419.慟哭
◇◇◇
「…………」
隼人が去っていくのを見送った後、沙紀はその場にずっと立ち尽くしていた。
一体どれだけそうしていたのだろう。
夜の帳が降ろされようとしている。
頭の中は真っ白だった。
自分の中の大切な何かが抜け落ち、喪失感でいっぱいだ。
時折吹き付ける風が、胸に空いてしまった穴を吹き抜けていく。
今までずっと隼人のことを想い続けてきた。
だけど月野瀬に居た頃は、何もできなくて。
いきなりの引っ越しを聞いた時もひどく動揺し、焦り、何をしていいかわからなくて。
そして何もしなければ、何も変わらないということを、嫌でも思い知った。
だからあの夏、隼人たちが帰郷した時、自ら変わろうと決意したのだ。
我儘を言って、都会での1人暮らし。
家事も手伝えるように頑張って、オシャレのことなんてよくわからなかったから、たくさん勉強して。
色んな人に助けられながら、隼人の隣に行けるよう、がむしゃらにひた走ってきた。
おかげで随分と変われたと思う。
アイドルやモデルの友達ができただなんて、かつての自分が聞いたら到底信じられないに違いない。
だけど、その結果がこれである。
隼人は確かに自分を好きになってくれた。
沙紀が行動に起こして勝ち得たものだ。
大金星といっていいだろう。
だけど隼人は他に優先することがあるからと、この気持ちを受け入れてもらえなかった。
ふいにその時、スマホが着信を告げる。
沙紀は緩慢な動きでスマホを取り出すと、画面には姫子の文字。
通話をタップすると、スマホから姫子の驚いたような声が聞こえてきた。
『ちょっと沙紀ちゃん、何があったの!? おにぃが帰るなり、1人暮らしするとか言い出したんだけど!?』
「…………」
『しかも遠いところに転校したいとか言い出して、いきなりすぎて意味わかんない! ね、一体何があったのさ!?』
ここ最近、鳴りをひそめていた姫子の慌てふためく声に、沙紀はくすりと笑いながら先ほどのことを話す。
「えっとね、私お兄さんに振られちゃったの」
『………………………………は?』
親友の間の抜けた声がやけにおかしくて、沙紀は努めて明るい声で答える。
「私ね、お兄さんのこと、ずっと好きだったの。小さい頃から、ずーっと。意識した切っ掛けとか、ほんと些細なことでさ、神楽を褒めてくれたことだったんだ。綺麗なだけじゃなくて、カッコいいって。そんなことを、キラキラした目で言ってくれて……。それまで神楽とか、家の都合で無理やりやらされていただけだったんだ。だからそんなこと言われて褒められたの初めてでさ。でもその言葉で私の世界が、一気に色付いたんだ」
『えっと、沙紀、ちゃん……?』
「姫ちゃんと友達になった切っ掛けも、実はお兄さんなんだよ。最初に姫ちゃんのお母さんが倒れちゃった時さ、姫ちゃん塞ぎ込んじゃってたでしょ? あの時お兄さんが神社にやってきて、たまたま掃除してた私に言ったんだ。『妹を笑わせてくれ!』って。自分がどうやっても笑顔にできないから手伝ってくれって、私に頼み込むように。だから私、姫ちゃんに話しかけたの」
『そう、だったんだ……』
「もとからね、姫ちゃんとは仲良くしたいと思ってたんだよ? だって月野瀬なんて田舎で、唯一の同い年の女の子なんだもの。親友になりたいって。だけど私は臆病で、話しかけられないでいて。だから、お兄さんに頼まれたからって自分に言い聞かせて姫ちゃんに話しかけたの。そんな動機だった。そういや初めて姫ちゃんに話しかけた時って、姫ちゃんがふらふらどこかへ行ってしまいそうな時だっけ」
