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神に祈るより肉を焼け。追放シスターの屋台改革!  作者: 灰猫さんきち
第8章

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118/123

118:最後の願い

 アステリア王宮では、行方不明に侯爵令嬢を探すために多くの人手が割かれていた。


「お嬢様! どこにいるのですか!」


 侍女が必死の表情で叫んでいる。

 彼女は自分が少し目を離した隙に、ステラがいなくなってしまったのをひどく後悔していた。


「ステラ、頼む、返事をしてくれ!」


 カートリー侯爵も叫ぶ。


「何ということだ。あの子がお転婆なのはよく知っているのに、目を離すなど!」


「申し訳ありません、旦那様! 私のせいです。何なりと罰を!」


 侍女が泣きながら頭を下げる。

 侯爵は何かを言いかけて、口を閉じた。


「いや、いい。お前を罰するのは後だ。今はとにかくステラを探さなければ」


 王家の傍流でもある侯爵家の長女が行方不明になったのだ。

 国王と王妃も人員を手配して、王宮の内部や庭を探し回った。数多くの兵士たちがステラの名を呼びながら、探索を続けている。


 と。


 ――オオオオオォォォォォッ!!!


 どこからか、大地を揺るがすような音が響き渡った。

 獣の咆哮にも似た音。


「何だ、今のは!」


 兵士たちが声を上げるが、音の正体も出どころも分からない。

 地下の方から響いたのは辛うじて突き止めたが、それ以上は不明だった。


「国王陛下。王宮には地下があるのですか? まさか娘はそこに?」


 カートリー侯爵が国王へと尋ねるが、王は首を横に振った。


「いや。あのような正体不明の轟音が、地下から響くとは考えにくい。無論、王宮にも地下はある。しかしそれは食料品庫や地下室、地下牢といった程度のものだ。それらは今、兵士たちに探させている」


