地がある。」
アストラルが吐き捨てる。
「屁理屈だ。対象ではない第三者が口を出すのは、単なる介入ではないか」
「それは違います。」
エレシアは即答した。
「神々は皆、加護を『競争的に』与えています。勇気、復讐、暴食、繁栄、死、混沌……誰の加護を受けるかで、世界は変わる。ならば、すでに加護は“個人の所有物”に近い。」
会場が静まった。
神々は、その言葉の危うさに気づいたからだ。
「所有物、だと?」
「ええ。もちろん、あくまで比喩です。でも、もし神々が“自分の気に入った者”にだけ加護を与えられるのなら、その対象にはある程度の選択権があるべきでしょう。でなければ、私も遠慮なく皆様の“お気に入り”へ山ほど加護を送ります。」
エスペリアが険しい表情を浮かべる。
「脅しですか?」
「提案です。」
「違いがない!」
「大いにあります。」
エレシアはさらりと返した。
「たとえば、同族殺しで経験値倍。略奪で経験値倍。裏切りでさらに加算。皆様の加護が一方的に通るなら、私は同じだけ“好ましくない成長”を促せます。そうなれば、最も困るのは誰でしょう?」
神々の表情が微妙に変わる。
何度も噛みついてきた正義を司る神すら、何もいえなくなる。
神の加護は世界の法則に近い。
もし一柱が本気で歪めれば、被害は世界規模になるかもしれない。
カオス・レギオンが顎に手を当てる。
「……つまり、闇の神の主張は、ヤマの行為は拒否の範囲内であり、妨害とは断定できない、ということか?」
「そうです。」
「だが、聖域への侵入はどうだ?」
「侵入、ですか?」
エレシアは少しだけ目を細めた。
「それも過剰表現です。彼女は、侵入したのではなく、抗議した」
「抗議?」
「ええ。スキル加護を与え終えてから議論するなんて、間に合わない。後から抗議しろ、というのなら、被害を受ける者はどうすればよいのです?」
「だが、結界は破れた!」
「破れたのではなく、ひびが入っただけです。」
「それを破れたと言うのだ!」
「それなら、神殿の柱が少し傾いた程度で“崩壊”と叫ぶのと同じです。言葉を大きくすれば、罪も大きく見える。ですが、実態は別です。」
アストラルは机を叩きそうな勢いで身を乗り出した。
「くだらん。ヤマは明確に加護を阻止した。その意図が悪意でないと、誰が言える?」
「では逆に問います」
エレシアの声が、一段だけ低くなる。
「彼女は本当に“阻止”したのでしょうか」
ざわり、と会場が揺れた。
エスペリアが目を細める。
「何が言いたいのです」
「ヤマは、ここに来てから一度も説明していません。それは怠慢にも見えるでしょう。けれど、別の見方もできる。彼女は、言葉で争う価値を感じていない。」
「傲慢だ!」
「あるいは、確信です。」
エレシアはゆっくりとヤマを見た。
眠る女神は、何も聞いていないように見える。
この場で唯一、神々の声に価値を見出していない存在のように。
「ヤマは、止めるべきものを止めるための最小限の行動だったかと。」
「最小限、だと?」
「ええ。彼女が本気なら、あの程度で済みません。」
神々のほとんどは、その意味を理解できなかった。
静寂。
そして次の瞬間。
大爆笑が起きた。
「ははははは!」
「聞いたか!」
「最下層の小神がか!」
「神格の大半を失った者だぞ!」
「昔話も大概にしろ!」
嘲笑。
侮蔑。
軽蔑。
神々は腹を抱えて笑っていた。
「そんな小神に何ができる?」
「そうだ!そいつと一緒にするな!」
カオス・レギオンは笑わなかった。
エレシアも笑わない。
そして。
光の神ルミナリアも。
ただ黙っていた。
カオス·レギオンが痺れを切らし声を張り上げた。
「静粛に!」
今度は小さな声で問う。
「……闇の神よ。最後に聞く。ヤマの行為は、我らの定めた規範の穴を突いた、ということか」
「そうです。」
「それを罪と断じるか?」
「断じる必要はありません。直すべきです!」
エスペリアが即座に反発する。
「規範を変えろと?」
「違います。規範の解釈です。」
エレシアは静かに続けた。
「神々が自らの好みを押し付ける時、対象に拒否権があるのか。あるなら、ヤマはその権利を行使しただけ。ないなら、これからマイナスの加護スキルが、無秩序にばらまかれることになるでしょう。」
その言葉は、鋭く、冷たかった。
誰もすぐには返せない。
正義の神でさえ、黙っていた。
カオス・レギオンはしばし目を閉じ、それからゆっくりと開いた。
「……結論を出す!」
神々が息を呑む。
「一つ目。スキル加護の拒否干渉については、白とする。現時点では、妨害とは断定しない!」
エスペリアの表情が悔しげに歪む。
だが、カオスは続けた。
「二つ目。他神の聖域への侵入については……過剰表現の可能性を含む。抗議行動として再審する。よって、即時の神罰は保留とする」
広間に、どよめきが走る。
「保留だと?」
「あり得ん。」
「甘すぎる!」
「秩序が崩れるぞ!」
声が飛び交う中、ひとりの神が低く笑った。
エレシア・ノクスだ。
その笑いに気づいた者が、僅かに背筋を冷やす。
「では、これで終わりですか?」
「まだ何かあるのか、闇の神?」
「ええ。ひとつだけ。」
彼女は眠るヤマへ、ほんの少しだけ視線を落とした。
「この女神は、皆様が思うほど無関心ではありませんよ。たぶん……むしろ、誰よりも面倒を見ているつもりでしょう。そして、神ならば礼を尽くすべきです。」
「何を馬鹿な。」
アストラルが吐き捨てる。
だが、次の瞬間だった。
ヤマが、目を閉じたまま小さく口を開いた。
「……くだらない。」
それだけだった。
けれど、その一言は、会場の温度を一気に下げた。
誰もが言葉を失う。
神々の本能が警鐘を鳴らした。
理由は分からない。
なのに恐ろしい。
振り返った時にはもう、石の椅子の上に、彼女の姿はなかった。
誰も気づかなかった。
いつ消えたのか。
どうやって消えたのか。
何も分からない。
ただ。
そこにいたはずの存在だけが消えていた。
神々は顔を見合わせる。
エレシア・ノクスだけが、楽しそうに目を細めていた。
「だから言ったでしょう。」
誰にも聞こえないほど小さな声。
だが。
その瞳には確かな愉悦があり空になった石の椅子を静かに見つめていた。




