1 出会い
1日1話更新、8話完結です。
自分はここで、死ぬんだろうか。
目の前の光景に、マティアスはぼんやりとそんなことを思った。
部屋の半分を覆い尽くすほど蔓延った枯死蔦が、マティアスまであと腕一本の距離まで迫っている。扉も窓も、生い茂った蔓の向こう側だ。
あの蔓は、魔力を吸う。じわじわと——おそらく周囲で最も魔力を持った生き物である自分に迫ってくる、その速度こそは大したものではないが、一度獲物に絡みつけば急激に魔力を吸いあげる。
実験槽の中で絡みつかれて干からびたモグラを思い出し、背筋に怖気が走った。
領主一族の端くれの自分は、他の者よりは魔力量が多いはずだ。枯死蔦が自分の魔力を吸っているうちに、研究所の皆が逃げてくれれば……と思ったところで、不意に怒りが湧いた。
——領主様の血筋だからって、書物ばかりに夢中になって。
——実際に畑に出ているわけでもない、口ばかりで経験のない若造。
まとめた実験の結果を雑に扱われたことを思い出す。
そのくせこちらの注意には耳を傾けず、危険な魔害生物をいいかげんに扱うなんて。
なぜそのツケを自分が払わなければならないのだ。
マティアスは唾を飲むと、ゆっくりと立ち上がった。伸びてくる蔓から一歩距離を取る。
部屋を見渡しながら考える。枯死蔦の駆除は火一択だ。蔓を切り落としても本体は生きているし、切り落とした蔓に魔力など吸わせてしまえばそちらも再生を始める。だが、刃物が通らないわけではない。棒切れでもなんでも振り回して、蔓に捕まらずにこの部屋を抜け出せれば──。
標本の土を掴み取った。土に魔力を込めて固め、それを扉から離れた位置に放った。こちらに這い寄っていた枯死蔦の動きが魔力に惹かれて、一瞬迷うように止まった。
上着を脱いで、素肌ができるだけ露出しないよう頭からかぶる。椅子を片手にそろそろと近づいて、扉の前で思い切り振り回した。
魔力のこもっていない椅子に対する枯死蔦の反応は鈍い。かき分けられ、わずかに開いた蔓の隙間に姿勢を低くして飛び込んだ。扉に体当たりして肩で押し開ける。廊下が見えた、と思ったところで足が何かに取られた。
前のめりに倒れ手をつく、そこに扉の隙間から伸びてきていた蔓の先端があった。
触れたところから魔力を吸われる感覚がある。本能的に身がすくんだ。背筋に走る寒気ごと振り払うように腕を振り回す。椅子を手放すのではなかった。肌が蔓に直接触れてしまえば、そこからまた魔力が吸われてしまう。
廊下へと這いずって逃げようとしたが、そこで再び魔力が大量に吸い出された。振り返れば、部屋の中から出てきた蔓が足首に触れていた。
まずい。
「誰かいないか!助けてくれ!」
叫びながら、蔓を振りほどこうと宙を蹴る。絡みついた蔓を外さねばと焦ってつかんだ、そこからも魔力が吸われていく。
「誰か、来てくれ……」
急速に魔力が低下し、思考がぼやけてくる。
魔力を通せる土はないか。
火が欲しい。
絡みつくこの蔓を燃やし尽くす火が——
力が入らずがくりと垂れた頭の上を、重たい銀色がうなりをあげて通り過ぎた。
思わずあげた視線の先に、視界ごと焼き尽くすような橙色の光が広がる。瞬きする間もなく、肌を焦がす熱に包まれた。
「な……!?」
頭の上からバサリと布が降ってきた。視界が暗くなり、熱が遠ざかる。同時に体ごと後ろに引かれた。足に絡みついていた蔓がぶつりとちぎれる感触が伝わる。
「よくがんばったわね」
耳に飛び込んできたのは軽やかで、けれど力強い女性の声。
体にかけられていた布が取り払われる。
焦げ臭い匂いが鼻をついた。マティアスを追って部屋から伸びてきていた蔓が、見る影もなく灰になっている。明るくなった視界の中、ぼんやりと見上げた先に緋色の髪がなびいていた。
——朝焼けのようだ。
と、頭のてっぺんからバサバサと布で叩かれた。彼女のマントで体の表面をはらわれているのだと遅れて気付いた。
蔦の絡まった足首とそれを掴んだ手のひらに、鈍い痛みが戻ってくる。
緋色の髪の女性がマティアスの顔を覗き込んできた。
