よんじゅーろく
騎士団拠点の廊下を、ブレイクは苛々としながら歩いて行く。
本当に腹立たしくて、仕方なかった。何も知らない癖に好き勝手言ってくるタニアに。
あぁいう、自分が正しいと思っているところ。そういうところに貴族らしい傲慢さが滲んでいた。
「…………チッ」
ブレイクは舌打ちを溢す。
分かっている。タニアに悪気はなかったということは。
でも、悪気がないからって、許せないことはあるのだ。
だって彼にだって。どうしようもない事情があるのだから……。
「…………本当、……」
ブレイクの、苦しみが滲んだ小さな呟きは……誰の耳にも届くことなく、静かに消えていった。
◇◇◇◇
「クソッ……!!」
訓練観覧が終わり、人気のなくなった訓練場で。
薄茶色の髪に榛色の瞳を持った青年──第八大隊三部隊所属の騎士ハイド・シガルが、苛立ちを隠せない様子で剣を振り回していた。
だが、それも仕方ないことだった。
昼間に行われた訓練観覧。そこで行われた模擬戦で、ハイドは完全に手加減をされて、わざと勝ちを譲られるカタチで勝利したのだ。勝ってしまったのだ。
そんなの、許せるはずがない。我慢できる訳がない。
「チッ……!」
苛立ちに任せて剣を振るう。
そんな時──訓練場にくすくすと、女の笑い声が響き渡った。
「何を怒っているのよ、ハイド。随分と怖い顔してるわね」
ハイドは訓練場に現れた女に、鋭い視線を向ける。波打った青色の髪に橙色の瞳。
彼女は《青》所属の騎士ラント・レスマーの妹──ライア・レスマー。
彼女はハイドに近づくのその眉間に寄ったシワをグイッと指で押して、伸ばすのだった。
「酷い顔。そんなに、今日の結果が気に食わなかったの? 貴方が勝ったのに」
「分かってるだろ。勝ちを譲られただけだって。そんなんで喜べると思うのか」
「ふふっ。そうよねぇ。屈辱、よね。勝ちを譲られるだなんて。でも、これでよく分かったんじゃない? あの子達はきちんと実力があって、護衛任務についているんだって」
「…………チッ。それぐらい、もう、分かってる。実際に戦ったんだからな」
この模擬戦が組まれたのは、ハイド達がロキらに絡んだからだ。
自分達よりも騎士歴の浅い奴らが……ベテランとして認められる指標とも言える護衛任務を任されるだなんて、受け入れ難かったから。
でも、実際に戦って。実力を知ったから。だから今は、彼らが護衛任務を任されたのにも納得している。……納得はしているが。
それでもマトモに戦おうとせずに、勝ちを譲られたのだけは! ブレイクのふざけた戦い方だけは! 許せそうにない!
「貴方の対戦相手だった子って、ラスレット侯爵家の分家の子だったみたいね」
「……ラスレット? ユルド・ラスレットか?」
「えぇ」
ラスレット侯爵家は代々、騎士を輩出する名家の一つである。
当代──ラスレット侯爵は数年前に王族の暗殺を防いだ際に怪我を負い、騎士団を退団しているので今、この騎士団にいるラスレットはただ一人。
ラスレット侯爵家の嫡男ユルド・ラスレットだけ。
「貴方の対戦相手……確か、ラスラク伯爵家の三男だったわよね? 実はわたくし、あの家の長男と少しお話ししたことがあるのだけど。その時に知ったのよね。その家ってラスレットの分家であるのに、珍しく文官ばかりを出す家で。性格もかなぁ〜り内向的。事勿れ主義だって」
「…………事勿れ主義」
「ねぇ。あの子がわざと負けた理由。案外、そういうことなんじゃない?」
「…………そういう、ことか?」
「可能性は高いでしょうね」
つまり、本家を慮るよう、家族に指示されていたということか。
本家筋の騎士であるユルドより目立たぬように。彼よりも強いと露見しないように。実力があるのだとられないように。
わざとヘラヘラと笑って。わざと本気を出さない。
「……あり得るかも、な」
ハイドは大きく溜息を溢す。
やっぱり、不完全燃焼感は拭いきれないけれど。家が関わっているがために、ブレイクがわざと負けたというのならば。あんまり下手に責められない。
なんせ、貴族とは当主の指示には従わなければならないのだから。
「はぁ……腹立たしいこと、この上ないな……」
ハイドが溢した愚痴に、ライアは苦笑を溢すのだった。
◇◇◇◇
あの後──。
特に問題なく訓練観覧は終わりを迎え、マリア達はユーディと別れ、ロキよりも先に別邸へと帰ってきた。
夜になるまでホープは訓練観覧で見た格好いい騎士の話をしたり、スレイと遊んでもらったりして時間を潰し。ロキが帰ってきてからは彼本人に、どれだけ楽しかったかを。興奮したかを語っていた。
そして、夜──。
「すぴょー……すぴょー……」
夕食後のコンサバトリー。食後の団欒のためにこの部屋に移動したマリア達だったが……今は、彼女の膝の上にはホープがころんっと転がって、すよすよと穏やかに眠っている。
お行儀が悪かったけれど、夕食の席でだって、びっくりするぐらいはしゃぎまくって。ロキに今日の興奮を伝えていたというのに。ホープは急に電池が切れたかのように眠ってしまったのだ。
