405.こんな日がずっと続けばいいのに
西の空が茜色に染まり始める時間も、めっきり早くなってきた。
姫子は電車の窓から見える景色からそのことを実感し、小さく息を吐く。
今の高校への通学時間はおよそ1時間弱、そこまでかかるものじゃない。
だけど、徒歩圏内の兄や親友と時間が合わず、少し疎外感を覚えるのも事実。
とはいえ、自分で選んだ道なのだ。それに高校で孤立しているというわけでもなく、新しい友人もできたし、交流を通じて姫子の世界も広がっている。文句はない。
最寄り駅に着き、姫子が改札口を抜けると、横から聞き慣れた声を掛けられた。
「ひめちゃん、おかえり」
声の方へ顔を向けると、学校帰りといった様子の春希がいた。
最近、髪を短くした春希が一瞬かつてのはるきを想起させられ、姫子の胸がドキリと跳ねる。どうやらまだ、今の春希の髪型に慣れないらしい。
姫子は動揺を悟られないよう、努めて明るい声を春希へ返した。
「はるちゃん、待たせちゃった?」
「うぅん、ついさっき来たとこ。学校でみなもちゃんと一緒に、部活してたんだ。園芸部、ジャガイモ植えてた」
にししと機嫌良さそうに笑う春希に、姫子もよかったねと微笑み返す。
「そっか。んじゃ、行こっか」
「うん。っていうか、ひめちゃんとこういう風に待ち合わせるの、不思議な感じだね」
「そうだね、なんか変な感じがする」
「でも、これからはこういう風になってくのかな」
「あたしが別の高校行っちゃったからね」
そんな他愛のない話をしながら、連れ立ってスーパーを目指す。
もちろん、夕食の材料を買いに行くためだ。
本日、隼人と沙紀は茉莉の振り付けを教えるどうこうということで、帰りが遅くなるとのこと。
普段料理をしている2人がいないこともあり、夕飯は何か出来合いのものにしようという話だったが、春希から今日は自分たちで夕飯を一緒に用意しようと、話を持ち掛けられた。思わぬ提案に驚いたものの、春希から『ひめちゃんと一緒に作りたい』と言われたら、断れるはずもなく。
姫子は春希と共にスーパーで、慣れない売り場に戸惑いつつ食材を探して購入し、霧島家のマンションへ帰宅する。
本日の夕飯のメニューはお好み焼き。
市販のお好み焼き粉と千切りキャベツを使えば、そうそう失敗することもないと言って、春希が選んだものだ。形が悪くなっても味には影響しないと付け加えられれば、これしかないだろう。
事実、包丁を使うのはネギと紅しょうがを刻む程度。
後は山芋をすりおろしと揚げ玉を、卵と一緒にお好み焼き粉で混ぜ合わせれば、お好み焼きのタネの完成だ。
あまりにあっけなく作れたので、姫子は狐につままれたような顔をして声を上げた。
「あれ、もしかして、もうできちゃったの?」
「うん、事前に調べてたけど、実際にボクも作ってみてびっくりだよ。あ、焼くのは隼人と沙紀ちゃんが帰ってからにしようか」
「そうだね、あったかい方がいいだろうし。ホットプレートで皆で焼いたら楽しそう」
「焼いたらそれぞれ、個性も出そうだしね」
「はーるーちゃーんー?」
「ふひひ」
「ったく、もうっ!」
春希が揶揄ってくるので姫子がジト目を向けると、てへりと舌先を見せられた。
そんな1つ年上の幼馴染の反応に呆れた風にため息を吐き、キッチンに向かってホットプレートを取り出しながら、気になっていたことを訊ねた。
「それにしてもはるちゃんさ、どうしていきなり一緒に夕飯作ろうって言い出したの?」
これまで春希は夕飯の手伝いをしてきたことはあったが、あくまで補助。
しかもアイドル活動していたこともあり、ブランクもある。
料理だって、そこまで得意というわけじゃないだろう。
さっきだってネギや紅しょうがを刻んでいる時の手つきだって、お世辞にも慣れているとは見えなかった。
春希は「あ~」と口の中で母音を転がし、気恥ずかしそうに言う。
「こないだ動物園行った時さ、ひめちゃんと沙紀ちゃんがごはん作って待っててくれたでしょ?」
「うん、あったね」
「家に帰ったら誰かがご飯を用意して待っててくれてるってのが、すごく嬉しくてさ。カレーも今まで食べた中で、一番おいしかった。だから今度は、ごはん作って出迎える側もやってみたいなぁって、思って」
「はるちゃん……」
はにかむ春希を見て、姫子の胸がズキリと痛む。
母を亡くした春希にはもう家に帰って出迎えてくれる人も、帰ってくるのを待つ人がいない。そんなささやかでありふれたことが、春希はもう二度と叶わないのだ。
だから今日、意識してかどうかわからないけど、夕飯を用意しようと言い出したのだろうか。
きっと、心の隙間を埋める代償行為。
だけどそんな寂しさを微塵も感じさせない春希が、返って痛々しい。
とはいえ、どうすればいいのかわからない。根が深すぎる。そして、姫子はあまりに無力だ。
(おにぃ……)
何とかしてと、心の中で縋るように兄を呼ぶ。
一方春希は、そわそわした様子で呟いた。
「隼人と沙紀ちゃん、早く帰ってこないかな。う~、待ち遠しいけど、落ち着かないというか、ボクたちが作ったごはん、何て言うかな?」
「さぁね。けど文句言ったら、ぶん殴ればいいと思うよ」
「あはっ、そっか」
そんなことを言って、春希はけらけらと笑う。
春希はひとしきり笑った後、しんみりとした声を零した。
「こんな日がずっと続けばいいのに」
「……そう、だね。あたしもそう思う」
どこか遠くを眺めながら言う春希を見て、姫子はなんとなく今日、春希が隼人と沙紀に同行しなかった理由を察する。
それから、田倉真央を強く意識してしまう芸能界に戻る気もないということも。
きっと春希はアイドルとこれまでの日々を天秤にかけ、この日常に戻ってくることを決めたのだ。
だがその選択がいいことなのか、姫子にはわからなかった。





















