乙女のバレンタイン小話
草木も眠るような深夜、下働き達も早朝に仕事があるため早々に寝てしまい、メリアは1人厨房で菓子作りに励んでいた。
目の前には所々焦げていたり、見た目は良くとも味が駄目だったりと、いわゆる失敗作がずらりと並び、それが増える度に溜め息をついた。
これでも初期の頃よりはだいぶ上達したのだ。
イルエンスの言いつけを守り、イルエンス以外の人間とは関わらず、姿も見せないようにしていた為、必然的に誰もいない時間を狙って厨房を使用するしかなかったのだが、そもそも材料が何処にあるのかさえ分からない。
火の起こし方も知らなければ、分量でさえも量る術を知らなかった。
自分が生粋のお嬢様だという事をまざまざと感じさせられたようで悔しかった。
その後どうにかこうにか火を付け、材料を探しだして分量を量り、やっと焼き上がったと思えばそこには真っ黒に焦げた炭があるだけだった。
朝日が上る頃。
使用人達も起き出してくるだろうと思い焦ったが、そもそもここまで必死だったのだ。
厨房を片っ端からひっくり返したような有様をどうやって短時間で片付けられようか。もうどうにでもなれと思い、壁際に蹲って目を閉じた。気疲れからの疲労か、はたまた眠さの限界か、うつらうつらと船を漕ぎ出したのがいけなかった。
目が覚めた時には数人の下働き達に囲まれて、不審者扱い。身なりはきちんとしていたので、下手に追い出すわけにもいかず、そのまま放置されていたのだとか。
拙い、と一瞬焦りが生まれたのだが見つかってしまった時点でアウトだ。今まで通路などですれ違っていたとしても、姿を消したメリアを彼らが知るはずもない。
彼らの主であるイルエンスの知り合いだと(実際間違ってはいない)なんとか騙し騙し説得をして、その場は事なきを得たのだった。
その次の日からメリアの、イルエンスにバレンタインのお菓子を作ってあげたいという願いを聞いた彼らは自ら手伝いを名乗り出てくれた。
作り方から火の扱い方、果てはラッピングの仕方までレクチャーしてくれて。
その上、『貴女はイルエンスの言いつけは破っていない、私達はこの数日の事を誰にも言わず秘密にするから』と言ってくれて、感謝してもし足りないくらいだ。
後は、メリア自身の料理の腕をあげるだけ。
そうして、試行錯誤を繰り返し今に至るのだった。
「はぁ、このままで私は今日中に''チョコレートクッキー''を完成させることが出来るのかしら」
今日はバレンタイン当日、このままでは間に合わないのは目に見えている。
見栄えや味を気にしないなんて選択肢があるはずも無く、かと言って今まで散々無駄にしてしまった材料を更に無駄にするような事も出来なくて……。
メリアはなるべく妥協したくはない為、自分のプライドと戦っていたのだった。
「おはようございます、メリア様」
「っ!?……お、おはよう。早いのね、もう起きたの?」
「私が一番下ですからね!朝の掃除は私の役目なのです」
最近雇い入れたらしい年若い下女が「洗い物失礼します」と隣にあるシンクへ移動してきたかと思えば、瞬く間に失敗して焦げ跡のついたトレーや湯煎にかけたチョコレートがベッタリ付いたボウルを綺麗にしてしまった。
「さて、メリア様。クッキーはどうなりま……メリア様!?」
「ね、ねぇ!!貴女お菓子作りは得意かしら!」
片付けのスピードからして厨房に立ち慣れている様子。この子ならいけるかもしれない、これがラストチャンス。
焦っていたメリアは思わず食い気味になって問いかけた。
「え、えぇ、まぁ。か、簡単なものなら、ですが」
「ならクッキーの作り方!私が作るのを細かく指摘して下さる?美味しく焼きたいのに失敗ばかりするのよ」
「朝の掃除を一緒にお手伝いしていただいたら時間は作れるかと……」
「分かったわ!では、私は何をすればよろしくて?」
「えっと、メリア様本当にお手伝いして頂いてもいいのですか?さっきのは冗談のつもりだったのですが……」
普通、城の王族ともなれば厨房にすら顔を出さないのが一般的であり、ましてやその知り合い、客人もそんな真似はしないのだ。
しかし、追い詰められているメリアはそんな事は百も承知、やると決めたからにはどんな手段を使ってもイルエンスに美味しいクッキーを作ってあげたかったのだ。
