113:これからもよろしくね
【三人称視点】
秋も深まった王都から、ある罪人がひっそりと護送の旅に出た。ヴェロニカである。
目指すは最北、最果ての修道院。
貴族としての身分も修道女としての立場も剥奪された彼女は、罪人として縄を打たれ、護送官に引きずられるようにして歩いていった。
「嫌だ、嫌だ。行きたくない。あたくしはスタンリー侯爵家の娘なのよ!」
何もかも失った事実を認められず、ヴェロニカはぐずぐずと泣くばかり。
護送官は呆れた目を向けるが、何も言わなかった。励ましや慰めは彼の職務ではない。
淡々と歩き続けること約一ヶ月。すっかり冬になった頃、目的地に到着した。
「な……ここが? とても人の住むところじゃないわ!」
最果ての修道院を見て、ヴェロニカは絶句した。
石造りの建物はあちこちが崩れて隙間風が吹いている。天井にはクモの巣が張り、冬の冷たい風に揺れていた。
「お仕事、ご苦労さまです」
修道院から枯れ枝のように痩せた修道女が出てきて、護送官に礼をした。
護送官は言う。
「この者は悪質な犯罪者です。どうぞ修道院の下女として、好きなようにお使いください」
「はい。人手が足りなくて困っておりましたの。助かります」
それからはヴェロニカにとって地獄が続いた。
修道院の朝は早い。早朝三時には起き出して、掃除をしなければならない。冬の冷たい井戸水は手を刺すようで、雑巾をかける手はあっという間にあかぎれだらけになった。
食事も粗末だった。朝晩の二回、カビた黒パンのかけらと水みたいに薄いスープが出るだけ。
文句を言っても、修道女たちは「私たちも同じ内容です」と取り合わない。
この修道院は本当に信仰深く、苦行ともいえる環境の中で祈りを捧げるのを選んだ者ばかり。ヴェロニカの甘えはことごとく却下された。
ベッドは固く、真冬でも薄い毛布が一枚きり。ヴェロニカは風邪を引いたが、下女としての仕事を休むのは許されない。
鼻をすすりながら、涙をこぼしながら掃除や洗濯を続けた。
高価な美容品と厚化粧で保っていた美貌は、もはや見る影もない。
(どうしてこんなことに。あたくしは侯爵家の娘で、宰相様の寵愛を受けていたはずなのに)
そんなある日、最果ての修道院に荷物が届いた。珍しいことである。
中には日持ちのする料理が入っていた。王都ではおなじみの兵糧丸もある。
差出人の名前は、ルシル。
「まあ。美味しそうな食べ物だわ」
修道女たちが目を輝かせて覗き込んでいる。
修道院長が言った。
「あなたたち、務めを忘れてはいけませんよ。わたくしどもは過酷な環境の中で祈りを捧げ、神に近づく道を選んだ者。安易な贅沢はいけません」
「けれど院長様。ルシル様と連名で聖女エレオノーラ様の名前も記されています。厚意を無碍にするのも良くないのでは?」
「む……。では、今日は特別ですよ」
修道女たちは大切そうに食べ物を抱えて、それぞれに分け合った。
「ヴェロニカ。お前にも特別に与えます。同封されていた手紙に、お前に与えるよう書いてありましたので」
「……!」
ヴェロニカは顔を歪めた。
(何よ、ルシルめ! このあたくしに情けをかけたつもり? 施しなどいらないわ!)
