6 畑での提案
計画書に幾つかの修正を加えたものに火領と神殿の許可が下り、その年の土の季には豆類による赤土の土壌改良計画が実施された。
大方はマティアスの予想通りの結果となり、水の季には豆類の収穫とともに、条件ごとの土壌の変化や豆の成長具合についての記録が積み上がっていった。
「順調ですね」
「順調なんですけどね」
今まで領主館の区画を間借りしていた農業研究班は、土壌改良実験を実施するにあたって実験畑の隣に新しく研究所を建ててもらった。
その一室で、彼らは収穫したてのソラマメを焼いて塩を振ったものをつまんでいた。
「我らが講師殿はどうしたんです?」
研究結果を積み上げた立派な机で突っ伏しているマティアスの後ろで、ヨハンが窓の外を指差した。それを見た班員が、「ああ……」とつぶやく。
この窓からは実験畑の一号畑がよく見える。そこには、赤い髪の美しい人と、それによく似た髪の色をした男性、そしてどこから見てもその二人の子だとわかる、やはり濃い赤い色の髪の子どもが珍しそうに豆がなっているところを見ていた。
「お子様の情操教育にはいいですよね、畑の野菜」
「アウグステラ様は次代の統承一位だろ? ゲルトルート様の後もこの研究班が火領に根付いてくれるように、今から農業に親しみを持ってもらえたらいいな」
「リヒャルト様がこちらの管轄になる可能性もあるしな」
「いや、どうでしょうね。リヒャルト様ってジークハルト様にそっくりですけど」
「男子は狩師に憧れる子が多いしな」
「じゃあヒルデガルド様は?」
「まだ三歳だろ? 望みはあるんじゃないか」
「とりあえず豆好きに育ってくれないかな。姫様の好物の畑なら予算が確保できそう」
「このソラマメもお子さんが好きな味だと思うけどな。マティアスさん、持っていって宣伝してきたらどうですか?」
マティアスは突っ伏したままうめいた。
「……なんで私が」
「僕は平の班員ですし」
「私は平民なんで、いきなり貴族様の前に出るのはちょっと」
マティアスは視線だけヨハンたちが話している方向に向ける。
「ゲルトルート様お声がかりの農業研究班員に貴族も平民もないだろ」
「それでも礼儀とかやっぱり気になりますもん」
「研究成果の主張はマティアスさんの仕事の一つだと思います」
マティアスの反論をさらっと受け流したヨハンが、それに、と続ける。
「せっかくジークハルト様もいらしてますし、お話しされてきたらどうですか?」
せっかくってなんだ。マティアスはのろのろと顔を上げる。
「なんで私がゲルトルート様のご夫君と……」
「ジークハルト様がどんなお方か気になってるんでしょ?」
図星を指され、マティアスはそっぽを向いた。
「……なんのために」
「ふんぎりをつけるためですかね。ゲルトルート様のご夫君がどんな方なのか知って、諦めるもよし、それでもやっぱり好きだって開き直るもよし」
「……」
一理あるような気がしてしまった。というか、単純に気になるのだ。ゲルトルートの選んだ夫がどんな男なのか。
「……ちなみに、火領的にはどういう方なんだ」
班員たちが顔を見合わせた。
「領主の血筋でいらっしゃいましたよね。ゲルトルート様とは再従兄弟でしたっけ?」
「そうそう、それで子どもの頃から付き合いがあるはず。幼馴染だよな」
「以前からゲルトルート様と同じく狩師隊に所属されてるけど、この間副隊長に就任されたよな。ゲルトルート様が領主になられた後も狩師隊を支えるって」
「結婚されてから……というよりアウグステラ様が生まれてからはあまり遠征は行かれてないらしいけどな。ゲルトルート様のお側でお子様方の面倒も見たいって」
「でもその分、領都付近の駆除に手間のかかる魔害の対処には率先して出てくださるってさ。派手な討伐の話は聞かないけど、討伐数はむしろ増えたんだろ?」
次々と出てくる逸話に、マティアスは顔を引きつらせた。
「……その方に、私がどう対抗しろと」
ヨハンがぱちりと瞬きをする。
「対抗する気なんですか?」
その場に奇妙な沈黙が落ちた。
「……厠に行ってくる」