「2人で掃除すればすぐに終わるでしょう?なら手伝った方が効率がいいわ。教えてもらおうとしているのは私の方なのですし。」
「では、よろしくお願いします。まずは床掃除の前に棚上からホコリを落としていきましょう!」
「では、布を取ってきますわ」
「そこの棚の下に掛けてあるのでお願いします!」
そんなこんなで教えてもらえれば素直に知識を吸収できるメリアは掃除のやり方も教えてもらいつつ、予定より少し時間をかけて丁寧に掃除を終わらせたのだった。
「さて、ようやくクッキー作りですわね」
「まだ日が昇ってすぐですし、朝食の前までに終わらせられるよう頑張りましょう!」
「そうですわね、まず材料を量りましょうか」
(中略)
「あとは焼き終わるのを待つだけですね!」
「ここで焦がしてしまったら今までの苦労が台無しですわ、目が離せませんっ!!」
「そこまでじーっと見ていなくても一定の時間までは焦げませんから大丈夫ですよ?」
少し後ろ髪を惹かれる思いで竈を後にし、洗い物を片付けるために人の増えてきた厨房を行ったり来たり奔走するのであった。
「さて、そろそろ焼けていると思いますが……火加減はどうですか?」
「少し、弱いかも知れませんわね」
「ならあと1、2分待ってみましょうか」
今まで焦がすか、生焼けのどちらかで絶妙な火加減というものが分からなかったのだが、この少女が側について一生懸命に「このくらいです!このくらいの火加減を保っていてください!」とメリアが理解できるまでこんこんと教えてくれた結果、火加減の調整する術を学んだのだ。
「……もういいですかね。メリア様ミトンを準備していてくださいね」
「既に装着済みですわ!」
「ふふっ、気が早いですね。では開けますよ!」
「……ええ」
竈は開閉式の扉があるため中の様子を知ることは出来なかった。
よって、火加減や時間など勘による所が大きく初心者には難しい、短期間でマスターしようとしたメリアが失敗続きだったのは仕方が無いとも言えよう。
鉄製なので丈夫なミトンを付け、扉を開ける。
ふわりと香る香ばしい匂い。チョコレートの香りが、甘いバターの香りが漂ってきた。
焼き目も綺麗についていて、見た目だけならばこれは文句なしの成功だろう。
「美味しそうに焼けましたね、おめでとうございますメリア様!」
「貴女のおかげよ!付きっきりで教えてくださってありがとう。やっと美味しそうなクッキーを作ることが出来たわ!」
本当にありがとう、と何度もお礼を言うメリアに少女は照れたような顔をして、しかし喜ぶのはまだ味見をしてからですよ、と最後まで気を抜かなかった。
クッキーの粗熱が取れるまで手持ち無沙汰になったので、ラッピングの練習をする事にした。
いつもならここまで真剣なメリアは珍しいとイルエンスが側に寄ってくるのだが、今回ばかりは秘密にしなければならない為厨房にメリアが居ることは秘密なのだ。
「メリア様、紅茶が入りましたよ。そろそろクッキーも食べ頃ですし休憩しましょう」
ラッピング練習をしつつ、普段やっている勉強や書類と格闘すること一刻ほど。
今日はいつにも増してやる事が多く、寝不足もあってかメリアに疲れが見えてきていたところだった。
「そうね、味見を済ませて早くイルエンスに渡しにいかないと」
「メリア様、頑張りましたものね」
「ええ。ではいただきます」
パクリと1口。
前に試食したクッキーはモサモサしていて口当たりが悪かった。
しかし今回は違う、外はさっくりとしているのに中はしっとりしている、絶妙な食感だ。
バターの香りもチョコに負けておらず、チョコレート本来の香りが消えることもなく、甘ったるくもなくほろ苦さもちゃんとある。
「美味しい、美味しいわこれ!!」
「それは良かったですね!お疲れ様でした」
「ではこれを包んで、と。あぁ、これは貴女に差し上げますわ、今日は本当にありがとう」
「え、良いのですか!?ありがとうございます!!」
「いいえ、偶然鉢合わせたとはいえ私のために時間を割いてくれたのだから当然ですわ!貴女が手伝ってくれたものを返すのは少し悪いけれど……」
「いえいえ、そんなことありません嬉しいです!」
「そう?ごめんなさいね。…ありがとう。」
手伝ってくれた少女に残りのクッキーを渡す。
お礼もできたし、やれることはやった。
さあ、ここまでは序盤も序盤、ここからが本番。乙女の勝負はこれからだ。