受け取ったのは、ドングリ粉と米粉で作ったシュトーレン。エレオノーラのための特別メニューだった。
ヴェロニカは最初、それを投げ捨てようとした。けれどシュトーレンがあまりに美味しそうだったので、手が止まった。
震える手で、おそるおそる口に運ぶ。
ぱくりと口に含めば、香り立つのは優しい甘さ。
ドングリのほんのりとした甘さと、米粉のもちもちとした触感が口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
自然に言葉がこぼれ落ちた。
「なんて美味しいの……」
噛み締めるようにシュトーレンを食べる。砂糖の甘みとドライフルーツの風味が、ささくれ立った心を癒やしていくようだ。
「ルシル様から伝言です」
修道院長が言った。
「『これからは食べ物を大事にしてください。ちゃんと反省していれば、そのうち王都に帰る日も来るかもしれませんよ』」
「…………」
ヴェロニカは答えない。口の中のシュトーレンを味わいながら、うなだれた。
シュトーレンの甘さが心に染み渡っていく。
(負けた)
ここで初めて、彼女は敗北を悟った。
(いいえ、とっくに負けていたのだわ。この味には、美味しさには……勝てない)
ぽろぽろと涙がこぼれる。
辛い毎日も王都に帰る希望も、今はどうでもいい。ただ手の中のシュトーレンの美味だけが心に残った。
「手紙の返事を書きますか?」
問われてヴェロニカは首を横に振った。負け犬である彼女に、何の言葉を言えというのだろうか。
少し残したシュトーレンを大事に抱えて、ヴェロニカは立ち上がった。
「……残りの洗濯をしてきます」
疲れた足を引きずるようにして、彼女は歩いていく。
手にあるのは少しのシュトーレン。
けれどこれを食べきってしまっても、その美味しさはいつまでも彼女の心に残るだろう。
敗北の苦い味と、――救済の美味として残り続けるだろう。
◇
【ルシル視点】
冬のある日、割れ鍋亭にて。
休日の日、暖炉の火にあたりながら私たちはのんびりとしていた。
「え。ヴェロニカに差し入れを送ったのかい?」
雑談の中で出た話題に、ギルが呆れたような声を出した。
「ヴェロニカといえば、あの悪辣な元修道院長か? お前を追放したという」
クラウスも眉を寄せている。
「そうですよ」
私が頷くと、フィンとミアまで鼻にしわを寄せた。
「りゅうのいずみで、ルシルの悪口言ってたおばさんでしょ?」
「あのひと、ぼくとミアを人さらいにさらわせようとしたんだ。許しちゃだめだよ」
「許していないよ」
私は苦笑する。ヴェロニカの所業は到底許されるものではない。最果ての修道院送りだって、まだ温情のある処置なのだ。
食料ギルドと組んで割れ鍋亭にさんざん嫌がらせをしたこと、忘れたわけじゃない。
それよりも何よりも、フィンとミアを『お腹をすかせた竜』に引き合わせようとしたことも。絶対に許せない。
でも、私は思うのだ。
罪は償ってもらう。なるべく酷い目にあえばいい。
けれどどんな悪人であっても、お腹をすかせて泣いていると思うと……放っておけない、と。
「だから、差し入れ送っちゃった」
自分でも甘いと思う。だが性分だ。仕方ない。
『まあ。おぬしらしいな』
いかにも呆れたという様子で、ラテが尻尾をゆるく振った。
『思えば吾輩も、腐敗の力を使いこなせずに孤独でいる期間が長かった。何せ近づけば相手の肉体を腐らせたからな。だがルシルにケバブサンドを与えられ、「微生物」の概念を教わり、今ではこのとおりだ』
「ラテもお腹をすかせて行き倒れていたよね」
『フン。そんなこともあったな』
ふと見渡せば、みんなも呆れながら納得したような顔をしている。
窓の外では雪がちらちらと降っている。
一年足らず前、修道院を着の身着のまま追い出された時と同じ雪が。
あの時は一人ぼっちで、お腹がぐうぐう鳴っていて、どうすればいいか分からなかった。
今では温かい家と家族がいる。友だちもたくさんできた。
「……みんな、これからもよろしくね」
『急にどうした』
私が言えば、ラテが不思議そうな表情をした。
「別に。なんとなく、今の幸せがずっと続けばいいなと思っただけ」
「つづくよ。ぼく、おとなになるまでここにいるもん」
「わたしも、おとなになってもここにいるよ」
フィンとミアが口々に言う。ギルとクラウスも笑っている。
私も自然、笑顔を返した。
「……よし! それじゃあ春になったら、みんなでピクニックに行こうね。エレオノーラとアルフォンスと、ナタリーも誘ってさ。私、うんと美味しいお弁当作っちゃうから!」
『それは楽しみだ』
明るい笑い声が響く。
宰相の動向や『竜』のことなど、まだ少しの不安はあるけれど、今は気にしないでおこう。
みんなの笑顔を信じていよう。
こうして私の追放から始まった一年は、幸せと温かさに満ちて終わりを告げたのだった。
【第一部完結】
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ここまでありがとうございました。これにて一区切りといたします。
第二部再開まで少しお時間をいただきます。
この作品も長くなってきたので、内容の整理と今後の展開をもう一度練ろうと思いまして。
第二部では宰相と竜の話にきっちりとケリをつける予定です。
竜の正体と宰相との関係、国王の状態をあえて描いていない点など、設定はできています。
それではひとまず、ありがとうございました。