「しっかりなさい。名前は言える?」
「……あなた、は」
マティアスを救った女性の口が弧を描く。
「わたくしは火領のゲルトルート。しっかりなさい、土の子ども」
子どもじゃない。
たぶんそう口に出す前に、マティアスの世界は暗転した。
◇◇◇
次に目を覚ました時に視界に入ったのは、治療室の白い天井だった。
「気がつかれましたか?」
尋ねてくるのは金の髪の少年。天の氏族に特徴的なその姿に、自分が神殿に運ばれたのだと気づく。
声を出そうとすると、喉がヒュッと鳴った。ガサガサとへばりつくような感触に咳き込んでいると、少年が背を支えてくれた。
「お水です。いきなり飲み込まないで、まずは口の中を湿らせてください。魔力の補給も兼ねてますから」
背を支えるのと反対の手で、吸い飲みが差し出される。言われた通りに口の中を湿らせて、マティアスは自分がとても渇いていることに気づいた。
「ここ、は」
「ベルネ村の神殿です。僕……いえ、私は先日からこちらで見習いをしております、天の氏族のアレンと申します。三日前、マティアス殿は研究所で枯死蔦に襲われて、魔力枯渇状態でこちらに運び込まれました。覚えていらっしゃいますか?」
「三日前!?」
思わず出した大声に、再び喉に刺激が走る。咳き込むマティアスの背を、アレンがさすってくれた。
それにしても三日とは。道理で体に力が入らないわけだ。もちろん魔力枯渇の影響もあるのだろうが。
「目が覚めて、食べられそうであれば粥をお持ちするようにと言われておりますが、いかがですか?」
「……それも助かるが、まず状況が知りたい。研究所は……枯死蔦はどうなった」
声に出した途端、脳裏に蘇ったのは緋色の髪と瞳。彼女は、なんと名乗った?
目の前の少年が困ったように微笑んで、吸い飲みをもう一度差し出した。
「まずはもう少し水を飲んでください。——研究所の枯死蔦は、火領の狩師隊が焼き払いました。土領の人的被害はマティアス殿だけです。避難中に転んだというような軽傷の報告はあるようですが」
「……そうか」
あの瞬間は、なぜ自分だけ死ななければならないのだと怒りが湧いたが、だからといって他の者が死んだり大怪我をすることを望んだわけではない。無事と聞いてほっとした。続いて、疑問が浮かぶ。
……火領の狩師隊?
確かに、あの緋色の髪の女性は火領と言っていた気がする。幻や妄想ではなかったらしい。しかしなぜ、火領の狩師隊が研究所に現れたのだ。
枯死蔦は指定魔害植物なので、土地に芽吹いた時には火の魔術を使える火領の狩師を派遣要請することはもちろんある。だが、今回のあれは自然発生ではない。
先月、領都の郊外で芽吹いた枯死蔦があった。発見が早かったため、広がる前に土領の狩師だけで駆除が間に合ったのだが、その蔦の一部を研究員が黙って持ち帰っていたのだ。
研究所で生きている枯死蔦を見つけたマティアスは仰天したし、すぐ焼き払うように言ったのだが。
——枯死蔦が吸った魔力を溜め込む性質があることは知っているでしょう? 魔力の枯渇した畑に灰を撒けば、魔力肥料になる。
——もちろんいきなり魔力を与えたりはしませんよ。そんなことくらいわかっています。
本来、魔害生物である枯死蔦の扱いについては、神殿も絡んで厳密な手順が定められている。実験をするならせめて神官を立ち会わせろと言ったのに。
——神殿は土領の民が魔害の研究を進めることをよく思っていない。許可なんか下りるわけないし、研究結果も握り潰されるに決まってる。
──所長殿は領主一族の出だ。不作で腹を減らしたことなんかないんでしょう。
強硬な態度を崩さぬ研究員に、マティアスは魔力管理と記録の徹底を指示してひとまず引き下がった。
言いたいことは山ほどあったが、若くして所長の座についた自分を研究員たちが複雑な思いで見ていることは知っている。彼の指摘した通り、領主一族だからこその配置であることも、自分が幼い頃から不作が原因で腹を減らしたことがないことも事実ではあった。
ただ、研究員がマティアスに向かって口にしたそれは、すでに議論ではなく感情的な攻撃だった。
