さんじゅーはち
時は数日前に遡る──……。
その日──元夫であるワルドに離縁を切り出されたジェンナは、祖国であるセヴェール王国に帰国するや否や……母親であるオデット・ロッシェータ公爵夫人に連絡を取っていた。
「まぁまぁまぁ! 我らが愛しき神子様! どうなされたのですか……!? 急にご帰国なさるだなんて!」
ロッシェータ公爵家が所有する別邸。
優雅にベッドソファに横たわったジェンナに向かって……一人の女性と二人の男性が跪く。
一番前で腰を落とす女性は、ジェンナとよく似た……白金色の長髪に淡い空色の瞳を有していた。今年、五十五歳になる彼女の姿はとても若々しく……見た目だけで言うなら四十代前半にしか見えない。下手をすれば三十代に勘違いされるだろうか?
年齢にそぐわない若さを誇る彼女こそが……ジェンナの母親であるオデット・ロッシェータ公爵夫人である。
しかし、その姿は母親というよりは臣下……信者のようで。この国で長く暮らせど、宗教色の強いシャーワット王国の王族として身につけた思想を、今だに強く根付かせている彼女は……《天神の瞳》を有するジェンナを、自身の娘としてではなく。神の依代、神の愛し子として、彼女のことを見ていた。当然、オデットに小さい頃から仕えている後ろの男性二人──薄い氷色の髪と瞳を持つ、双子の侍従リーノとミーノ達もまた同じ。
更に言えば……物心つく前からこのような接し方をされてきたジェンナも、この態度が〝おかしいこと〟であると気づくこともなく。彼女は傅くオデットに、母親にするものではない態度で答えるのだった。
「ワルドから離縁されましたの。わたくしが、婚姻を結んだ際の契約を破ったからと」
「まぁまぁまぁ! なんということでしょう……! 神子様を娶っておきながら、その程度の理由で離縁するなどっ……なんと失礼な男なのでしょう……! リーノ、直ぐに我が国に連絡をし、ワルド・アドラーに報復を──」
「いいえ。それは別に必要ありませんわ。だって、好きに暮らしていいと言われましたから嫁いでやりましたけれど……やっぱりあの男は平民ですもの。離縁されたおかげで、貴族令嬢としての身分が戻ったのですから。ある意味、離縁できて良かったですわ」
「なんて……なんて慈悲深いのでしょう、神子様! あのような男に、罰をお与えにならないなんて!」
絶対的な肯定。まさにそう言うに相応しい反応だ。
うっとりとした顔で、神子を見つめるオデット達。
……その異様な光景は、シャーワット王国の異常さを感じさせるモノだった。
「……ということで。わたくし、暫くはここで暮らしますわ。お父様には知らせないでくださいませね? ……煩いもの」
「えぇ、えぇ。勿論ですわ! シャーワットの至宝である神子様を、自分勝手に従えようとする男などに、教えるものですか!」
……昔よりは男尊女卑の風潮は弱まってきたとはいえ、今でも夫人は夫に付き従うもの。貴族令嬢というのは父親の指示に従うものであり。子息令嬢は、政略結婚などで駒扱いされることが多い。特に高位貴族はその傾向が強い。
ゆえに、貴族階級で最上位にいるロッシェータ公爵が娘であるジェンナを従わせようとしたり、公爵が選んだ相手と結婚させたりするのは比較的当たり前のことなのだが……。
シャーワット王国の思想に基づくと……神子の望むまま。神子の願いを叶えさせない方が側が悪いという考えになる。
この国でそれなり長く暮らしているというのに、オデットは今だにシャーワット王国の常識で行動する。
つまり、神子の言うことは絶対であり、神子の願いを叶えることこそがシャーワット国民の義務だと思っているのだ。
まさにそれは、狂信者そのもの。
「さて……またわたくしの〝恩恵〟を授けるに値する相手を見繕いませんと」
ジェンナはもう今の話は終わりと言わんばかりに、話を変える。
するとオデットは心の底から感心したと言わんばかりに、彼女のことを褒め称えた。
「なんと素晴らしいお方なのでしょう……! 帰国早々、休む間もなく御務めを果たそうとなされるなんて……! 心より尊敬いたしますわ、神子様!」
「ふふっ、ありがとう。取り敢えずはお母様が目にかけている人から始めましょう。それと……向こうの国では細身の殿方ばかりだったから、違うタイプの殿方を相手にしたいわ」
「そうですか……でしたら、もう少しで騎士団主催の訓練観覧がありますから。それに参加して相手を選ぶのは如何でしょう?」
ジェンナは目を瞬かせる。
訓練観覧は騎士団に所属する団員が参加する催し物だ。
彼女も過去に何度か足を運んだことがあった。──自身の相手を探すために。
「良い考えだわ。そうしましょう。ミーノ、手配をして頂戴な」
「畏まりました、神子様」
ミーノが深々と頭を下げて、部屋を後にする。きっと直ぐにでも、訓練観覧への申し込みをしてくれるのだろう。
ジェンナは満足げに頷いて……リーノの方を見る。
「久しぶりに貴方にも恩恵を授けましょうか、リーノ」
