尾の軽蔑
一章:尻尾の規律、尾は命の価値であり
……最初こそ、膿んだような町かと思ったが、ところどころ腐り落ちていた。
積み重なる家屋を支える鉄柱は錆びて軋み続け、ネオンが絶え間なく瞬く表通りでは無秩序に看板は重なり、木札へ手書きされた文字と電子表示が混在して夜を照らしていた。
忙しなく、見るからにろくでなしばかりの酒場に、外郭の化け物共の肉を薬と称して販売する薬種屋。
賭場からはちょうど死体が投げ捨てられた。斬り合いになったのか? あり得ない。なぜ誰も通報しない?
挙げ句に郭まで、木檻を模した長屋では、俺を可愛い可愛いなどと嘲って、色に濡れた声で手を伸ばしてくる。
「あんた見ない顔にええ服やなぁ……。…………成獣の傷があるのになんで尻尾が一つもないん?」
「話しかけないでくれ。性病が移る」
アキツグは嫌悪を隠せなかった。――俺はこの街で一生を過ごすのか? 本当にもう戻れないのか? こんな……ドブネズミの巣で生きろと?
「選ぶってもこの街におる時点であんたも同類やろ? いや、ちゃうなぁ。あんたがドベやな。尻尾が一本もない、愛嬌もない、何があるん? あんた……ふっ」
否、彼女の言う通りだった。一本も尻尾がない俺は――この街で誰よりも価値がない。弱者だった。
だから父上は俺をここに追いやったのだから。
「っ……黙れよ!」
無様。走って逃げ出した。どこに? わからない。
狭く暗い路地を駆け抜けて、ここではない何処かへ逃げ出そうとしても……ここは一番下だから。これ以上のどん底はどこにもなかった。
「……っ、っふー……」
息が果てていくと無遠慮にドブ臭い空気が喉を通っていく。ここには紅葉も錦もない。空も、家も、なにもない。
歩けど歩けど視線から逃げられない。
値踏みするように。獲物を選ぶように。あるいは、面白い見世物でも見つけたように。場違いなものを見る困惑。
瑞獣夜社のロゴが刻まれた正装に家宝の刀。そしてアキツグ自身が向ける軽蔑の視線は上層への嫌悪を煽るばかりで、ついには浮浪者共が道を遮った。
壱尾、壱尾、弐尾。低俗なブシドーを身に憑けた連中だった。
「尻尾も生えてねえガキが、随分とイイモン身に着けてやがるなぁ。お兄さんたちさぁ……ちょっーっと、そこで博打打つのにお金足りないから、貸してくれない?」
「どけ。屑共。これは父上が……」
――二度と私を父と呼ぶな。葛葉を名乗るな。
「……お前たち如きが触れていいものではない」
無遠慮に紋付の裾へ手を伸ばした。袖を掴まれ、帯を引かれ、逃げ場を失った身体がそのまま路地裏の壁へ叩きつけられる。
「尾無しが何口利いてんだ? 頭が高いだろうが!!」
振るわれた拳をアキツグは冷静に受け止めた。手首を捻りながら半歩踏み込んで、無防備なあごを蹴り飛ばし一人沈める。
間髪入れず、二人目が短刀を抜いて突き伸ばす。切っ先が眼前を掠める刹那、刀身を袖で巻きつけるように受け止め絡め、腕ごと引き寄せる。勢いのまま鳩尾へ柄を押し込んで殴打した。
「こ、このガキ……!」
三人目が怒号と共に棍棒を振り下ろす。
アキツグは半身を切って一撃を躱し、踏み込んだ勢いを殺さぬまま肘を喉元へ叩き込んだ。鈍いうめき声だけが響いて、男は白目を剥いて泥の中へ崩れ落ちる。
「恥を知れ……! お前らのようなゴミのために瑞獣夜社がブシドーをくれてやったと思うのか!?」
アキツグは怒りを吐き捨てた。三人に? 否、自分を取り囲む敵はもはや数十を超えていた。
「ひゅー! 恥で何が食えるんだ? 誠実に生きてれば誰かが俺たちを救うのか? 尾がたくさん生えてるやつが、石ころ拾って磨いてくれると思ってんのか?」
「強き力は弱さを救うためにある。だが救われるのは、努力を惜しまぬ者だけだ。ブシドーを身に宿しながら恥ずかしくはないのか? ただぽかんと口を開けて待つだけなら魚でもできる」
アキツグは警告するように鞘に手をかけたが。多勢に無勢だった。
「ずいぶんと強気だが、どうするつもりだ?」
「…………」
アキツグが沈黙すると、彼らは嘲るように口角を吊り上げた。それが神経を逆撫でて、窮地を脱することよりも誇りが勝る。
「……お前たちと話すと動物虐待になるだろ?」
獣のごとき怒号があがった。十を超える影が一斉に飛び掛かる。
迫り伸びる腕を鞘を帯びた刀で突き飛ばし、返す肘で二人目を即座にいなす。裾を掴もうと手を開くならば、その指を掴みへし折り、脚を捕えようと姿勢を低くするならば、その頭を踏み蹴って高く跳躍し、着地と迫る次の敵の顔面を踏み蹴り飛ばす。
降り下ろされた短刀をすれすれで避けて、正面から頭を振り下ろして鼻をつぶしてみせる。積み重ねてきた歳月は、路地で喧嘩をするだけのゴロツキとは比較にならなかったが――――いささか数が多すぎた。
不意に投げられた瓦がアキツグの後頭部に容赦なく激突し、鈍い音が響く。
一瞬にして脳が揺さぶられ、視界が眩んだ。無防備になった腹部に膝がめり込む。がら空きになった背に激しい痛みが突き刺さる。
膝をついたが最後、容赦なく蹴り飛ばされ、地面に倒れこんだ。酷いヘドロの臭いと鉄臭さが鼻腔を突き刺す。霞んだ視界は降り下ろされる殴打の影ばかりを映し続ける。
抵抗もできず頭部を、腹部を、背を、あらゆる場所を蹴られ、殴られ続けた。父上がくれた服が剥がれる。
家宝の刀まで奪われそうになって必死に握り続けたが、その手は無遠慮に踏み躙られて、指からいびつな音と痛みが響くと、途端に力が入らなくなった。
それでも立ち上がろうとして、そのたびに蹴り倒される。抵抗するたびに拳が降るわれる。腹へ。顔へ。
そのうち痛みと熱と泥の冷たさが融けて混ざり合って、ただ地面に伏せることしかできなくなると、奴らは満足した様子で悦を浮かべた。
「尾無しがこの街で生きていけると思うなよ。お前は屑未満なんだよ。ゴミみたいに野たれ死んでろ」
全てを奪い去って、唾を吐き捨てて去っていく。