——結果を出さなきゃ、俺はここにいられない。
自分よりずっと年上の研究員のその言葉に、マティアスは怯んでしまった。自分がそこで何を言っても、聞き入れられるとは思えなかった。そうであったとしても、ちゃんと言い聞かせて規則を守らせるのが責任者の仕事なのだろうが。
……そして、その結果があれだ。再び怒りがよみがえってくる。
結果を出さなければ、という重圧も、年下の自分に規則を持ち出され反発を覚えるのも仕方ない。魔害生物に対する厳しい神殿の規則をガチガチに守れば研究がなかなか進まないというのも、まあ認める。
だが。
おそらく実験槽に魔力を持つ虫かネズミかが入りこんだのだろう。急成長して実験槽を破った枯死蔦を放って逃げ出すとはどういう了見だ。
危険なものを扱うならそれだけの準備と対策が必要だ。功に逸ってそれらをおろそかにし、あげくに他人を危険に晒す。何が結果を出さなきゃだ、結果が出ないというのは実力相当だったんじゃないのか。
マティアスは怒りとともに一気に水を飲み干し、またむせた。アレンが空になった吸い飲みを受け取る。
「お水のおかわりと、あとお粥もお持ちしてよろしいですか?」
「……頼む」
「それから目が覚めたことをリュカ師と、土領のお方に伝えてきますね」
「……」
マティアスは無言で横になった。三日寝ていた影響だろうか、とたんに体の重さが戻ってくる。
リュカは研究所のあるベルネ村の神殿に在籍する神官だ。神官たちの中でも特に魔術関連の規則に厳しく、有り体に言えば研究所は目をつけられている。
魔害生物の害を出したとなれば、今回はいつもの話し合いと忠告では済まないかもしれない。なんだかんだ、魔力に関わる研究は天氏族の「お目溢し」で成立しているのだ。
領主一族の末席であるマティアスは、こういうときは矢面に立たなければならないのだ。たとえ成人したばかりのお飾りの最年少所長であろうとも。
──しっかりなさい、土の子ども。
現実逃避しかけた耳に、ふとそんな声が蘇った。そういえば、質問の途中だった。
「火領の狩師隊が来ていたのか?」
アレンが片付けの手を止める。
「はい、先月の枯死蔦の発生地に種芋が残っていたそうで、念のため火領の狩師をお呼びしていたそうです」
では、彼女はその一員だったのだろうか。
「……ゲルトルートさんだったか? その、私を助けてくれたのは」
「あ、覚えてらっしゃいますか?」
アレンが笑顔を向ける。
「はい、今回の狩師隊の隊長で、統承一位のゲルトルート殿だそうです」
「……?」
布団を引き寄せていた手が止まった。
「統承一位? そんなわけないだろう」
トゥーレ四領において、統承とは領主の跡継ぎを指す。統承一位と言ったら今の領主の長子のはずだ。なんでそんな存在が、しかも女性が他領まで狩師の隊長として出張ってくるのだ。
アレンが首を傾げる。
「ですが、とても強い火の属性と魔力量をお持ちの女性でしたよ? 赤い髪と目をしてらして、お名前も火領の領主の長子殿と同じです」
マティアスは眉根を寄せた。土領の領主一族の末席として、マティアスも他領の領主一族については教わっていたはずだが、自分が将来他領と顔を合わせる席につくとも思えず、右から左に流していたような気がする。
「……とはいっても狩師は危険な仕事だ。周囲だって統承一位の無茶を止めるだろう」
統承持ちはその身を領のために使う義務を負う。狩師の仕事を軽んじるわけではないが、替えの限られる統承持ち、それも一位を他領の魔害駆除に差し向けるなど、土領先代における統承二位──先代領主の弟を父に持つマティアスには納得がいかなかった。
「はあ。確かに他の狩師の方もいらっしゃいましたが、研究所の枯死蔦を燃やし尽くしたゲルトルート殿を、『さすが我らの統承一位!』と称えていらしたそうです」
「……」
どういう文化だ。
マティアスの脳裏に、弧を描くゲルトルートの口元がよぎった。
読んでくださってありがとうございます。
よければ応援、評価などいただけると励みになります。