『……そんなこと、あったね。お母さんに見立てた雲を追いかけて、バスに乗ろうとして、沙紀ちゃんにダメ―って言ってもらって、引き返したっけ』
「私ね、その時にお兄さんのこと好きになったの。妹の、誰かの笑顔のためにがむしゃらに頑張れるところが素敵だって。都会にやって来てからもそうだった」
『うん、おにぃ色々やらかしたよね』
「秋祭りで一輝さんが中学の時の人に絡まれた時は、ケンカの中へ飛び込んでいった。文化祭の時はみなもさんがお父さんと話をするために、一緒に新幹線に飛び乗って遠いところへ行っちゃうし、茉莉さんだってそう。あの時はさすがにアイドルと知り合いになってくるとか、驚かされちゃったけどね」
『あはっ、そうだね。おにぃってば、いつもとんでもないことをしでかしてばかりだから。はるちゃんと一緒に、いきなり北陸に行ったこともあってびっくりしたし』
「ふふっ、ほんとだよう。でもね、そんなところを改めて見せられて、どんどん好きになっちゃたんだ」
『沙紀ちゃん……』
親友と隼人のしでかしたことを上げ、2人して笑う。
そして沙紀は、つい先ほどのことを無理やり笑顔を作りながら口にする。
「振られた理由もね、おかしいんだ。生まれて初めてできた友達の、本当の笑顔を取り戻しにいかなきゃならないから、付き合えないって言うんだよ。私の一世一代の告白だっていうのにね」
『……………………』
「でもね、そう言われると納得するしかないよね。だって私はそうやって、誰かの笑顔のために走るお兄さんが好きになっちゃったんだからさ。きっと、春希さんがちゃんと笑えてないのを見て、心のどこかでこうなることがわかっていた。最近そのことで悩んでいる、お兄さんの心の隙に付け込もうとしてもダメだった。最後の最後で、私の好きなお兄さんになっちゃうんだもの、反則だよ。そりゃ振られちゃうよ。結局、私がしたのは、自分が好きなお兄さんが元に戻るための後押ししただけ、バカみたい!」
沙紀は叫ぶ。
いつの間にか目から零れ落ちたものが、地面に染みを作っていた。
姫子が動揺した、焦った声がスマホから聞こえてくる。
『待って、待ってよ沙紀ちゃん、あたし、知らなかったの!』
だけど沙紀は、ずっと胸の内に抱えていたものを、ありのままに親友にぶつける。
「痛い、痛いよ、胸が痛いよぉ。どうしよ、どうすればいい? わかんないよ、好きなの、ずっと好きだったの、でもどうしようもないの。やだ、やだよ、どうしてこうなっちゃったの? いっぱいいっぱい頑張ったんだよ? 振ったお兄さんもお兄さんだよ。最後に好きなお兄さんになって、恨ませてもくれないしっ!」
そこからの沙紀は、嗚咽がもれて、まともに喋れやしなかった。
そして、先に感情の限界を迎えたのは姫子だった。
『あたし、知らなかったの。沙紀ちゃんがおにぃのこと好きだって、知らなかったから、はるちゃんとおにぃのこと応援してて! 知ってたら違ったよ、沙紀ちゃんのこと応援した! でも、でも、自分のこと精一杯で、気付かなくて、うわああぁああぁあぁあぁ! ごめん、ごめんなさいあぁあぁあぁぁあぁああぁああ~~~~!』
「姫ちゃんは悪くないよ、ちゃんと相談できなかった、私が悪いのっ」
『でも、でも……っ』
「けどね、ふられちゃった。わたし、ふられちゃったぁ……っ」
そこが沙紀の限界だった。
沙紀は自分の身に起きたことを、言い聞かせるように泣きじゃくる。
これまでずっと胸の中で育み続け、報われなかった行き場のない想いを、スマホ越しの親友と共に叫ぶ。
沙紀の慟哭が、夏の気配が未だ残る空へ、虚しく吸い込まれていった。





















