116:誰かの話
――ある少女の話をしよう。
勇敢で心優しく、……誰よりも残酷な女の子の話だ。
◇
ステラは十歳の侯爵令嬢。
父親の出仕のお供で王宮へやって来ていた。
「ステラ、私はしばらく仕事をしてくる。それまで大人しく待っているんだよ」
「はい、お父様」
ステラは素直に頷く。
彼女もただ遊びに来たわけではない。
貴族として人脈を広げるため、同日に開催される王妃のお茶会に出席する手筈だったのだ。
本当は母親である侯爵夫人も同行するはずだったのに、三歳年下の弟が風邪で熱を出したため、急遽取りやめになった。
ステラは少々緊張しながら、お茶会に向かった。
王家のお茶会は華やかで、着飾った貴婦人や令嬢たちが揃っている。
ステラも侍女のサポートを受けながら、きちんと令嬢としての務めを果たした。
お茶会の話題は、今年で十六歳になる若き王太子の話でもちきりだった。
既に婚約者はいるものの、王家の血筋らしい金の髪と緑の瞳の王子は見目麗しく、令嬢たちの人気が高い。
「王太子殿下の能力は『小竜の牙』。王家にふさわしい、竜にまつわる勇ましい力ですものね」
「本当に。あのお方がいらっしゃれば、アステリア王国は安泰ですわ」
令嬢たちは小鳥がさえずるような声で、王太子やその他の貴公子たちの噂話に花を咲かせている。
けれども十歳のステラは、恋愛話よりもお茶菓子に興味を奪われた。
アステリア王国は総じて食文化の薄い国だが、それでも王家のお茶会ともなれば豪勢な菓子が並ぶ。
「わっ、美味しい! これも!」
ステラは次々とお菓子を食べては、侍女に「お嬢様、はしたないですよ」とたしなめられる始末。
やがて満腹になると、ステラは周囲を見回した。
お茶会は王宮の庭で開催されている。
春の庭は若葉が香り立つようで、目にも鮮やか。吹き抜ける風が木々の枝を揺らすのを見て、ステラは立ち上がった。
「お嬢様?」
「向こうのご令嬢がたにご挨拶してきます」
ステラは侍女を誤魔化して、そっとお茶会を抜け出した。
侯爵家の庭も広く美しいが、王宮はそれを上回る。
形よく整えられた庭木は、見ているだけでも楽しい。
ステラはもともと、お転婆な娘だ。令嬢らしく淑やかにするよりも、庭を駆け回る方が好きだった。
両親である侯爵夫妻も、苦笑しながらそれを黙認した。
ただ、ステラはそろそろ大人にならなければならないと感じている。
今までは子供だったから、様々なことが見逃されてきた。
それでも十歳を過ぎた以上は婚約の話が出るし、淑女教育も本格化する。
「男の子はいいな。騎士でも、文官でも、何でもなれる」
ステラは庭を歩きながら、小さく呟いた。
思い浮かべるのは、まだ小さい弟のことだ。
弟は甘えたがりの性格で、ステラによく懐いている。
姉さま、姉さまと後をついてくる弟は、とても可愛い。
ステラはちょっと臆病な弟をよく遊びに連れ出して、かけっこをしたり、木登りに挑戦したりしていた。
弟は木登りを怖がって泣いたが、ステラが太い枝まで引き上げてやると、高い視界の見晴らしの良さに歓声を上げていた。
その後、庭師に見つかってひどく叱られるまでがセットである。
弟を思い出しながら王宮の庭を歩いていけば、木々の向こうに花壇が見えた。
花壇には春の花々が美しく咲き誇っている。
しかし、ステラは花にはあまり興味がなかった。
花壇のさらに先にある、大きな樫の古木に目を奪われたのだ。
「あっ、あの木。木登りにちょうど良さそう! あの枝まで登れば、きっと王宮の庭が見渡せる!」
ステラは木の根元まで行ってみることにした。
花壇の脇を走り抜けて、さらに先へ。
樫の木は思ったよりも大きく、たどり着くまで時間がかかった。
周囲はひっそりとしており、庭師もいない。
そうして見上げた古木は、本当に大きい。ステラが見たことのあるどんな木よりも、大きかった。
背が高いのはもちろんだが、横にも枝を広げている。幹は太くて、実に堂々としていた。
「これは登りがいがありそうだわ。……ん?」
ステラはふと、古木の根本に視線をやった。
そこにはうろが開いていた。
それなりに大きなうろで、大人は無理としても、十歳のステラであれば中に入り込めそうだ。
ステラは好奇心を刺激されて、うろに近づいた。
体を斜めにして中に入り込めば、すっかり体が収まる。
うろの中は少し広い空間になっており、まるで秘密基地のようだ。
狭い入口から差し込む光が、柔らかな明かりとなってうろの中を照らしている。
