2 差し伸べられた手
マティアスがアレンの持ってきてくれた粥を啜っていると、研究所に視察に現れるときと同じ、かっちりとした神官服のリュカが現れた。
「お目覚めと聞いたのですが、お食事中だったのですね、すみません」
出直しましょう、というリュカにマティアスは首を横に振った。
「私の方こそこんな格好ですみません。大丈夫です」
「……そうですか」
アレンが椅子をベッドの横に置き、リュカがそこに腰掛けた。リュカはマティアスをじっと見る。
「お食事は取れるのですね。痛みやだるさはどうですか」
「だるさはありますが、特に痛みなどはないです。……治療をしてくださったのは、あなた方ですか?」
ありがとうございます、と頭を下げれば、リュカが首を振った。
「いえ、それがこちらの仕事ですので。……もし、体調がよろしければお話を伺いたいのですが」
きたか、とマティアスは思った。同時に微かな違和感を覚える。リュカは結構四角四面で融通が利かない。けれど、天の氏族らしく土領の民へは公平で親切だ。礼儀も守る。一応病床の相手に、急いて尋問するような人柄ではない。
「お急ぎですか」
「はい、少々。……あなたが、領都の保護院に収容される前にお話を伺いたくて」
……領都の保護院?
「は!?」
思わず声を上げた。
なんだそれは。確かに、魔害植物の異常繁殖は、研究所の所長として責任を取るべき事態だろう。だが、保護院に収容されるというのは、まるで犯罪者の扱いではないか。
マティアスの反応に、リュカが眉根を寄せる。
「……私は、本来焼却処理せねばならない枯死蔦の破片を、あなたが研究所に持ち込み保管したと聞いています。その管理に不手際があり、今回の事態を招いたと」
「私がですか」
怒りをこらえて問い掛ければ、リュカはため息とともにうなずいた。
「それが本当だとしても、意識のない者を、まして一方的な証言のみで保護院に送るなど、随分強引だと思いまして……せめて意識が戻るまではこちらでお預かりしていたわけですが」
マティアスはリュカの説明に瞬きをした。
「……つまり神殿は、私を保護してくださっていたわけですか」
リュカはそっけなく答えた。
「保護には違いありません。魔力枯渇で昏睡している方の治療は神殿の領分ですし、意識のない方を無理に動かすことなど許可できません」
やや早口に言いたいことを一方的に告げる口調は、いつもの彼のものだった。
魔力基準値やら属性値やら、土領の知識では観測できない天の基準でもって研究を制限されることに辟易していたけれど。
「お心遣い、ありがとうございます」
「私はただ、天の調和に従っているだけです。……責任は、負うべきものが正しく負うべきです」
マティアスは苦笑する。融通の利かない天の基準は、どこか暗い場所に突き落とされるような予感を覚える自分には、間違いなくありがたいものであった。
◇◇◇
その後やってきた領都の役人に、流石に護送車に乗せられるようなことはなかったけれど、左右をしっかり固められて領都まで行くことになった。
その様子を、研究所を片付けている所員たちがチラチラと見ている。
「……ケヴィンさんは?」
「所員の皆さんにはすでに聴取済みです。研究所はしばらく封鎖されますが、今来ている方々はあくまで自主的に片付けをしてくださっているので」
役人の返事は木で鼻を括るようなものであった。この指示はどこが出したものなのだろうか、だんだん不安になってくる。
「マティアス殿!」
呼びかけに振り返れば、目を覚ました時についていてくれた天氏族の少年のアレンがいた。
「病み上がりにお勤めご苦労様です! リュカ師から、体調が悪くなったときに口に含むようにと言付かりました!」
「……」
おそらく、何の含みもないのであろうその声に、所員たちが気まずそうに視線を逸らす。
役人をちらりと見れば、無表情で役人がリュカからの餞別を受け取った。
「これは……」
「干し芋です! 土の恵みをたくさん受けているそうです!」
役人はその何の変哲もない干し芋を、一応といったふうに検めてからマティアスに渡してきた。マティアスはその小さい一欠片を口に含む。
「マティアス殿、おかげんが?」
不安げに尋ねてくるアレンに、マティアスは笑って手を振った。
「いや、単に腹が空いていただけだ。ありがとう。君にもリュカ師にも、土の恵みが尽きぬよう願う」
「はい! マティアス殿にも天の調和がともにありますように!」
元気一杯の返事に見送られ、いくらか軽くなった気持ちでマティアスは領都に向かった。