ふらふらと立ち上がるマティアスを、班員たちはいつも通り慈愛のこもった目で見ていた。
用を足して研究室に戻ろうとしたマティアスは、廊下に赤い髪の女の子がいるのに気がついた。困ったようにきょろきょろと辺りを見渡していたその子は、マティアスを見るとぱっと笑顔になった。
──似ている。
勝手に胸を軋ませているマティアスに、彼女はゆったりと歩み寄ってくる。
「こんにちは。私は統承一位のゲルトルートの娘、アウグステラです。お手洗いをお借りしたのだけど、お母様のいる畑に戻る道がわからなくなってしまったの。連れていってくださらない?」
姿だけでなく、堂々とした話ぶりもなんだかゲルトルートを想起させた。マティアスは動揺を押し隠して、彼女に視線を合わせる。
「こんにちは。私はこの研究所の講師のマティアスと申します。畑に出るにはあそこの角を曲がる必要があります。……ご一緒しますか?」
どんなに胸中が複雑でも、こんな小さな子を放置するわけにはいかない。そう申し出れば、アウグステラはにこりと笑った。
「お願いします。その緑の髪、マティアス殿は土領から来た方ですか?」
「はい、そうです」
「やっぱり! お母様がよくお話ししてくれます」
「……そうなんですか?」
ゲルトルートが自分を話題にしていると聞いて、マティアスの心臓がうるさく跳ねた。
「はい! 火領で採れるお野菜を増やしてくれるって!」
元気な声に、自然に笑みが浮かぶ。
「アウグステラ様は、どんな野菜がお好きですか?」
「カボチャが好きです。焼いたのも、スープにしたのも美味しいです。カボチャ、増やしてくれるんですか?」
「どうでしょう。うまくいくといいんですが」
「ぜひ、おねがいします!」
アウグステラが目を輝かせたところで、彼女を呼ぶ声がした。
「ステラ、こっちにいるのか?」
「あ、お父様!」
アウグステラが駆け出す。畑への道に出たそこに、赤毛の偉丈夫が立っていた。彼は両手を広げると、駆け寄ってきた娘を軽々と抱き上げる。
「遅いから迷子になったのではないかと思ったぞ」
「大丈夫です! マティアス殿が道を教えてくれました」
「ふむ?」
アウグステラの父が──ゲルトルートの夫が、マティアスを見た。
おそらく火領の領都に入った時以来の距離で、マティアスはジークハルトと相対する。
まずは、でかいと思った。
ゲルトルートと並んだ姿からも察していたが、マティアスより頭二つくらい背が高いのではないだろうか。しかも背だけではない、体全体に厚みがある。アウグステラを抱く腕も太いというか、たくましい。土領の力自慢の農夫にだって、なかなかここまでの体格の持ち主はいない気がする。
マティアスはひょろりとした自分の体格をそっと顧みて、目を伏せた。
「土の民のマティアスと申します。こちらの研究所で、講師の役をいただいております。火と土の出会いが恵みとなりますように」
「ジークハルトだ。土と火の恵みに感謝を。ステラが世話になったな。……いや、いつもゲルダが世話になっている」
そう言ってジークハルトは朗らかな笑みを見せた。
「あ、お母様!」
ジークハルトに抱かれたアウグステラが声を上げる。
「ステラ、お帰りなさい。あら、マティアス」
今日のゲルトルートは子どもたちといっしょだからか、どこか柔らかい雰囲気をしていた。
「お母様、マティアス殿がカボチャを増やしてくれるそうです!」
「あら?」
ゲルトルートの悪戯っぽい視線が、ジークハルトの興味深そうな視線がマティアスに向く。
「いえ、うまくいけばいいとは思っているのですが……」
口ごもるマティアスに、ゲルトルートがふふ、と笑う。
「期待しているわ」
「カボチャ、ぼくもたべます」
「カボチャ?」
アウグステラの弟妹であろう、ゲルトルートと手を繋いだ幼子たちが口々にカボチャ、と言い出す。
「あらあら、これはマティアス殿にがんばってもらわないと」
「えーと、カボチャを植えるなら早くて次の土の季になるかと……」
「今の畑の後かしら」
「そうですね、次の候補にはしているのですが」
「大丈夫です、待てます!」
