418.想い伝えて、その背を押して
「はい、そうです、私がどうしても行きたかった場所です」
沙紀はどこか神妙な声を返し、校門を潜る。隼人もその後に続く。
休日の夕方と言うこともあり、人影はまばらだ。
校庭にわずかに部活の片付けをしている生徒がいる程度。
夕陽に照らされながら案内されたのは、旧校舎の裏手にある、秘密基地にも近い一画。
転校してきたばかりの頃は知らなかったが、有名な告白スポットらしい。
隼人もまた、思い返すと何度かその現場を見たことがあった。
そこで足を止めた沙紀はくるりと振り返り、真剣な顔をして隼人の心の中に引っ掛かっている、核心を突いてきた。
「ここのところずっとお兄さんが悩んでいたのって、春希さんのことですよね?」
「……あぁ」
隼人が少し迷って正直に答えると、沙紀はどこか困った顔をして自らの考えを述べる。
「今の春希さんは、日常という名の籠の鳥です」
「言い得て妙だな。けど、春希はその籠の中に居たがってる」
「でも広い世界で羽ばたく方が、春希さんにとって自然なこと」
「……わかってるよ、鳥籠で飼い殺されるより、広い世界で自由に飛ぶ――春希にとって、どっちがいいかだなんて」
沙紀に言われるまでもなく、わかっていることだ。
一輝にも指摘されていた。
春希が自分の手の届かないところに行ってしまうことを、恐れているということも。
だから、春希の背中を押せないでいる。
沙紀はそんな隼人の胸の内を見透かしたかのように微笑み、一歩前へ踏み出した。
「私はどこにも行きませんよ」
「…………っ」
隼人の胸に、沙紀の言葉がストンと落ちる。
まるでそこが居場所だといわんばかりに。
真実、その通りなのだろう。
そして沙紀は周囲を見渡した後、はにかみながら言う。
「そもそも私が行きたかった場所はここです、お兄さんの隣。だから同じ高校に行くと言って、ここに来たんです」
「あぁ……」
かつて、沙紀が宣言したことだ。
そして何故目指したかなんて、今さら野暮なことは聞かなくてもわかっている。
この場に緊張の糸が張り巡らされていき、心臓が早鐘を打ち出す。
沙紀は片手を胸に当て、深呼吸。隼人の目をまっすぐ見据え、少し硬い声でこの心地よいぬるま湯のような関係を終わらせる、決定的な言葉を紡いだ。
「お兄さん、いえ隼人さん……好きです、付き合ってください」
ガツンと、脳天を打ち付けられたような衝撃が走り、目を大きく見開く。
沙紀の好意には気付いていた。
それでもこの関係を変えてしまう意味を持つ言葉を直接告げられ、その重みに押しつぶされそうになってしまう。
だが隼人以上にその重みに耐えているのは沙紀だ。
その足はわずかに震えている。
そして沙紀は真剣な眼差しと共に、手を伸ばす。
自分を選んでくれと、いわんばかりに。
こうまでも真摯に想いをぶつけられ、返事をしないという選択肢はない。
隼人は目を瞑り、自分自身に問いかける。
村尾沙紀。
月野瀬の神社の巫女で、素晴らしい神楽を舞う、妹の親友。
昔は引っ込み思案で、姫子の背中によく隠れていたのを覚えている。
それが転校を機に、一気に変わっていった。
単身都会にやってきて、色んなことに挑戦し、どんどん垢抜けていき輝いて、春希の代わりにアイドルのステージに立つほどまでに。
それもこれも、隼人が好きだから。
隼人と想いを遂げたくて、努力して行動に移し、今こうして目の前に立っているのだ。
その事実を改めて思うと胸がキュッと締め付けられ、沙紀への想いが溢れてくる。
もはや沙紀が隣にいるのは当たり前になっており、居ないことなんて考えられない。
それほど隼人にとって沙紀は、かけがえのない存在になっていた。
目を開け、大きく息を吐き、まっすぐに沙紀を見つめる。
隼人は嘘偽りのない想いを、沙紀へと告げた。
「俺も沙紀さんのこと、好きだ。人として尊敬もしているし、女の子としても惹かれている。それに多分、生まれて初めて異性として意識して好きになったの、沙紀さんが初めてだと思う」
「ほ、ほんとですか?」
初恋の相手とも受け取れる言葉に、沙紀は驚き目を丸くする。