「…………よろしいので?」
「勿論」
「ありがたき幸せ」
リーノは恍惚とした表情で微笑み、手を伸ばしたジェンナに応えるかのように立ち上がり……その華奢な身体を抱き上げる。
「では……わたくしはお暇しますわね。御前を失礼いたしますわ、神子様」
「えぇ。さよなら」
「失礼いたします、オデット様」
深々と頭を下げる母に見送られて、ジェンナは寝室がある部屋へと去って行く……。
その先で行われるのは……想像通りの展開で。
艶やかな声が、ロッシェータ公爵家の別邸に……響き続けた。
◇◇◇◇
訓練観覧当日──。
雲一つない快晴の下、マリアはホープと共に……王宮騎士団の拠点へと足を運んでいた。
──人型をとったスレイを引き連れて。
「いやぁ〜! 最近割りとマジで兄貴に忘れられてた気がするんで! 久しぶりの出番でオイラ、めっちゃ嬉しいっす!」
とても広々とした、コロッセオ型の訓練場。
中央の舞台を囲うようになっている観覧席に座り……スレイは頭上の馬耳をぴこぴこ動かしながら、しみじみと言う。
タニア達の訓練があったため、ロキからあまり構ってもらえなかった(?)のだろう。主人の影からも満足に出れなかったのかもしれない。
マリアはホープを自身の膝の上に座らせながら……浮かれ気味な様子に苦笑を溢しつつ、彼に声をかけた。
「すみません、スレイ。貴方はロキの馬であるというのに……私達の護衛役を任せてしまって」
「いえいえ! 今日は兄貴達、騎士団の催しモンでお嬢達の護衛役が満足にできねぇんでしょ? その代わりを任されたんですから……逆に光栄っすよ!」
そう……ロキ達は訓練観覧の目玉ともなるチーム戦を行うため、朝から打ち合わせに行かなくてはならなくなってしまい。いつものように護衛を務められなくなってしまったのだ。
けれど、他の騎士達に護衛役を任せるのも不安であったようで……ロキは苦渋の果てに、自身の馬であるスレイに護衛を任せることにしたのだった。
「それに……きちっとお役目を果たさないと……デイジー姐さんにブッ殺されそうですしぃ……」
「…………」
マリアはそっと目を逸らす。
ロキ達が護衛役を担えなくなった今日、本当はデイジーがマリア達を守る役目を果たしたかったらしい。けれど、家事妖精であるデイジーは、外という環境と相性が悪い。簡単に言えば……屋敷を守る性質であるがゆえに、屋敷の外では本領発揮をすることができないそうだ。
そのため、今日の訓練観覧に身の回りをする侍女としてついて行くことはできても、護衛としては役立たず。屋敷内ほど万全にマリア達を守ることができない──返って、小さい身体では足手纏いになってしまうと冷静に判断したため。渋々、それはもう本当に嫌々と! スレイに本日の護衛役を任せたという経緯があった。
…………が。先も言ったように、本当はデイジーが自分の手でマリア達を守りたかったのだ。
だから──……。
『よろしいですね? スレイ。万が一にも、毛先一本にでも。マリア様とホープ様に怪我を負わせましたら……丸っと剥製にして差し上げますわ』
『……りょ、りょーかいですぅ……姐さん……』
スレイは斧を首に添えられて、本気の脅しを受けていたのだった……。
閑話休題。
「……スレー……だいじょーぶ?」
若干遠い目をしていたスレイに、ホープが心配そうな顔を向ける。ハッとした彼はニカッと笑うと、「だいじょーぶっすよ!」と返事を返した。
そして親指をサムズアップさせて、堂々と宣言した。
「まぁ、そんなこんなで! オイラ、優秀なスレイプニィ〜ル……(←無駄に良い発音)なんで! 泥舟に乗ったつもりでいてくだせぇ!」
「……そこは大舟では? 泥舟は沈むのでは……?」
「おっといけねぇ、間違えた!」
「…………」
……どうしよう。地味に不安度が増した。
多分、ロキがスレイに護衛役を任せると……苦渋の決断となった理由は、これにある気がする。
…………と、そんな馬鹿な会話をしている内に定刻となったようで。ドンドンドンドンッと、合図のように太鼓の音が鳴り響き、見学者達の話し声が静まり返る。
中央舞台に繋がる門から、騎士団長のヒューバート・スワロウが現れた。彼は簡易の壇上に上がると、声をあげる。
「ただいまより、セヴェール王国王宮騎士団の! 訓練観覧を行う! 開幕剣舞! 《白》の副団長 アイク・ベンガー! 《青》の副団長オーロラ・ネルサ!」
ヒューバートが名を呼ぶと、二人の騎士が舞台に上がってきた。
片方は濃い青色の髪に薄黄色の瞳を持った三十代ぐらいの男性。白い騎士団の服を着ていることから分かるように、彼が《白》の副団長アイク・ベンガーである。相反するのは……銀髪に碧眼。顔には深い傷が刻まれている女性。青い騎士服を纏ったオーロラ・ネルサ。
二人は互いに向き合って剣を構える。それからドンッという太鼓の合図で、優雅で荒々しい剣舞を舞い始めた。
(……素人目でも、凄いと分かりますね……!)
