王妃様のとある一日
嫁入りして一月も経っていなかったが、当初の物珍しさや緊張感も薄れ、その頃私は人恋しさもあって1日中時間を持て余していた。
夫である筈のジルハート様とは、婚姻関係を結んでから会えていない。この城の者たちとはまだ仲良くなってもいない。話せる相手といえば、私の嫁入りとともに付いてきてくれた侍女1人のみ。当然話のネタは尽きてくる。誰かこの退屈な時間を紛らわしてくれる人はいないものか。
そう思いながら、退屈しのぎに侍女を供にして庭を散歩していた矢先のことだった。
「あら、あの方はどなた?お会いしたことがないわ。お前は知ってる?」
「私も存じ上げません。お名前くらいなら聞いたことがあるかもしれませんが。」
「話しかけちゃまずいかしら...。」
私が話しかけようか迷っていると、あちらの方も私たちに気が付き、方向を変えて近づいてきた。
近づくにつれて、相手は自分とそう歳の変わらない女性だということが分かった。
「そちらにいらっしゃるのは...王妃様でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうです。あなたは?」
「無礼を...申し遅れました。私はルーリアと申します。」
「知っていらっしゃるとは思うけど、メルティー・L・コリネウス、ルティアードの者ですわ。私のことは是非名前でお呼びになって?」
「ではメルティー様とお呼びさせていただいても...。」
「もちろん!」
服装は明らかに下位のものだと分かるのだが、はっきりとは相手の身分が分からないので、私は丁寧な口調を心がけていた。これも言葉遣いが綺麗な王妃を目指すため。高位の者が毅然とした態度をとることも大切な役目だということを忘れて、この時の私は見当違いな目標を掲げていたのだった。
「私のことはお好きにお呼びください。元は平民でしたので、身分もあまり高くはないのです。ですから本来ならばお城に入ることも許されない身。私にかけてくださいますお言葉も、どうぞお崩しになって下さいませ。」
「そうなの わ、わかったわ。」
この目標は掲げてから早々に打ち砕かれることとなった。あまりにもルーリアがしっかりとこちらを見て話すものだから気圧されてしまう。ルーリアの言葉は、王妃然としていないメルティーの態度を遠まわしにたしなめるようなものだった。
王妃だというのに堂々と対応する振りすらぎこちなくて、おまけに叱られているような気もして、自分が少し情けなくなった。
反省しつつ、そういえばと先程から気になっていたことに意識を持っていく。
「あなた、目が......。」
「申し訳ございません。ご不快でしたか?」
「いえ、...ごめんなさいね。」
「お気になさらないでください。目を閉じている私の方が本来は不敬なのです。ただ、王妃様のお姿が見られないのが残念です。」
小声でぽつりと漏らしてしまったことを後悔した。だが反面、やはりそうだったのかと納得もした。
歩く時も話す時もずっと目を閉じているものだから気になっていたのだ。
こちらに気がついたのは私たちの声が聞こえたからだろうか。
彼女は少し眉を下げて困ったように笑っているから、それが本心なのかどうなのか、私には見極められなかった。
「ええと、...そう!今日はなんの用で登城したのかしら?」
「本日は、その、夫を迎えに来たのです。」
「旦那さまを?」
「はい。」
それまでは微笑みを浮かべる程度だった表情が、自愛に満ちた大人びた女性の顔へと変わった。私と年齢は変わらないはずなのにこの人と自分はどこが違うのだろうか。ゆるりと自分の腹を撫でる彼女を見ながら、この時私は彼女に多少の劣等感を抱いたのかもしれない。
「そう、どなたがあなたの旦那さま?私は知っているかしら。」
「名をクレイと申します。」
「クレイ、さま。...知らないわ。」
「そうでしたか。あっ...申し訳ございませんが、私はこれにて失礼致します。」
何かを思い出したようにピクリと背を正し、口早にそう言って、彼女は見えていないはずなのに危なげもなく去っていった。
「あ、ちょっと...。行っちゃったわね。」
「そろそろ、おやつの時間ですね。」
気を利かせてか、少し離れて待機していた侍女が話題を振ってきた。この胸にあるモヤモヤは、美味しいお菓子を食べても晴れそうにはなかった。