隼人は誤魔化すような笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「ほんとだよ。都会に出てきて春希に再会して、色んな女子と出会って、話もして。でも初めて可愛いなって惹かれたのは、同じように都会にやって来て、これまで知らなかった一面を見せてくれた沙紀さんだった」
「情けない姿とか、ダメなところとか、色々見せちゃいましたけどね。受験とかでも」
「それを言ったら、俺もさ。最近だってずっと春希のことで、うじうじしてる姿を見せてるし。どれだけ沙紀さんに迷惑かけて、そして救われてきたことか」
「私がそんなところひっくるめて、好きですよ」
「そうか、そうだな。俺、きっとこれからも沙紀さんとこんな風に一緒にやっていける未来が、容易に描ける」
「私はそうなったらいいなって思ってました」
沙紀のことが好きだ。
そのことは間違いなく言い切れる。
ずっと自分に向けられてきた沙紀の想いに、応えたいと思う。
だけどもう一人、気になっている人がいる。
だからこそ、ずっと思い悩んでいた。
心の中の天秤に、沙紀と春希を乗せてみる。
どちらも間違いなく大切な存在で、かけがえのない相手。
秤はどちらも等しく釣り合っている。
だけどその時、ふいに幼い頃のくったくなく笑う、はるきの笑顔が脳裏を過ぎり、天秤をある方へと傾けさせた。
沙紀へと伸ばしてかけていた手が止まり、その手を掴まず、ぎゅっと握りしめる。
隼人はその手を胸に当て、痛々しく声を絞りだした。
「…………ごめん」
「…………そう、ですか」
拒否の言葉に、沙紀は色のない声で答える。
そして隼人は自らの心を抉るような痛ましい顔をしながら、理由を話す。
「きっと俺と沙紀さんが付き合って、春希が芸能界に戻る手助けをする。皆が一番笑顔になれる、正しい選択だと思う。けど俺、やらなきゃいけないことに気付いちゃったんだ」
「やらなきゃいけないこと……?」
隼人は自分に向けて、呆れたように言う。
「友達がさ、笑えてないんだ。心の底から、ちゃんと笑えてないんだよ。生まれて初めてできた、大切な友達が。だからそれを取り返しにいかないと、俺は後悔する。そのために時間もかかるし、遠いところにいかなきゃならない。俺は不器用だからさ、それにすっごく大変なことだから、全力でその道を行くしかない。沙紀さんのことは好きだよ。間違いない。沙紀さんみたいな子に告白されるだなんて、今後もないと思う。けどっ、俺は――」
隼人の言葉は、沙紀のキスで止められた。
突然のことに驚く隼人に、沙紀は困った顔をして告げる。
「もう、わかりましたから泣かないでくださいよ。お兄さんの方が、振ってる側なんですから」
「え……あれ……」
言われて初めて、隼人は自分が泣いていることに気付く。
涙が止めどなく溢れ、拭っても拭っても後を絶たない。
沙紀は自らの唇に指を当て、これくらいは良いよねといわんばかりの、お茶目な笑みを浮かべた。
「大丈夫です、お兄さんの気持ち伝わってますから。私のこと、ちゃんと思ってくれてるって、好きだって。この涙が、何よりの証拠です。だから――早くそのやらなきゃいけないことを、してきてください」
「さ、沙紀さん?」
そう言って沙紀は隼人の後ろに回り、その背中を押す。
「ほら早く! 私と付き合うよりも、重要なことなんでしょう?」
「あ、あぁ……っ!」
沙紀の声は震えていた。
だけど隼人がしようとしていることを、文字通り背中を押してくれている。
その気持ちを無駄にすまいと、この場を振り返らず、勢いよく駆け出した。
思えば、早くこうすべきだと気付いていたのかもしれない。
ただ、怖気付いていただけ。
沙紀が勇気を出して、この関係が変わってしまうとしても、真剣に自分にぶつかってきたおかげで決心がついた。
本当、沙紀は自分にはもったいない相手だと思う。
後悔がないといえば、嘘になる。
隼人は未練を断ち切るように、全力で走りながらスマホを取り出し、ある友達へと電話を掛けた。
『隼人くん?』
「一輝、手を貸してくれ!」
何の説明もなく、ただそれだけ。
しかし一輝は一瞬くすりと笑い、愉快気に答えた。
『もちろん!』





