剣のことが一切分からないマリアでも、二人の技量が高いことが分かった。それほどまでに迫力満点だ。
滑らかに滑る剣筋。ブレない剣先。空気を切り裂く音を立てて剣を振り下ろしたと思えば、ぴたりと止まる。
息を呑むとはまさにこのこと。二人がぐるんっと身体を回転させた後にピタリッと止まって最後のポーズを取ると、一瞬の沈黙の後──大きな歓声が響き渡った。
「かっこいー!!」
ホープが目をキラキラさせながら、叫んだ。
興奮のあまりかパタパタと膝の上で暴れるから、マリアは「落ち着いてください」と彼を宥める。
しかし、興奮しているのはこの幼子だけじゃない。周りの見学者達も同じ。
「流石は副団長達だな……」
「あぁ。そうだ──」
「きゃぁぁぁぁ! アイク様ぁぁぁぁ!」
「素敵ぃぃぃ! こっち向いてぇぇぇぇ!」
「好きですぅぅぅ! 結婚してくれぇぇぇ!」
「オーロラ様! 愛しておりますぅぅぅ!」
…………近くに座っていた若い青年達の会話が、一部の令嬢達の黄色い歓声に掻き消された。
まだ恋というものを知り始めたばかりのマリアは、こんな風に大きな声で好意や愛を叫ぶ彼女達の姿に驚き、目を見開いて固まる。
「いやぁ〜……すっごい人気っすねぇ〜。熱烈だぁ〜……って。マリア様? 大丈夫で? 鳩が豆鉄砲を食ったような、すっげぇ顔で驚いてるっすけど?」
こちらを向いたスレイが、きょとんとしながら問いかけてくる。
マリアは今だに驚いたまま、ぽつりぽつりとそれに答えた。
「…………そ、その……恋愛は秘めたる思いを打ち明ける行為だと……デイジーから聞いていたので……。こんな人前で堂々と好意をぶつけているとは思ってもいなくて……」
「…………あぁ〜! 多分、勘違いしてるっすねぇ!」
「勘、違い?」
「うっす! あの人達は〝好き〟とか〝結婚して〟とか言ってるっすけど。別に、副団長さん達に恋愛してる訳じゃねぇっすよ?」
「????」
マリアは首を傾げる。
好きだと言っているのに恋ではないというのは、一体どういうことなのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。スレイは微妙にドヤ顔になりながら、マリアに説明をした。
「あの令嬢達は本当に、お二人と本気で結婚したいとか思ってる訳じゃなくて……要はホープ坊ちゃんと同じ。格好いい副団長さん達に憧れてるだけなんっす。応援したいだけなんっす。つまりっすね? 副団長さん達は舞台の俳優さんみたいなモンで、お嬢さん達はファン。単に応援している副団長さん達への好意が長じて、思いの丈をぶつける言葉が強くなっちゃって〝好き〟とか〝結婚して〟とか言ってるだけかと」
「…………本気じゃ、ない??」
「いんや? 中には本気で恋してる人なんかもいるかもなんで、絶対じゃねぇーですけど。あそこで黄色い声あげてる人達はそんな感じはしねぇっすね〜」
「…………」
……どうやらまだまだ、マリアは恋というものを知らなかったらしい。
好き、結婚してといった好意を伝えていても恋ではない場合があるなんて、思いもしなかった。
「……恋、難し過ぎでは?」
「難しく考え過ぎっす。要はフィーリングっすよ、フィーリングゥ〜」
フィーリングで分かったら、ここまで恋を理解するのに苦労はしないだろう。
(……取り敢えず、今は考えるのを止めておきましょう……。折角の訓練観覧ですし)
マリアはひとまずこの事は置いておくことにして……訓練観覧に集中するのだった。




