121:治療メニュー
それから私は、貴族の男性に今後の方針を伝えた。
「まず第一に、治療食を無理のない範囲で食べてください。だんだんと回復するはずです。ただし回復しても、お酒は控えてください。お酒はこの病に良くないので」
「そうですか……。また酒が飲めると期待していたのですが」
貴族男性は少ししょんぼりとしている。
さっきまで生きるか死ぬかの騒ぎだったのに、助かると思ったらお酒が飲みたくなったらしい。現金なものである。
「すっかり良くなったら、少しだけならいいですよ」
「そうですか!」
貴族男性が目を輝かせたので、私は苦笑した。
「では、ここの料理人に治療メニューを教えてきますね」
「料理人を呼びましょう」
「いえ、渡したい調味料があるので、私が厨房まで行きます」
貴族男性は歩くのが大変なので、部屋で待機になった。彼の相手をするためアルフォンスと護衛も残る。
私とラテは侍従の先導でお屋敷の廊下を歩き、厨房へと向かった。
「これはシスター・ルシル! わざわざありがとうございます」
「いえいえ、とんでもない」
深く頭を下げる料理人にあたふたしつつ、基本のレシピを教えた。
「豚肉と玉ねぎを中心に、色々作ってみてください。同じ炒め物も味付けを塩味にしたり、味噌味にしたりすれば気分が変わりますから」
そう言って、絶対倉庫からラテ特製の味噌を取り出す。
この貴族はお金持ちだ。遠慮なく代金も受け取った。
「おぉ、これが町で評判のシスターの味噌ですね。僕も味噌漬け肉のファンでして」
小ぶりな壺に味噌を入れてやれば、料理人は嬉しそうにしている。
足元のラテは彼が発酵させた味噌が有名になっていると知って、得意げだ。
「あとは豚汁でしょうか。玉ねぎやじゃがいもをたっぷり入れて。麦粥に豚肉を付け合わせてもいいですよ」
「なるほど、豚肉と玉ねぎメインでも色々ありますね」
味噌の壺を抱えて、料理人は私を見た。
「シスター。あなたのおかげで、僕たち料理人の立場が上がったんですよ」
「へ?」
「シスターの料理があるから、貴族様たちも『美味しい』という感覚に目覚めたんです。正直今までは貴族様であっても、美味しさよりも見栄を優先して、料理に気を遣わない人が多かったから」
なんと。この国の「お腹に入れば何でもいい」精神は、庶民だけではなく貴族までそうだったらしい。ひどい話だ。
「それがシスターのケバブやラーメンを食べて、『うちでもこういう料理が食べたい』と言い出す人が増えまして。おかげで、腕のいい料理人は引っ張りだこです。僕もお給料がアップしました」
料理人はニコニコしている。
「僕もいつか、シスターのような美味しい料理が作れるようになりたいです。頑張ります!」
「ええ、頑張ってください。私も楽しみにしていますね!」
私たちは顔を見合わせて笑いあった。
◇
そうして貴族の屋敷を出た、帰りの馬車の中でのこと。
「助かったよ、ルシル。さっきの貴族の彼は兄上の――王太子の派閥でね。これで切り崩しに成功したと言えるだろう」
「いえいえ。私もアルフォンスの役に立てて、嬉しいですよ。でも……」
私は彼の方を見た。
少し暗い馬車の中でも、アルフォンスの金の髪はきらきらと輝いている。
「でも私は医師でも薬師でもないので、必ず病気を治せるとは限りません。期待をさせすぎて裏切ってしまったら、悲しませてしまう」
「大丈夫。その事情は相手方に良く説明してある。医師や薬師、治癒能力を受けてもなお治らず原因の分からない病だけを、良く説明した上で引き受けているから」
この国の医学や薬学は前世よりもずっと未熟だ。
けれど治癒能力があるので、死亡率は低い。
とはいえ治癒能力者の数はかなり少なく、十分に治療を受けられる人は限られる。それこそ、さっきの有力貴族のように。