きっと、興奮し切って疲れてしまったのだろう。マリアはクスクスと笑いながら、穏やかに眠る幼子の頭を撫でる。
そんな柔らかな光景を向かいのソファに座って見つめるロキは、穏やかに微笑みながら冷やしたエールを口に含んだ。
「今日は随分と、楽しめたみたいだな」
「えぇ、そうみたいです。スレイの解説も良かったのでしょうね」
訓練観覧中──護衛役として一緒にいたスレイは、模擬戦をするロキ達が何をしているか、どんな魔法を使っているかを事細かに解説してくれたのだ。それは思わず、周りの見学者が盗み聞きしてしまうほどに詳しくて。おかげでホープはさらに、今日の観覧を楽しめたようだった。
「それにしても……本当に、驚いたのですからね? 貴方が炎に包まれた時は。スレイが直ぐに地面に潜って逃げてるから大丈夫だと教えてくださったから、そこまで動揺はしませんでしたけど。それでも驚くには充分だったんですから」
「あー……悪い、悪い。心臓に悪かったんだな?」
「そうです」
マリアはジト目でロキを睨む。
あの時は周りの人々と共にマリアだって悲鳴をあげてしまった。それぐらい、あの光景は衝撃的だったのだ。
それもそうだろう。日常生活において、人が炎に包まれるところなんて普通は見るはずがない。
……まぁ、これも。スレイの「大丈夫っすよ〜! 兄貴なんで!」という無責任な言葉と、詳しい解説。後、何故か全然動じていないホープのおかげで落ち着くことができたのだが。
何はともあれ、あの時驚いたのには間違いない。
「……まぁ。あの後のとんでもない一撃のおかげ(?)で貴方がとても強いのだと知りましたから。これから先は、それほど心配しなくても大丈夫かもしれないとも思ってますけど」
「否定はせん。俺、自分で言うのもなんだが、地味に強いからなぁ」
「……でしょうね」
けれど、一番最後の方がもっと衝撃的だった。
本気で、相手の騎士を殺してしまったかと思った。血が吹き出していたのも見えた。
…………けれど、そんな恐ろしいものが見えたのはほんの一瞬で。次に目にしたのは、泡を吹いて倒れる相手だけ。
周りに錯覚させるほどの偽りの攻撃を見せるだなんて……普通の騎士ができることではないのだと。素人にだって、分かる。
でも──……。
「…………ロキ」
「んー?」
マリアは、ゆっくりと口を開いた。
ホープの頭を撫でる手に、ほんの少しだけ……力が入る。
「例え、貴方がとても強くても。それでも怪我をしないとは限りませんから」
「…………まぁ。それは、確かに」
「ですから……怪我をしないようにしてください。私と、ホープを心配させないでください。私達を、置いていくようなことを、しないでください」
ゆっくりと、視線を上げた。
驚き、目を見開くロキに。マリアは真剣な面持ちで、告げる。
「何があっても。死にそうで辛くても。生きていれば、必ず私が助けますから。だからここに……私達の側に。絶対に、帰ってきてください」
「…………」
何故、こんなことを言い出したか。自分でも分からなかった。
でも、伝えなくちゃいけないと思った。今、ここで。
沈黙が流れる。真剣な空気に肌がヒリつくようで。それでも目だけは、逸らさない。逸らしたくない。
すると、ロキが苦笑を溢した。そして、目を悪戯気味に細めて、逆に告げてくる。
「なら、マリィもだな」
「…………え?」
「マリィも。何があっても俺達のところに戻ってこいよ。辛い目に遭っても。どんなに苦しくても。生きてりゃ勝ちだ。だから、絶対俺らのところに戻ってこい」
「…………ロキ」
「……まぁ、でも。マリィは女の子だし。一人じゃ帰れないこともあるだろうから。もしもの時は俺とホープで迎えに行ってやるよ」
「…………迎え……私、を」
「そう。困ってたら助けに行ってやる」
マリアはむにゅっと頬をムズムズさせながら、頷く。
なんでか分からないけれど、胸がむず痒くて仕方がなかった。
…………本人に自覚はないけれど。その胸の疼きは、喜びだった。
聖女という身分でありながら、囚われた生活を送っていた過去。
その辛くて、苦しかった過去は消せないけれど。でも、これからはロキが、自分が困っていたら助けに来てくれると約束してくれから。だからまた、あんな苦しい思いをするようなことが起きても、大丈夫だと思える。救いの見えない暗闇の中に、一筋の光を差し込むからと約束されれば……安心するに決まっているのだ。
そうやって安心できるのは。ロキの言葉を信じることができるのは。こうやって、優しく。穏やかな生活に掬い上げてくれた人の言葉だから。もう既に、マリアを一度救ってくれた彼の言葉だから……信じられる。
「約束、な」
「………………はい」
マリアは気づいていない。
徐々に、確かに。彼女の中でロキの存在は大きくなってきていることに。
でも、本人が自分でそれに気づくのは……もう少しだけ、時間が必要そうであった。