「お待たせ致しました。今日のお菓子は前料理長が久々に城に戻ってきて、わざわざ王妃様のために作ってくださったという絶品のシュークリームとエクレア、というものらしいです。」
「シュークリームは、外側が固めのお菓子なのね。」
「どんな味がするのでしょうね?」
「想像がつかないわ!この国のお菓子は珍しいものばかりだもの。」
食べるのがもったいなく、しばらくの間眼前に並ぶ至福の光景を楽しんでいた。その時だった。
「久しぶり。良いものあるじゃん、俺も一緒に食べていい?」
「えっ...。」
左背後から声が聞こえて振り向くと、そこにはヒラヒラとおどけたように手を振るジルハート様がいた。
「ジル、ジルハート様っ!?」
「あはは、はじめにも言ったけどジルでいいって。」
「ジル、様。」
「そうそうそのまま。ところで、急なんだけどメルティーはコリネウスに来てからどうしてた?侍女とかには報告するように言っていたから様子だけは聞いてたんだけど、本人には会えてなかったから気になっててさ。」
退屈してない? と図星をつかれて少し言葉に詰まってしまった。
「えと、皆に良くしていただいていますし、不自由はしておりません。」
「なるほど、退屈なのは否定しないってことだな。」
「うっ...、申し訳ありません。何か私にも出来ることがあればいいのですが。」
何かをやろうとしてても、それが他人の仕事をとってしまうことになるならと手をこまねいていたのだ。
「気楽にしててくれ、って言っても暇なんだから逆に何か頼んだ方がいいのか。...そうだなぁ。よし!」
「何かありますの?」
「俺以外にも積極的に城の皆に話しかけてほしいなと思って。手っ取り早くこの国にも慣れるにはこれが一番だろうし、今は他に話し相手もいないから退屈だろ?それなら自分で話相手を作ればいい。」
ジル様はにやりと笑ってからそう答えた。
それは何度か試みかけていた事だった。だが、王妃が簡単に下の者に声をかけていいものか。1人の"メルティー"として親しげに会話すべきなのか、立場が違うからと"王妃"として接するべきなのかを迷って、結局燻っているばかりだった。
「王妃サマが自分の国のことを分かってないなんて、それこそダメだろ?この国では意外と下っ端の方が実力も気構えもできてるからな。上だけで仲良しごっこしてるよりかは、厨房や下働きしてる奴らに話しかけてみることをオススメするよ。そうすればこの国のことがよく分かる。」
ふと、先程ルーリアに言われたことを思い出す。王妃として守らなければならない一線があると知った。
王妃であろうとしつつも、メルティーとして誰にでも親しげに話したい、自国でやっていたように、侍女たちや下働きの者も巻き込んで楽しく暮らしたいと、我が儘で矛盾した気持ちを持て余していたのだ。
この国に嫁に来て、王妃という立場になった以上、そんな子供みたいな真似はできないと頭では分かっていたが、心までは切り替えられなかったらしい。それがジル様には伝わってしまったのだろう。
子供として相手してもらっては王妃失格だ。でも、親しみやすく、けれども守るべき一線を弁えている王妃であるならば、メルティーといういち個人としてでも受け入れてもらえるのではないか、そう思った。
現にジル様はその言葉通りの態度を取っている。今の口調こそ砕けに砕けたものだが、婚姻式の厳かな場では少し堅苦しいが、凛とした好青年そのものだった。
その後で2人きりで話した時、素の口調に戻られたジル様を見て同一人物なのか疑いそうになったくらいだ。
「そうですわね。王妃ですもの、知らなかったではすまされませんわ。ジル様、この国のこと、私なりに知っていこうと思いますわ!」
「その調子、ちょっとはマシになったな。へこんでたように見えたからさ。」
「あっ、その。」
「何があったかは知らないけど、自分で気持ちの整理ができたならそれでいいじゃん。俺の王妃サマには笑っててほしいからね。」
そう言ってジル様は腰を屈めて、私の手を取ってからそっと唇を落とした。それからゆっくりと顔を上げて、イタズラ気に片目を閉じたジル様は、私の向かいに用意してあった椅子に腰掛けた。
からかわれている状況なのに、顔が熱くて仕方がなかった。