私が思うに、感染症や器質性の病――体の細胞や臓器の不具合の病――が治癒で治る以上は、それでも治らない病は限られてくる。
エレオノーラのようにアレルギー体質で、けれどアレルギーと知らずにアレルゲンを繰り返し食べてしまっている例。
そしてさっきの貴族のように、栄養欠乏症だ。
他にもあるかもしれないが、どちらも食に関わる病気である。
であれば、私の出番。
私は前世で料理人だった。当然、栄養学の基本的な心得はある。
美味しく食べて病を遠ざける。医食同源の理想ってやつだ。
だから私は答えた。
「分かりました。では、精一杯頑張りますね」
「うん、ありがとう。頼りにしているよ」
料理の腕を活かせて、アルフォンスの助けにもなれる。ならばやらない理由はない。
私は視線を動かして、馬車の窓の外を見た。
街路樹の葉が色づき始めている。
そろそろ、秋が始まろうとしていた。
◇
「おかえり、ルシル。その顔だと上手くいったみたいだね?」
割れ鍋亭に帰ると、ギルが出迎えてくれた。
「まあね。たまたま私の知っている病気だったから、対処できたけど」
「ルシルは何でもよく知っているなあ。料理のレシピも底が尽きないくらい知っているし。君のその可愛らしい頭の中がどうなっているのか、興味深いね」
「あー、まあ」
私が物知りなのは前世の記憶があるからだ。
いつまでも隠しておくのもおかしいし、身の程に合わない称賛を受けるのは心苦しい。そのうちギルやアルフォンス、クラウスには打ち明けないといけないと思っている。
彼らなら打ち明けても私の頭がおかしいとは思わないだろう。
『何だ。おぬし、まだ黙っているのか。さっさと言っておけばよいものを』
足元でラテがジト目で見上げている。
腐敗、イコール微生物の活動であることを話した関係で、ラテは私が転生者だと知っている。
「ラテは何か知っているのかい?」
アルフォンスが言うと、ラテはヒゲをピクピク動かした。あれは人間で言えばドヤ顔の表情だ。
『無論だ。吾輩はルシルの相棒だからな。後からぽっと出のおぬしらとは格が違う』
「ラテは先輩だもんねー」
「わたしたちより早く、割れ鍋亭にいたよね」
フィンとミアも店から出てきて、ラテを撫でた。
「いやいや、知り合った順から言えばクラウスさんが一番古いからね」
クラウスとの出会いは、この割れ鍋亭を買い取った時までさかのぼる。
当時は無人だったこの宿にクラウスが勝手に住み着いて、その後ゴロツキたちがやって来てニセ幽霊騒ぎが起きたのだ。
私がついツッコミを入れると、ラテはじろりと睨んだ。
『古いと言うが、半月と変わらんだろうが。それにクラウスは今やほとんどタダ飯食らいの同居人だ。発酵マイスターである吾輩とはやはり格が違う』
「……タダ飯食らい……」
ちょっと向こうでクラウスが完全に撃沈している。
「いやいやいや! クラウスさんは役に立ってますからね! 少し遠出をする時も、いつも護衛を引き受けてくれるし!」
「いいんだ……俺はタダ飯食らい……」
クラウスは膝を抱えて座り込みそうな勢いである。
うわあ、めんどくさい。
ギルがケラケラと笑ってクラウスの肩を叩いた。
「ラテの口が悪いのは今さらだろ! タダ飯だと思うなら、もっと頑張って働いてくれよ」
「うむ。俺にできることなら何でもやるぞ」
あ、復活した。やれやれである。
けれど私はちょうど一つ、遠出のネタを思いついていた。
「それじゃあ早速、護衛を一件お願いします。といっても近場ですけど」
「ルシル、また何か食べ物を取りに行くの? 冒険、する?」
フィンが期待に満ちた目になって、他のみんなも私を見た。
「ええ、そう。今日の病気の貴族さんの治療にいい食材をね」
「どんな食材?」
私は自信たっぷりに言った。
「ビタミンB1たっぷりのお魚。……ウナギよ」