 聖竜エルドランドが王家の人間とすら交流を持たなくなって四百年。

 彼が眠っていた地下空間は、既に忘れられた場所になっていた。


「ステラ……!」


 カートリー侯爵は歯を食いしばる。


 今はただ、娘の無事を祈ることしかできなかった。





 ステラはエルドランドの大きな口元に背を預けて、座り込んでいた。


 彼女が地下へやって来てから、もうずいぶん長い時間が経過している。

 扉の周辺をよく確かめてみたけれど、外に出られるような場所はなかった。

 ステラが最初入ってきた壁の破れ目から外に出て、外の通路を探索してみたけれど、結局出口はなかった。


『……ステラ。起きているか』


 エルドランドの声がする。

 彼もまたぐったりと地面に身を横たえている。

 一度は立ち上がり咆哮を上げたことで、死に瀕していた竜は力を使い果たしてしまっていた。


「……はい。起きています」


 ステラは小さな声で答えた。

 長い時間を水だけで過ごしたせいで、力が出なくなっている。


『すまない……。お前一人助けられないとは、我の力が尽きているばかりに……』


 エルドランドは言いながらも、もう一度身を起こそうともがいた。

 小山のような体がわずかに動いて、鉤爪が宙を掻く。

 かつては自在に空を飛び大陸間の海さえ超えた聖竜は、もはやろくに動けない。

 その様子は無様を超えて、いっそ哀れなほどだった。


「エルドランド様。もう、いいです」


 ステラは細い声で言う。

 空腹のあまり朦朧とする意識で、暗闇を眺める。


「私のせいです。私が勝手に歩き回って、穴に落ちたから。私が悪い子だったから」


『そうではない。事故はいつでも起こる。それよりも、我は我が身の無力が恨めしい』


「私が来たせいで、エルドランド様の眠りを覚ましてしまった。ごめんなさい……」


『ステラ……』


 竜は必死で首を巡らせて少女を見ようとしたが、そんなわずかな動きすらも叶わなかった。


『お前には感謝している。お前のお陰で四百年の孤独がほどけるようだった。エリオットの血を引くお前と語り合えて、なんと幸せだったことか』


「…………」


 ステラは答えない。だが、少し笑ったような気配がした。


『我にせめて、人のような肌があれば。獣のような毛皮があれば。お前を温めてやれたものを』


 竜の鱗は冷たく硬い。

 背を預けているステラの体が冷えていると、エルドランドは気づいていた。


 それからまた時は過ぎていく。

 ステラは水を飲みに立ち上がる力も失って、急速に衰えていった。


「エルドランド様」


 どこか歌うように、茫洋とした声でステラが言う。


「あなたがいてくれて、よかったです。そうじゃなければ私は、寒くて暗い地下で一人ぼっちでした」


『ステラ』


「エルドランド様も、ずっとご飯を食べていないんですよね。私、知らなかった。お腹がすくと、こんなに辛いなんて」


 暗闇の中、少女が動く気配がした。最後の力を振り絞って。


「だから、エルドランド様にお願いがあります。……私が死んだら、どうか私を食べてください」


 エルドランドは絶句した。


「お腹がすくのは、辛いから。エルドランド様が辛いと、私も悲しい。だからせめて、私を」


『馬鹿を言うな。お前は地上に帰るのだ。父と母と、弟がいるのだろう? これから大人になって、楽しいことをたくさんやるのだと言っていたではないか』


 少女は答えず、さらに動いた。

 竜の口元から、大きな牙が並ぶ口の中へと。

 倒れ伏して半ば開いたままの竜の口。


 エルドランドは、乾ききった口中に少女が入り込むのを感じた。


「どうか、おねがいします」


『ステラ?』


 答えはない。

 倒れ込むように口に入った少女は、もう動かない。

 残っていたわずかな体内魔力が霧散する。体温が急速に失われているのが分かった。


『そんな……』


 死んでしまった。死なせてしまったと竜は悟る。

 涙は出ない。涙を流すだけの水分が、エルドランドには残っていなかった。


 ――どうか私を食べてください。


 分かっている。死に瀕した少女が、空腹のあまり錯乱してしまっただけだ。


(極限の状態で、我を気遣ってくれたのか)


 何と心優しく、……残酷なことだろう。


(食べるはずがない)


 エルドランドは王国の守護者。建国王の友にして、聖なる竜。

 友エリオットの末裔を守ると、個人の誓いも立てている。


(食べるはずが……)


 元より彼は死にかけだった。このままあと数年もすれば、飢えて死ぬだろう。

 聖獣として生まれ、エリオットの友としてこの大陸にやって来た彼は、死ぬことで最後の恩寵をもたらす。

 竜である彼は、本来の寿命は一万年を超える。

 けれどエリオットとの約束を果たすには、それでは遅すぎた。

 だから食を断ち眠ることで、ゆるやかに死のうとしていたのに。空腹の辛さは眠りに落ちることで、感じないようにしていたのに。


(食……)


 口の中の少女の遺骸はまだ温かく、肉は柔らかいまま。


 ――どうか私を食べてください。


 ステラの最後の声が脳裏に響く。

 紛れもない献身と、無垢ゆえの身勝手さが入り混じった願いが。


 エルドランドは守護者。友であるエリオットの血筋の者を守ると誓った。彼らの身を守り、願いは叶えてやりたい。

 守れなかったのであれば、せめて願いを叶えなければ。


 間違っている。

 しかし彼女がそう望んだ。

 自分はあの子を助けられなかった。

 願いは叶えてやりたい。


 いくつもの思いがエルドランドを内側から打った。


 何よりも。

 まだ柔らかい肉の香りが、固まりきっていない血の芳香が、竜の口の中から漂ってくる。


『……ステラ』


 答えがないと分かっていながら、竜は少女の名を呼んだ。


 そしていくら待っても答えがないと、実感した時――。


 ガキリ、と。

 軋んだ歯車のような音を立てて、竜の顎が動いた。

 鋭い刃のような牙が、緩慢な動きで閉じられていく。


 やがて顎が完全に閉じられた時、竜の口中は血と肉の味で満たされた。

 守ると誓ったはずの、友の末裔の血肉で。


「――ッ!!」


 竜は黄金の双眸を見開いた。もう緩慢な動きではない。


(美味い、美味い、ウマイ――!!)


 五百年ぶりの美味と強烈な罪の意識。

 肉と骨が噛み砕かれ、胃の腑に滑り落ちていく快感と嫌悪感。

 彼女を腹に収めた充足感と、二度と言葉は交わせない空虚感。


 相反する様々な思いが竜に襲いかかり、彼を打ちのめした。


「ア……アァァ……」


 竜は立ち上がる。たった一人の少女を食らっただけで、彼の体には力が戻っていた。

 それはきっと、友の末裔の血肉だったからだろう。


「アアアァァアアアアァァァァ――!!!」


 竜は吠える。身を苛む悔恨と生きる喜びをないまぜにして。


 その瞳から涙がこぼれ落ちた。


 涙は、先ほど食らったばかりの少女の血と同じ色をしていた――。






+++

暗いシーンからの再開になってしまいましたが、次回からルシルが登場して元の雰囲気に戻ります。

よろしくお願いいたします。



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