「すごい! 私だけの場所だわ。そうだ今度、あの子を連れてきてあげよう」
ステラは弟を思い浮かべる。
怖がりの小さな弟は、暗い木のうろが怖くて泣いてしまうかもしれない。
でも木登りをした時のように、ステラが励ませば泣き止むだろう。
ステラは楽しい気分で、うろの中を確かめて回った。
足元は樫の木の根が入り組んでおり、歩きにくい。壁や天井は全て樫の木の内側で、湿っている。
古い木の匂いが漂って、ステラの鼻腔を満たした。
ところが。
ステラがうろの中央に足を踏み入れた瞬間、足元が抜けた。
樫の木の根がその部分だけ空洞になっており、穴と化していたのだ。
「……え」
悲鳴を上げる間もなく。
彼女は深い穴へと落下していった。
◇
ぴちょん、と、頬に水滴が当たる冷たさで、ステラは目を覚ました。
「えっと、私……?」
周囲を見ても、暗闇ばかり。
微かな光を感じて上を見上げれば、ずいぶん高い場所にぼんやりとした明かりが見える。
――穴に落ちてしまった。
ややあって、ステラは理解した。
上に見える光は彼女が落ちてきた場所。
手を伸ばしても高すぎて、とても届かない。
「誰か! 誰かいませんか! 助けて!」
ステラは叫ぶが、声は地下に反響するだけで答えはなかった。
「…………」
心細さと恐怖が急速に込み上げてくる。
じわりと浮かんだ涙を、だが、ステラはぐいっと手で拭った。
(帰らないと、みんなが心配する。お父様もお母様も、あの子も)
ステラは必死で気を取り直して、改めて周囲の暗闇を見た。
上に開いた穴からの光で、ぼんやりと様子が見える。
周囲の壁に見えたものは、そのほとんどが樫の根だった。ごつごつとした根っこが土を突き破って縦横無尽に走っている。
ステラは根をよじ登ろうとしたが、無理だった。根は掴まる部分が少なく、切り立った穴を登り切るのは難しい。
何度も滑り落ちてしまい、最後には足をひねって、ステラは諦めた。
しかし落ちて尻もちをついた際、ステラは気付いた。
「あれは……?」
土と根でできた壁の一部に隙間がある。
そこは土ではなく石でできていた。石壁が木の根で崩されて、隙間になっているのだ。
(行ってみよう)
ステラは心を決めた。
このままここにいても、助けが来るとは限らない。もう足を痛くしてしまったから、登るのもできない。
だったら、先に進める道を進む。
根が絡まる隙間を抜けて、石壁の破れ目をくぐり抜ける。
その先は石造りの床だった。
古びた石畳が続いている。
ステラは痛む足を我慢しながら、石畳の道を進んだ。
道は半ば崩れており、壁や天井も半ば土にまみれて今にも崩落しそうだ。
不安な気持ちを押し殺し、さらに進む。
道は多少上下しながら、だんだん地下へ下っているように感じられた。
(地上に戻りたいのに)
ステラは不安と焦る気持ちを必死に押し殺して、歩いた。
進んだ先は行き止まりだったが、やはり壁が崩れて隙間が開いていた。
ここまで来たら迷うこともない。ステラは壁の隙間をくぐり抜けた。
「……!?」
その先は広い空間になっていた。
今までの狭苦しい地下が嘘のように、高い天井と広大な空間が広がっている。
そしてその広さを覆い尽くすように、空間の中央に巨大な何かがいた。
見上げるほどの大きさ。
ステラは先程の樫の木を思い出す。あれよりももっと大きい。
それはぴくりとも動かない。
ステラは恐る恐る近づいた。
そっと触ってみる。金属のような冷たい感触がする。
暗闇の中では輪郭すらよく見えず、ステラは戸惑った。
――と。
唐突に、淡い金の光が灯った。
いや、違う。
ステラの立つすぐ横で、巨大な金の瞳が開かれたのだ。
「な、なに……!?」
思わず尻もちをついたステラを、大きな二つの瞳は見下ろした。
そうして彼女は見た。目の前にいる存在を。
小山ほどもある巨大な体躯。
金属めいた光沢を放つ白金の鱗。
黄金の瞳と、その上に生えている大きな一対の角。
ステラの目の前には巨大な鉤爪がある。一本ずつがステラの胴体よりも太い、鋭利な爪だ。
でも彼女は、それを怖いとは思わなかった。
なぜならステラは、それを知っていたから。
「聖なる竜、エルドランド……?」
アステリア王国に生きる者ならば誰もが知っている、伝説上の竜がそこにはいた。
+++
第二部再開します。妙なシーンからスタートですが、この竜が第二部のキーパーソン(キードラゴン?)でもあるので。
今後の更新は週一、二回くらいの不定期で参ります。
ゆっくりペースですがよろしくお願いいたします。