◇◇◇
領都について数日後、呼び出された席には領都の法務官と天神官、それからあの女性がいた。
視線を向けると彼女はにこりと笑った。
「マティアス殿というのね。回復されたようでよかったわ」
「あの、その節はありがとうございました。ですが、ゲルトルート様がなぜこの席に?」
領都に戻ってきたマティアスは、心配していたように保護院に収容とはならなかったが、自宅での謹慎を命じられた。そこで父から、今回のマティアスを救ってくれた狩師隊の隊長が火領の領主の長女——統承一位のゲルトルートだと聞かされた。
ゲルトルートは腕を組んで答える。
「火領の狩師隊の代表として、今回の枯死蔦の発生状況の報告を受けに。農業研究所とやらの状況と、それからわたくしが使った魔術の妥当性についての判定もお願いしているわ」
魔術の妥当性。言われてハッと気がついた。それは枯死蔦に絡みつかれていた自分を救うために、彼女が使用した魔術のことだろうか。
「あの、あそこでこの方が火の魔術を使用してくれなかったら、私はたぶん死んでいたかと……」
法務官と天神官に向かって訴えれば、天神官が鷹揚にうなずいた。
「もちろん状況については報告を受けています。今回に関しては対象が枯死蔦ですし、人命も絡んで妥当な判断だったと認識しています。マティアス殿が助かってよかった」
優しげに微笑む天神官の反対側の席で、法務官はむっつりと黙っていた。
「その話に関してはすでに終わっています。ここからはマティアス殿の行為についての審議になりますので、関係ない話は慎んでください」
そしてゲルトルートに視線を向ける。
「土領の民をお救いいただいたことには感謝申し上げますが、この先についてはあくまで証言の立ち会いに徹していただきますよう」
そう言って頭を下げた法務官を、ゲルトルートが瞬きをして見つめる。そしてふっと赤い唇の端を吊り上げた。
「わたくしに求められている役割については、承知していますとも」
彼女の視線をかわすように、頭を下げたまま法務官は「恐れ入ります」と言った。
天神官が軽くため息をつく。
「それでは審議を開始してください」
法務官がつらつらと述べる「マティアスの行為」を、マティアスは呆れと怒りを押し隠しながら聞いた。
曰く、かねてより土壌の魔力改善を目標としていたマティアスが、枯死蔦の魔力を貯める性質に目をつけた。だが魔力の扱いに関しては神殿の規範が厳しく、実験について許可が下りない。思い詰めたマティアスが、たまたま発生した枯死蔦の発生現場に居合わせ、出来心で焼却前の破片を持ち帰った。それの管理が甘く——おそらく魔力を持った生き物を絡め取った枯死蔦が、研究所内で増殖してしまった。
起きた事柄だけは、大体合っている。ただし、枯死蔦の確保を主導で行ったのはマティアスではない。古株の研究員のケヴィンは、マティアスを領主一族の傍系として尊重し、所長として立ててはいたが、研究に関することではマティアスの指示を軽んじるところがあった。
枯死蔦——土壌の魔力を吸い取って枯らす魔害植物の管理は神殿に厳密に定められ、魔力研究にも制限がかかっている。
マティアスは、有用な研究であれば神殿に掛け合うから待てと言ったのに。
——なぜ、私がケヴィンのやったことの責任を取るのですか。いえ、責任を取るのはいい。お飾りとはいえ私は彼の上司です。でも、私がやっていないことまで私がやったことにしなくてはいけないのですか。
今、法務官が読み上げている内容に関しては、謹慎中に父と法務部の役人に言い含められている。当然納得はできなかったが。
——お前が統承に連なる者だからだ。枯死蔦の……神殿の規制する魔害植物をうかつに扱って事故が起きた原因が、平民のケヴィンであれば、与えられる罰は相当なものになる。
父の言葉にマティアスは鼻白んだ。
——神殿が、統承の血筋を贔屓して罪を割り引いてくれるとは、寡聞にして知りませんでした。
神殿が領主に……そして領主を継ぐ可能性のある統承の血筋に求めるのは義務と責任であって、忖度などはないはずだ。
それに統承に連なるとは言うが、現領主であるマルグリットに子が生まれた時点で父が領主を継ぐ可能性はほぼない。
マティアスの伯父である先代領主から長子のマルグリットに代替わりしてもう十年。当初は先代同様体の弱さを心配されていた彼女も、今では二人の子の母である。配偶者や親族にも助けられ、領主としての手腕にも問題はない。