アウグステラがジークハルトの肩で声を上げた。
「おとうさま、ぼくもだっこ」
「ヒルデも、だっこ」
子どもたちがジークハルトに向かっていく。
「ステラ、お父様の背中側に回れるか? そうだ、しっかりつかまれ。リヒャルト、ヒルデ、おいで」
ジークハルトは慣れた様子で、三人を抱え上げる。子どもたちが歓声をあげた。
「子どもたちをあまり振り回さないでね。マティアス殿、少しいいかしら」
「……はい」
畦道を歩き出すゲルトルートにマティアスは従う。なんとなく視線をジークハルトに向けた。向けられた視線に気づくと、ジークハルトはにっと笑顔を返してきた。ずきりと胸が痛むのを押し隠して、マティアスも会釈を返した。
「やっぱり土の魔術の使用で、作物の成長に差が出たのね」
「それに関しては予想通りです。今回豆を育てたことで土の栄養状態は改善に向かうと思われますので、来年以降はここまで目に見えた差にはならないかもしれませんが」
「アイラ師と話した時にも言ってたけど、魔術を使わなくても、農業書にあるように肥料や緑肥作物を植えることで、土壌の改善は進められると?」
「はい。……個人的には、開墾時やきっかけはともかく、永続的に魔術で土壌の改善を行うのは無理があると考えます。私一人ではもちろん無理ですし、大々的に土領の地匠を呼ぶようなことは、さすがに神殿が渋る気がします」
「でも、一度この魔術の効果を目にしてしまえば、また頼りたくなるでしょうね」
比較のために植えた、魔術で土を起こしていない区画にゲルトルートが視線をやる。
そちらの豆の木は、丈こそは土を起こした方とそれほど差がないが、茎の太さは下手すれば半分くらいにしかならなかった。花も少なく、当然豆の実りも悪い。
「それでも根っこはまあまあ張ってくれましたからね。こちらも繰り返していくことで徐々に土が良くなっていくとは思うんですが」
ふう、とゲルトルートが息を吐く。
「開墾計画や状態が良くない畑を拾い上げて、ここぞという場所に地匠を派遣してもらえるよう依頼してみようかしら」
「神殿にも話を通すことをお勧めします。土領でも神殿の許可が要る技術ですので」
ふとゲルトルートが笑った。
「天神殿も、土の魔術が大地や作物にどんな影響を及ぼすのか実験してるのかしらね。土領の魔術を火領で使ったらどうなるのか実験の結果を教えると言ったら、案外簡単に許可が下りたりして」
「……ありそうな話ですね」
ふと思った。天氏族が実験をしているのだとしたら、それは畑ではなく、火領……いや、このトゥーレ四領全体で行っているのかもしれない。畑や土壌だけでなく、そこに住まう自分たちも全部含めて。
「ねえ、マティアス殿。ここの畑でカボチャが採れるようになるかしら」
不穏な気配を吹き飛ばすように、ゲルトルートが明るく言った。
「カボチャは多分、この辺りの土とは相性がいいと思います。うまくいけば来年ですね」
来年。果たしてカボチャが実るころに、自分はここにいられるのだろうか。
叶うことならこのまま、ゲルトルートと彼女が治めていくであろう火領の手助けがしたい。土領には家族もいるし育ててくれた恩もあるが、今マティアスを必要としてくれているのは火領だ。ゲルトルートによく似た、アウグステラの笑顔を思い出した。あのお姫様は、マティアスがカボチャを作ったら喜んでくれるだろうか。
ゲルトルートの大事なものを守る手助けになりたい。自分の命を救ってくれて、自分の力を認めてくれた彼女に報いたい。
……彼女の一番近くに寄り添うのが、自分でなくても。
畑の豆に触れるゲルトルートの横顔を、そっと盗み見た。ジークハルトや子どもたちに向けるものとは違う、真剣でどこか硬質な雰囲気。
「ねえ、マティアス殿」
「なんでしょう」
出会ってからもうすぐ一年が経つ。その声に、名を呼ばれるたびに心臓が跳ねる。これからも、口に出すことはしないから、想うことだけ許してほしいとそう願った。
振り返った赤い瞳が、マティアスを捉える。
「わたくしと、結婚してもらえないかしら」
「……はい?」




