117:彼女の話
ステラが呆然と竜を見上げていると、竜は開いていた両のまぶたをゆるゆると閉じた。
その動作はひどく気だるげで、たったそれだけで疲れ果てているように見えた。
光を放つ瞳が半ば閉じられたことで、辺りは薄闇に包まれる。
『……少女よ』
と。
ステラの脳裏に不思議な声が響いた。ひび割れてしわがれた老人のような声。
『お前は誰だ? どうしてこのような場所に来た』
「エルドランド、様……?」
『いかにも。我が名はエルドランド。建国王エリオットに付き従う者』
ステラは立ち上がり、竜の頭の正面と思われる方に立った。
覚えたての淑女の礼を取る。
「お初にお目にかかかります。私はステラ。ステラ・カートリー、カートリー侯爵家の長女でございます。王宮の庭を散策していた所、大きな樫の古木の根本から地下に落ちて、ここにたどり着きました」
『そうか……。それは災難だったな。では、お前を地上に送り届けてやらねばなるまい。……離れていろ』
竜は再び双眸を開いた。
大きな頭がゆっくりと持ち上がり、顎が地面を離れる。
体を支える前足の鉤爪がミシリと鳴った。
『本当は、お前を背に乗せて地上まで飛べばいいのだが。我に最早そのような力は残されていない。すまないことだ……』
「お体が悪いのですか?」
『いや。この身は食を断つこと既に五百年。あと数年もすれば死ぬはずだった』
竜はひどく緩慢に、しかし傍目に見ても分かるほどに必死に体を起こそうとしている。
ゼイゼイと喘鳴めいた荒い息がステラの灰色の髪を揺らす。
そうして時間をかけて、竜は立ち上がった。
暗い地下の空間の中、弱りきった竜はそれでも神々しく見えた。
白金の鱗がわずかな光を反射して、きらきらと無数の星のように輝いている。見開かれた瞳は金色で、夜空の月のように暗闇を照らしていた。
太い手足で地面を踏みしめて、竜は大きく息を吸った。
「――オオオオオォォォォォッ!!!」
開かれた口から、空気を震わせるような咆哮が迸った。
びりびりとした衝撃を受けて、ステラは思わず後ずさる。
竜の咆哮は地下空間に反響し、長い尾を残して響いていく。
『ぐ……』
咆哮を終えた竜は、力尽きたように崩れ落ちた。大きな体が地面に落ちて、どう、と音がする。
「エルドランド様!」
『心配するな。大事ない』
地面に身を横たえた竜は、そのままの姿勢でステラに語りかけた。
『あの声が聞こえれば、王宮の者たちが探しに来るだろう。この空間に人が立ち入らなくなって久しいが、以前は王族が出入りしていた。助けは来るはずだ……』
「はい。私、信じて待ちます」
ステラは頷いて、大きな竜の口元に腰をおろした。
彼女が身にまとっているのは、お茶会用の美しいドレス。
けれど木の根元の穴に落ち、地下を探検したせいですっかり汚れてしまっていた。
『それまで、お前の話を聞かせてくれないか。人間に出会ったのは久方ぶりだ。今のアステリア王国がどうなったのか、教えてほしい』
「はい、お任せください。アステリア王国は、平和ですよ。長いこと戦争もなくて、民たちはしっかりと暮らしています……」
そうして竜と少女は、様々な話をした。
『お前はどこか懐かしい気配がする。王家の血を引いているのか?』
「よく分かりましたね。何代か前に王女様が降嫁して、我が家は王家の傍系になりました」
『やはり、そうか。エリオットの――建国王の血を引く者は、我にとって守るべきもの。我はアステリア王国の守護者。だが個人的な誓いとして、エリオットの子孫を守ると決めている』
「ふふっ。聖竜エルドランド様に守ってもらえるなんて、光栄です」
『今となっては、死にかけの老いぼれだがな……』
地下の時間は曖昧に過ぎていく。
ステラは竜とのお喋りに夢中になっていた。
だが、地上からの助けはいつまで待っても来なかった。
◇
どれほどの時間が過ぎたことだろう。
地下には当然、食べ物などない。
ところどころの床に水が染み出して、小さな水たまりを作っているだけだ。
ステラは床に膝をつき、水たまりの水を手ですくって飲んだ。
ぐう、とお腹が鳴る。
(お腹が減ったなあ……。お茶会のお菓子を持ってくればよかった。そうしたら今食べられたし、エルドランド様にも分けてあげられたのに)
『まさか誰も来ないとは……』
エルドランドが暗い声で言った。
『この場は我が安眠の場所。エリオットが死んで百年ほどは、王家の者たちが出入りして我の世話を焼いてくれた。いつしか人足が絶えたが、我は死ぬばかりの身。それでいいと思っていたのに、このようなことになろうとは』
ステラは首を振った。
「私、まだ諦めていません。地上の人たちは、場所が分からなくて探しているのかも。……エルドランド様、ここの入口はどこですか? 私、探検に行ってみます」
『入口はあちらだ。ただ、地下はあちこち崩れている様子。気をつけてくれ』
「はい」
ステラが指し示された場所へと向かうと、そこは扉になっていた。青銅製の立派で大きな扉である。建国王と竜のレリーフが施されていた。
ステラは取手に手をやり、押してみた。……びくともしない。
引いてみても、やはり動く気配がない。
扉の周辺に出入りできる場所はないかと探してみたが、石造りの壁が続くばかりだった。