——だが、統承の血筋であるが故に、お前たちが実績に似合わぬ役職につかされていることは事実だ。そこで犯した失態については、酌量もあるだろう。……いや、そう持っていく。
ケヴィンは無能ではない。今まで地道に研究と努力を続け、派手ではないが成果も出している。
……結局のところ、お飾りの自分よりも、長く努力してきた研究員を守りたいのだろう。ひいては、土領の柱たる農業の改良を進めてきた研究所を。
——しばらく、枯死蔦や魔力利用の研究はやめさせてください。ちゃんと安全対策の手順を、父上か領主様の名で出してくださるようにお願いします。
そう放り出すように言った自分に、父は一言、すまん、と言った。
「……以上のように、今回の枯死蔦の事故は人為的な原因が大きく絡むものであり、誠に遺憾です。神殿には教えを逸脱したことを深くお詫び申し上げ、再発防止に努めます。火領には予定外の事態に対する速やかな対応について、感謝いたします」
無表情でそう結んだ法務官に、天神官はじっと視線を向けた。
「それが、土領の見解ということでよろしいですか」
「はい」
「……よろしいのですか?」
続いてマティアスに向けられた問いに、マティアスは肩をすくめる。
この神官は領都神殿に長く勤めている上位の——天神官にどのような階級があるのかはよく知らないが——神官だ。土領の民がうっすら天神殿に対して含む棘……知識の独占やかけられる制限に対する反発を、理解した上でただそこにいる。
土領のやり方に踏み込むことなく、ただし天の定めを超えることのないよう監視する天神官の姿勢にはマティアスも居心地の悪さを感じる。ベルネ村のリュカのように、一つ一つについて口うるさく言ってくるなら、まだ議論のしようもあるのに。
「天神殿は、民が不当に貶められることをよしとはできませんが」
やんわりと土領の出した建前について探る口調に、マティアスは鼻を鳴らした。法務官はマティアスをちらりと見たが、そのまま無表情を貫いている。
「これも統承の血筋が持つ義務の一環である、と教わりました。領に対する責任があるのだ、と」
天神官がスッと真顔になった。
「統承の権利や義務に、神殿法の定める以上も以下もありません。領主一族がどのような義務や権利を持つかは各領の事情もあるでしょうが、統承を言い訳として使う姿勢は天の意思に反します」
思わぬ強い口調で返され、背筋が伸びた。法務官をちらりと見れば、こちらはさすがに無表情を保っていたが、心なしか肩に力が入っているようである。
「……天の定めについて軽口を叩いたことをお詫びします。統承とは関係なく、ただ、領主の従弟という身分から任された役目を果たす、そう認識しております」
緊張に口の中が乾く。考えながら、言葉を組み立てた。嘘をつくのはそれだけで「天の調和に反する行い」だ。ましてや天神官に対しての誤魔化しは最小限にしたい。
金の瞳がじっとマティアスを見る。落ち着かずに視線をさまよわせれば、黙ってこちらのやりとりを聞いていたゲルトルートが視界に入った。
彼女は頬杖をついて、どこか面白そうな顔をしてマティアスを見ている。
「……なんでしょうか」
思わずそう声をかければ、彼女はパチパチと瞬きをした。赤みの強い橙の瞳もまた、朝日のような色だと思った。ゲルトルートがふっと笑う。そして彼女は法務官に向かって手を挙げた。
「失礼、発言しても?」
「……何か?」
法務官がうながした。おそらく彼も天神官の話題を早く終わらせたかったのだろう。
「つまり、研究所における枯死蔦の異常繁殖の責任は、この子にあるということなのかしら」
この子。
「……私はもう成人してます」
思わずそう主張すれば、ゲルトルートは視線をマティアスに向けた。
「あら失礼。十八?」
「そうです」
ふむ、とゲルトルートがうなずく。
「領主様の従弟でいらっしゃったのね。研究所には以前から勤めてらした?」
「……ええ、まあ」
こちらに据えられた視線にたじろぎながらそう答えれば、彼女はふっと笑った。
「……なるほどね。責任を取るというなら、職は辞すのかしら」
ちらりと法務官を見れば、彼は曖昧にうなずいた。
「そうなるでしょう」
「その後の身の振り方は決まっている?」
「……神殿の判断にもよりますが、しばらくは謹慎となるのではないかと。その後は未定です」
ゲルトルートはにこりと笑って言った。
「でしたら、火領でマティアス殿の身柄を引き受けるというのはどうでしょう」
部屋の中の視線が一斉に彼女に向いた。
「……は?」




